10_難攻不落の文官と、(脳内)婚約会見
『一生分を予約させてもらおうかな』
その一言から数日。ロッシのその言葉は、アンナの脳内で生涯契約として、すでに公証人役場の最高級羊皮紙に刻まれていた。
「ねえアンナ、最近あなた、お茶を淹れる時の手つきが……なんというか、新妻のそれよね」
給湯室で同僚のメイドが、アンナの熱心な茶葉のブレンド作業を見ながら苦笑する。
「今まではただの『恋する片想いメイド』だったのに、今のあんたからは『うちの人がいつもお世話になってます』っていう風格すら感じるわ」
「ふふ、よく分かったわね」
アンナは、もらった琥珀色のリボンを優しく撫でながら微笑んだ。
本人が「向き合う」と言ってくれたのだ。それはもう、アンナの頭の中では【交際ステータス:婚約中】へと自動変換されている。
(ああ、私がお茶を淹れる背中を、ロッシ様はどんな風に見つめてくださるかしら……!?)
湯気が立ち上る給湯室で、アンナの脳内妄想列車は、本日も定刻通りに発車した。
【妄想その⑲:全王宮が涙した、不器用な文官の婚約会見】
王宮の大ホールに集まった大勢の文官、近衛兵、そして国王陛下。
その中央で、ロッシ様が私の手をしっかりと握り、マイク(※魔導拡声器)を前に堂々と宣言するの。
『皆様、お騒がせして申し訳ありません。私はかつて、もう誰とも結婚しないと誓いました。しかし、このアンナさんの温かい愛が、私の頑なな呪いを解いてくれたのです。私は本日、彼女を生涯の伴侶として迎えることをここに誓います!』
パチパチと沸き起こる拍手! お父さんは悔し涙を流しながらハンカチを噛み締めていて、陛下は『うむ、認めよう!』と深く頷かれるのよ……!
「うふふ、陛下ったら太っ腹なんだから……」
「アンナ。お前、今度は陛下を妄想のダシにしてるのか。お前の父親として、国家反逆罪で取り締まるべきか真剣に悩むぞ」
「お、お父さん!?」
振り返ると、またしても気配を消して背後に立っていた父親(近衛兵・諦めかけ)が、冷ややかな目でアンナを見ていた。
「言っておくがな、ロッシの奴、仕事中にペンを持ったまま『アンナさんは、本当に私でいいのだろうか……』と、お前にもらったクッキーを見つめて黄昏れていたぞ。完全に調子が狂っている。お前、あまりあの真面目なオヤジを惑わすんじゃない」
「えっ……! 惑わされてるの!? ロッシ様が私のことで悩んでるの!?」
アンナの目は輝いた。それは「困らせて申し訳ない」ではなく、「私の愛が確実に効いている!」という、勝利への確信だった。
「失礼いたします、ロッシ様。本日分のハーブティーをお届けに参りました!」
勢いよくドアを開けたアンナに、ロッシはビクッと肩を揺らし、慌てて手元の書類に目を落とした。
「あ、ああ、アンナさん。いつも、ありがとう……。その、今日のハーブは何だい?」
「今日は『恋のスパイス』……ではなく、お疲れの胃を労るレモングラスをベースにしてみました!」
アンナがクスクスと笑いながらお茶を差し出すと、ロッシはついに諦めたようにペンを置き、眼鏡を外して深くため息をついた。
「アンナさん。本当に、君という人は……」
「はい、何でしょう?」
「君がそうやって、何事もなかったかのように笑顔で入ってくるたびに、私の心臓がどれだけひどい音を立てているか、君はちっとも分かっていないね」
「……え?」
ロッシは立ち上がり、ゆっくりとアンナに近づいてきた。
いつもならここでアンナの妄想が入るところだが、現実の彼の歩み寄りが早すぎて、妄想回路が追いつかない。
「君に『向き合う』と言ってから、私は毎日、自分の年齢や過去を数えてはため息をついている。……だがね、昨日、君のお父上から『娘を泣かせたら、文官の書類ごと叩き斬る』と、実質的な脅迫……いや、容認の言葉を貰ってしまってね」
「お、お父さんが……!?」
「ああ。だから、もう私に言い訳の余地はなくなったんだ」
ロッシは少し緊張した面持ちで、アンナの目の前で足を止めた。そして、かつて高熱を出し寝込んだ夜にアンナがしてくれたように、彼女の小さな手を、今度は自分の大きな手で、そっと包み込んだ。
「アンナさん。私と……まずは、王宮の庭園を一緒に歩く、散歩から始めてくれないだろうか。私のような不器用な男で良ければ……君の未来を、私に預けてほしい」
(――ひゃ、ひゃあぁぁぁ!!! 現実が、現実がとうとう私の妄想を追い抜いてきちゃったーーー!!!)
あまりの糖度の高さに、アンナの脳内は完全にパニックを起こした。しかし、彼女の不滅の妄想魂は、この究極の現実さえも燃料にして、ついに「未来のその先」へと爆発的なジャンプを見せた。
【妄想その⑳:お散歩から始まる、百年先までの溺愛ロード】
手を繋いで歩く王宮庭園の並木道で。
ロッシ様が私の耳元で『散歩の次はデート、その次は挙式、その次は……。もう君を離すつもりはないからね』って、大人の包容力で私を一生甘やかし続けるの。
白髪のおじいちゃんとおばあちゃんになっても、彼は私の淹れたちょっと薄いハーブティーを飲みながら、『ねえ、ロッシおじいちゃん、今日も大好きよ』『おや、アンナおばあちゃん、私もだよ』って、天国に行くまでずーっとイチャイチャし続けるのよぉぉぉ!!
「はいっ!!! 百年先までお供します、ロッシ様ーーー!!」
「うわあっ!? 急に大声で叫んで、握り返す手の力が父親並みに強いよアンナさん!?……でも、うん。その元気なところが、私は好きなのかもしれないな」
妄想は絶好調、現実は最高潮に到達した。
真っ赤な顔で叫ぶアンナを見て、ロッシはついに観念したように、心の底から嬉しそうな笑顔を見せる。
難攻不落だったはずの文官は、一途すぎるメイドの愛に、完全に捕らわれてしまったのだった。




