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星風の国物語 〜少女王と見習い書記官の政務録〜  作者: 月森みのり
第七章 商旗の約束

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第三十七話 沈黙の港

異国の港で、交渉の幕が上がる――


【港に着いた時、人は初めて知る。

 海を越えた先にも、同じ空の下で暮らす人々がいることを。


 だが、同じ海を見ても、そこに託すものは国によって異なる。


 商人は利益を、兵士は守るべきものを、

 そして王は、まだ見えぬ未来を探している。


 ――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】



 夜明け前の海は、薄い霧に包まれていた。

 白い帆を張った商船は、ゆっくりと波をかき分けながら進んでいく。

 甲板の先に、ぼんやりと陸影が見え始めた。


「見えました、アルヴェイン公国です」


 船員の声に、ノアは水平線へ目を向けた。

 灰色の冬空の下、見知らぬ港町が少しずつ姿を現していく。


 高い城壁。

 海へ伸びる埠頭。

 そして、その間を行き交う無数の船。


 王国の港町ヴァレスタとは違う景色だった。

 けれど、そこにあるものは不思議なほど似ていた。


 荷を運ぶ人々。

 船を整える船員。

 朝の仕事へ向かう商人たち。

 

「初めて見る景色ですか」


 隣から声がした。

 振り返ると、ルシアン伯爵が海を眺めながら立っていた。


「はい」


 ノアは正直に答える。


「王都にいるだけでは、隣国の姿を知る機会は多くありませんから」


「そうでしょうね」


 ルシアンは静かに頷く。


「ですが、商人にとっては珍しいことではありません」


 彼は遠くの港へ視線を向けた。


「海を越えれば、そこには別の国があります。しかし同時に、同じように朝を迎える人々がいる」


 その声は、出航の日と変わらず穏やかだった。

 やがて船が港へ近づく。

 埠頭の様子がはっきりと見える距離になって、ノアはわずかな違和感を覚えた。


「……伯爵」


「お気づきになりましたか」


 ルシアンは、ノアが口にする前に答えた。


 港の入口付近。

 荷役を手伝う者や商人が行き交う場所に、武装した兵士の姿が多く巡回している。

 彼らは港を守っているというより、港に出入りする者を確認しているように見えた。

 荷を運ぶ商人へ声を掛け、積荷の札を確かめ、時には船員の身分証を確認している。


「グランセル側の国境だけでなく、ここも、兵が増えているんですか」


 ノアの問いに、ルシアンは少し間を置いて答える。


「ええ。私が最後に訪れた時よりも、増えています」


 船がゆっくりと速度を落とす。

 甲板へ、港の喧騒が少しずつ届き始める。


「どうしてでしょうか……」


 ノアが尋ねると、ルシアンはすぐには答えなかった。

 代わりに、港の奥へ視線を向ける。

 そこには、商船の隣に並ぶ大きな倉庫があった。

 その前を、兵士たちが警備している。


「不安がある時に、人は備えます」


 ルシアンは静かに言った。


「問題は、その備えが何のためなのか。それを、私たちが探るのです」


 その言葉が終わると同時に、船員の声が響く。


「まもなく接岸します!」


 白い帆がゆっくりと畳まれ、船体が港へ近づいていく。

 やがて太い綱が岸へ投げ渡され、商船は異国の港へ身を寄せた。


 桟橋へ降り立つと、冷たい海風が頬を撫でた。

 足元の石造りの岸壁は、ヴァレスタの港とは少し違っていた。

 同じ海に面した港でありながら、積まれている荷の種類も、行き交う人々の服装も異なる。

 木箱には見慣れない紋章が刻まれ、遠くでは異国の言葉が飛び交っている。


 ノアが周囲を見渡していると、灰色の外套を纏った男がルシアンへ近づいてきた。


「ルシアン伯爵。ようこそ、アルヴェイン公国へ」


「お久しぶりです」


 ルシアンも礼を返す。

 彼の柔らかな笑みは、王国を出た時から変わらない。

 しかし、相手の男の視線は、その隣へ移った。


「……そちらの方は?」


「ノア・フェルディン殿です」


 ルシアンが答える。


「アステリア王国の書記官であり、今回の同行者です」


 男の眉がわずかに動いた。


「書記官……ですか」


 その声には、こちらを探るような色が混じっていた。


「商談へ書記官まで同行されるとは。随分と重要なお話なのでしょうか」


 ノアが答えようとした瞬間、ルシアンが口を開いた。


「ええ、とても重要です」


 ルシアンは笑みを崩さず、続けた。


「今回は、品物の話だけではありませんから」


 港を吹き抜ける風が、白い帆を揺らした。




 港を離れると、街並みは少しずつ姿を変えていった。

 石造りの建物が並ぶ大通りの街路には雪が薄く残り、馬車の車輪が水気を含んだ石畳を鳴らしている。

 王国の王都とは違い、建物の多くは低く横へ広がっていた。

 商館や倉庫が多く、通りには荷を運ぶ人々の姿が絶えない。


 先導する馬車の窓から、ノアは外の景色を眺めていた。


「公国の港町は、商業が盛んなんですね」


 ノアの言葉に、向かいへ座るルシアンが頷く。


「アルヴェインは海運によって栄えた国です」


 窓の外へ視線を向ける。


「王国とは違い、広い平野や鉱山資源には恵まれていません。その代わり、海があります」


「だから交易を重視しているのですね」


「ええ」


 ルシアンは微笑む。


「国に足りないものを、他国との繋がりで補ってきた国です」


 その言葉の直後、御者が手綱を引き、ゆっくりと速度を落とした。

 窓から前方を覗き見れば、別の馬車が道を塞いでいる。


 先導していた公国側の使者が馬車を降り、短いやり取りの後、道を塞いでいた馬車は端へ移動した。


 しかし、その間にもノアは気づいた。

 通りの両側に立つ人々。

 王国から来た商船を見に来た者たち。

 その中に、こちらをじっと見ている者が何人かいた。


「歓迎されている、というより……」


 ノアが呟くと、ルシアンは窓の外を見たまま答えた。


「見られていますね。商人同士の取引でも、初めて会う相手の品を見るものです」


 ルシアンは何でもない様子で、手袋を整える。


「国同士なら、なおさらでしょう」


 馬車は再び動き出した。




 しばらくして、馬車は一軒の大きな建物の前で止まった。


 白い石壁。

 正面にはアルヴェイン公国の紋章。


 公国の迎賓館だった。

 扉の前には、先ほど港で出迎えた男が待っていた。


「長旅、お疲れでしょう」


「お気遣いありがとうございます」


 ルシアンが礼を返す。

 男は微笑みながら、建物の中へ案内する。


「本日のところは、まずお休みください」


「明日の会談については?」


 ルシアンの問いに、男の足が一瞬だけ止まった。


「……明日の午前、時間を設けております」


 男は振り返り、穏やかな表情を作る。


「公国側の代表も同席いたします」


「承知しました」


 ルシアンはそれ以上は尋ねなかった。

 やがてその男と別れてから、ノアは小声で尋ねる。


「伯爵、さっきの間は……」


 ルシアンは横目でノアを見る。

 そして、笑った。


「よく見ておられますね」


 褒めるというより、確認するような声だった。


「ですが、まだ判断するには早いでしょう」


「そうなのですか」


「ええ」


 ルシアンは前を向く。


「外交では、言葉より先に沈黙が答えることがあります」


 ルシアンはそう言って、再び歩き始めた。

 港町の夕暮れが、ゆっくりと夜の色へ変わっていく。




 その日の夜、宿として案内された迎賓館の一室では、机の上にいくつもの書類が広げられていた。

 蝋燭の小さな灯りが、羊皮紙へ淡い影を落としている。

 ルシアンとノアは椅子へ腰掛け、資料へ目を通していた。

 昼間の港で見せていた穏やかな笑みは消え、商人としての鋭い眼差しが浮かんでいる。


 帳簿。

 交易品の一覧。

 過去数年に渡る取引記録。


 並べられた数字を、一つひとつ確かめるように指先で追っていく。


 ノアには、それらの数字がただの記録の列にしか見えなかった。

 しかしルシアンは、数字の奥にある何かを探しているようだった。

 しばらくして、ノアは机の上へ視線を落とす。


「……伯爵。過去の取引記録に、何か変化があるのですか」


 ルシアンが顔を上げ、少し意外そうに目を細めた。


「お気づきになりましたか」


「いえ……ただ、先ほどから同じ箇所を何度も確認されていたので」


 ノアの言葉に、ルシアンは小さく笑う。


「よく見ておられますね」


 そう言って、彼は机の上の一枚の記録を指先で示した。


「以前のアルヴェインとの取引では、主に港を経由した商材の流れに大きな変化はありませんでした」


 指先が、いくつかの数字をなぞる。


「ですが、ここ数年で一部の品目だけ、輸入量がわずかに変わっています」


「それは、問題なのでしょうか」


「必ずしも、そうとは限りません」


 ルシアンは首を横へ振った。


「商売では、数字の変化そのものよりも、なぜ変化したのかを見ることが大切です」


 蝋燭の灯りが、羊皮紙の上で揺れる。


「需要が増えたのか。新しい取引先が生まれたのか。それとも……別の理由があるのか」


 最後の言葉だけ、わずかに低く響いた。

 ノアは記録へ目を落とす。


「明日の会談では、その理由も探られるのですか」


 ルシアンは資料を閉じた。


「ええ。商談とは、相手の欲しいものを知ることから始まります」


 彼は閉じた資料へ視線を落とす。


「何を求めているのか。それを知らなければ、こちらが差し出すものを決めることもできません」


 蝋燭の炎が、微かに揺れる。


「そして、相手が何を望んでいるのかを知れば、たとえ意見が違っても、話し合う余地は残ります」


 ノアは静かにその言葉を聞いていた。

 しかし、一つだけ確かめたいことがあった。


「勝算は、あるのですか」


 一瞬、部屋に静けさが落ちた。

 ルシアンは目を伏せ、微笑む。


「ご安心ください」


 その声に、迷いはなかった。


「私にとって、ここは未知の場所ではありません」


 風が窓を小さく揺らす。


「積み重ねてきた取引も、築いてきた信頼も、国境を越えて続いています」


 ノアは黙ってその横顔を見つめた。

 ルシアンは再び資料へ目を落とす。


「ですが……商談に、勝敗はありません」


 彼は指先で、机の上の書類を整える。

 そして穏やかに言った。


「相手が、まだ話す意思を持っているか。それを確かめるのが最初です」


 蝋燭の炎が揺れる。

 異国の港町を渡る夜風が、遠くで船の帆を鳴らしていた。




お読みいただき、ありがとうございます。

この話を少しでも気に入っていただけたら、

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次回もお楽しみに!!


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