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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
※※ ■■■-狭間のアポカリプス
40/55

Give MOD 「物   竄   れ」

 

『――それでもいつか、この手が届くと信じていた』


 どうしてなのだろうか。

 その言葉で、胸が痛むような気がするのは。

 


『――それでもいつか、必ず報われると信じていた』


 どうしてなのだろうか。

 その言葉が、誰かの慟哭に聞こえてしまうのは。


 あぁ……そうだ。

 それはきっと、この物語の結末を知ってしまっているから。

 

 本は記憶。物語は人生。その頁に映る景色は想いの断片。

 何度も視た。いや、何度も視せられた。

 この本を開く切っ掛けとなったあのときの頁の光景が、きっとこの本の結末。

 

 そう、知ってしまっていたのだ。最初から、この物語が悲劇であると。


 そう感じているうちに、次の頁が捲られる。最後を飾るタイトルは……

 


【35.明日在りと想う心の徒桜】――――――――――――


 目の前に広がっているのは、とても不思議な光景だった。


 舞うように散る花弁。

 ゆらゆらと、数え切れない桜色の花びらが中空を漂っている。

 いや、あるいは桜色をした雪か。

 蛍のような儚く淡い光を纏いながら、花弁の雪は空から舞い降りていた。

 それは別れを告げる桜雪。それは心が零した悲嘆の涙。


 ――リンッ


 悲しく響く鈴の音。

 一度だけ、隔絶された様な空間で静かに響く。

 そう、それは消え入りそうな儚い音色。

 桜雪の花弁に混じって聞こえる音色は、想いがそこに留まるように残響した。

 それは大切な人を繋ぎ止めたい音。それは心が求めた祈りの声。


「――!」


 一人の少女が声にならない想いを落とす。

 腕の中で散り逝き始めた男の事を、必死にその腕に抱えながら。 

 何かを伝えたいのか、それともその人の名を呼んでいるのだろうか。

 ただわかること――

 それはその人を失ってしまう痛哭の愛憎。大切な人を失う恐怖と後悔。

 その想いが少女の悲痛な声となり、溜まった落涙が頬を濡らす。


「――――」


 何度言葉を紡ごうと、その音は届かない。

 どれだけ手を伸ばそうと、その指先が届くことはない。

 わかっている。きっとこれは慈悲無き現実。それでも消えない音無き哀哭。

 決して届かぬ祈り、掌に伝わる温もりを失い逝く身体。

 それでも少女は震える声で語りかけ、包む体に熱を伝える。

 少しでも長いときを、少しでも傍にいたいと、希望に縋り咽び泣く。


「――――」


 そんな少女の落涙が、芯だけとなった蝋燭に小さく儚い光を灯し出した。

 その満足げに聞こえる男の声が、少女の耳には慟哭のように響き渡った。

 男は最期(・・)、柔らかく微笑んだ。

 その微笑みはとても悲しくて、ともて冷たくて……とても、優しかった。

 そしてこの世界は正しく始まり――

 救い無き運命を選んだ世界の中で、少女の心は深き憎悪に満ちた。


 ――――――――――――――――――――――――――


 この物語を視る前に見えた光景が重なり合う。

 死に逝く男を抱き、涙する少女の姿。

 これが結末だというのなら、この物語はやはり悲劇なのだろう。

 

 だが、この違和感は果たしてなんだというのだろうか。

 記憶を辿ってみると、その正体は割とあっさり判明した。

 それは悲劇の結末を迎える少女。

 そう、幾度か見せられた物語ではあるが、この少女は消え逝く男の背に手を伸ばし続けていた少女とは、また別の――

 

 かくして、此の物語は幕を下ろした。

 続きを捲るための頁は無く、本が閉じられると共に、まるで意識が現実に引き戻されていくかのように薄れていった。



 …………

 ……



「命を賭した救世主(メシア)でさえも、絶望の中に希望の光を灯すことができなかった」


 声の方へ視線を向けると、大きな長机(テーブル)に手をつけ俯く一人の男がいた。

 その傍には倒れた配膳台(ワゴン)があり、割れた紅茶杯(カップ)に転がる紅茶瓶(ポット)、そしてお菓子が散乱し、まるで地震などの天災が通り過ぎた後のようだ。


 男は黒の燕尾服に身を包み、頭にはシルクハット。おまけに杖を持ったその姿は紳士のそれを思わせるものの、その表情は酷く憔悴しきっている。

 何時からこの様な場所にいるのか、どういった方法で此処に来たのか分からない。

 それを尋ねようにも声は出ず、体を動かす事もできないとあってはお手上げだ。唯一動く瞳をゆっくりと、上下左右へ動かしてみる。

 自分の状況を把握しようとしてまず第一に感じた事、それは……


 ――異常な空間


 ここを訪れた者は、誰しもがそういった感想を持つに違いない。

 薄暗い部屋に灯る幾つかの蝋燭。まるでこの世の終焉を現わしているのではないか。そう思わせるほど闇に侵された虚無の黒は体躯にも静かに迫ってきている。


 そして何よりも異常なのは、やはり間違いなくここにある無数の本だ。

 世界中の本を集めるとこれくらいになるのだろうか。いや、上にも横にも果ての見えない並んだ本を見るに、それ以上の数はありそうだ。

 これだけなら、ただ不気味な場所で終わりかもしれない。

 しかし真に異常なのは本の数ではなく、本そのものから溢れ出るもの。


 たとえば喜び、たとえば怒り、悲しみ、苦しみ、憎しみ、恐怖、未練、愛。

 そういった様々な感情が、本一冊一冊からひしひしと伝わってくるのだ。

 この禍々(まがまが)しい空間に迷い込んだなら、普通の人間はどれほど耐えていられるだろうか。


 そう、こんな空間で優雅にお茶を嗜もうとしているこの男もまた、異常なのだ――が、それよりもおかしいのはそう思っている自分自身。


 なぜなら――不思議とこの場所に対して、居心地の悪さを感じないからだ。

 いや、寧ろ安堵感すら抱いているように思える。

 それは何故か、どういうことなのか、この感覚はなんだ……


 たぶん……そう感じてしまった時点で、もう認めざるを得ないだろう。


 脳裏に薄らと残る夢の光景――いや、違う。決して、夢などではない。

 これまで視たもの全てが、セカイの何処かで実在していたということを。


 ぼんやりと、それでいて断言できる。

 目を凝らしても先の見えない、この闇に侵されたような空間がどこまでも長く続いているということも。

 そして、大きな長机(テーブル)の上にある駒戦(チェス)よりも多い数多の駒。それを使う遊戯、いや……神戯の名が、神々の黄昏(ラグナレク)だということも。

 二つの駒――漆黒に(ひか)るは復讐者(リヴェンジャー)、純白の輝きが後継者(サクセサー)であるということさえも。


 まるで長い長い微睡みの中、絵本の世界に溶け込んでいたような感覚だが、あれはきっと誰かの人生(物語)の追体験だったに違いない。

 何度も視てきた。何度も視せられてきた。

 そんな不思議な感覚と共に幾多の情景が蘇り、意識が明確化していく。

 これまでとは違い、繰り返す度に蓄積された記憶が繋がっていく。


 最初は不気味だと感じていたこの場所も、今となってはそうは思わない。


 ここは人生という名の物語が集まる書庫だ。

 ここは様々な死を迎えた者たちの魂が眠る墓所だ。

 

 そして、初めて(・・・)ここを訪れたあのとき以来、彼が声を掛けてくることはない。

 その理由も今では推測することができた。



「これで本当に終わりだというのですか……私たちにできることは、もう」


 三つの三日月が浮かぶ仮面の奥で、燕尾服を着た男は諦めと悲嘆の声を漏らした。遠い過去の後悔を糧に前を見てきたはずの男は、再び後悔に襲われている。


「もし仮にそうだとして、本当に貴方は諦めきれるんですか?」


 そう試すように声を返したのは、座る男の傍に佇む一人の女性だった。

 クリーム色のような薄い金髪は艶やかで長く、優しげで柔らかい顔の左右に垂れる三つ編み。しかし、おっとりとした表情とは裏腹に、その琥珀色の双眸は今も強い光を宿している。ぴたりと体に張り付いた黒い生地の上に纏っているのは、今から戦場に向かうかのような白い軽鎧だ。


「貴様がそのような腑抜けだとは思わないがな」


 男の返答も待たずそう続けたのは、黒い軽鎧に身を包んだ女性だった。

 固い踵の音を響かせながら闇と同色の髪を揺らし、琥珀の光を浮かべながら先の見えない暗い通路を歩いて来るその姿は、確かな覚悟を宿しているように見える。


「君とは長い付き合いだからね。それくらいはお見通しなのだよ」


 さらにそう続けたのは、浅い階段に座っている女性だ。

 ふわっとした短い髪とおっとりした声音が相まって、他の二人より幼く見えるが、身に纏っている白の軽鎧姿と琥珀色の瞳は、彼女も戦う者であると語っている。

 彼女たち三人は互いに言葉を交わしていないはずなのに、その思考や想いは同じ一つの答えに向ているように見えた。


「ですが、この箱が意味するところはただ一つです……これを理解できない貴女たちではないでしょう?」


 男が向けた視線の先、大長机(テーブル)の端に置かれているのは一つの箱だ。

 箱の中はまるで暗闇のように底が見えず、箱から伸びる六本の黒い支柱と半分以上黒ずんだ一本の支柱が、中央にある美しい多面体の宝石を支えているはずだった。だが今は七本の支柱がすべて黒く染まり、その宝石は深い青と黒が入り混じった、どこか宇宙を連想させるような混沌とした色へと変色していた。

 これを視るのはおそらく、二度目。

 

「それでもいつか、この手が届くと信じている」


 そう言いつつ、黒き軽鎧の女性は数刻前まで数多の駒が存在していた、しかし今は王駒(キング)だけとなってしまった盤上を見つめた。


「確かに王は失われた。紛うことなき完敗だ。この世界の滅びは避けられまい」


 そして、まるで壊れ物に触れるように王駒(キング)を手に取ると、


「だが、この心が感じているのだ。魂が叫んでいるのだ。まだ勝負はついていない。まだ希望はあるのだと。勝利への道は、決して閉ざされてはいないのだと」


 王駒(キング)を除くありとあらゆる駒が、盤上に堂々と蘇った。


「勝利の可能性を秘めた世界は必ず存在している。奇跡がこの絶望を打ち払えぬというのなら、その奇跡を何度でも幾重にも重ね続けるだけだ」


 その言葉を受けた男は、仮面の奥で鋭く息を呑んだ。



 幾度となく見聞きしてきたであろう、四人の会話の意味をようやく理解することが出来た。

 やはり、何が起きているのかという先程の推測は間違ってはいないようだ。

 

 ここは人生という名の物語が集まる書庫だ。

 ここは様々な死を迎えた者たちの魂が眠る墓所だ。

 そして、何度も視せられてきたのは、すでに終わったはずの物語。

 悲劇という結末しかもたらすことのなかった、酷く悲しい英雄譚。

 思い返されるのは、ここで初めて視せられた本に綴られていた文字だ。


 ―― ReGret Only Days 「後悔だけの日々」


 そして、その本の結末をまだ知らないのは、おそらくこれ(・・)が原因だろう。


 仮面の男たちが反応していないのを見るに、たぶん彼らは気付いていない。

 今ここに、未完の物語があることを。

 

 ―― Re:Gret Only Days 「繰り返す悲しみだけの日々」 


 何故だかは分からないが、なんとなく感じることができる。

 これ(・・)がまだ未完である理由は、これがまだ本としての形を成していないのは、この物語に先があるということに他ならない。

 そして、これはきっと、あの物語へと続いていくのだ。


 繰り返される悲しみと、繰り返される絶望への道。

 足掻き続けた先にあるのが、最初に視たあの物語。

 ならば、あの物語の結末も、後悔だけが残る悲惨なものになるのだろうか。

 

 いや、そうならないために、仮面の男たちは何かを成そうとしているのだろう。


 絶望と後悔だけが残り、悲しみの中、徒花と散り逝く英雄譚。

 その未来を、そんな受け入れ難い物語の結末を変える為に。


 それらの中に、こうして物語を視せられていることにも意味があるとするのなら、次はいったいどんな物語を視せられるのだろうか。 

 そう思い、視線を動かしてみるも、このタイミングで淡く光り輝くはずの本はただの一冊たりとも存在していなかった。


「ならば託しましょう、希望のある世界へと。いつか、この手が届くと信じて」


 そう決意を述べた仮面の男の声に、もう諦めは感じられない。

 

「あぁ、必ず届けて見せるとも。私の力が何かを感じ取り、何かを訴え続けている限り、どれだけ小さな可能性でも確かに希望は存在している」


 そう言った黒い軽鎧を着た彼女がこちらを見たような気がしたが、その視線はすぐさまこの部屋の扉の方へと向けられていた。


「奴らの計画を壊し、この戦いを終わらせる。ラーズグリーズの名にかけて」

「わたしたちのことも忘れないでほしいのだよ?」

「そうですね。主神様亡き今、残された私たちが成さねばなりません」


 それはまだ視ぬ敵への宣戦布告。

 たとえこの宇宙(セカイ)全てが戦場と化したとしても。

 たとえ此の物語(セカイ)が廃墟と成り果てるのだとしても。

 彼女たちの視ている未来は等しくひとつだけだった。


「彼らの物語の最後の頁を、あの者たちに綴らせたりはしない」

「たとえすべてが無に帰したこの状況でも、あの子の手を彼に届かせてあげないとね」

「故に、この世界が敗北してもまだ抗うというのなら……さぁ、御下知を」


 扉の前で立ち並ぶ三人の軽鎧が輝きを纏い、その背に美しき光の翼が見える。

 神々しいその姿は、まるで人の持つ希望そのもののようにさえ思えた。

 そんな彼女たちを前に、仮面の男は扉の方へと歩を進めながら、それに応える。


「凍てついた世界で、私たちは全てを失いました。それでも、あの凄惨な世界の中で多くの魂を救ってくれたのは彼です。あのとき、その終焉を見た者たちは知っている」


 まるで彼の言葉に呼応するかのように、無数の本が淡い光を纏い始めた。


「繰り返される時の中、必死に足掻き続け、愛すべき者たちの為に戦い続けたのは彼だ。それを、私たちは知っている」


 光はなおも増え続け、蝋燭の消えた暗闇の中、確かな存在を放っていた。


「だから、証明してほしい。彼が戦い続けた、その意味を。彼が叫び、求め続けた未来は必ず在るのだと。それらは決して、無駄などではなかったのだと」


 それはまるで宇宙のようにも思えた。

 暗黒の中に灯る無数の光は綺羅星が如く、希望の標が如く。


「此の魂の集う館(ヴァルハラ)に眠る英霊たちよ、我が愛おしき戦乙女(ヴァルキリー)たちよ、心せよ。これが今在る我らの最期の反撃(攻勢)……未来を守るための闘いはこれからだ!」


 これはまだ視ぬ英雄譚……無様にも、愚かしくも抗い続ける未完の噺。

 物語の結末は、まだ誰の手にも渡ってはいない。





 ――――――――――――――

 ――――――――――――

 ――――――――――

 ――――――――

 ――――――

 ――――





 ――絶対中立地域レイオルデン、虹の塔(イリスコート)


「気持ちは分かるが……その、だな……少しは落ち着いて……」

「何よ!? 私を生かした貴方が、どうしてそんなこと言えるのよ!」


 それは悲鳴か怒声か慟哭か。

 ひとつの感情で表わすには難しい思いの宿る叫声が、部屋の中に響き渡る。

 その怒りの発信源は月の女神アルテミス。その矛先は救医神コル。

 彼女は普段から芯の通った比較的気の強い少女ではあるが、メリュジーナ以外に対し、ここまで感情を発露することは今までに見たものはいない。


「はいはい。あんさんの言い分もわかったけど、今は他にせんといかん事があるんと違う? 煙に巻くわけやないけど、この話はもうしばらくおあずけや」


 困ったような表情を浮かべたサラが間に入るも、審秤神である彼女にさえも、アルテミスは剥き出しの牙を隠すことなく声を荒げる。


「違わないでしょうが! 遠距離通信(いつも通り)だとそうやってはぐらかされるから、それが嫌でこっちはわざわざ足を運んでるのよ!」


 彼女のそれは気が立っているという状態を通り越し、怒りや恨みを宿している復讐者の眼をしているが、それは決してコルやサラに向けられているのではない。

 

「うちも悪いとは思とるんよ? この塔においては最強なんて言われとっても、なんにもできん駄女神や。塔から出られへんぶん、みなはんよりよっぽど役立たずやなぁ。……堪忍な」


 覇気もなく、自信もなく、以前見た時よりも少しやつれたサラの浮かべた憂いを帯びた表情が、アルテミスの瞳の奥を熱くさせた。

 アルテミスとて理解はしているのだ。サラが寝る間を惜しんでまで、どれだけ必死に例の件について調べてくれているのかも、彼女に不可能なことであれば、他の誰にもできないということも。


「皆、苦しんでる。悲しんどる。悔いて悔いて悔いて……それでも、自分への怒りも苛立ちも一生懸命に押さえ込んで、あの人の守ろうとしとったもんを守ろうとしてはる。それはうちらも同じや。だから、な? もう少し時間をくれへんかな」

「っ、何か分かったら、真っ先に私に教えて。帰るわよ、メリュジーナ」


 アルテミスはぶつける相手がいまだ見つかっていない憎悪を抑え、ぎりっと奥歯を噛み締めると、護衛としてつれて来ていたメリュジ-ナに声を掛け踵を返した。そして、結局最後まで一言も発することなく、メリュジーナもアルテミスに続いて部屋を出る。


(暴走してないだけまだマシ、なんやろなぁ)


 アルテミスは一国を統べる女神の一柱だ。

 荒ぶる感情とは裏腹に、暴走することなくまだ冷静でいてくれていることに、サラは安堵の息を零す。そしてそれは、憤怒の炎を押さえ込むように、言葉を封じていたメリュジーナに対しても同じだった。

 一方、ほとんど一方的に責め立てられていたような立場にあったコルは、ある種の罪悪感と救医神としての矜持を抱えたまま、溢れそうになったそれらの悩みを、硝子杯グラスの水と共に飲みこんだ。


「……それにしても、ひでぇもんです」


 それはまだ控えめな言い方であったと言えるだろう。

 英雄と讃えられた男を喪ったこの世界は、文字通り混沌としたものへと変わろうとしていた。


 内界では魔扉(リム)が頻繁にその姿を現し、凄まじい勢いで数を増し続ける降魔たちは戦う術を持たない人たちを本能のままに襲い、一つ、また一つと集落や小さな村が降魔の巣食う地となっていった。

 だが、それ以上に深域(アヴィス)での降魔たちの活性化は、外界にとって深刻かつ重大なものだった。

 今までは獣の如く襲ってきた降魔たちの中でも、いくつかの個体が連携をとるようになっていたり、純粋な強さ自体が上がっているとの報告もある。

 ただでさえ数の増える降魔が力を増したとあっては、魔憑を筆頭に戦える兵士たちの不足は火を見るより明らかであり、相次いで起こっている被害は日々深刻さを増していくばかりだ。

 

 多くの者の故郷は塵となり、戦友たちは次々に灰へと変わっていく。

 悲しみに暮れる中、悲しみは重なり続け、葬送が終わることはない。

 伸ばす手の先は空しく、命は容赦なく零れ落ち、戦う者たちはその手を紅に染める。

 それでも立ち止まることは許されず、ただ必死に前だけを向き続けることしかできなかった。


深域(アヴィス)防衛拠点(カリスト)が、どの国もまだ突破されてないのは幸いやね。よぉ踏ん張ってくれてはる」

「嘆く時間すら与えてやれないのは心苦しいもんですが、諦める訳にはいきませんからね」


 光を失った瞳を開き、小さな窓から曇天を眺めながら、審秤神サラ・テミスは料理刀で手元の梨の皮を剥いていた。いつもなら適当な能力を使って行うようなことだが、今の彼女にそれだけの余裕はないのだろう。

 その向かいでは、硝子杯(グラス)に注がれている地国で有名な天然水を煽る救医神コル・アスクレピオスの姿。

 今までと変わらないように見える二人ではあるが、つい先ほどまで集め得る内界、外界全ての情報を整理し、被害と混乱を抑えれるであろう方針、指示を神々と議論し纏まった所なのだ。

 しかし、これはあくまでその場凌ぎでしかなく、根本的な解決をするための全てが足りていない。


「せやね……なぁ、コルはん」

「なんです?」

「あの子もまだ諦めてないって言い出したら、うちの精神はもうあかんのやろか?」

「それ、は……まぁお気持ちは分かりますよ。俺も、坊がいたらって思うときはあります。死んだ者に縋ろうとするのはよくあることですし、彼の存在はそれだけ大きかった。サラ様だけがおかしいわけじゃありません」

「……またやってしもぉたわ」

 

 そう苦笑しながら振り返ると、サラは料理刀で切った指を咥えつつ、剥きかけの梨と料理刀を丸机の上へと置いた。


「だから俺が剥くって言ったでしょう。以前に処方した薬を塗っておいてくださいね。……サラ様?」


 触れてしまえば容易く崩れ落ちてしまいそうなほど弱々しく見えるサラを前に、コルは小さく息を呑んだ。

 確かに英雄を喪ったあの日の件について詳しい情報を得るため、サラは世界の記憶に触れ続け、いつものように気軽に能力を使えないほどに衰弱していた。

 だが、今の彼女は肉体的疲労よりも、先程彼女自身が口にしていたように、すでに精神的何かが限界に達そうとしているかのようにもみえる。

 

「世界の記憶は、この世界のすべてが視える。人が生まれてから死ぬまでの人生を知ることだってできる」

「え、えぇ。だからあの一件を調べるために……」


 世界の記憶(アカシックレコード)とは、元始からのすべての事象や想い、感情が記録されているという世界記憶の概念。簡単に言い換えれば、生命の意識集合体のようなものだ。

 

「でもな、感じるんよ。終わったはずの人生、途切れたはずの未来、死んだはずのあの子の想いを……何故か感じてしまうんよ」


 そんなことあるはずがないと、頭の中では理解している。

 命が終われば物語は幕を下ろす。その先には想いも感情もありはしない。

 仮に死後の世界で何かを考え、悔やむことができたとしても、世界の記憶は終わった命を映さない。それでも……


「何度も躓いて、転んで……それでも諦めずに立ち上がってきた。十分頑張ったし、誰もあの子を責めることなんてできん。求めとった結果と違っても、やっとあの子は気の遠くなるような永い物語を終えることができたんや。やのに……やのになんで、また立ち上がろうとしてるんやろね」


 感じたのだ。聞こえたのだ。――諦めるわけにはいかない、と。


「もうええのに。そのまま、休んでしもたらええのに。なんでなんやろうね……そんなありもせんことを考えとるうちは……やっぱりもうおかしいんかもしれへんね」

「……サラ様」


 肩や声を小さく震わせながら言ったサラに対し、コルは何も言葉を返すことができなかった。


 一度消えた命の蝋燭の火が、再び灯ることは決してない。

 人をこの世に蘇らせる術はない。

 虹の塔にいる限り、この世に存在するありとあらゆる能力を使用できるサラが、仮に自分の命を引き換えにしたとしても、そんなことは絶対に不可能なのだ。


 絶望と共に奇跡は存在し、望みの中から絶望が生まれ落ちるように、奇跡は絶望の中でこそ生まれるものだ……と、それに似た言葉を誰かが言っていた。


 だが、それは奇跡すら起きる余地のない戯言……ただの夢物語だ。

 

「すんまへんなぁ、弱音吐いてもうて。よし、梨でも食べて切り替えよか」

「ははっ、それならまずは、血の付いた梨を洗わないといけませんな」


 そう言って無理矢理にでも思考を切り替えようとするも、鈍色の空と同じように重く暗い雰囲気に包まれた部屋の中では、時計の針の音とたまに漏れる溜息、硝子杯(グラス)に入った氷の音がするだけで、今までに無いほど静かだ。


 そんな中――


 指を荒い、絆創膏をつけた手で梨の皮を全て剥き終えると、サラが料理刀を丸机(テーブル)の上にに置いたと同時に、何者かがこの部屋の扉を開ける音が響いた。


「「っ!?」」


 声にならない驚声を上げたのは二人同時。

 コルだけでなく、この虹の塔の支配者たるサラまでが驚きに満ちた表情を浮かべているのも無理はない。何故なら――



 室内に入って来たのは四人。

 先頭の人物は三つの三日月が浮かぶ仮面つけており、その奥にある素顔は分からない。そしてその後ろには、色の異なる軽鎧を身に着けた三人の女性が、神妙な面持ちで控えていた。



「アポイントも取らず、突然の訪問で申し訳ありません」



 黒の燕尾服に身を包み、頭にはシルクハット。

 本来であれば正装に当たるそれが、今はとても場違いなものに感じられる。



「そう警戒せずとも、私たちは貴女方にとっての敵ではありません。えぇ、本当です」



 おまけに杖を持ったその姿は紳士のそれを思わせるものの、それが返って胡散臭さを増強していることに彼は気付いていない。

 そんな中、燕尾服の闖入者は恭しく礼をしながらこう宣った。



「初めまして、この世界の神々よ。奇跡を起こす為に、これからよろしくお願いします」



 何故なら――審秤神に感づかれることなくこの虹の塔(イリスコート)に侵入してきた彼らは、この世界に在るはずのない、サラの知らない人物だったのだから。

 


 それは知られざる戦いの末に残されたもの。秘められた想い。

 自ら剪定されることを選んだ者たちの物語。

 此のセカイに生き、正しきミライを望み戦う者たちの物語である。

 

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