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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
二章 GOD-巡逢のヴェンデッタ
30/55

26.昼想夜夢の初雪桜

 

 ――煌照節(こうしょうせつ)一日


 初夢……それは新年になって最初に見る夢のことであり、その年の吉凶を占おうという夢占いの一種だといわれている。

 朔望を暦とした古い時代では立春に先立つ朔 (ついたち)を元日としていたため、古くは節分の夜に見た夢を初夢としていたが、暦日の関係からいつしか大晦日や元日の夜となっていった。

 中には大晦日から元日にかけての夜は眠らない風習もあり、事始めが正月の二日であることから、二日の夜の夢を初夢とするようになった地域もある。

 そしてその夜は、宝船の絵を枕の下に敷いて寝る風習が生まれ、悪い夢を見ればその絵を水に流して縁起直しをするのだ。

 その宝船の帆には”(ばく)”という字や絵を書くのだが、貘とは人の悪夢を食べるという想像上の動物で、これによって邪気を払うという意味があった。

 だが近年では、良い夢を食べて絶望に追いやったり、悪夢を見せる存在として伝わっていることもある。

 鬼についてもそうだが、元々は邪を祓う善き存在だったものが、後に真逆の存在として扱われることは珍しくはない。


 物事には何か元になった出来事があるものだ。

 神話、伝承、伝説、口伝、それらの物語がすべて本当にあったことではないにせよ、何かしらの近しい事柄があったのだろう。

 それに人が尾ひれをつけ、拡大解釈、または酷似した何かと混同したことで生まれ落ちた空想の物語、または架空の生物。

 それはつまり、この世界にそれらが存在していないということにはならない。

 正確には存在していないのだろう……だが、存在しているのだ。

 決して同じではないが、それに近しい何かが、きっとこの世の何処かに。


 …………

 ……


「皆様、明けましておめでとう御座います。新しき時節の始まりを皆と迎える事ができ、大変嬉しく思います――――…………」


 月国フェガリアルに於ける国の中枢、神都ニュクスにある月光殿セレネ。

 その決して狭くはない敷地内では、溢れんばかりの非常に多くの人々が、寒空の下で自国を統べる女神の声に耳を傾けていた。

 毎年この日だけは月光殿の一部を開放し、楽団の演奏や自国のランカーによる演武、そして女神直々によるお言葉が盛り込まれた新年を祝う式典が行われるのだ。

 そこに出自や年齢、性別、魔憑や只人などは関係なく、誰もが等しく同じ月の民であるという事のみが存在している。。

 新なる一年の始まりを祝うため、女神の姿を一目見るため、集まった理由は様々なのだろうが、邪な想いを抱いてこの場に足を運んだ者は一人とていない。

 蒼空に浮かぶ雲に汚れはなく、日輪の輝きはこれからのまだ見ぬ未来、その総てを照らしているかのようだった。


「……――……そして、私たちはこれからの月国フェガリアル――いえ、外界と内界その全ての在り方を見つめ、進まなくてはなりません。今日というこの始まりの日にこの場に集ってくれた皆に、新しい時代を共に生きる皆に感謝と敬愛を以て、月の女神の挨拶とさせていただきます」


 大観衆を前にして行われた、女神アルテミスによる新年の挨拶。

 言葉を発することなく最後まで聴いていた者たちは、彼女が挨拶を終えて深く一礼するや否や万雷の喝采を上げ、各人が届くともわからない言葉を向けていた。

 多くの想い、多くの言葉、多くの眼差し、それらの全てを受け止め、彼女が壇上から降りることで無事に式典は終了したのだが、式典の余韻の残る会場では未だに多くの人々の姿があった。

 自国の神の姿を拝謁することができ、普段は入ることのできない場所に来られた事で、一度熱した興奮がなかなか冷めないのだろう。

 といっても、敷地を開放しているとはいえ、ここには国の機密も大小問わず存在しているため、流石に建物の中への立ち入りは禁じられている。

 中には興奮冷めやらぬ者たちと、警備に当たっている月の使徒たちとの間で、願望と規律のせめぎ合いといった事態も幾つか見受けられたが、時機に落ち着くだろう。

 

 そんな中、外からの賑わいの音を背に式典会場から離れ、一旦自室として使用している部屋へ向かいながら、アルテミスたち三人は歩きながら簡単な打ち合わせを行っていた。


「この後、午後から暫く時間は空きますが、会食を控えております。外は寒いですし、体調を崩されては大変なのでくれぐれもご自愛ください」


 そういった、本来であれば気遣いと受け取れるリコス言葉も、一週間程前にやらかしたアルテミスにとっては牽制の言葉でしかない。


「わかっているわ。流石に今日くらいは大人しくしておくわよ」

「今日は、ですか……はぁ……」


 さらりと受け流すようなアルテミスの態度に、頭が痛いと言わんばかりの様子で軽く息を吐いたのはクローフィだ。

 しかし、そんな彼女の呆れ声を聞きながらも、アルテミスは皮肉交じりで言葉を返すのだが……


「それより、昨日から少しも休めていないし、これじゃあこの後の仕事にも差し支えそうなんだけど?」

「まったく……そういうところはしっかりしておられる」

「準備の方は事前に手配しておりますので、このまま参りましょう」


 周到な対応力をみせる有秀な二人の部下に恵まれているアルテミスは、なんとも言えない表情のまま自室へと向かうはめになった。

 時間流れを感じさせない回廊には三人分の足音と、遠くからの騒めきが微かに響いている。特に会話もなく、建物の外ほどではないが冷気の漂う空間だ。

 しかし、彼女たちの間にあるのは、新たな時代の到来を期待するような暖かな気持ちだった。


「三人ともお疲れさん。寒かっただろう。食事の準備はしてあるから、冷めないうちに食べるといい」

「ありがとう。いつから抜け出していたのかは、食事の後でじっくり聞かせてもらうわ」

「ははっ、お手柔らかに頼むよ」


 扉の前で三人を待っていたのは、アルテミスの護衛でありながらも式典の途中でいつの間にか姿を消していたメリュジーナだった。

 彼女はアルテミスの言葉を明るい微笑みで受け流し、三人を部屋の中へと招き入れる。

 その中は暖炉の熱が広がっており、机の上には幾つかの料理が並べられていて、鼻孔くすぐる香りが空いた胃袋刺激し始めた。


「これは……一応です。一応念のために聞いておきますが、貴女が作ったものではないですよね?」

「ん? 何を言うかと思えば、あたいが頼まれたんだからもちろんそうに決まっているだろう?」


 そのたった一言で、春のように感じられていた温かな部屋が、凍土の冥国ほどにまで温度が失わた感覚に襲われるリコスとクローフィ。

 神魔総位(ネメシスランキング)第一位にして七深裂の花冠(セブンスクライム)が一片。神に並ぶ者等の呼び名に相応しき実力を有している、生粋の戦士と言っても過言ではないメリュジーナは、まさに全世界に於いても最強の一角なのだ。

 その彼女が自身で調理を行ったというのだから、二人の反応も無理はないだろう。

 確かに式典後の休息をすぐ取れるようメリュジーナに頼みはしたが、そこは普通、自分で行わずに手配するものではなかろうか。

 というよりも、それだけ戦闘力に能力をがん振りしておきながら、嗅覚や視覚すらも楽しませるほどに見事な料理を仕上げられるなどズルすぎるのでは?


「お二人さん、流石のあたいだって傷つくこともあるんだよ?」

「え、えぇ、それは申し訳ありません」

「しかしだな……いや、今は考えないでおくとしよう」


 珍しくも僅かに引き攣った表情を浮かべる二人に対してメリュジーナが溜息交じりに声をかけると、リコスとクローフィはそれぞれに現実を受け入れようと、自分に何かを言い聞かせながら頷いた。

 そんなやり取りなど気にも留めずにアルテミスは部屋の中を進み、用意されていた料理を味わうために席につく。


「早く貴女たちも座りなさいよ。この後も予定が詰まっているのでしょう?」

「まったくだ。腹が減ってはなんとやら、ってね。可能な限り万全に近い状態を維持することも、お前さんたちの務めだろう?」


 お道化た様子で、メリュジーナは部屋の入口で立ったままの二人の背中を押すと、机の方へと誘導して半ば強引に席へ座らせる。

 そして彼女も空いている席につくと、他の者たちの様子を確認し口を開いた。


「さて、ちょっとばかし冷めちまったかもしれないが、まぁ大丈夫だろう。それじゃあ、遠慮なく食べておくれよ」


「「「いただきます」」」


 目の前に置かれたスープを前にして、リコスとクローフィは強張った表情のままでスプーンを掴むと、そのまま静かに濃黄色を掬い口の中へと運んでいく。


「こ、これは……」

「……解せんな」


 口腔内、舌の上に広がる甘みと深い味わい。

 月国に仕えて長い二人はその立場もあり、これまでに多くの腕利きの料理人の作ったものを食してきてはいるが、このスープの味はまた格別であった。

 舌の肥えた者だからこそ理解できる、洗練された食材の扱い方と雑味の一切含まれない口当たり。


「どうだい? あたいの腕もなかなかのもんだろう?」


 にっと笑みを浮かべたメリュジーナが二人の顔を覗き見るように窺うと、二人はそっと瞑目しながら僅かに重い口を開く。


「悔しいですが……」

「……認めるしかない、か」


 漏れる言葉は苦く、口に入る料理は旨く。

 どうにもやりきれない思いを胸に秘めながらも穏やかに食事は進み、並べられていた料理は綺麗に皿の上から消え去っていた。

 すると、空いたそれらの片付けまでが作った者の仕事だと言って、メリュジーナは食器類を掌、腕、肘を器用に使いながら調理場まで颯爽と運んでいった。

 どれ程の手際の良さだったのか、もしくは七深裂の花冠(セブンスクライム)たる彼女が食器を洗うという行為を周りの者が見ていられなかったのかは定かではない。

 だが、メリュジーナがあまりにも早い帰還を果たすと、彼女の鼻腔をくすぐったのは良い茶葉の香りだった。


「あら、早かったのね。丁度よかったわ、今お茶を淹れてもらったところよ」

「先程の食事のお礼という訳ではないですが……どうぞ」


 差し出された紅茶杯(ティーカップ)からは、薄っすらと湯気が立ち上っている。


「ありがたい。これに関してはとても二人には敵わないからね」


 なんでもそつなくこなせると自負しているメリュジーナではあるが、お茶を淹れる事に関しては、クローフィやリコスに劣るというのが自身の評価だ。

 対象が変われど常に誰かに仕えている彼女たちにとって、せめて暫しの憩いだけでも満足に安らいで欲しいと、そういった思いから磨かれたものなのだろう。


 その後しばらくの間、街から聞こえる遠い喧噪が届くだけの静かな時が流れた。

 そんな中、唐突に口を開いたのはメリュジーナだ。


「そういえば、三人は初夢ってのはみたのかい?」

「初夢か……そうね。じゃあ、クローフィ。貴女から話しなさいよ」


 唐突ではあるものの、年が明けてからの話題としては良く持ち出される初夢。

 メリュジーナ自身は思い付きで言ったのだろうが、この場にいる者たちが語り合う内容にしては少々想像できないものだ。


「どうしてそうなるのですか……リコス、貴女からも何か言って――」

「余程いい夢を見たのだろう? 翼の動き(からだ)は正直なようだしな」

「――っ! これは違います。これは何かの間違いであって、今晩もう一度見たいなどと思っているわけではありません」


 話の矛先を向けられた吸血鬼(クローフィ)は何か思い当たることがあるのか、表情には一切出ていないが彼女の特徴でもある蝙蝠の様な翼(チャームポイント)が軽く揺れており、それが嬉しさを現しているかに見えるのも気のせいではないはずだ。

 そんなクローフィの反論など気にすることなく、アルテミスたちはどこか威圧的な笑顔のままで、夢の内容を話すように迫った。そして、


「はぁ……わかりました。お話しますが、このことはくれぐれも他言無用として下さい。でなければ、私の能力(ちから)を使わざるを得ませんので」


 これ以上の抵抗は状況の悪化を招くだけだと悟ったクローフィは観念し、可能な限りの事を語ろうと決心するのであった。


「そんな無粋なこと、あたいもこの二人もするはずがないだろう? ほらほら、早く聞かせておくれよ」


 無邪気な子供の如く急かしてくるのメリュジーナの言葉を受け、手元の紅茶杯(カップ)に注がれていた少し冷めた紅茶を一口ばかり口に含んで喉を潤すと、昨晩の夢のひと時をクローフィはゆっくりと語り始めた。



 …………――――――――――


 硝子越しに差し込む柔らかな日の光り、少し開けている窓から流れる風は心地良く、何をするにも快適な日和と言ってもいいだろう。

 そんな中、連日続く書類整理と緊急時案の対応に追われているのは、クローフィとその上官に当たる男だった。

 しかしそれもある程度の目処がたち、後は最終確認とこれまでの作業のために掻き集めていた資料の片づけを残すだけとなっていた、のだが……


「少しお休みなってはいかがですか? 昨日から一睡もされていないのでは?」

「あぁ、そうだな。だが、いつ何が起きてもいいように、できることはできるうちに片付けておきたい」


 たとえ予想していた通りの返答だったとしても、氷の仮面、或いは人形のようなクローフィの表情は揺らがない。

 そこに怒りなどあるはずもなく、悲しみすら滲ませず、心配そうな言葉とは裏腹に、本当に心配しているのかと問いたくなるほどにその表情は無といっても過言ではないだろう。にも関わらず、男が浮かべた微苦笑。


「……わ、わかった。君の言う通り少し休むから、そんなに悲しそうな顔をしないでくれないか?」

「でしたら、食事の用意をして参りますので暫くお待ち下さい。それと、別にそのような顔はしておりません」


 確かにそんな表情を浮かべてはいない。

 ただ、叱られた子供のようにしゅんと萎れていただけだ……とある部位が。


「ははっ、そうだな」


 碌に睡眠もとらずにいた所為で、僅かばかり疲労の色が表情に出ていた男も、クローフィと会話をしていると自然と顔が綻び、活力が増しているように見える。

 男は執務机(デスク)の上に広げられた書物や書類等を、皴や折り目の付かないように注意しながらまとめて補助机(サイドテーブル)へ置いた。

 それを確認したクローフィが一旦部屋の外に出ると、廊下に置いてあったのであろう配膳台(ワゴン)を押して戻ってくる。


「確かに時間は有限です。だからといって、食事や睡眠の時間を削るのはあまり良いとは思わないのですが……どうかされましたか?」


 いつもの微笑みを浮かべる男の視線に気付いたクローフィが、きょとんと小さく首を傾げながら問い掛けた。

 すると、男はこれまでのことを思い返すかのように、しみじみした言葉を口にする。


「いや、そういって俺の事を気遣ってくれるのが嬉しくて。この用意してくれた朝食も、俺が前に食べたいと言ったものばかりだろ?」


「はい。それが私の務めであり、私が貴方様にして差し上げたいと心から願うことですので」


 男の言葉に対してはより真摯に、そして、決意を込めて答えるクローフィの頬が赤く染まっているのは、寒さや料理の熱の所為ではないのだろう。

 次々と執務机(デスク)の上に並べられていくのは味噌汁、魚の塩焼き、白飯、漬物、だし巻きといった、家庭の味の代表とされるようなものだった。

 保温石のおかげで冷めた様子もなく、そういった気遣いにも抜かりはない。

 そして用意していた一通りのものを並べ終えると、彼女は自らの定位置であるかのように、男の座っている場所の斜め後方に控えるようにして佇んだ。


「……前にも言ったと思うんだが、一緒に食べるのは駄目なのか?」

「前にもお答えしたとは思いますが、仕えるべき御方と同じように食事を摂るわけにはいきません」


 これまでも何度か繰り返された問答を終えた男は小さく溜息を吐くと、


「そうか、なら仕方ないな。クローフィ」


 箸を持ち、黄金に輝いているように見えるだし巻き卵を丁寧に箸で一口大に切り分けて挟むと、そのまま口許へと運んでいく。

 しかし、向かう先は自身の口ではなく――


「なな、何をなさっているのですか!?」

「いや、一緒に食事ができないのなら、俺が食べさせてあげるしかないだろ?」

「まったくもってその理屈は理解できないのですが!?」


 彼女にとって、これはあまりにも想定外の事態だったのだろう。

 さすがのクローフィの無表情も完全に崩れ去り、両眼を丸く見開きながら口を波打たせ、紅潮した白肌の頬は今にも湯気を放ちそうなほどだった。


「まぁまぁ、そんな事言わずに口を開けてくれないか? あ~ん、だ」

「ぁ、ぁ……ぁ……」


 親鳥が雛に餌を与えるかのように、男が微笑みとだし巻き卵をクローフィへと向ると、彼女は壊れた玩具のように音にならない声を漏らした。

 しかしそんな彼女を見ても、男に差し出したそれを引き戻すつもりはないらしく、彼女が口を開いてくれるのを只々じっと待っている。

 すると、クローフィは酷く狼狽えながらも、差し向けられたものと自身の立場(理性)の鬩ぎ合いを内心で幾度も幾度も繰り返し、遂にはそれに決着をつけ、今から戦場に行くのではないかと錯覚させるほどに真剣な眼差しを男に向けた。

 いくら強靱な精神を持つ彼女とて乙女である。

 つまりはこの状況下、当然として欲望に理性が敵うはずもない。


「で、では……有難く頂戴いたします」

「あぁ、受け取ってくれ。はい、あ~ん……」


 無駄に強く目を瞑り、頬を赤らめながらもクローフィは小さな口を開くと、熱を持った黄色が入ってくるのを小さく震えて待ち構えた。

 そして、羞恥心や緊張、夢のような出来事(・・・・・・・・)に胸を高鳴らせながら…………


 …………――――――――――


「四点」

「八点だな」

「二点ね」


 普段は極めて冷静に職務をこなし、周りへの配慮ができるクローフィらしからぬ饒舌さで語るその姿は、さながら夢見る少女のそれだった。

 それに対し、初夢の事を強引に聞き出そうとしていた三人は、始めこそ興味津々で耳を傾けていたものの、クローフィの語り方に熱が入りだした途中からはなんとも言えない表情となっていた。

 遂には、話しが終っていないにも関わらず、各自で極めて酷評ともいえる採点を言い渡してしまうほどだ。


「話すように仕向けた貴方たちが話の腰を折るとはどういうことですか。それと、リコス以外のお二人は、十点満点にしては低すぎるのではありませんか?」


「「「もちろん百点満点での採点だ(よ)」」」


 アルテミスを筆頭とする三人の行動を糾弾したクローフィは、返ってきたあまりの言葉に自分の耳を疑った。そして、声を上げることもなく、失意のあまりにその場で四つん這いの状態で項垂れてしまう。


「「「…………」」」


 この状態のクローフィにかける言葉が見つからない三人が、口を閉ざしたままそれぞれに顔を見合っていると、深域(アヴィス)降魔(こうま)とは異なる膨大な魔力を瞬間的に感じ取ったが、何処からも連絡や警鐘が鳴らなかったので会話を続ける事とした。


「こほん……それじゃあ、次はリコスかしら? 少しくらいは楽しめるものを期待しているわ」

「いえ、私は昨晩、夜警をしていたため寝ていないので。メリュジーナ、言い出した者が語らないのはフェアではないと思うが?」

「ん? あぁ、それがね。どんな夢を見てたかなんて、いちいち覚えてないよ。アルテミスはどうなんだい? 何か覚えてたりするのかい?」


「私は――」


 いまだ立ち直れず項垂れているクローフィを他所に、初夢の話題を続ける三人。

 しかし、眠っていない、覚えていないなどと、それ以上の会話が広がらない者が続く。これでアルテミスも覚えていない等となればこの話は終りとなり、不憫な犠牲者を一人生み出しただけの虚しい時間を過ごしたこととなるのだが……


「私は――幻想(ゆめ)なんて見ていないわ。仮に見ていたとしても、それを私は憶えてなんてやらない」


 窓硝子に当たる乾いた外の風よりも、先日降った雪よりも、とても冷たい音がアルテミスの口から広がった。涙は流れることなく、叫ぶこともなく、悲壮感に包まれている訳でもないというのに、彼女は独りで赤子のように泣いている。

 しかし、それを明確に感じ取れるものはここにはいない。

 メリュジーナたちは声をかけることなく、項垂れていたクローフィもいつの間にか立ち上がっており、ただ小さく見える彼女を見つめるだけだ。

 それは憐みや慈しみ、そのどちらでもなく、月の女神たるアルテミスがそうあることを受け入れ、覚悟しているに他ならない。


「求めても、手を伸ばしても届かない。そんな幻想(ゆめ)に甘えるほど私は弱くはないの。月国の女神(わたし)は皆の理想(ゆめ)守るためにいるのよ。眠りの中でも現実でも、私は夢なんて見てやらない。叶えられる現実的(リアル)な願いだけで十分よ」


 そう言い放ったアルテミスの瞳には哀しみではなく、覚悟と気高さを伴った輝きがあり、人を惹きつける何かが感じられた。

 時間にすれば数分程度の事ではあったが、彼女の半生を詰め込んだような重みと気迫を再確認できた、そんな有意義なものでもあった。

 ただ、そう……そう言い切ってしまった彼女に対し、そう言わざるを得ない重みを背負わせてしまった少女に対し、何も思わないかと問われればそんなことはなく……


「だけどね、いいんじゃないか? 女神が夢を見たってさ」

「……」

「叶わないから夢なんじゃない。叶えたいことが夢なんだ。常に伸ばした手の届く場所に理想があるとは限らないんだ。だから少しくらい走ったっていいじゃないか」

「……」

「気の遠くなるほど遠くにある夢だって、確かにそこに在るんだよ。夢は決して逃げたりしない。逃げるのは、いつだって目を背けて諦めちまった自分自身だ」

「煩いわね。新年早々お説教は勘弁よ」


 そう言って立ち上がると、アルテミスはつんとすました表情のまま窓の方へと足を向け、この国の行く末を憂うように外の景色を眺めた。


「……ったく」


 わかっていた彼女の態度にメリュジーナは苦笑する。

 だが、彼女のことを彼女よりも理解しているからこそ、強く強く思うのだ。

 メリュジーナは知っている。

 夢など見ないと、そう言った彼女が、とても幸せそうな寝顔を浮かべていたということを。

 普段は決して見ることのできない、あんなにも幸せそうな表情を浮かべることのできる夢を、無かったことにさせたくないと思うのは、果たして過ぎた願いなのだろうか。

 そんな事を考えながら、メリュジーナは強がりな少女の背を優しげな面持ちで見つめると、


「それで、お前さんは今何をみているんだい?」


 沈黙した空気の中、不意に口を開いたメリュジーナの声音と表情は何時も通りのもので、先程のやり取りの微妙な空気など感じさせないものだった。


「そんなのこの国と世界の――」

「いやいや、壁にかけている遠見石で何をみているんだい? って聞いているんだよ。ふふっ」

「なっ!? べ、別に!? どこかの氷狼(ひょうろう)彼岸狐(ひがんぎつね)があの男と一緒に、いる……所なん、て………って、あああぁぁああぁぁぁぁ~っ!? メリュジーナ!」


 上手く自爆させられた事を察した彼女の顔は一気に赤く染まり、外まで響くほどに大きな悲鳴を上げる月の女神アルテミス。


幻想()を見ないといいながら、あんたにとっての(悪夢)は目で追っちまうんだね)


 女神の悲鳴を一早く聞きつけたエパナスとムメイによって、月光殿内での混乱が起こることはなかったが、暫くの間は議会内での力関係に不自然さが現れた。

 そして、アルテミスの自室に設置されていた遠見石はクローフィの指示によって撤去され、そのことですこぶる悪くしていた機嫌が戻ったのは、三箇日をを過ぎた頃だったとか。





 …………

 ……





 誰にも気取られることなく、誰にも見つかることなく、誰にも告げずに彼女が訪れていたのは、小川のせせらぎだけが聞こえる静けさに包まれた場所だった。


「……夢喰いの貘、か」


 彼女は独り言ちながら、手にした紙にそっと視線を落とした。


「在りもしない生き物に縋るなんて、あたいもどうかしてるね……っと、それを言ったらあたいらも同じか」


 苦笑しながら川辺にしゃがみこみ、彼女はその紙で丁寧に簡単な船を折り始める。


「夢が現実になるとは限らない。悪夢を食べてもらったところで、何かが変わるはずもない。それでも、ね……それでもだ……」


 誰もが畏怖し、戦となれば一騎当千の力を有する彼女は、まるで壊れ物を扱うような手つきで慎重に、折った紙舟を冷たい水に浮かべた。


「夢を食らう黒白の獣(・・・・)よ……どうか、この凄惨な現実(悪夢)ごと、そのすべてを喰らい尽くしておくれ」


 揺蕩うように流れていく小舟を見送りながら、彼女は祈りの言葉を呟いた。

 普段の彼女の振るまいから、今の彼女の表情など誰が想像できようか。

 もし仮に今の彼女の姿を見た者がいるとするなら、いったいどれほど辛く苦しい悪夢を見たのかと、想像し難い息苦しさに苛まれることだろう。

 たとえ体を貫かれ、裂かれ、焼かれても、威風堂々と不敵に微笑み、ただ悠然と外敵を滅ぼし尽くす実力を有する彼女が、まるで迷子のように夢に怯え、最愛の者を亡くした者のような悲愴感をその瞳に浮かべていたのだから。


「じゃないと、あたいは……」


 だがそれは、夢であって夢ではない。

 そしてそれは、夢でありながらも定められた結末だ。

 いずれ必ず訪れるのだと、何故か不思議と分かってしまう未来の情景。

 きっと彼と同じ夢でも視てしまったのだろう。


 自身の死など生温い。

 仲間の死など辛いだけだ。

 最愛の人が死のうとも、死にたくなるほど後悔するだけに過ぎない。

 最善の先の結果、此の世界が終わるとしても、彼女はそれを受け入れるだろう。


 だがしかし――不運や不幸、報われぬ思いが幾重にも重なれば、それは地獄だ。

 すべてを捧げてきた救世の剣すら絶望を穿つには届かず、護るべき人を失い、多くの同胞が死に絶え、運命に抗えず、滅びることなく世界は回り続け、それでも確定した滅びへと着実に歩み続けるそんな世界の中で、生き残るべきではない自分が生き残ってしまうことを、彼女の魂や心が赦すはずもない。

 

 故に彼女は思うのだ。

 きっと皮肉にも、自分の命よりも大切な人から貰った感情こそが、感情無き咎人だった自分へと再び堕としてしまうのだろう、と。

 救済など無く、出雲でただ無下に沈むはずだった、あの醜き罪の形へと。


「また、あの頃に戻っちまいそうだよ」


 それは魂に刻まれた、此処ではない遥か彼方の愛と罪の物語(フォークロア)

 

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