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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
二章 GOD-巡逢のヴェンデッタ
33/55

29.桜を見て橘に浸る

 

 蒼天と呼ぶに相応しき澄み切った空気。

 空を見上げながら大きく深呼吸をした少女は、少し先に見える町を見下ろした。

 絢爛な木造の建物が多く並び、桃色の花が広がる景色は、それだけでここに来た甲斐があると思わせるには十分だった。しかし……

 

「ん~……せったく来たんですから、あの人の晴れ姿は見ておきたいですね」


 異なる両眼(オッドアイ)異なる色(ツートン)の髪を持つ彼女はそう独り言ちる。


「でも、来てみたはいいものの……はぁ~、どうすれば……」


 とある理由によって町に立ち入ることのできない少女は、このとき自分で自分らしくないと思うほどに油断していた。

 彼女を良く知る者からすれば、一つの点に関しては彼女が自分で思っているよりも駄目になる。所謂、ポンコツと化す。

 つまり、今に限っていえば、この油断は実に彼女らしいといえるだろう。


「どうすれば、ではありません」

「――ぴゃ!?」


 毛を逆立たせ、奇怪な声を上げながら飛び跳ねる少女が振り向いた先にいたのは、じっとりとした視線を向ける少女だった。

 黒紅色に金と白の付け毛をあしらっているその少女は、両腕を組んで仁王立ちするように佇んでいる。


「ど、どうしてここが?」

「わからないはずありません。貴女の思考回路は単純明快すぎますからね。忠犬がご主人様に忠実であるが如く当たり前にわかりやすいです」

「ま、待って……順番。ご主人様に忠実な犬を忠犬と呼ぶのでは?」

「そうですよ? だから言ってるじゃないですか。忠実な犬イコール忠犬。貴女イコール単細胞」

「酷いっ!?」

「酷くありません。ただの真実です。そしていついかなるときも真実とは目を背けたくなるほど残酷なものです」

「……あぅ」

「ですが、優しい真実もときにはあります。貴女の行動を予測していたからこそ、ちゃんと便利な能力を携えてきました」

「本当ですか?」

「忠犬、嘘吐かない。この能力を見つけるのに降魔を軽く百は喰べたんですよ? 淑女にあるまじき行為です。本当に感謝して下さいね?」

「感謝します、とても感謝しています、貴女は忠犬の神、犬神様です」

「いぬかみ? なんだかそれいいですね!」


 想定外の者の登場で、一時は連れ戻されると覚悟したものの、その余りにも魅力的な話に少女は後から来た少女を抱きしめた。すると、抱きしめられている少女も何故か満足気に、その頬をだらしなく緩めている。

 そうして二人は今日一日を精一杯楽しもうと、桃色の町へとその足を進めるのだった。



 …………

 ……


 

 月国フェガリアル領内――遊郭自治特区夢見桜

 

 普段であれば、艶やかさや煌びやかな印象の強いこの街も、今日という日は賑やかな雰囲気が強く感じられる。

 町の至る所では、美しく装飾された行燈が設置されており、それは一年を通してもこの時期にしか見ることができない特別なものだ。

 優しい色味の薄紅、穢れの無い白、安らぎの碧。この三色で彩られた果実を模した形の行燈は、この後に行われる祭事と重要な関わりがある。


 桃の節句に夢見桜で行われる催事――流し雛。

 それは、総勢二十名がそれぞれに割り振られた役割の装束と祭具を身に着けて、夢見桜の街中を廻るというものだ。

 しかし、今年の流し雛を見に来ている者の数は、例年の比ではないほどに多いようで、何人もの夢見桜の自警団、桜桃(おうとう)の者が各所で慌ただしく動き回っている。

 勢力を増す降魔の脅威やそれに対する世界の変革もあり、人々の考え、思いの方向が大きく変わったのが一番の理由だろう。

 それに加え、今回の催事の担い手たち(・・・・・)への関心も大きな影響を与えていた。


「ふぅ……こんなにも人が多いなら、やっぱり来るんじゃなかったわね」


 不機嫌さの感じられる口調でぼやく小柄な少女は、人波に攫われることないように気をつけながら、目的の場所に向かうための歩みを進めている。

 笑顔であればとても愛嬌のある少女に見えるのだろうが、その表情に今浮かんでいるものは疲労しかなかった。


「ふふっ、そう言ってる割には随分と楽しそうじゃないか」


 それとは逆に、隣を歩いている少女は明るく言葉を返している。

 整った顔立ちでありながらも、快活なその振る舞いはどこかちぐはぐにも見えるが、男女問わず周りの目には魅力的に映っていることだろう。


「こ、これは貴女が勝手に!」

「はいはい……おや、これも良さそうじゃないか。一つ貰えるかい?」


 小柄な少女の反論を気にした様子の無い気さくな少女は、立ち並ぶ屋台からまた一つ珍しい食べ物を購入していた。

 このような調子で不機嫌なキャロ(・・・・・・・)明るいエヴァ(・・・・・・)は、街の屋台で売られている物を一つ、また一つ購入し続けている。

 内界出身であるはずのエヴァたちは、当然として外界の風習のすべてを熟知しているわけではない。それでも、彼女たち(・・・・)はこの流し雛の事をずっと昔から知っているのだが……それは何故か。

 これは至極単純明快なことで、この二人はムメイの能力によって容姿を偽装している、アルテミスとメリュジーナなのだ。


「あ、これは美味しいわね。あとでもう一度さっきの店に行くわよ」

「ほらね、楽しんでるじゃないか」

「メリ……っ、馬鹿なこと言ってないで急ぐわよ」

「そんなに急がなくても大丈夫だよ。なんたって、流し雛が始まるまでは、まだ一時間以上あるからね」


 メリュジーナ(気さくなエヴァ)の言葉に足を止めたアルテミス(棘のあるキャロ)が勢いよく振り向くと、その表情は何とも言えないものになっていた。

 それは少なくとも、月国の女神が見せていいものではないのは確かだ。


「まぁまぁ、落ち着きなって。このあいだもそうだったけど、少しは休みを取らないとここ一番って時に全力で事にあたれないよ?」

「…………む」

「あんたの休みってのは、只の休息とは違うんだ。張りつめているその心を、少しばかりは緩めたらどうだい?」

「…………うぅ」


 メリュジーナが言っている事とその真意を、アルテミスは十二分に理解しているつもりだった。

 だが、月国の全てを背負っている彼女は、そういった優しさに素直に甘える事を苦手としている。それは一国の女神としての責務とアルテミス個人としての性分、その両方によるものだ。

 これまでも、ことあるごとに彼女の周りの者たちが、なんとかしてアルテミスを休ませようと策を弄してきたが、その悉くを躱され続けていた。

 しかし、先日とうとう日頃の無理がたたり、アルテミスは数日間執務から外れて養生していたのだ。

 この一件により、彼女は自身の不甲斐なさと限界を知り、彼女の周囲はより一層、適度な休息を与える為の策を考え続ける結果となっていた。


「はぁ……仕方ないわね。今日一日は余計なことを考えないで、ゆっくり休むことにするわ……せっかくだしね」

「そうかいそうかい。これであの二人も喜ぶってもんさ」


 月国の女神としての仕事の一環で視察に来ていたアルテミスたちであったが、この瞬間を以って、その目的はメリュジーナの当初から思惑通り観光へと切り替わったのであった。

 そして、それならば当然、今日の流し雛を見ないわけにはいかないだろう。

 その開始までにどれだけの屋台を回れるかと彼女たちが思案している中、不意に雑踏に流されてきた人物とアルテミスの肩がぶつかってしまう。


「きゃっ……! あっ、すすすいません! 大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」

「え、えぇ大丈夫よ。貴女の方は……」


 互いに急いでいたわけでもなかったので、受けた衝撃は小さく怪我もなかった。だが、アルテミスに頭を下げる別段特徴もない少女は、心底申し訳なく思っているようで、なかなかに頭を上げようとしなかった。


「もう、突然横から消えないでくださいよ。人の波に流されるとか……って、あらあら。すみません、うちの連れがご迷惑をおかけしたようで。怪我などは……一応体のほう(・・・・)は大丈夫なようですね」

「き、消えたのは貴女のほうです!」


 いつまでも謝り続け、頭を上げようとしなかった少女は、いつの間にか傍にやってきていたもう一人の女中らきき少女の声を聞くと、顔を上げて捲し立てる。

 二人の関係性はその外見からすれば主従といった感じだが、会話を聞いているとそれだけとは思えず、きっと主従であり友人といった間柄なのだろう。


「メ、メェ~ヴァ。この二人は……」

「奇怪な羊もいたもんだ」

「う、うるさいわね」

「でもまぁ、間違いなくそうだろうね。なに、警戒する必要はないよ」


 言い合いを続ける二人に聞こえないような声で言葉を交わすアルテミスたち。

 彼女たちは目の前にいる二人が月国の者ではないと、その身形から瞬時に悟ったが、自分たちの正体を知られることは避けなければならない。

 ここが観光地として有名である以上、他国から今日の祭事を見に来る者も少なくはないし、これといって特に気にする必要もないだろう。

 ただ万が一に備え、面倒事になる前にこのままこの場から離れるため、アルテミスが声を掛けようとした瞬間、


「それじゃ、私たちは――」

「あ、あの! 先ほどはぶつかってしまい、本当にすいませんでした。私の名はオリヒメと言います。お詫びに何かご馳走させてください」


 あまりにも大袈裟すぎる……そう、頭が痛いといった様子でアルテミスは眉を寄せながら小さく息を吐くと、気持ちだけで十分だという思いを口にする。


「さっきも言ったけど、気にしなくて大丈夫よ。気持ちだけありがたく受け取っておくわ。それにまだこの手、に……手に? ……手」

「なるほど。盛大にやっちまったみたいだねぇ」


 言葉を最後まで言い切ることなく、自身の手に視線をおとして唖然とするアルテミスの傍らで、メリュジーナは小さな苦笑いを浮かべていた。

 その原因はアルテミスの手にあり、オリヒメと名乗った少女の大袈裟すぎると思っていた謝罪の意味を理解する。

 そう、アルテミスの両手に先ほどまで確かにあったはずの屋台の食べ物が、一つ残らずなくなってしまっていたのだ。

 視線を降ろせば、そこには無残な姿と化した幾つかの食べ物たちが転がっている。


「私の連れが本当にすみません。このままではこの子の気が済まないと思いますので、どうかお付き合い願えませんか?

「ほんと~っに! すみません!」

「キャロ、どうするんだい?」

「…………」


 アルテミスが手にしていたもののほとんどが、メリュジーナの感性によって渡されたものではあったが、その中でも食べるのを楽しみにしていたものもあったのだ。

 楽しみにしていたそれを失ったことに思考が纏まらないでいる様子のアルテミスにメリュジーナの声は届いておらず、小さく開いたままの口から音が出てくることはない。

 そんな彼女を見かねたメリュジーナは、微苦笑を浮かべながら頭を掻き、オリヒメたちの提案を受けることにした。


「こりゃ重症だね。ま、そこまで言ってくれてるなら、ありがたく甘えさせてもらうとするよ」

「それでは、改めて自己紹介をさせてもらいましょう。私は不本意ながらもこのオリヒメの従者を務めている、イヌカミと言います。以後お見知りおきを」


 そう屈託ない笑顔を浮かべるイヌカミと名乗った少女を前に、僅かに目を瞬かせたメリュジーナは、内心酷く呆れかえることとなる。なぜなら……


(ん、イヌカミ? オリヒメとイヌカミ……って、この子らは本当に自分の正体を隠す気があるのかい。ばればれじゃないか)


 捻りのない偽名を見抜き、その正体を悟ったからだ。

 だが、そんな様子をおくびにも出さず、勝手にではあるが借り受けている名で名乗り返す。


「あたいはエヴァだよ。で、まだ呆けてるこっちが幼馴染のキャロ。少しとっつきにくいかもしれないが、悪い子じゃないんだ。しばらくの間よろしく頼むよ、お二人さん」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」


 そうして数奇な縁で行動を共にすることとなった、正体を隠しきれていないオリヒメとイヌカミ、そして月国の要人たるアルテミスとメリュジーナの四人。

 メリュジーナは姿と名を偽っている事に若干の後ろめたさがあるものの、自分たちの立場上仕方がないと再度自身に言い聞かせ、会話に加わってこないアルテミスの腕を引きながら、オリヒメたちの案内するほうへと移動を開始した。

 当然、無残な姿となった諸々の食べ物を、きちんと処理することも忘れずに。


 暫く歩いてみると、流し雛の始まりが近づくにつれて夢見桜に訪れている人数は多くなり、人の流れも流し雛の行われる経路(ルート)へと向かっているようだ。

 しかし、四人はその流れに逆らって、器用に人並みを抜けていくイヌカミを先頭に進んで行く。


「誰も逸れてませんか?」


 歩みを止めることなく器用に顔だけ振り返り、三人が揃っているかを確認するイヌカミ。


「あぁ、心配は無用だよ。こっちはあたいに任せて、お前さんはその調子で先導を頼むよ」

「ちょ、メ……エヴァ! もう一人で歩けるから離しなさい」

「キャロさん。ここはまだ混雑していますし、あまり騒ぎすぎるのは……」


 イヌカミに言葉を返すメリュジーナの隣では、固く腕をつかまれているアルテミスの姿があった。

 小さな喪失感を克服した彼女は、状況の説明をメリュジーナとオリヒメから聞くと、特に異論を出すことなく歩いていたのだが、腕を引かれていることによって自身の歩幅で歩けないことに抱いた不満を言葉として口にする。しかし、


「いいじゃないか、昔はよくこうやって歩いていたんだからさ」

「い・つ・の! 話をしているのかしらね。こんな大勢の人がいるところで恥ずかしいじゃない。子供じゃあるまいし……」

「ふふっ」

「ほら、笑われたじゃないの!」

「あぁ、すみません! 別に馬鹿にしたとか、そういうわけではなくてですね。お二人の関係がとても素敵だと思いまして」


 出会ってから謝ってばかりだったオリヒメの優しい笑みとその言葉に、アルテミスは今までにない衝撃を受けていた。

 特別な立場、特別な繋がり。それを自覚しつつ今まで時を過ごして来たが、この特別であることを知らない者に出会い、言葉を交わすことがこれまでになかったのだ。

 今までも、優しい言葉や様々な気遣い、腫物に触れるような扱いも受けてきたが、これほどまでに打算や同情の感じられない人物は、アルテミスの人生において稀有な存在だった。


「そ、そうかしら。貴女と……イヌカミ、で合ってるわよね? 彼女との距離感や関係性だって、私からみてもいいものだと思うわ……すごくね」


 今のように他国同士の関係が改善されつつある以前から、月国は国籍など関係なく多くの者たちを受け入れてきた。それは今でも変わらないことだ。

 だから当然、他国から来たオリヒメたちの不利益になるようなことをするはずがないし、この場での出来事を元に何かをしようというわけでもない。

 ただ、月国の女神が来ているということで混乱を誘うことのないようにと、容姿と名前を偽装していただけなのだ。

 仮に問い質されたとしても、これに一切の悪意は無いと言えるだろう。

 それでも、真っ直ぐなオリヒメの想いを裏切っているような気がして、アルテミスの胸中に小さな白波が立った。


 そうして辿り着いた目的地――そこは……


「さて、淑女の皆様! ここが目的の屋台、出張喫茶Sa・Nagiとなりますが、どうでしょうか!」

「本当にあったんですね、ベ、ヌカミ。内界の人がやってるって噂のお店」

「いや~、これは予想外だったよ(って、うちの女神様と同じで、あっちの御方も隠すのが下手だねぇ……)」

「ねぇ、メ、ヴァ。内界ではこれを屋台というのかしら?」

「どうだろうねぇ(はぁ……今度練習でもさせとこうか)」


 アルテミスたちがお詫びとして連れて来られたのは、一軒の茶屋(・・・・・)だった。

 そう、他の屋台が一人で切盛り出来る程度の大きさであるのに対して、この店は平屋ではあるが一軒の茶屋なのだ。

 簡素な外装から察するに、この茶屋は急ごしらえのもののようで、更にはその責任者が内界からやって来たというのだから驚くしかない。

 確か内界の中立国にあるNAGIから始まり、YaNAGI、YoNAGI、UNAGI……等々と、今では内界全国に店舗を構えているらしいが、まさか外界まで進出してくるとは凄まじい商売魂だ。

 外界からも美味い軒とうめぇ屋という店が内界に進出したという噂をある部隊の者から耳にしたが、わざわざ両界を跨ぐ必要はあったのだろうか。

 

「今店員さんに聞いてきたんですが、もうすぐ流し雛が始まるので、タイミングよく席が空いたところらしいです」

「祝詞から始まる開門の見られる場所が一番人気ですしね……ん?」


 茶屋の前でアルテミスたちが固まっている間に、イヌカミとオリヒメは席の空きを確認していたようだ。

 呆然としている二人の様子に、その理由がわからず首を傾げながらもそのことを伝えると、我に返ったアルテミスがそれに答える。


「ならちょうどよかったわね。私たちは最初から最後の方を見るつもりだったけど、貴女たちもそれでいいのかしら?」

「はい、私たちもその予定でしたので」


 この夢見桜で古くから行われている伝統行事の一つ―――流し雛。

 それは役を充てられた者たちが、それぞれに異なった衣装で祭囃子(まつりばやし)と共に街中を練り歩き、邪気を祓って無病息災、子孫繁栄を願うというものだ。

 これは元々内界にもあった風習で、紙やわらで作った”ひとがた”で体を撫でることで厄をそこに移し、それを川に流すというものだった。つまり、雛人形は生まれた子の厄を背負わせるお守りの意味を持つ”身代わり人形”だったのだ。


 しかし、降魔との戦が絶えない外界の中でも、女性のみが住む町ここ夢見桜では、雛人形の役を生きた者がこなす。

 それは夢見桜が造られた起源に深く関係しているのだ。

 身寄りの無い少女たちを保護することが目的で造られたこの町は、元々過去に起きた降魔との大戦による犠牲者の集まりだった。

 二度とそのような悲しみを生まないようにと、二度と力無き少女たちに厄災が降りかからないようにと、そんな祈りを込めたのがこの流し雛であり、つまり厄を降魔、代わりに背負い祓う者を魔憑に見立てているというわけだ。


 ひとがたや雛人形では背負いきれぬ厄を、戦いに身を置きそれを打ち祓えるだけの力を有した強者が背負い、厄災を討ち滅ぼすという誓いに変える。

 そして、新しく生まれた命と少女たちの安寧を祈るのだ。


 故に、雛人形の役を負った者たちが厄を背負い、穢れを祓いながら歩む列について行ってはならないのは、清められた身体に再び厄が戻らないようにという意味がこめられている。

 清められた者たちはその視界から最後尾が消えると、事前に用意されている別の経路を使って最終地点へと足を運ぶのだ。

 

 基本的には祝詞から始まる開門、最初の地点がやはり一番人気なのだが、アルテミスが最終地点での見物を選んでいたのは、なにも人混みを避けたかったからではない。

 この祭事に清めの意味があるのなら、優先されるべきは民であり自分ではない、といった実に彼女らしい理由からだった。

 一方、オリヒメが最初からそのつもりだった理由に関しては、アルテミスは知る由もないのだが……


「……本当に似た者同士だねぇ」

「何か言った?」

「いいや、なんでもないさ。それより、早く席につくとしよう」


 小さな声で呟いたメリュジーナの言葉は、どうやらアルテミスには聞き取れなかったようで、そのまま四人は給仕係に店内へ案内され、出入り口から最も離れた角の席についた。

 その後は各自思い思いの品を注文すると、外界の者には珍しくもどこか懐かしい味のする料理に舌鼓を打ち、他愛のない会話を楽しみながら過ごしていく。

 互いに正体を偽ったままの四人だが、責務とは関係のない年頃の少女たちのような歓談は、この時間が終わることを惜しいと思えるほどに、とても有意義なものに感じられた。だが……

 

「こ、降魔が街の方に向かって来てるらしいぞ!」


 それも店に駆け込んできた男の一声によって、唐突に終わりを告げる。

 途端に店の中は騒然とし、惑いと混乱が店の外へと伝番しそうになったとき、その場に凜と響いた声にすべての視線が集中した。


「皆様方、落ち着いてください! 今この町には多くの魔憑が集っています! なにより、此度の祭事役は歴戦の勇士! この程度の厄如き、容易く祓ってくれるでしょう! そして、その姿を見た誰もが知るのです! 子供たちの未来はとても明るいのだと! 今日はせっかくの雛祭りです。どうか皆様方は何も心配せず、厄を祓うこの祭事を最後までお楽しみください」


 その声の主は、アルテミスたちと同じ席にいたオリヒメのものだ。

 特に大きな声量というわけでもないのに、心に響き渡るような澄んだ声は聞き取りやすく、自然と意識がそちらに向いてしまうような音だった。

 その姿は歓談していたときのものとは打って代わり、数々の戦場を越えてきたのだと思わされるもので、本来であれば自分がやらなければならかったことに出遅れたアルテミスは自身を恥じた。

 オリヒメが立ち上がらずとも、アルテミスであればこの場を今のように落ち着がさせることは容易にできただろう。

 だが、ほんの一瞬、極僅か、たとえ刹那の差であったとしても、戦場ではその差が致命的な隙に繋がることも珍しくはないのだから。


「いや~、すみません。こちらから誘っておきながら、ちょっと野暮用ができてしまいました。主に忠実な犬は、どうしてもこのような自体を放っておけないのです」

「ベ、ヌカミ。私もいきます。たとえ規模が小さくても、何が起きるかわかりませんから」

「えぇ、頼りにしていますよ。戦闘面に関しては……(特に暗殺だけは……)」

「本当にすみません、キャロさん、エヴァさん」


 そうして、オリヒメとイヌカミは小さくお辞儀をすると、四人分の飲食代を十二分に賄えるだけの硬貨を置いて、現地に向かおうと背を向けた。


「あ……っ!」

「……キャロ(・・・)


 おそらくここで別れれば、オリヒメたちとアルテミスが直接会う可能性は無いに等しいだろう。

 仮に次に顔を合わせる事があったとしても、それはもう本来の月国の女神アルテミスとしてとなる。だから……


「ま、待ちなさい貴女たち」

「あ、はい。なんでしょうか?」


 不意に声をかけられ、振り返ったオリヒメの表情は、どこか戦士としての自負が感じられるものとなっていた。

 それがアルテミスの中では少しばかり寂しく感じられ、残念に思ってしまった。

 しかし、すべてを明かすわけにもいかない中、とても十分とは言えない短い時間の中で、彼女が辿り着いた言葉が――


「次はこの私が、貴方たちに御礼をするから憶えておきなさい」

「はい、ありがとうございます。その日を楽しみにしていますね。それでは、万が一にも避難指示があったら、お二人ともきちんと従ってくださいね」


 これから戦地に赴くとは思えないほどの明るい声を残して、オリヒメとイヌカミは茶屋から走り去っていった。


「…………楽しみに、か」


 小さな呟きを零したアルテミスは、最後まで正体を明かさずに接していたことに申し訳なさを感じつつも、それ以上に普通の人として接してくれていた二人に感じた感謝の気持ちが強く胸に残っていた。

 そんな充足感に包まれながらも隣に視線を向けると、メリュジーナからはにやけた表情が返ってくるだけで、叶いもしない願いに対して何も言ってはこなかった。

 だが、それもそうだろう。

 あくまであの二人が他国の者という認識でしかなかったアルテミスに対し、メリュジーナはその正体に唯一気が付いていたのだから。

 そして、互いが互いを偽っていた今とは違う形だとしても、再会の日が訪れるのもそう遠くない未来であると、知っているのだから。

 しかし、そんな彼女の内心を知らないアルテミスは、どこか気恥ずかしそうにしながら立ち上がり、急かすように言葉を紡ぐ。


「ほら、私たちも流し雛を見に行くわよ! 逸降魔(ストレイ)程度じゃ、中止どころか時間に影響なんてでないでしょうしね」

「たしかに、今日はエンペラー級がでたって大丈夫だろうね」

「そうね。だって……」


 観光だったのか、はたまた何かしらの任があったのかは詮索すべきところではないが、戦人としての実力に申し分のない者が偶然にも訪れていたのは事実。

 そして、その偶然によって思わぬ縁が繋がれたのも現実だ。

 この先、目まぐるしく移りゆく世界の中で、いつどこで悲劇が生まれるのかは誰にも判り得ぬことだろう。

 だが、今日というこの日だけは、何が起きても涙が流れることはない。


「桜と桃の花が舞うここは、あの人の街だから」


 桃の花が宿す言葉は天下無敵。

 この世にどれだけの穢れが満ちようと……

 桃の旗は穢れを知らず、桃の花は散らずして誇り続ける。

 

 たとえこの先に待つ未来が、絶望に塗れたものであったとしても。




 …………

 ……




 流し雛が無事に終わり、川の水で体を清めた御一行が縁起物の草餅が配っている最中、アルテミスとメリュジーナはすでにこっそりと手に入れた草餅を食べながらその人集りを見つめていた。

 無論、その草餅を持ってきてくれたのは、二人がここに来ていると知っているクローフィとリコスだ。


「もっと他に掛けてやる言葉もあっただろうに」

「労いの言葉以外何があるっていうのよ」


 そう、クロリコが草餅を届けてくれた際、アルテミスは「お疲れ様」というたった一言の労いの言葉を掛けただけだった。

 せっかくの晴れ姿なのだから、メリュジーナ的には「綺麗だった」というような褒め言葉を掛けてあげてもよかったのではないか、ということだが、どうやら今のアルテミスはちょっとばかり不機嫌なようだ。


「はぁ……労われるより嬉しい言葉もあるって、あんたは知るべきだね」

「なに? 貴女もそういうことを言われると嬉しいの?」

「そりゃ相手にもよるけど、あたいだって女だからね」

「ふ~ん……まぁ、貴女が求める相手ってのが誰だか知らないけど、あの男は歯の浮くような台詞を今日だけで呆れるほど吐いたんでしょうね。ほんと……今回の雛姫は息を飲むほどに綺麗だったし……お似合いだったわ」


 そう言って、アルテミスは手にした草餅に小さな口でかぶりついた。

 目を細め、少し唇を尖らせながらもぐもぐと咀嚼していく。

 そんな中、すぐ側からどこか温かな視線を感じ、小さな餡子を口端につけながらアルテミスが目を向けると、そこにあったのは柔らかな笑みだった。


「なに笑ってるのよ」

「いや、うちの女神様は本当に愛らしいね。ある意味素直だ」

「……は?」


 眉間に皺を寄せ、より一層不機嫌さが表に出てきてしまうアルテミス。

 すると、メリュジーナは薄布(ハンカチ)でアルテミスの口を優しく拭いつつ、自分を封じ込めたままの少女の頭をそっと撫でた。


「心配しなくても大丈夫だよ」

「う、うるさい」

「あんたがどれだけ強がったって、あの人は――」

「あ~、聞こえない聞こえない! それより、ムメイはどこ行ったのよ」


 それ以上は聞きたくないと言わんばかりに強制的に話を中断させると、アルテミスは立ち上がって周囲を見渡した。

 そんな彼女の性格を良く知るからこそ、メリュジーナもそれ以上は同じ話題を口にしようとはしない。


「そうだねぇ、あの二人と一緒でもなかったし、まだ着替えてるんじゃないかい?」

「…………そう、ね」

「どうしたんだい?」

「……なんでもないわ。それより、早く見つけて帰りましょ」


 ある一点を見つめるアルテミスにメリュジーナが声をかけるも、アルテミスは何事もなかったかのように、何故か一瞬ムメイに見えた少女から視線を逸らした。

 堂々と自分の姿で今日の祭事を終えた彼女が、いまさら能力を使ってまで姿を変える必要もないだろう。だからきっと、感じたそれは気のせいだ。

 そうして、アルテミスは最後に少し離れた場所に立つ()を見つめた。


「……早く、散ってしまえばいいのに」


 それは紛れもなく、嘘も偽りもない言葉。

 橘に宿る言葉に思いを馳せた、彼女の素直な感情だった。





 …………

 ……





「明かりをつけましょ、闇燈(ぼんぼり)に」


 誰に聞かせることもなく、艶めかしい唇を動かす者が居た。


「お花をあげましょ、百喪(もも)(はな)


 それは古き故郷に伝わる唄であり……


娯人囃子(ごにんばやし)冨恵泰故(ふえだいこ)


 黒く凍てつくこの地で生まれた唄でもあった。


(きょう)(たの)しい姫愛祀(ひなまつ)り」


 黒き影は盃を両手でそっと持ち上げると、それを一気に飲み干した。

 

 桃の花が宿す言葉は天下無敵……否――

 

「幾多の花が散るのを見たわ。数多の首が手折られるのを見たわ。ふふっ……聞こえないの? 這い寄る混沌の音が。感じないの? 絡みつく(くちなわ)の気配を。それがどんな花であれ、たとえそれが魔花だとしても、私が闇の中で咲く花なんてありはしないのに……」


 月想花、真願花、陽喜花、空想花、誇闘花、降誕花、鎮魂花……

 積み重なった想いの結晶で咲いた花だって、散る定めは変わらない。

 

「捧げられた供物の姫巫女……一度は幸せを手にしたくせに、本当に強欲な女。そんな女が寄り添っているから、私は……愛しき人(あなた)まで手折ってしまう」


 故に少女は花も咲かぬこの地で願う。


「だからどうか、私の憎悪を乗り越えて……早く妾を見つけに来て……」

 

 それは怨嗟に満ちた、いずれ巡り逢う愛憎(じゅんあい)の形。

 

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