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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
一章 GOD-残灯のイグジステンス
19/55

17.君、死にたもうことなかれ


 ――星歴(せいれき)七七七年、大翼節(たいよくせつ)三十五日


 この日、中界の暦で数える七月六日は、七夕祭りという外界、内界共に多くの地域で行われている祭事がある日の前日だ。

 この行事は願いごとを書いた色とりどりの短冊や飾りを笹の葉につるし、星にお祈りをするというもので、それはある男女の御伽噺が深く関わっている。



 その昔、内界では機で織った布を祖霊や神に捧げたり、税として収めたりする風習があったのと同時に、古い暦の七月は稲の開花期や麦などの収穫期、帰魂祭(きこんさい)の時期でもあった。

 そこで、帰魂祭(きこんさい)に先立って祖霊を迎えるために、乙女たちが水辺の機屋にこもって穢れを祓い、機を織るという行事が行われていたという。

 水の上に棚を作って機を織ることから、これを”棚機たなばた”といい、機を織る乙女は”棚機(たなばた)()”と呼ばれていた。


 それにちなんで、女性が手芸や裁縫の上達を祈り、衣服への感謝を表す為に、美しい彩りの糸を七本の針に通して並べて供えるというものもあった。

 月明かりだけを頼りに針穴に糸を通すというのは簡単なものではなかった為に、それを成し遂げた時には歓喜し今後の上達の足掛かりとなったのだとか。

 糸に関してはどの様な色、好みの色でよかったわけでは無く、喜びを示す赤、怒りを示す青、憂いを示す黄、嘆きを示す白、恐れを示す黒といった、この五色が使われる場合がほとんどであった。

 そして、これらは人の五感を司るものでもあったという。


 位の高い者の中には縁起物を供えて星を眺め、香を焚きながら楽を奏で、詩歌を楽しむといった風習もあった。

 その際、サトイモの葉に溜まった夜露を集めて墨をすり、その墨で梶の葉に和歌を書いて願いごとをしていたといわれている。

 サトイモの葉は神から授かった”天の川の雫”を受ける傘の役目をしていたと考えられていた為、その水で墨をすると文字も上達するという意味も含まれていた。


 そういったことが合わさり、今では梶の葉のかわりに五つの色の短冊に色々な願い事を書いて笹竹につるし、星に祈るお祭りへと変わっていったのだ。


 とある男女の御伽噺では、離ればなれになった男女が年に一度再会できる日が七月七日とされており、二人は待ちに待った”再会”という願いを叶える。

 人々は”二人が無事に会えるように”という願いと共に、”二人のように、願い事が叶いますように”と、短冊に色々な願い事を書いて、笹や竹の葉に飾るようになったのだ。


 冬でも緑を保ち、まっすぐ育つ生命力にあふれた笹や竹には、昔から不思議な力があると信じられてきた。

 神聖な植物ゆえに、そこに神を宿すことができるとも言われており、笹竹には、神迎え(・・・)や依りついた災厄を水に流す役目があったとも言われている。


 故に祭りの後、竹や笹を川や海に飾りごと流す風習には、竹や笹に穢れを持って行ってもらうという意味が含まれていた。



 そう、今宵から明朝にかけて行われるのはそんな七夕祭り。

 世界中でたくさんの祈りの言の葉が紡がれる、一年の中で最も願いの多い日(・・・・・・)だ。



 …………

 ……



 日を追うごとに勢力を増してくる日輪によって、本格的に時節の移ろいを感じている中、ユーフィリア家の屋敷の中ではいつもと変わらない様子のシンカたちが姦しく過ごしていた。


「シンカ、シンカ! 見てください、わたくしの渾身の短冊たちを!」

「どれだけ書いていますの? 一つだけに決まっているでしょう」


 大きくの願いを色とりどりの短冊に書き綴り、その束を誇らしげに掲げるシエルへと、クベレは心底呆れたような瞳と声音を向けた。

 しかし、そんなお馬鹿さんはシエルだけではなかったようで……


「な、なに? そうだったのか……此方には、この中から一つに絞り込むなどできぬのだ。シンカ、此方はどうすればよいのだ?」


 何枚目かの短冊に走らせていた筆を止め、気落ちした様子でそう言ったのはロリエだった。

 

「もう、悩む気持ちもわかるけど、そんなに時間はないのよ? ブリジットたちだってまだ書いてないんだから」


 そう言って、いつの間にかすっかり問題児たちの保護者的役割を担っているシンカは微苦笑を浮かべていた。


 時代の流れと共に、人々の知る七夕祭りは変化している。

 大戦以前までは、夜空に広がっていたという無数の輝きたち。その中でも特に輝いていた二つの星と、間を引き裂くように帯状に密集している星々をそれぞれ恋人と河川に見立てた物語があった。

 それになぞらえて、短冊と呼ばれる細長い紙に願い事を書き留め、笹の枝に紐で括り付けるという習慣が、日々降魔との戦いの続く外界では多くの人に受け入れられ支えとなっていたのだ。

 

 だが、星国ガラクーチカが滅びると共に夜空の瞬きは消え、人々の願いを預ける為の星は闇に呑まれて姿を暗ました。

 それでも星の女神は健在であり、星の輝席の意志も煌々と光り続けている。

 故に現代では、戦いに身を置く者立ちこそが、人々の願いを聞き届ける星々の代わりとなっていた。

 いつかすべての降魔を駆逐し、必ずやもう一度、夜空に輝きを取り戻す。


”二人が無事に会えますように”

”二人のように、願い事が叶いますように”


 再会……それは、不可能を可能へと導く象徴のようでもあった。 


「……迷信、作り話の類にそこまでこだわる理由が理解できんな」


 広間に集まる者たちの中でもとりわけ、鋭い空気を纏っているように感じられる少女が、吐き捨てるようにそんな言葉を口にした。

 このような状況で(・・・・・・・・)こんな事(・・・・)をしているのだから仕方がないのかもしれないが、だからこそ、少しでも楽しんで貰いたいとシンカは微笑みながら思うのだ。


 そんな、母親譲りの珊瑚色の髪の毛先を指で弄っているアリサの前には、まだ何も書かれていない短冊が置かれている。だが、それが一枚目とは限らない。

 そしてそれを、欲張りなシエルが見逃すことは無かった。


「なら、先程隠していた短冊にアリサは何を書いたのですか?」

「誰よりも先に書いてましたわよね? あたくしにも見せなさい」

「ぐぬぅ~……此方には選べぬ、選べぬのだ」

「一緒に暮らせますように、って書いてたじゃない」


 三者三様ならぬ四者四様に言葉を発している中で、ただ一人だけが真実を言い当てた事によって、アリサの頭の中は一瞬にして混乱状態(パニック)に陥った。


「だだだ、誰が先輩と一緒に暮らせますようになどと書くものか! わた、私がそのようなことを書いたという証拠でもあるのか!?」


 その動揺は誰が見ても明らかなもので、普段の冷静さは跡形もなく消え去って胸の内に秘めている願望が溢れてしまっている。

 証拠もなにも、”誰と一緒に”などとシンカは口にしていないかったにも関わらず、完全に自白してしまっているのは当の本人だ。

 肩で息をし、顔を真っ赤にしているアリサは紛れもなく、迷信、作り話の類にこだわっている人間だった。


「ア、アリサ、一度落ち着きましょ? ね?」


 予想だにしないアリサの取り乱し方に驚く一同ではあったが、流石に多くの癖の強い人々と関わってきたこともあり、シンカは懸命に彼女を宥めて落ち着かせた。

 しかし、悪意の無い者たちの本音(欲望)によって、アリサ精神はさらに追いつめられていく。


「すごいです、アリサもわたくしと同じこと書いたのですね!」

「あたくしなら跪いてご主人様に懇願いたしますわ! 御側においていただけるのでしたら、椅子でも布団でも玩具でも、何の代わりでもよろしくてよ!」

「こ、此方も同じことを書いてよいのか? 同じでも願い事は喧嘩せぬのか? 誰か教えてくれぬか?」


 三方向から言葉を掛けられて、アリサの顔は先程よりもより一層赤くなり、それは耳や首筋にまで及んでいた。

 姦しい者たちが誰に聞かせるわけでもなく、それぞれがそれぞれに自由に自身の想いを語り始めると、アリサの顔が徐々に俯いていってしまう。


 傍にいたシンカはその事態を微笑ましく思いながらも、暴走を続ける三人を止め、本音を隠すことが下手な少女の想いを夜空に掲げるために動き出した。


「はいはい、貴女たちも早く書き上げなさいよ。シエルは一つに決める事、クベレはもう少しまともなものに書き直しなさい。あとロリエ、みんなと同じものを書いてもいいの。それはきっと、素敵なことだから」


 問題児たちそれぞれに言葉をかけた後、シンカは羞恥で顔を俯けているアリサと目線を合わせるように腰を落とした。

 そして、陽だまりのように優しい口調で素直な少女に語りかける。


「アリサ、貴女の願いはとても尊いものだと思う。だから胸を張って、笑顔で短冊を飾りましょ? ……私、その願いが叶うのを見てみたいわ」


 その言葉一つ一つに肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げてシンカの方へと向き直るアリサの顔には、いつもの彼女らしい表情が戻っていた。

 目尻に残る雫も暫くすれば乾き、その痕跡に誰も気付くことはないだろう。


「まったく、そこまでシンカが言うのであれば、これを飾ることもやぶさかではない。……で、でも……先輩には見られたくない、です」


「ふふっ、それは難しいと思うわよ?(……だって)」


 日輪が最頂点に達するには少し早い時刻。

 夜更けまでにはまだまだ時間があるというのに、それに向けての準備を進めていく者たち。街の各所には飾り付けられた竹が立てられ、互いに褒め合いながら願いについて語らっている。


 誰もが楽しみにしているのだ……今宵の七夕を。

 そして誰もが願っているのだ……来年の七夕を。


 闇に呑まれた恋人が、再び巡り会えるその瞬間――願いが叶うその奇跡を。


 ユースティア家の屋敷では、今日も魔女の怒号が轟き、これからもそんな日常が続いていくのだろうと誰もが……誰もがそう信じていてた。


(あの人は……ロウは、みんなの願いを叶えたいはずだから)



 

 …………

 ……




 ここは中立国アイリスオウスが誇る大都市ミソロギア。

 今となっては誰もが知る過酷な戦いを多くの犠牲のもとで乗り越え、復興への道を歩んでいる最中である。

 そのはずなのだが、どういうわけか再建前の更地の一部が竹林、笹林に変貌を遂げていたのだ。それも、たった一夜にして。

 そしてそれを目の当たりにしているは、内界各国の要となっている者たちだ。


「それで、これは一体どういう状況なんですかね? いいことには違いないんでしょうが」


 ミソロギア周囲には自生していないはずの竹が生えていると、そう部下から連絡を受けて来てみれば、思いの他大事だった。

 竹といっても時期も時期だし、二本三本なら特に問題はないだろうと思っていたのだが、このような事になっているとはさすがに彼も予想外だったらしい。

 カルフ・エスペレンサは頭を悩ませつつ、その場にいた二人の男に問いかけた。


「………。…………?」

「さぁねぇ、こっちが聞きたいくらいだよ。七夕のために、数え切れないほどの竹を移して植えるなんて」


 数日前から滞在していたラーナリリオ公国のペレーア・トルトゥーガとロスマリーノ教国のディレット・アルティスタも、たまたまこの場を通りかかり、茫然としていたらしい。そんな中……


「我が同胞たちに全て任せてはみたが、葉竹同士の間隔、短冊などを飾り付けることができる高さ……なかなかどうして素晴らしいな」


 計ったかのように現れ、カルフたちに向けて声をかけてきたのは、ホルテンジア群島諸国のレーベン・ヴァールハイトだった。

 その整った顔立ちと放たれる風格故に誰もが彼に目を向けるが、一度口を開けば、多くの者が理解し辛い独特の感性を持った男だ。


「今というこの瞬間に我々が一堂に会し、まだ見ぬ未来に想いを馳せ、内に秘めた純粋な願いを天高くに掲げるのだ。故にこれくらいは当然の事だろうとも。何、短冊に(したた)めた願いを注視するなど無粋な真似はせぬよ」

「相変わらず言い回しが大袈裟な男だな。もう少し気安い言い方はできぬのか?」


 思想、理想、志が人よりも少しばかり高いレーヴェンの独特な演説を容易く切り捨てるかのように、彼の後ろから意見したのは堅牢な鎧を身に纏った大柄の淑女、ヴェルヴェナ帝国のターミア・アドウェルサだった。

 彼女の手には数枚の短冊があり、それをカルフたちに向けて差し出す中、


「そう言ってくれるな、我が盟友よ。ここにいる者たち全ての願いを託すには、これくらい用意せねば始まるまい。誰一人漏れることなく胸に抱いたその願いを掲げることも、重役を担う我らの勤めともいえよう」


 せっかくの七夕だ。すでに慣れたといった様子でレーベンの言葉を脳内で簡易化し、相槌を打ちながら他の三人はターミアに礼を言うと、短冊を受け取って記す願いを考え始めていた。すると、


「これはまた珍妙な光景だな。願いを書いた紙を括るのは、この場所でよかった……のか?」


 葉竹林の前で思い思いの願いを書いているところに、短冊の束を手にして現れたのはケラスメリザ王国のファナティ・ストーレンだった。

 生真面目な彼のことだ。手にしている短冊は道中出会った人たちのものを、ついでだからと代わりに笹に飾る役目を引き受けてきた結果なのだろう。

 そして、彼はそれらを当たり前のように、一人で一枚一枚そこに書かれている願いが叶うように祈りながら、丁寧に飾っていくのだろう。 

 そんな男の性格を、この場にいる者たちは十二分に理解していた。


「一応はそうなってますが、レーベンの個人的な粋な計らいってやつですよ。あと、流石に一人じゃ時間がかかりそうだし、俺も手伝います」

「………。……………、……」

「僕も自分の書き終えたところだ。レーヴェンの言葉に習うなら、民の願いを届けるのも僕らの役目だしね」

「そうだな。上の方は此方で引き受けよう」

「真摯な想い、誠実さ、共に尊きものだ。世界というものは様々な思惑によって動いてはいるが、私は人々を動かす為に最も効果的なものは、それらを含めた尊きものだと信じている。それらが集まり、この景色が彩られたとき、闇に呑まれた星々も再び美しき瞬きを見せるだろう。私はそれが楽しみでならんよ」


 順番に五人から声をかけられ、その度に枚数を減らしていく短冊。

 最後にファナティの手元に残ったのは彼自身が書いた一枚を含む数枚のみで、その記された願いは彼にとっては当然の願いだが、実に彼らしいものだった。


「どうしてこうもお人好しばかりが……しかし、ありがたいな。ん? そういえば、あの心配性はどこにいるのだ?」


 目頭が熱くなるのを感じながら、それを悟られないように、ファナティは少しばかりの疑問を口にした。

 その声は僅かに湿っぽいものだったが、指摘する者はいない。


「あぁ、マレーズなら二日前からずっと短冊に書くことを悩み過ぎて、今は部屋で眠ってますよ。ま、彼にとっては丁度いい休息でしょう」


 腕を伸ばし、短冊を飾り付けているカルフから返ってきたのは、何とも拍子抜けする言葉ではあったが、同時に理解できるものでもあった。

 日中は特に重要な予定も無かったはずだし、明日への打ち合わせも終わっている。夜更けの七夕祭りに遅れず起きてくれば、何も問題は無いだろう。


「なるほど……さて、私もこれを括らなくてはな。カルフ、すまないが肩車をしてくれないか!」


 そう言って、ファナティは自身の願いを皆の願いと共に並べて天に掲げた。




 …………

 ……




 闇の中、光に照らされているように浮かび上がって見えるのは、白き円状の床。それを囲うように周りに聳え立つのは、幾つもの大きな白柱だ。白い領域の先は何も見えず、何かあるのか、何もないのかを判別することはできない黒き空間。

 そんな黒白の領域には、八つの漆黒の椅子が輪状に並べられており、その中で空席となっている主の居ない椅子は一際大きく、その縁は金色に輝いている。


 瞑目したままの者、険しい表情の者、笑顔を貼り付けた者と、そこに座する者の表情はそれぞれに異なっているが、共通しているのはこの場にいる七人が、誰一人として動こうとしないということだった。

 しかし、時間というものは止まることなく進み続けるものであり、それを彼女たちは人一倍、本当の意味で理解している者たちだ。

 だからこそ、いつまでも止まったままではいられない。停滞し、問題を先送りにすることを止め、今こそ向き合わなければならないのだった。


「……さて、いつまでもこんなだんまりを続けることが不毛だって、あんたたちもわかっているだろう? なら、やることは一つ。違うかい?」


 肺に溜まった重い空気を吐きだして、蝋人形のように微動だにしない盟友たちに挑発的に言葉を放ったのは七深裂の花冠(セブンスクライム)が一片、メリュジーナ。

 大胆にして、仲間思いの繊細さも兼ね備えた人物だ。


「そうですね~。私としましても意地がありますし……今日はちょっとご機嫌斜めです」


 七深裂の花冠(セブンスクライム)という存在の中でも、特に異質な存在であるサーベルス。

 家事、美容、服飾等々の技量や情報に精通しているという外界、内界に住む一般的な女性と変わらない思考の持ち主だ。


「俺もや。これ以上、理不尽な案を出されても納得できへんしな」


 重苦しい空気の中で笑みを浮かべているはアトラス。

 人付き合いのよさそうな普段の笑みとは異なり、今浮かんでいる笑みは自らの感情を抑え込んでいるような、偽りのもののようにも見える。


「まぁ確かにそうなんだがなぁ。面倒ってわけじゃないが、もう少し穏便にいかないもんかねぇ」


 緊張感も無く、髪を掻きながらどこか気怠げに発言したのはベンヌだった。

 勝ち抜きだの総当たりだの、面倒だから生き残り戦(バトルロイヤル)だの、血気盛んな案ばかりが真っ先に出てきたのは我が盟友ながら呆れものだ。

 それを否定すれば、女性優先(レディーファースト)などと宣うのだからたまったものではない。


「何を寝ぼけた事を言っているのかしら。最後にいい思いをしたいのはみんな同じでしょ? やるからにはこっちも本気なのよ」

「イ・イ・オ・モ・イ、してみたいわぁ~」


 射殺す程の鋭い視線をベンヌに向けて冷たく言い放つメロウは、これだけは譲れないといった闘志を宿し、豊満な肉体を持つリリスは、恍惚とした表情で言葉を漏らす。いったい何を妄想しているのかは、同じ七深裂の花冠(セブンスクライム)たる者たちにとって想像に難くない。


「……ぐっ」


 そんな中、険しい表情でありながらも、拗ねている子供のような雰囲気を漂わせている者が一人。

 他の者が口々に話し出す様子に耐え切れなくなったのか肩を小さく震わせ、顔を俯けたままで勢いよく立ち上がった。その反動で座っていた背板の高い椅子は大きな音を立てて後ろに倒れ、空間内に響く音の発生源に皆の視線が集中する。


「四の五の言わずにじゃんけんで決めるさね! それが一番公平だろう!?」


 先程、メリュジーナが不毛だと言っていたのは、まさにある優先順位を決める手段についてのことだった。


 ”短冊を飾る場所は高い方が良い”という話を聞き、それ真に受けた戦士たちはその場所を得る為に各自思案し、この数時間は短冊を飾る位置をどうするかという話し合いがずっと続けられていたのだ。


 この七人の中でイズナの背丈が断トツ的に最も低く、高い位置に飾る為には何かしらの策を弄さなければならない。

 だが、仮のこの面子での戦いとなれば、イズナの能力は圧倒的に不利であり、女性優先だとしても女性陣の中で更に優先順位を決める必要がある。

 小柄の体躯、能力の不利、それらを抱えた状態で最優先権を得ることのできる可能性は、運に全てを任せてしまう方法以外の選択肢は残されていなかった。


「背が高くてもいい事ばかりじゃないんだけどね。だけど、誰一人一歩も退けない勝負である以上、それしかないか。……それじゃ、用意はいいかい?」


 苦笑しながらイズナの発案を受け入れたメリュジーナは皆を見渡し、勝っても負けても文句なしの、大いなる決戦(じゃんけん)への参戦を確認した。

 その言葉に異を唱える者、怖気づく者は誰一人としておらず、ただただ皆は己が勝利を信じているといった表情を浮かべている。


「よし、異論はないようだね」


 互いの性格を熟知しているからこそ、様々な思考がそれぞれの頭の中を駆け巡り、必勝の一手を思案する。時間にすれば一分に満たないほどのものだったが、彼女らにとっては永劫に近いものだったに違いない。


 そして、その瞬間は訪れた。

 神魔総位(ネメシスランキング)一桁の討滅せし者(ネメシスランカー)――七深裂の花冠(セブンスクライム)。 

 神と等しき地位を有する者たちの、最強を決める(運的な意味で)戦いの火蓋が切って落とされたのだった。


「じゃん、けん……」


「「「ポン!」」」


 メリュジーナの掛け声に合わせ、他の面子も高らかに声を響かせた。

 振り下ろされる拳、突き出される掌、繰り出される二本の指先。

 感情を込めた勝利への一手が戦場に出揃うも、音を発する者はいない。

 皆が注意深く各人の攻撃の手を見ていくと、より一層戦場たるその場の空気が張り詰めたものへと変わっていく。


「……相子、か」


 一度では決着がつかなかったようで、再試合という運びになったからだ。

 勝者が出なかったという安心感、勝者になれなかったという悔しさ。

 この二つの感情が、彼らの闘争心を更に煽ることとなった。


「「「あい、こで……」」」


 示し合わせたかのように声を合わせる七人の勇士たち。


「「「しょッ!!」」」


 そして、戦場で再び激突するは己が信ずる勝利への一手。

 

 

 忘れてはならない。

 ここに集いし者たちは、七深裂の花冠(セブンスクライム)――誰もが認める強者である。

 互いが互いを知り尽くし、思考に思考を重ね、繰り出される必殺の一手。

 無心で繰り出せば勝負のつかない確率が単純に八十一分の六十七、つまり八十一回勝負すればその内、一四回は誰かが脱落していくはずだったのだ。


 だがしかし、今一度言おう。

 ここに集いし者たちは、七深裂の花冠(セブンスクライム)――誰もが認める強者である。

 運も実力のうちという言葉があるように、強者は得てして運を引き寄せる力を有しているものであり、そこに無駄な……もとい、不必要な思考が加わればその勝負が泥沼……否、熾烈なものとなるのは言うに及ばず。


 そして、長きに渡り続いた決戦、その勝敗の行方は……

 

 …………

 ……


 黒白の空間の中、背板の高い八つの椅子に囲われたその中央。

 明らかに場違いな竹笹に飾られる八枚(・・)の短冊は、色鮮やかな七色の糸によって括り付けられている。

 竹笹の中ほどの同じ高さのところで、一か所に纏めてつけられている七枚の短冊は、七夕飾りとしては不格好に見えるがとても微笑ましいものでもあった。


 灯りはあるが、陽の光の射さないこの場所では時間の経過がわかりづらい。

 それでも彼女らは、そろそろ宴に備える頃合いだというのを感じていた。

 大いなる決戦(じゃんけん)を乗り越えた七人は、再び戦友として同じ決意を胸に肩を並べ、真の決戦へと向けて歩き出そうとしていた。


 一人、また一人と、この閉鎖的な空間から姿を消し、最後に残った竹笹は揺れることなく静かに佇んでいる。


【イズニスを笑わしたってくれ。メルのこともな】


【一度くらい、天神様の素直な声を聞いたいもんだ。シエルは……任せる】


【腹黒糸目を困らしてやりたいわねぇ。でも鬼の子を困らせたら許さないわぁ】


【ミコトとロリエの些細な我儘を許して欲しい】


【ヴィアベルの泣き顔が見てみたいわ。後、クベレを真人魚にしてちょうだい】


【ステ……星の女神たちに希望を。そして、私をもっと可愛らしくして下さい】


【あの子たちに幸せな日々を、どうか】


 七つの願いを託されたそれらは、夜空の見えぬ部屋で天に願いを奉げる。


 そして、一箇所に纏められた七つの短冊より少し上。

 七色の糸で飾られた、七色の想いを宿した一枚の短冊には……


【我らのこの身が滅びても、我らが魂をどうか再びあの御方の元へ】


 七片の花弁の願い……それはあまりにも真摯な願いだった。




 …………

 ……




 ここは聖域レイオルデン内、審秤神サラ・テミスの絶対的管理下にある虹の塔(イリスコート)、その一室だ。

 見る者が見ればこの場の異様さ、あまりの威圧感(プレッシャー)にあてられ、卒倒してしまうことだろう。なにせこの場には、サラによって短冊に願い事を書かされている神々が一堂に会しているのだから。


「わざわざ我らを呼び出しておいて、こんなことをさせるなど」

「サラ殿、私にも自国の事があるのです。理解されておられますか?」


「まぁまぁ、二人とも落ち着きぃな。イグニスはんもそないな顔してはったら、皴が増えますえ」


「儂は元来この顔なのだが…」


 この場に集う神々は――


 不承不承といった様子で、愚痴を漏らしている天神ブフェーラ・ゼウス。

 強張った笑みで小言をサラに向ける海神ヴィアベル・ポセイドン。

 表情の指摘を受け、悩む巨漢の男、陽神イグニス・アポロン。

 一部から腹黒糸目という神らしからぬ渾名で呼ばれる冥神アルバ・ハデス。

 幼き容姿でありながらも多くのものを背負う地神ミコト・デメテル。

 狭い室内に居ながら何故か頻繁にその姿を暗ます星神ステラ・アストライア。

 そして、短冊を見つめたまま微動だにしない月神アルテミス。


 そんな七神の向かい側では……


「二人は何を書いたんね? ウチは多すぎて困っとるんよ~」

「一緒に……考、える……」


 各国の神々が同室にいるにもかかわらず、場違いなほどに会話を弾ませている者たちがいた。

 愛用の麦わら帽子の下には大きな一房の茜色の三つ編み。足を覆う部分が短くなっているオーバーオールに白いシャツの少女。その人懐っこい笑みは困っているようにはまるで見えず、むしろこの場を楽しんでいるように感じられる。


 そのとなりに座るのは、イグニスやブフェーラよりも更に大柄な男だった。

 量のある無造作な移色の長髪。その下にある精悍な顔立ちは優し気で、ツナギの上半身部分を腰の辺りで括っており、膨らんだ筋肉が男をより大きく見せている。


「まったく……相変わらず仕方のない奴だな」


 そんな場違いにも見える二人と親し気に話している人物もまた、この場においては異質な存在だと言えよう。当たり前のように自らの肩に白い梟を乗せてそこにいるのは、月国のロディア隊隊長であるシャオクだった。


 各国の神々、そしてサラさえも、この場にいるそんな三人を特別気にした様子も無く振る舞っている。


 そんな中……


「それで、サラは何か書いたのか?」


 ここにもまた一人の特別な男が、家族に接するように審秤神に話しかけていた。

 夜の色よりも深い黒曜石の光を宿す瞳。漆黒の髪の下、右側だけが少し長く伸びた二束の髪は、双月を表すかの如く綺麗に輝く金と銀。

 身に纏った衣服も漆黒の為、闇そのものが存在しているようにさえ見える。

 そんな彼の名は、幾つもの戦場を鬼神の如く駆け抜け、神殺しという汚名を受けても尚、これまで戦い続けてきたロウ・ユーフィリア。


 そして、ロウの疑問に答えたのは、白衣に身を包む年配の男。無精髭を生やしたただの町医者の風貌であるにも関わらず、彼もれっきとした神の一角だ。

 名を、救医神コル・アスクレピオス――


「ロウ坊、それは聞いちゃいけねぇ――げふがぁッ!?」

「コル~? あんまり失礼なこと考えてると承知しまへんで~?」


 ……は、サラが手にしている煙管によって敢えなく撃沈した。


「さ、流石にやりすぎじゃないか?」

「ロウはん、何言ってはるの。仮にも救医神の名を持つ神が、こんなか弱い乙女の非力な一撃程度でどうにか……なってしもうたかもしれへんね、これは」

「サラ……」


 白目を剥いて倒れているコルを見下ろしながら、言葉を交わしている二人に血の繋がりはないが、互いに親子であると認識している間柄だ。同じ場所で同じ時間を過ごし、多くの大切なものをロウはサラから教えてもらった。

 それらの内の幾つかは、ユーフィリア家に住む家族たち(・・・・)に対しても受け継がれている。

 たとえ血の繋がりがなくとも、周りからどう評価されようとも、ロウにとってはどちらも大切な家族なのだ。


 いつの間にか、気を失っていたコルの姿は忽然と消え去っている。

 恐らく、サラによって別室の寝台(ベッド)にでも飛ばされ……否、寝かされていることだろう。

 そんなことを思いながら、誰にも看てもらえないコルをロウが哀れんでいると、


「ロウはもう何を書くか決めておるのか? 参考までに教えて欲しいのじゃ」

「それは私も気になるところですねぇ。貴方ほどの存在が、今日という日にいったい何を願うのか……実に興味深いですよ」

「……わ、私もこっそりでいいので知りたいな~……なんて」


 幼さ故の好奇心か、天に掲げる願いをミコトが控えめに聞いてみる。それに便乗するような形で、いつもと変わらない笑みで口を開いたのはアルバだ。それに続く声はステラのものであるものの、その姿はどこにも見えなかった。

 そして、興味の無い素振りで短冊を見つめ、悩んでいるように装いながらも聞き耳を立てているのはブフェーラ、ヴィアベル、イグニスの三人だ。


 サラも口にこそ出さないが、彼の願いには人一倍興味があった。

 彼女の知っている、これまで多くの者を救い、その願いを叶えてきたロウという存在が、自分自身の為に願うものがいったいどういうものであるのか。


「まぁ……その、な?」


 歯切れの悪い言葉を返した彼の見せる苦笑いには、これまでにない何かが含まれていたようにも思えたが、その意味に辿り付ける者はいなかった。

 その後もミコトたち、遂にはシャオクたちも加わり、ロウが短冊に託す願いを聞き出そうと言葉巧みに誘導しようと試みるが、ゆるりと躱されてしまう。


「…………」


 ロウは願いを認めた短冊を誰にも見られることの無いように裏返して何も語らず、その短冊に祈りを込めるように、ただ静かに見つめていた。


 そんな中、周りのロウへの追及はその熱量を増していき、答えを求めて今にも皆で詰め寄りそうな勢いとなった。

 そしてそんな光景を前に、遂に我慢の限界を迎えた三人。


「貴様、我に短冊を渡しておいて、自分は何も書いていないということはないだろうな?」

「三英雄と神殺し。そのどちらでもあった貴殿は何を願うというのだ」

「今日という日くらいは、儂も貴公の意思を聞きたいものだが」


 痺れを切らし、ロウに直接声をかける三人は、これまで興味のない素振りを装っていたヴィアベル、ブフェーラ、イグニスだった。

 それに対し、ロウは神々の威圧感に気圧されることなく、どこか柔らかい微笑みと共に言葉を返す。


「短冊に願いは書いた……だか、すまない。これだけは教えられないんだ。この願いは、紛れもなく俺だけ(・・・)のものだから」


 その言葉で、部屋内に充満していた好奇心や探求心は霧散し、各人は冷静さを取り戻したようだった。

 いつも自分の為だけに戦ってきた男の、今の言葉の意味を理解したからだ。

 

 自分の為と言いながら、誰かの為を想い、誰かの為に戦い、誰かの為に傷ついてきた男……そんな自分の為にしか動けない男の行動が、いつも誰かの為だったということを皆は知っている。

 だが、今の言葉に宿る強い想いは、きっと紛れもなく彼だけのものだったから。


 それと同時に、妙な気まずさや息苦しさが広がりそうになったところで、サラの発した一言によって、この場は慌ただしさに包まれることになる。


「そろそろ、あんさんらも自分の国に戻らなあかん時間とちゃうの?」


 日付が変わるにはまだまだ時間は残っているが、自国に到着した後の七夕の日の最終確認が彼らには待っているのだ。

 組織の規模が大きいほど、何をするにしても責任を背負う者に課せられるものは大きく、様々なことが幾重にも重くなっていく。


 その事を瞬時思い出すと神々は短冊に願いを綴り、サラへの挨拶も手短かに済ませ、我先にとこの部屋を後にした。


「あんたらも、もう行くん?」

「うん、ウチらも準備とかせんといかんけんね」


 麦わら帽子の少女が明るく答えて歩き出すと、寡黙な大男は小さく頭を下げてそれに続いた。


「それではロウ様、サラ様、私も失礼します」


 そして最後にシャオクが部屋を出て行くと、その場に残されたのはロウとサラの二人だ。いつかの日と同じく、親子水要らすといったところか。


「それで、さっきの質問やけどね」


 光の射すことがない閉じられた瞳をロウに向けて、サラは静かに口を開いた。

 わざわざ先程のロウの問いかけを掘り起こしたのは、ロウが誰よりもそれを気にしているということを、サラは知っていたからだ。


 人々に頼られ、祈りを向けられる神々の中でも更に高位の存在である審秤神(サラ)が願うものを、ロウは知っておきたかった。

 仲間として、息子として……その願いに応えるために。だが――


「うちの願い。それはな……乙女のひ・み・つ」

「サラ、俺は……」


 お道化たように答え、はぐらかそうと笑みを浮かべるサラ。

 しかし、ロウが悲しげな瞳を向けると、サラは硬い声音で言葉を重ねる。


「……願っただけでは何も変わらへんし、何も変えられへん。やから、虹の塔(ここ)から動かれへんうちに、短冊に願いを書く資格はないんよ」


「…………」


 普段は掴みどころのない大切な母親の晒す儚さを前に、ロウは声をかけることなく、彼女の声を静かに受け止めていた。

 強大な力を有しながら、何度も何度も……数え切れない程に己の無力さを嘆き続けていた、いつかの自分の姿を思い返しながら。


「けど、やけどな……これだけは許してほしい! この願い、だけは……今年のこの願いだけは……堪忍や」


 感情の全てを吐きだすよう口を開く、司法の女神サラ・テミス。

 それでも、彼女は嗚咽を漏らすことも、涙を流すことも、ロウに支えてもらうこともしなかった。

 それは母親としての意地なのか、審秤神としての誇りなのか……それは誰にも解らない。

 心が叫ぶ救いを求める声も、心が零す涙の音も、心に宿る祈りも、この虹の塔(イリスコート)にいる以上、絶対的管理者たる彼女の内を感じることはできないのだから。

 それがたとえ、絵本の中に出てくる英雄でさえも。


 …………

 ……


「さてさて、パパっと短冊を飾ってまいましょ」


 あの後、落ち着きを取り戻したサラが、心配そうな表情を浮かべるロウを半ば強制的に追い出す形で虹の塔(イリスコート)から帰すと、部屋の温度も一気に下がったように感じられ、一人でいるのは広すぎる空間になっていた。


 サラは机に置かれていた十一枚の短冊を回収し、その一枚一枚に書かれている文字に目を通していく。

 その内の一枚に書かれていた願いを見た彼女は、思わず顔を綻ばせた。


あの子(・・・)もちゃんと書いてくれてるやんか。ふふっ、嬉しいなぁ」


 そして、もう一枚の短冊を合わせた十二の願いをその手に持ち、誰の眼にも触れる事の無い、全てを観ることができる場所へと歩き始めた。


 その瞳に光が映らなくとも、進むべき道(・・・・・)を彼女が外れることはない。

 これまで幾度も通って来た道(・・・・・・・・・)を、外れることなく彼女は着実に進んで行く。


「愛しさの種が罪花(罪過)を咲かす、その前に……」


 サラの願いはいつも等しく一つだった。

 いつの世も、どの時も、日々誰かに祈り続ける願いは変わらない。


「最後に選んだその道に、どうか救いの贖罪を……」


 そんな彼女の祈りの声は、記憶が遍く世界(・・・・・・・)の中に静かに溶けて消えた。




 …………

 ……




 優しい白光が世界を照らし、人々に安心感を与えてくれている。

 すでに日付も変わり、今日は七月七日――七夕だ。


 多くの地域では、七夕祭りが日付の変わった直後である深夜に行われることはないのだが、今年だけ(・・・・)はどこの国でも旧式……古くから伝えられているこの時間帯に行われていた。


「あの時の戦いがまるで無かったみたいだな」

「えぇ、そうね」


 宵闇の中でも更に深い黒を纏っているロウの隣には、真新しい衣服を身に纏ったシンカの姿があった。

 彼らが今いるのは、長らくルナティアが隔離されていた社の浮かぶ湖だ。

 ここは幾つもの想いが重なり、死神という災厄を無事に退けた(・・・・・・)場所であると同時に、シンカの力の一端が垣間見えた場所でもある。


 当時の苛烈な死闘の爪痕は一切なく、道は整えられ、竹林はその強い生命力を発揮し、社も新しく建て直されていた。

 社の畔に咲く彼岸花も、数は減っているが綺麗な花を咲かせている。 


「あれから……いや、シンカと出会ってからは本当にいろいろな事があったな」

「……うん」


 彼らの耳に入ってくるのは、夜風で揺れる竹林の音と自分たちの足音だけだ。

 今頃、街の方では七夕の催しを行っているはずだが、この場所までその賑やかな音が届いてくることはない。


 そうして二人は、目的地である社の前に辿り着いた。

 道中もそうだったが、ここにも人影や人の気配は一切なく、まるで世界から切り離されているようにさえ感じられる。


 ロウは懐に仕舞っていた収納石から竹笹を取り出すと、自分の身の丈ほどあるそれを軽く地面へと突き刺し、社の柱へと立てかけた。


「……シンカ、大丈夫なのか? 体調が悪いなら、屋敷に戻って休んだほうが」

「ご、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてて。さ、先に付けさせてもらうわね、短冊」

「無理はしないでくれ。今日は大切な日なんだ……君にとっても、俺にとっても」


 ――大切な日


 その言葉を聞いたシンカの鼓動は早鐘のように強く脈動し、緊張が全身に伝わったせいで上手く短冊を括れないでいた。

 それでも何度目かの挑戦で、ようやく短冊を飾ることに成功したシンカは、頬が薄く染まった満足げな表情でゆっくりと竹笹から離れる

 それに入れ替わるようにロウが竹笹に手を伸ばすが、シンカと違い一回で短冊を括り付けると、彼女からの恨めしそうな眼差しが向けられた。


「……なんだか悔しいわ」

「そう言われても困るんだが……」


 それからしばらくの間、日中とは違う夜の香りをその肌に感じながら、二人は隔絶された世界の景色を眺めていた。

 その間、二人に会話は無かったが、それは重苦しいものではなく心地良いものであり、隣にいる事が当たり前で、互いに必要とし合う特別な関係のように見える。


 そんな中、ロウは竹笹の下に咲く彼岸花に視線を落としながら、隣に佇む大切な人へと言の葉を紡ぐ。


「幸せは、金平糖に似てると思わないか? いろいろな大きさや形、色があって、甘く溶けていく儚い結晶……」

「……そうかもね」


 思い返されるのは、仲間と過ごしたたくさんの想い出だった。

 ときに泣き、ときに怒り、笑い合ってきた日々。

 たとえ誰もが忘れても……確かに在った幸せな日々。


「シンカ……これだけは忘れないでくれ」

「なに?」

「この先に何があっても、決して折れないでほしい」

「……」

「君は強い。たとえ君よりも強い敵が現れたとしても、君はそれより強くなれる。限界なんてものは、ただの蜃気楼でしかないんだよ」

「……ロウ」


 吹き抜けた一際強い風が笹を揺らし、湖面を波立たせると、ロウはいつもの優しい微笑みをシンカに向けた。

 しかし、その瞳は一つの揺るがない決意の色に染まっているようで、それに応えるように不安な気持ちを押し殺し、シンカも精一杯の微笑みを返してみせる。


「そろそろ行こうか」

「ねぇ、ロウ」

「ん?」

「………」


 ロウの顔を正面から見つめたシンカの唇が僅かに動くものの、そこから音が零れ落ちることはなく、下唇を小さく噛みながら、シンカはゆっくりと頭を左右に振って返した。


「ごめんなさい、なんでもないの。いきましょ」

「……あぁ」


 二人は自分たちが取り付けた短冊の方に一度視線を向けると、そのまま一度も振り返ることなく、社から一歩づつ離れていった。

 来た道を進む足に迷いは無い。


 ただ前だけを見据えて踏み出したその足が向かうべき終着点は、きっと同じ場所のはずだから……だから、そこにある景色の中でこの想いを伝えよう。

 そう、シンカは思っていた。


 二人が居なくなった竹林。

 人影は無く、人の気配もやはり感じられない隔絶された世界。

 しかし、確かにこの場所にロウとシンカは訪れ、真摯な想いを残していた。

 この世界に縋る為ではなく、決意を示す為に。

 この世界に戻る為ではなく、前に進むために。


 闇の中で優しき光に照らし出された双連の切望は、風に撫でられ小さく揺れ動く。

 想いを重ね続けた先にあるものを手にするその為に、傷つき、血を流してでも彼らは進み続けることだろう。

 雌伏の時は終りを告げて、至福の時を迎える鐘の音を響かせる為に。


【いつかこの手が届きますように】


【この俺に、たった一度の勝利という敗北を】


 二人の背を見送る紅の華……それは曼珠沙華か、地獄の華か。






 ………………

 …………

 ……






 雲無き夜、夜空を流れる天河に散りばめられた星の輝き。


 ――否 


 暗雲立ちこめる空に輝く星は見えず、(てん)(かわ)は荒れ狂う。

 渡ることのできない川は、無情にも二人を引き合わせてはくれなかった。

 この日に降る雨を、催涙雨というのだそうだ。


 それはなんの皮肉だろうか……


 雨降る夜、地上を流れる血河に散りばめられた命の灯火。

 



 滅び逝く世界の中で、闇に墜ちた私は思う。


 貴方に出会えたことで、仲間の大切さを知りました。

 貴方に出会えたことで、たくさん笑顔が増えました。

 貴方に出会えたことで、幸せな時間を過ごせました。


 でも……


 貴方との出会いは、私に後悔を教えました。

 貴方との出会いは、私を涙脆くさせました。

 貴方との出会いは、私に絶望を与えました。

 

 貴方との出会いがあったから……

 貴方と出会ったしまったから……


 私が、貴方を……■してしまったから……



 絶望を前に、人は自ら死を望むことすらあるという。

 それは愚かなことだと思っていた。

 絶望の中でも、希望は生まれ落ちると信じていたから。

 

 しかし、襲い掛かる絶望はあまりにも深く――



 故に、報われぬ想いの中で、刹那の時に私は願う。

 最も願いの多き日に、心の底から私は願う。


(ねぇ……誰か……誰でもいいから……お願い……)


 この世に、本当の奇跡があるのなら……


 この世に、本当に英雄がいるのなら……

 

 この世に、本当の正義があるのなら……


(どうか私を……私を――――殺して)


 それは誰かが祈った……

 


 ――チリン



 紛れもない、救いを求める声だった。


 


 


 ………………

 …………

 ……




『アナタは私だけのもの……ふふっ』




 ……

 …………

 ………………






 目の前に広がっているのは、まさに幻想的な光景だった。


 舞うように散る花弁。

 ゆらゆらと、数え切れない桜色の花びらが中空を漂っている。

 いや、あるいは桜色をした雪か。

 蛍のような儚く淡い光を纏いながら、花弁の雪は空から舞い降りていた。

 それは別れを告げる桜雪。それは心が零した悲嘆の涙。


 ――チリン


 美しく響く鈴の音。

 一度だけ、隔てる物のない空間で静かに響く。

 そう、それは消え入りそうな儚い音色。

 桜雪の花弁に混じって聞こえる音色は、遥か彼方まで届くほどに澄んでいた。

 それは大切な人を見つける為の(しるべ)。それは心が求めた救いの声。

 

「――!」


 一人の少女が声にならない叫びを上げる。

 目の前で赤の泉に伏した男へと、必死にその手を伸ばしながら。

 何かを伝えたいのか、それともその人の名を呼んでいるのだろうか。

 ただわかること――

 それはその人を失ってしまう痛哭の愛憎。大切な人を失う恐怖と後悔。

 その想いが少女の悲痛な声となり、溜まった雫を地へと落とす。


「――――」


 何度声を上げようと、その音は届かない

 どれだけ手を伸ばそうと、その指先が届くことはない。

 わかっている。きっとこれは慈悲無き現実。それでも消えない音無き哀哭。

 決して届かぬ声、まだ触れられない冷たくなり逝く体。

 それでも少女は震える腕を前に出し、鈍い身体に鞭を打つ。

 少しでも近づこうと、少しでも傍にいようと、地を這い進んでいく。


「――――」


 後少しというところで、伏した顔が何かを言葉にしながら持ち上がった。

 その消え入りそうな儚い想いは、果たして少女の耳に届いたのだろうか。

 男は最後、柔らかく微笑んだ。

 その微笑みはとても優しくて、とても温かくて……とても、残酷だった。

 そしてその鼓動は遂には止まり――

 その手を掴もうと懸命に伸ばした少女の意識は、深き闇に落ちる。




 落花は縷縷へのプロローグ。


 此れはそう――運命に敗北した物語。


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