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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
一章 GOD-残灯のイグジステンス
4/55

02.がんばってみたサンタクロース


【クリスマス】――――――――


 さむいさむいふゆのよる。ゆきのふるしずかなよる。

 いちねんにいちどのとくべつなよる。

 そのひはそう、よいこのみんなのまえにサンタさんがやってくるひ。

 そして、サンタクロースのおじさんは、プレゼントをくれるのです。 

 よいこのみんなを、えがおにしてくれるのです。

 

 …………

 ……


 メリークリスマス。

 それはせいなるよるをいわうことば。

 メリークリスマス。

 それはみんなにえがおをあたえてくれることば。


 ――――――――――――――



「そう! クリスマスだよ! サンタさんだよ!」


 月国フェガリアルにあるユーフィリア家の屋敷に訪れた、防ぐことのできない台風オトネが一つの絵本を広げ、屋敷中に元気な声を響かせた。

 周りに集まっていた屋敷の面々と、オトネに強制連行されてきたスキアとアフティは、突然の聞いたこともない話に頭が追い付いていないようだ。


「朝っぱらから人様の屋敷に飛び込んできて、騒がしくするなんて何様のつもりだい。ただでさえ手のかかるのがいるってのに……食事中だ、静かにしな」


 食事、洗濯、掃除その他諸々を万能にこなす屋敷の魔女マギサ、ブリジットの嘆きと怒りの混じった言葉に一部の者は戦慄している。

 しかしそんな中でも、張り詰めた空気をまるで気にしていない人物が、オトネ同様に明るい声を発した。


「じゃあ、わたくしにもさんたくろーすは来るのですか!?」

「来るよ! 来ちゃうよ! 煙突から!」

「ブリジット! 直ぐに煙突を掃除しましょう! さんたくろーすがすすまみれになってしまいます!」


 この屋敷に身を置く堕天使……いや、駄天使シエルがここぞとばかりに普段の騒動の原因(トラブルメイカー)としての賑やかさを発揮し、ブリジットの苦悩と怒りを徐々に増幅させていく。

 いつもなら、シンカやリンが強制的にシエルの行動を停止させていたのだが、今回はそうではないらしく、目を輝かせている者も何人かいるようだ。


「そうですよ、ブリジット! 今すぐ掃除の準備と新しい大きな靴下を買いに……いえ、作ってください!」

「ずるいっすよ、ツキノ! ブリジット、あたしの分もお願いするっす!」

「要望。ロザリーも」

「ブリジットも忙しいじゃろうから。よ、余はついでで構わぬのじゃ」


 ある者たちはこそこそとその場から距離を置き、またある者たちは長机テーブルの上に置かれているものを別の場所へと持ち運び、とある一匹の狼は器用にも前足で両耳を塞いで暖炉の前で低く伏せていた。

 

 いまだ続いているあれよこれよの騒音の中、空気の読める各々がもうすぐ来るであろう、轟雷と火山噴火(まじょのいかり)に備えて行動をし終えたと同時にそれは訪れた。


「くッ――いい加減にしろ馬鹿供ッ!」


 空気が震えたのではないかというほどの怒声。

 退避することなくサンタクロースの話題に夢中になっていた面々は、鼓膜を直撃した怒号の声に眩暈を起こしているようだった。


 ブリジットとて、内界に出回っているこの話を悪く思っている訳ではないのだが、まだ朝食中だというのに彼女たちはあまりにも騒ぎすぎたのだ。

 朝というのに加え、シンカの力に関する研究のせいで少しばかり睡眠不足だったというのは運が悪かったといえるだろう。


「まぁ、ブリジット。ツキノたちも悪気があったわけじゃないんだから、もうそれくらいでいいんじゃないか?」

「ほら、オトネも自分の行動に反省してください」


 それぞれの保護者たるロウとアフティが時機タイミングを逃すことなく仲裁に入りこの場は一先ず収まったが、とある男の頭の内では一つの考えがまとまりつつあった。

 そんな中……


「リンの言った通り、うめぇ屋と美味い軒に比べて遥かにおいしいじゃねぇか!」


 この騒動があってなお、動じることなく避難させられていた朝食を完食したスキアに、魔女の怒りの矛先が向けられたのは言うまでもない。



 …………

 ……



 ――月国フェガリアル中層区域・商業大繁華街


 元々賑わっている区画ではあるものの、一年の終わりが近づいてきているというのもあってか、いつも以上の賑わいがあるようにみえる。

 服飾店には新商品と流行が過ぎたのであろう品を買い求める客が忙しなく出入りし、食料品、雑貨を取り扱う店舗は子供連れが多く見受けられ、安く鮮度の良いものを購入している。

 そんな賑やかな街中を歩きながら黒衣を纏った冴えない顔をした男は、家族や仲間たちのことを考えていた。


「さて、ここまで来てみたはいいが本当にどうしたものか」


 冴えない顔……に見えるロウは今朝の一件の後、夕食までには戻る旨をブリジットたちに伝え此処まで足を運んだのだが、皆が楽しみにしている贈り物(プレゼント)がどういった物なのか、まだ検討がついていないのである。

 普段何かをあまり欲しがらない彼女たちが心から欲しているものを想像できず、まさにお手上げといったところだ。


「それにしても……サンタクロース、か」


 内界に伝わる御伽話の一つ。

 その話を聞いた同じ屋敷に住む者たちの表情を見たロウは行動を起こしたのだが、余りにも無計画ノープラン過ぎたのだ。

 行動することは決めた。だが、何をするのかは決まっていない。

 せめてもう少し猶予があればよかったのだが……当日になって転がり込んで来たというのはオトネらしいといえば実にオトネらしい。


 とはいえ、たとえ何日前であろうと前日だろうと当日だろうと、こればかりは父としてやり遂げなければならない重要任務だ。

 あれほどまでに、サンタクロースという存在に期待していたのだから、落胆させるわけにはいかないし、やはり皆には笑顔でいてほしい。


「父としては情けない気もするが、誰かに相談するしかないか」


 そう言って、ロウは抱えている問題を相談できるような相手を考えてはみるが、直ぐに会えそうな中でその悩みに対する適任者は思いつかなった。

 内界のことをよく知るリアンとセリスには会うことができないし、シンカはあの場にいた。もちろん、リンやオトネたちもだ。

 セレノやリコス、クローフィは人柄的にも頼りになる存在だが、立場もある彼女たちにこんなことを相談するのは申し訳ないと思う。


「……ん?」


 途端、誰か(・・)に見られているような気配を感じ、そちらに視線を送るものの……


「……気のせいか」


 少し視線を左右に振るも、それらしい人物は見つからず、ロウは再び失敗の許されない重要な計画をねり始めた。


 ロウがじっと瞑目し、その場で思考を巡らせていると、とある人物がロウへと徐々に近づいてくる。意識的に気配を消し、足音や衣服の擦れる音がしないように歩いている訳ではないのだが、ロウはその存在に気がついていないようだ。

 余程、深く考え込んでいるのだろう。

 そんなロウらしくないロウを前に、男は挨拶交じりに声をかけた。


「こんにちは、ロウさん。こんなところでどうかされたんですか?」

「ん……オルカか。そうだ、少し時間はあるか? 相談にのってもらいたいことがあるんだが」


 その人物はエパナス派の月の使徒であるオルカ・デクティス。

 ルカンの幼馴染であり、過去にルカンのロトス隊の副隊長を務め、今はスィミダ隊を率いる存在だ。人当たりもよく、事務仕事の手際も良い上に魔憑としての力も決して低くはない、家事も万能にこなすアフティに似た優秀な男である。


 オルカは珍しい人物を見かけたので挨拶をしてみたのだが、まさかその相手に相談を持ちかけられるとは思いもしなかった。

 彼は日頃から人の相談に乗ることは多いが、相手があの(・・)ロウなのだから尚のことである。


「えぇ、私で力になれるなら喜んで」

「ありがとう。早速なんだが、内界の御伽話によるとだな――……」


 困り顔のロウが真剣な表情になり語り出したかと思えば、その内容はとても平和なもので、死神との激闘を乗り越えた戦士とは考えられないものだった。

 故に、オルカとしてもこの内容はあまりにも予想外すぎた。

 御伽話に夢を見る家族への贈り物(プレゼント)に、真剣に頭を悩ませるロウにはもちろんではあるのだが……


(まさか、ロウさんの周囲の方々がそれほど純粋な人だったとは……)


 ロウの丁寧な説明を聞きながらも、オルカはそんな思いを表情に出さぬように気を引き締め、その相談事を解決する為の糸口を、自身の経験と彼女たちのことを思い描きながら探し始めた。


 サンタクロース、煙突、靴下、贈りプレゼント、雪、夜、料理、けーき、等々のクリスマスというものに関連するものと……

 屋敷の亜人たち、ルカン曰くの三馬鹿、堕天使、地国からの来訪者、アルファ隊、そして内界の少女、というなんと表現すればいいのか分からない面々。


 これらの情報を踏まえた上で、最良の解を導かなければならないわけだが中々に難解な問題だ。何か彼女たちの趣味、嗜好が分かればいいのだが……と思い、オルカが口を開こうとするより先に、ロウがなにか妙案を閃いたようだった。


「そうだ。ここのところゆっくりする時間もなかったことだし、あそこに行けばなんとかなるかもしれないな」

「ロウさん、何かいい案でもあるのですか?」

「これならきっとみんな喜んでくれるはずだ」


 魔憑として戦場に立つ姿と違い、どこか悪戯を思いついた少年のように口元を緩めながらロウは言葉を返した。

 そして、どことなく嬉しそうに自らの計画を語り始めるのだが……


「この繁華街を暫く歩いた先に、老舗しにせの名店……元祖八木餅屋があるんだ。その店にある、節ごとの限定甘味が絶品だからそれがあれば……」


 今日という日ほどオルカは予想外の、驚愕の、考えもしなかった出来事が連続で起こるとは思いもしなかった。

 クリスマスやサンタクロースといった御伽話に夢を見て、少女たちが胸を躍らせるのは理解できる。

 家族や親しい者たちに喜んで貰いたいからと、贈り物(プレゼント)を渡すのも理解できる。

 しかし、その贈り物(プレゼント)に甘味を選び、御伽話にならって夜中にそれを置くということだけは、残念ながら理解し難い。


 そして、オルカは即座に意識を切り替えた。

 かつて副官としての責務を果たしていたときと同じく理性的で冷静に、上官ルカンが道を見失わぬように進言していた時のことを思い返し、彼は言葉を発した。


「ロウさん。失礼かとは思いますが相談を受けた以上、意見させてもらいます」

「俺から頼んだことだからな、気負うことなく思ったことを言ってくれ」

「はい。それでは――」


 それは、他の者では考えただけでも口にすることはできず、表情に出すことさえも憚られるもので……友人とその弟の為を思って、今まで嫌われることを厭わずに叱り、諭してきた彼だからこそ、臆する事なく口にすることができたこと。


「――甘味を枕元に置くのは止めて、他の物にするべきかと思います」

「――ッ」

「寝返りをうったり、起きたときに寝ぼけた状態でうっかり手で潰してしまったらどうするんですか? それにこの寒い時期とはいえ、食べ物を一晩中枕元に置いておくというのは、衛生面に於いても問題があるかと思います」

「…………駄目、かな?」

「どうしても、と言うのであれば止めることはしませんが……いい選択ではないと私は思います。せめて、生ものだけは避けるべきでしょう」

「…………」


 落ちついた様子で諭すように語り掛けるその内容は、先程までのオルカの優し気な人柄とは異なり冷たいものだった。気分が高揚した状態での理想論の否定と、実生活において十分に考えられる可能性の提示。

 それらの意見にロウは言葉を失い、その場に力無く立ち尽くしていた。


贈り物(プレゼント)は彼女たちが日常的によく使っている物、趣味や特技から考えてみるといいと思いますよ」

「……そうだな、そうしてみる。ありがとう」

「いえ、出過ぎた真似をしてしまい申し訳ありませんでした。それでは、失礼しますね」


 小さく頭を下げ、オルカは踵を返し歩き始めた。

 為になる意見をくれた男の背中を見送りつつ、それが見えなくなるまでロウは何も言わず、動くことなく、屋敷にいる者たちのことを考えていた。


「ありがとう、オルカ。とても参考になった」


 もう姿の見えなくなった進言者に感謝の言葉を述べると、自らの足を力強く踏み出し、ロウは目的の為に前へと進みだした。

 そして、一言だけ小さく呟くのであった。

 誰にも聞こえることのない……小さな思いを。


「サンタからの贈り物はやめるにしても、やっぱり八木餅屋は一度寄って行こう」


 そうしてロウは、サンタクロースとしての贈り物(プレゼント)ではなく、自分自身からの家族への贈り物(プレゼント)を先に決めたのだった。


 …………

 ……


 僅かばかりの可能性を見出した先へとその足を向け、雑踏の中進んで行くと、暫くして目的の店である看板がロウの視界に映り込んだ。

 そしてその店に到着し、改めて看板を見上げると……


 ――元祖・八木餅屋やきもちや


 老舗しにせの名店という佇まい。木製の看板には達筆な文字で力強く店名が書かれており、店の入り口も戸は開かれた状態で深緑の暖簾が掛かっている為、客にとっては入りやすい造りになっている。

 そのまま暖簾をくぐると中には数人の客がおり、店員もそれぞれが対応しているようだ。すると、こちらに気付いた女性店員が挨拶と共に駆けよってきた。


「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」

「あぁ、ケーキをひと……二つ」


 一つ、といおうとして、絶対に足りず喧嘩になると予想したロウは、すぐさま数を言い換えた。

 まずは今日のクリスマスを祝うケーキだ。これは必須だろう。


「かしこまりました。他にはございますか?」

「後は小さい方の淡雪羹あわゆきかんを九つ。以上で」

「ありがとうございます。お包みしますので、少々お待ち下さい」


 ロウが注文を終え、待っている間に肝心なサンタの贈り物を思考する中、紫の軍装を纏い硬い表情をした人物が後ろから一歩、また一歩と歩みを進めていき、噤んでいた口を開いた。


「どうも、ロウさん。こんなところで何をしてるんですかい?」


 話しかけてきたのは巌のような体を持つ強面の人物、先程出会ったオルカの元上官であるエパナス派の月の使徒、ルカン・デルマコルだった。

 彼はその容貌と言葉遣いの荒さから誤解されがちだが、思いやりのある優しき男である。


「ルカンか。実は今朝、オトネが来てな――……」


 ロウは今朝の出来事と敢えて当初・・の自身の考えを簡単に説明すると、ルカンは表情を僅かに引きつらせながら、顔に似合わず控えめな口調で進言を試みた。


「ロ、ロウさん。これは俺の個人的な考えなんだが……その、ですね」

「他者からの意見はありがたい。気にせず言ってくれ」

「あぁ、それなら遠慮なく言わせてもらうぜ……」


 穏やかな口調と表情で意見を求めるロウに対し、尊敬の対象である存在に断腸の思いで進言アドバイスをしようとする厳つい男。

 気の知れた友人や部隊の仲間であれば、笑い話の一つにもなったのかもしれないが、相手は恩人であるあの(・・)ロウなのだ。

 ましてや、知らなかったとはいえシンカと共に訓練所に訪れた時の事を気にしている節もある。それがたとえ、ロウ本人が気にしていないのだとしても、だ。


「ロウさん……プレゼントが何がいいのかってことなんだが」

「いい案があるのか?」

「これは俺の個人的な意見で、屋敷の連中のことをよくは知らねぇし、俺自身も誰かにプレゼントなんてすることもほとんどねぇ。ロウさんが屋敷の連中のことを大切に思っているのは、こんな俺でもわかってるつもりだ。けど、クリスマスなんてのも初耳でよくわかってないまま、ちぃとばかし無責任な意見になっちまうかもしれねぇんだが……」

「あ、あぁ」


 いつにも増してその近寄りがたい顔立ちは強張り、心臓の鼓動は周りに聞こえているのではないのかというほどに激しく伸縮し、普段と違い饒舌になっていた。

 やけに回りくどい言い方になってしまっているものの、それでもまだルカンは成すべきことを成していない。

 ここからが彼の意地の見せどころであり、明確にロウに対して叛旗を翻す事となるのだ。そして――


「……夜中、枕元に食いもんを置くのは常識的に考えてどうかと思う、のです」


 ついに彼は成し遂げた。誰からも称えられることはないであろう、その偉業を。

 それと同時に全身を脱力しそうになるが、まだ気を抜くことはできない。なぜなら、正面から真っ直ぐに見据えているロウが沈黙し続けているからだ。

 そのまま数秒だったのか数分か、はたまた数時間が過ぎたのか……ルカンにはとってはそれほど長く感じられたその沈黙は漸くにして破られた。


「そうか、やっぱり(・・・・)止めておいた方がいいのか。」

「……」

「ありがとう。淡雪羹は俺からの贈り物にしておく」

「……」


 ルカンを見据えていた視線は外され、ロウは注文していた品物の代金の支払いを終えると、店の装飾文字ロゴが入った紙袋を受け取っている。

 ……なんというあっけない展開。

 ルカンの一世一代の大勝負にも等しいそれが無かったかのようなロウの切り替えの早さに、彼の思考はまるで追い付けずにいた。


「それじゃあ、俺は次の店に行ってみる。今日は助かった」

「い、いえ……それほどのことは……」


 淡雪羹の入った紙袋を手に、感謝の言葉を残してロウは店を後にした。

 店内は満員御礼というほどの客入りではないが、店員たちは忙しなく動き回り、客は悩み、甘味の誘惑に負け、それらを選び会計へと向かっている。


「……ったく、寿命が縮んだ気分だ」


 ロウの姿が見えなくなり、ようやく我に返ったルカンは先程のやり取りを改めて思い返してみるが、なんとも生きた心地のしないものであった。

 紫を纏う月の使徒として、今までは高圧的な態度を見せれば多くの者が恐れて距離を置いていたというのに、その彼が自分よりも小さな体躯の優しさを感じさせる一人の男に畏れながら臆したのだ。

 そこでふと、ルカンは少しばかりの小さな違和感を覚え、それは徐々に大きくなり一つの解に辿り着く。


「そういやロウさん、やっぱり(・・・・)って言ってなかったか……?」

「お客様、他の方のご迷惑となりますので、お買い求めの商品がなければ……その……」


 途端、近くにいた定員が、僅かに視線を泳がせながらおどおどと声をかけた。

 それもそうだろう。店に入って来たはいいが、巌のような厳つい男が入り口付近に突っ立ったまま、何も買う様子を見せないのだから。

 

「え? あっ、すいません」


 精神を盛大に摩耗していたルカンは、周りの店員や客からの視線に耐えることが出来ずにそのまま暖簾をくぐり、逃げるように八木餅屋から出ていった。

 そして、どうして自分があの場所でロウを見つけたのかに気付くと……


「やばい……プサリへの土産が……」


 当初の目的だった弟への土産を買い忘れたことに気付くも、いまさら戻ることもできず、途方に暮れる彼の小さな呟きは賑わう街の活気に掻き消された。





 ――ユーフィリア家


 八木餅屋でルカンと別れたロウは無事に贈り物(プレゼント)を揃えることができ、なんとか怪しまれないよう夕食に間に合うように屋敷へと帰って来ることができた。

 両手に大量の荷物を抱えたままで歩き続けるのは勿論の事、万が一にも贈り物(プレゼント)の事が露見するわけにもいかないので、それらは収納石にすべて仕舞ってある。手に持っているのはくだんのケーキと淡雪羹の入った紙袋のみ。


「とても綺麗なお菓子です! これを天使アンジェであるわたくしに捧げるなんて、ロウもなかなかに気がききますねっ!」


 ここ最近、まだ一段と腕前の上がったブリジットの作った夕食を残すことなく完食し、食後菓子デザートとして淡雪羹をロウが取り出した直後、嬉々としたシエルの声が広間に響き渡った。

 そして、いつものように繰り返されるブリジットの叱り声とシンカの冷たい声によって沈黙する堕天使。 

 ロウが甘やかす分、必然的に叱る立場が多くなる彼女たちに、ケーキと淡雪羹の両方はいらなかったと、ロウまでお叱りを受けていた。

 だが、なんだかんだと美味しそうに笑顔を零す彼女たちを見ていると、これくらいのお叱りなら何度でも受けてやると、ロウも思わず微笑みを零す。


 甘やかし、叱られ、より甘やかし、叱られる……終わらないイタチごっこ。

 それでも温かい日常、穏やかな風景……それが此処には確かにあった。


 その後、各々は思うように夜を過ごし、部屋の灯りが一つ、また一つと消えていくと、残ったのは窓から差し込む白輪の光だけとなった。


 …………

 ……


 そうして動き出した、笑顔を届けるサンタクロース。


 夜の色が濃くなる中、男は一つの志を胸に、多くの贈り物(プレゼント)を入れた白い袋を携えて闇の回廊を歩き始めた。しかし、その袋は少し煤に汚れている。


「父として、兄として……俺は必ず成し遂げてみせる」


 決して見られるわけにはいかず、譲るわけにもいかないこの役割をまっとうするために、ロウは最初の目的地を目指した。

 

 何故、白い袋が汚れているのか……それは少し前に遡る。



 ……――――――――


「どうしてサンタクロースは、わざわざ煙突から入るんだろうか……」


 ちいさくぼやきながら、ロウ――否、サンタクロースは屋根の上にいた。

 

「……それはワタクシがお答えしましょう」


 そう返したのは、ロウの体から淡い光と共に現れた女性。白き着物に黒百合の模様。白銀の髪に柘榴の瞳を持つロウの魔獣、ハクレンだった。

 ただ、いつもと違っている点があるとすれば……


「知ってるのか? って……その頭はなんだ?」

「……見ての通り、トナカイの角です」

 

 そう、今の彼女の頭には、立派なトナカイの角が鎮座していたのだ。

 確かに魔憑の心に棲み、人の形を成す魔獣が身につけているものは、脳内構成イメージを固定化させた魔力ではあるのだが、まるで生でトナカイを見たことがあるほどにその角は精工に仕上がっていた。


「そ、そうか……」

「……それだけですか?」

「え?」

「……可愛いですか?」

「あ、あぁ……可愛いぞ」


 角自体は可愛くないが、そう尋ねてくるハクレンは可愛い。

 ハクレンは満足そうに微笑むと、


「……では、主君の先程の疑問を――」


 解消しようとしたものの、ハクレンの言葉が切れると同時に、ロウの言葉に頬を緩めていた表情がすっと引き締まる。そして鋭い視線を向けた先では――


「……オマエは何をしに出てきたのです?」

「ハクレンだけずるいでありんす」


 黄色の着物に姫百合の模様。黄金の髪に金紅石の瞳を持つロウの魔獣、ルナティア。彼女は頭に不格好な角を乗せ、ロウの前で静かに佇んでいた。


「……オマエは必要ありません。戻りなさい」

「絵本の中のトナカイは二匹でありんした」

「……トナカイにもなりきれない半端物がなにを」 

「……」


 確かに、耳や尻尾を隠したままのハクレンとは違い、ルナティアは柔らかそうな耳もふわふわの尻尾も隠せてはおらず、その辺の小枝を誤って頭に引っかけてしまった狐に相違ない。

 ルナティアは何も言い返せず、ロウに何かを訴えるような視線を送った。


「二人とも可愛いから喧嘩は止めなさい」


 途端、ルナティアの顔は綻び、そんな彼女を横目に、ハクレンはやれやれといった様子で溜息を吐いた。


「それで、サンタはどうして煙突なんだ?」

「……はい、それは――」


 あるとき、貧しさのせいで嫁に行けず、身売りを避けられない三人の娘がいる家族がありました。

 とある聖なる男はその家族の存在を知り、真夜中にそっと煙突から金貨を投げ入れたのです。

 その金貨が暖炉の上に干してあった靴下に入り、三人の娘は身売りを避けて無事に結婚することができました。


 それからサンタクロースは煙突から、プレゼントは靴下に入れるという物語となり、聖なる男の慈悲深さが、煙突からコッソリとたくさんの家庭に夢を与えることの始まりになっていていた――という、おはなし


「なるほどな。だとしたら、やはり煙突から入るしかないか」

「……であるなら、ワタクシが先陣を切りましょう」

「だが、先陣もなにも――あっ、こら! ………………え?」


 そう言って、ロウが止める間もなくハクレンは煙突に飛び込んだ。

 決して大きくはない煙突の入り口に……立派なトナカイの角を残して。


「はぁ……少し考えればわかることでありんす」


 溜息を零し、ルナティアがぐらぐらと揺れている角を取ると、ロウは発光石を灯しながら煙突から中を覗き込んだ。

 すると、無事着地していたハクレンが、角を失ったことを気にする様子もなく手を広げて上を見上げている。

 心の声を言葉にするなら「ばっちこい!」と言ったところだろうか。


「仕方ない……行くか」


 今夜中にすべてを終えなければならない以上、ゆっくりとしてる暇はない。

 ロウは小さく呟きながら、煙突に足をかけ……


「ぬ、主様、待つでありんす」

「え?」


 ルナティアの制止の声と、ロウが煙突に身を投げたのは同時だった。

 その結果はあまりに当然のもので……


 煙突に引っかかった白く大きな袋を見つめるルナティア。

 煙突の中でぶらぶらと揺れるロウ。

 煙突の下で構えたまま落ちてこないロウを見上げるハクレン。


「ぬ、主様」


 我に返り、慌ててルナティアがロウを引っ張り上げると、すぐさま煤塗れになったロウの顔を綺麗な布で優しく拭っていく。


「……すまない」


 確かに冷静に考えれば……いや、冷静に考えずともハクレンの例があったばかりなのだからわかることだった。

 贈り物(プレゼント)を収納石に仕舞っておけばこんなことにはならずに済んだのだが、やはり絵本の中のサンタクロースが袋を担いでいる以上そうもいかない。

  

「……こら狐、その役を変わりなさい」


 そう言ったのは、煙突から飛び出してきた煤塗れのハクレンだった。

 いや、ロウを気にする前に、自分も煤塗れだということを自覚するべきだろう。


「ほら、ハクレンも」


 ロウが手にした布でハクレンの顔を拭っていくと、それを見たルナティアが煙突の中に顔を突っ込んだ。

 

「……」


 いったい何をしているのか、などと問いかける必要も無い。

 そしてそれは呆れた表情を浮かべる二人の予想通りのものであり、ルナティアは煙突から顔を抜くと、煤のついた顔をロウをへと差し出した。


「……オマエは子供ですか」

「……ク、クリスマスは子供のためにある日でありんす」


 …………

 ……


 その後、嬉しそうに顔を拭かれる二人の煤を落とし終えると、始まった作戦会議。無論その内容は、どうやって屋敷の中に袋をもって入るかというものだ。

 贈り物をばらばらに投下すると贈り物が汚れてしまうし、収納石はやはり使いたくない。一つずつ持って入るか、などと考えている中、ロウはふと……


「そういえば、煙突のない家に入るとき、サンタはどうしてるんだ?」

「……窓です」

「窓?」

「……はい」

「それってありなのか?」

「……ありです」

「……」


 あっさりと解決した。


「主様、それでは……」

「あぁ、経路変更だ」


 ロウがそう告げた瞬間、二人はやる気を漲らせながら立ち上がる。が――


「二人は戻りなさい」

「……お言葉ですが、主君。サンタにトナカイは必須です」

「わっちもそう思いんす」

「だが、トナカイはサンタを運んでくれる存在だろ? もうここは目的地だ」


「「……」」 


 屋敷の中に入った後、誰にも気取られることなく動くには一人の方が身軽だ。

 なにより、この二人が揃っていれば、たわいない事で言い合いをしかねない。

 それは計画を台無しにしてしまう要因であり、窓から簡単に入れる以上、残念だが二人の役目はないだろう。


「いい子にしていたら、二人にも何かいいことがあるかもしれないぞ?」


 ロウがそう言った途端、拗ねたような表情が一転。


「……主君、元よりワタクシに不満などありませんでした」

「主様に言われるまでもなく、わっちもそのつもりでありんした」


「「ご武運を」」


 嬉しそうに耳をぴこぴこ、尻尾をゆらゆら、しかし顔をキリッと引き締め、彼女たちはロウの中へと戻っていた。


 ……――――――――――



 そういった経緯から、ロウは単身、このひっそりと静まる暗い回廊を歩いてた。


 そうして、回り道をしながらもやっと辿り着いた第一の扉。

 扉の前で耳を澄まし中の気配を探ってみると、部屋の主はちゃんと眠っているようだ。ロウは一呼吸置き、気を引き締め直してゆっくりと扉を開けると、少しばかり緊張の色を浮かべながら中に侵入していく。


 部屋の中は整理整頓されており、調度品も丁寧に扱われ、掃除もマメにしているからか、時を重ねてなおも美しさを維持している。

 ロウは足音を立てず、衣服の擦れる音がしないように慎重に動き、呼吸にすら気を遣いながらゆっくりと……普段から家族のためによく動き、気苦労をかけている彼女の寝台ベッドへと向かっていく。


「……いつもみんなのためにありがとう、ブリジット」


 起こすことのないように、本当に小さな声で感謝の思いを伝えると、枕元に白袋から取り出した贈り物(プレゼント)をそっと置いた。

 皆といるときは、物事の舵取りや周りへの配慮をすることが多く、気の強いところも彼女らしさではあるのだが……

 眠っているブリジットは、あどけなさの残る幼い少女のようだった。





 次にやってきた扉の前でも先程と同じく中の気配を確認し、ロウはゆっくりと扉を開きながら忍び足で侵入していく。

 この部屋も物が散らかっているわけではないが、それはきっとブリジットが日々掃除をしているからであろう。

 幼い頃に付けた小さな爪の跡が残る壁。本が一冊も見当たらないこの部屋に眠っているのは、寂しい思いをさせてしまった子供たち。


「寂しい中よく頑張ってくれたな、ロザリー」


 その小さな身体で様々な思いを抱え……


「改めて、留守を任せてよかったと思ってる、フォルティス」


 時に傷つきながらもブリジットと共に屋敷を守ってくれていた二人。

 幼い頃からずっと共にいる二人はまるで兄弟のようで、今も重なり合うように眠っている。どちらが上でどちらが下か、という疑問については些細な事だ。

 仲が良ければそれでいい。


 小さく呟くように思いを伝え、喜んでくれることを願いながら贈り物(プレゼント)を枕元に置くと、ロウはそっと部屋を後にした。





 また一つ、贈り物(プレゼント)を届けたロウは複雑な心境のまま、薄らと月明かりの差し込む廊下を歩いていた。

 薔薇の髪飾りの似合う彼女の抱えている問題はいまだに解決しておらず、故にロウとの距離感や接し方はどこか遠慮や他人行儀な部分が含まれている。

 周りの者たちもそのことは内心気に掛かっているが、こればかりは当事者たる彼女自身が自らで考え、決断しなければならないことなのだ。


「喜んでもらえるといいんだが……」

 

 そんなリンの力になりたいと思いながら、ロウは明日の彼女の笑顔を想像しながら次の扉を静かに開いた。


「……ごめんな、リン」

 

 思えば、リンとの付き合いも随分と長いものだ。

 最初の頃はあまり言葉を話せず苦労したが、成長すればするほどあの子(・・・)に似て本当に綺麗になった。

 牡丹なところまで似る必要はなかったのだが……女の子なのだから、もう少し自分の体を気遣って欲しい。

 そんな父親らしいことを思いながら、ロウは次の部屋へと向かった。





 順調に贈り物(プレゼント)を配っている中、ここにきて予想外の出来事が起きてしまった。

 ロウは廊下の壁に背中を預けながら、呆れたような溜息を零す。

 別に贈り物(プレゼント)が足りなくなったわけでもなく、今配り終えた部屋の子たちを起こしてしまったわけでもない。

 用意した贈り物(プレゼント)は、誰にも気付かれることなく確かに枕元に置いてきた。

 規則正しい寝息と、穏やかで可愛らしい寝顔は確認済みだ。


 だが、まさか本当に"サンタクロース"に欲しいものを書き置きしているとは思わなかったのだ。

 つまり、彼女たちの欲しいとまったく違うを置いてきたことになる。

 だってそうだろう……モノは用意できても、ものはさすがに用意できないのだから。


「……三人揃ってとはな」


 ロウが悪いわけではない。御伽話のサンタクロースといえども、流石にこの難題に応えるのは常識的に考えて不可能だろう。

 実在する人物を三人に増やして、枕元に置いておくなどということは……。

 というよりも、彼女たちにどういう意図があったのかがまるで理解できない。

 高難易度ハードモード以前の問題だ。


 今し方ロウが訪れたのはツキノ、モミジ、シラユキのそれぞれの部屋だったのだが、静かに部屋に入り起こさないように贈り物(プレゼント)を枕元を置こうとすると、何かが書かれた一枚の紙が置かれていたのだ。

 それはツキノの部屋にも、モミジの部屋にも、シラユキの部屋にもあった。

 打ち合わせしたのかしていないのか、そこに書かれていたものは等しく……

 

【兄さん】【お兄ぃ】【お兄さん】


 サンタクロースへの要望リクエストにしては、あまりに無茶すぎないだろうか。

 三人はサンタをいったいなんだと思っているのだ。

 もしそれが叶ってしまえば、人工生命体ホムンクルス同一生命体クローンなどが簡単に生み出せるということになる。……いったいどうして、要望ソレが叶うと思ったのだ。


 サンタクロースは神様ではないのだ……いや、場合によってはあり得るのか。

 たとえばセレノがサンタさんになれば、神サンタということになる。

 一応、ミコトも神サンタになれるのだが、彼女はまだ欲しい側のようだ。

 どちらにせよ、ツキノたち三人の願いを叶えられるサンタクロースは、残念ながらどこにも存在しないだろう。


 ロウとしては、これほど慕ってもらえるのは喜ばしいことなのだが、自らを三枚に下すわけにもいかない。

 せめて、ツキノたちに好物オムライスを振る舞って、その思いに少しで応えようと考えながら、次の部屋に向かって冷たい廊下の先を目指した。





「これでよし……」


 小声でそう呟きながら満足気な表情を浮かべてはいるものの、ロウにも僅かばかりの疲れがみえていた。それは各部屋を静かに慎重に、それでいて迅速に行動していたからというわけではない。

 今いるこの部屋が、地国からの来訪者である二人が使っている部屋だからだ。


 度々発せられたミコトの寝言には驚きはしたが、それ以上にイズナが静かに寝ていることのほうが、彼女には失礼かもしれないが不気味であった。

 普段はミコトを可愛がり、屋敷の面々とも楽しく過ごしている。それでいて、どこか掴みどころの無い一面をみせることがあるのだ。


(折角、一緒に暮らしているんだ。こういった事はみんなで楽しみたいしな)


 兎も角、この調子で残りも無事に配り終えなければならない。

 明日からの日々も共に楽しく過ごせることを思いながら、ロウが最後まで気を緩めることなく慎重に部屋を出ようとすると、聞きなれた小さな声が耳に届いた。


「本当……ここに来てよかったさね」

「……のじゃ~……すぅ~……すぅ……」


 静寂の中でなければ聞き取れない小さな声を背に、ロウは振り返ることなく部屋を出ると、ゆっくりと扉を閉めてその場を離れた。


「……どうやら向こうの方が一枚上手のようだな」


 ロウの苦笑した口元から零れたその言葉に悔しさは感じられず、不思議と満ちるような温かさに包まれていた。





 訪れることが少なくなった元自室(・・)の扉の前で、ロウが中の気配を探っていると微かに聴こえてくる少女の声。


「……せん、……くる………」


 天使シエル・ヴァンジェ――その姿は美しく凛々しいのだが、性格は控えめに言っても騒動の原因(トラブルメーカー)以外に相当するものは無いだろう。


「普段はすぐ寝てるはずなんだが……仕方無い、後で来よう」


 ブリジットやシンカに叱られながも騒がしく日々を過ごす彼女とて、元は天のを戦翼に名を列ねる歴戦の戦士なのだ。……正直、まるでそうは見えないが。

 とにかく、ここで気取られる訳にはいかない。


(……あまり夜更かしをし過ぎると、ブリジットに叱られるぞ)


 今まで以上に静かに、そして迅速にロウは戦線離脱した。





 屋敷の面々の中でも最後に回るつもりだった彼女の部屋の前で、ロウは浅く呼吸し心を落ち着かせた。

 

 あの日から流れた時間は長いものではないが、短かったこともない。

 あの日から変わったものは多く、変わらないものもある。

 

 懐かしさに浸っていると、額に熱と痛みを感じるのはきっと気のせいだろう。

 そう言い聞かせながら、ロウは音を立てることなく部屋へと足を踏み入れた。


「……シンカ」


 世界を救うという、押し潰されそうな程に大きなものを背負っていた少女。

 たくさんの仲間を得て、本当の信頼を知り、彼女は少しずつではあるが確実に成長している。しかし、得たものは決して良いものばかりではない。

 現実の残酷さ、命の尊さを目の当たりにして、自分の無力さに何度も打ちひしがれ、その悔しさに何度も胸を締め付けられた。

 しかしそれでも折れず、シンカは成すべきことを成すために歩み続けている。


(もっと自信を持っていいんだ。何故なら……)


「………………ロウ……んっ……」


 長い睫毛、桜色の唇、整った顔立ち……思わずその頬に触れそうになる右手を引っ込め、ロウは小さく微笑んだ。


 シンカはロウの目から見ても随分と成長した。

 自分が何かしてあげることができたという実感はあまりないが、少しでも彼女の力になれたらいいと強く思う。

 それで笑ってくれるというのなら、自分は決して何にも負けはしない。

 彼女が自分を必要としなくなるその日まで――

 

 ロウは感謝と期待を部屋に残し、静かにその場を去った。





 気付けば時間の経過は早いもので、刻々と夜明けに近づきつつある。


「流石にもう寝ているだろう……と思いたいが」


 再び訪れた元自室の前で中の気配を探ってみると、先程のように声は聞こえず、とても静かなものだった。

 万が一ということもあるが、それ以上に贈り物(プレゼント)を届けることが出来ないことの方が問題である。

 ロウは意を決して扉取手ドアノブに手をかけ、無音を心掛けながら彼女への贈り物(プレゼント)手に携え足を踏み入れた。


 これ以上ないほどに、音を立てないよう慎重に寝台ベッドに近づいてみると、シエルは掛布団キルトも掛けずによく眠っていた。

 こうして見ると、日常での騒がしいシエルの姿などまるで想像もつかない。


(まったく……)


 室内とはいえ、この寒さでは風邪をひいてしまうと思い、ロウは彼女を起こさぬようにゆっくりと掛布団キルトをかけた。

 そして、枕元に彼女への贈り物(プレゼント)を置こうと一歩……いや、半歩ほど足を動かしたその瞬間、非常事態アクシデントは起きてしまった。


 ロウとて、決して注意を怠っていたわけではないのだ。

 理由はわからないが、部屋中に散乱している

 ロウは暗くてよくは見えないが、何か文字が書かれているようなそれらを踏まないように気を付け、やっとここまで辿り着いたはずだというのにこの失態。


 ――クシャ……


 無情であり非情にも鳴ってしまった小さな音は、彼女を夢の世界から現実に引き戻すに十分な役割を果たしてしまった。


「これはッ!? ようやく来ましたか、さんたくろーす! さぁ、姿を見せなさい! わたくしが歓迎して差し上げます! まずはこれですすを拭くのです!」


 折角ロウが掛けた掛布団キルトを勢いよくはねのけ、枕元に置いてあった贈り物(プレゼント)をしっかりと胸に抱き、手布タオルを突き出す駄天使。

 まだ見ぬサンタクロースを歓迎しようと、彼女なりの気配りのつもりなのだろうが、余計なお世話であることこの上ない。


「あれ?」


 しかし、見渡しても部屋の中には誰も見当たらず、窓も閉まったままである。


「隠れても無駄です。わたくしの目が、目が……なんでしたっけ……ともかく! この紙に書いてある贈り物(プレゼント)をください!」


 内界の人間が想像している天使てんしとは、あまりにも掛け離れすぎた天使アンジェの姿。

 いや、この神経の図太さこそが、彼女を駄天使だてんし足らしめているものなのだろう。


(そうか……あれはシエルの欲しがっているものが書かれていたのか)


 咄嗟に飛び込むように転がり込んだ寝台ベッドの下で、息を潜めながらロウは散乱してしていた数多な紙の正体を知ることとなった。

 それと同時に、ロウはいかにこの状態から脱出し、最後の目的地へと向かうかを思考してみるものの、そんなにも都合よく妙案は浮かんではこない。


「もう、早くでてくるのです。さもないと、明日の朝起きれないわたくしがブリジットに怒られるじゃないですか。普段いい子のわたくしが、ロウたちの分も紙に書いておいたというのに……」


 自らのこの行動が後々にどのような結果をもたらすのかを分かった上で、シエルは自分の欲望を貫こうとしている。

 とはいえ、その欲望自体が皆を思ってのことである以上、責めるのは酷だ。

 善くも悪くも、これほどの精神面の強さが彼女の戦士としての強さに繋がっているのだろうと思いながらも、ロウは見つからないことを内心強く思っていた。


(困った……早くしないと、夜明けまでに寮の方に着けない)


 ロウの最後の目的地……それは月の使徒が使用している寮だ。

 その寮にはオトネが暮らしており、今回の行事イベントも彼女の持ってきた絵本が発端なのだから、仲間外れにするわけにはいかない。

 何より、あんなにも楽しみにしていたのだから、あの笑顔を曇らせたくはない。


 オトネの住む寮は男子禁制となっている為、ロウが直接贈り物(プレゼント)を持って入るわけにはいかず、寮の管理者に託す手筈はすでに整えている。

 事前の準備は完璧だったはずなのだ。だが……


 シエルはあまり騒ぎ過ぎるとブリジットに怒られると思ったのか、声を上げるのを止め、贈り物(プレゼント)を抱きしめながら寝台ベッドに座り込んだ。


「こうなったら姿を見せるまで、わたくしは眠りません……絶対にです。わたくしが必ずみんなの分のプレゼントを手に入れてみせます。そして、褒めてもらうのです」


 呟いた小さな声は力強く、揺るがぬ意思が込められていた。

 

(……嘘だろ)

 

 そう言いつつもすぐに寝てしまうだろうという期待も虚しく、シエルはその宣言通り眠ることはなかった。

 そして、ロウがその場を動けないまま夜は明け……新しい一日が始まろうとしていた。


 やっと彼女が睡魔に屈したのは早朝。

 ロウがやっとの思いで抜け出した後、案の定起きれなかったシエルが、褒められるどころか叱られたのは言うまでもない。





 そしてその頃、淑女たちが過ごす女子寮では……


 この寮は月の使徒に所属する女性たちが暮らす、男性陣からすると秘密の花園に相違ないところである。しかし実際のところ、男性陣の想像を膨らます淑女や乙女の集まるものとは異なる空間であることは秘匿事項だ。


 そこで暮らす一人の少女は清々しい朝だというのに、沈痛な面持ちで現実に打ちひしがれており、撫子色の髪や瞳は心無しかくすんでいるようにも見える。

 すると、俯けていた顔を朝陽の方へと向け、冷たい空気を吸い込み肺へと貯めると……丸い瞳を盛大に潤しながら、その不満のすべてを吐きだした。


「どうしてオトネのところにはサンタさんこなかったの――――っ!」


 いまだ多くの者が夢の中にいるこの女子寮に、オトネの慟哭が響き渡った。

 そして次に、それを聞きつけた寮母の叱責により、オトネの悲鳴が響き渡った。


 もし仮に、ロウが失態を犯さなければ……

 もし仮に、シエルが無謀な挑戦をしなければ……

 もし仮に、オトネがもう少し夢の中にいてくれたら……


 僅かに遅れてきたサンタクロースが、少女の悲嘆の声を聞くこともなかっただろう。


 その後、早急に書き加えられた”ごめんね”のクリスマスカードと共に、サンタクロースからの贈り物(プレゼント)は無事、少女の元へと届けられた。

 サンタさんから唯一、メッセージを貰ったオトネが寮の皆に自慢し、微笑ましいような温かい眼差しで見つめられていたのは言うまでもない。





【クリスマス】――――――――


 さむいさむいふゆのよる。ゆきのふるしずかなよる。

 いちねんにいちどのとくべつなよる。

 そのひはそう、よいこのみんなのまえにサンタさんがやってくるひ。

 そして、サンタクロースのおじさんは、プレゼントをくれるのです。 

 よいこのみんなを、えがおにしてくれるのです。

 

 …………

 ……


 メリークリスマス。

 それはせいなるよるをいわうことば。

『メリークリスマス……』

 それは………………………………。


 ――――――――――――――



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