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第十七話 協力者

『アテン』


 そう書かれた白い小さなプレートが、ドアに提げられていた。


 妙に丸っこい文字で書かれており、それが微妙に腹立たしく感じられる。


「……………」


 フォルツは固まった表情でそれを見ていた。


「フォルツさん?入らないんですか?」


「入らねえよ!!!!」


 怪異から逃れて以来、マルクに引っ張られるまま付いてきたフォルツだったが、流石にここで足を止めた。


「キミ、アテンと同居してたのか!?連れ去られたのは知ってるが、正気じゃない!!あんな腐れ太陽と!!」


「く、腐れ太陽?」


 マルクが首を傾げた。


「そうだよ!前の前の前の、その前の夜会でだ!オレ様が何時間もかけてセットした髪型を『似合ってないナ』と切り捨てやがった!腐ってんだよ!あいつは!腐った太陽だ!」


「え、えっと……フォルツさん……」


 ヒートアップするフォルツの背後をマルクが、じっと見つめていた。


「なんだよ!まさかそこにいるって言うのかい!?いるんだったら今すぐあの太陽頭をガッと掴んで、サンサンサンサン鳴かせてや——」


 後頭部が高温を感じ取り、フォルツはギギギと後ろを振り返った。


「吾輩の頭は熱いからネ。掴むなら気を付けたまエ」


 目の前に太陽。


 じわり、額から汗が流れた。


 フォルツは言葉を止める。


 まるで真夏の日差しを至近距離で浴びているような熱量だった。


「それに、吾輩はサンサンとは鳴かないネ」


「は、はい」


「まあ、せっかくダ。少し休んでいくといイ。もてなすヨ」


 アテンは固まるフォルツの腰に手を添え、そのまま家の中へ招き入れた。


「マルク、君も来るんだヨ」


「あ、はい」


 マルクは二人を追うように、部屋の中へと入った。



 マルクとフォルツは机を挟み、向かい合って座っていた。


 マルクの隣にはアテンが腕を組んで腰掛けていた。


 三者面談みたいだな。


 そんな場違いな感想を抱きながら、フォルツはこほんと咳払いをした。


「マルク、さっきのはなんだ?」


「……さっきの?」


 マルクは心当たりが無いように首を傾げた。


「とぼけるな。なんかしただろ。あの化け物から逃げる時だ」


 フォルツが眉をひそめた。


 まるで意識ごと、深い奈落へ沈んでいくような感覚。


 自分という存在が溶けていくようだった。


——しかし、母の胸に抱かれているようでもあった。


 ぞわり、と背筋を寒気が駆け上がる。


 フォルツは目の前の少年を見つめた。


「あれは、キミの能力(ちから)か?」


 マルクは視線を落とした。


 膝の上で、自分の手を見つめる。


「……分かりません」


「分からない?」


 フォルツの目が細められる。


「はい……」


 部屋を沈黙が満たす。


 マルクは自分の胸元へそっと手を当てた。


「でも。心の奥で、多分こう思ったんです」



——みんな消えちゃえば、助かるかもって。



 全身の産毛が逆立った。


 フォルツは無意識に身を引いた。


 消えれば、助かる?


 馬鹿を言え、消えたら何も無い。


 それは死ぬのと変わらない。


「マルクの魂は空っぽダ」


 アテンが横から口を挟んだ。


 フォルツは腕を組み、黙って続きを促した。


「だが、その本質は少し違う。それは“無”さえ吸い込むほどの、完璧な“(きょ)”ダ」


 アテンが言い切った。


「……っ」


 フォルツの目が見開かれた。


 フォルツの脳裏に、あの時の感覚が蘇る。


 魂が剥がされたわけではない。


 消滅したわけでもない。


 ただ、自分という存在そのものが、どこまでも沈んでいった。


 魂を扱う者だからこそ分かる。


 あれは破壊ではない。


「そういうことか……」


「……フォルツさん?」


「キミはオレ様を、いや自分自身さえも、飲み込んだんだ。その空虚でね」


「……えっと」


 マルクは困ったように視線を泳がせた。


「キミの空っぽは、全てを飲み込む“虚”。その能力(きょ)で、我々の“存在のみ”を奪った。体や人格を、現世に置き去りにしたまま」


 マルクは首を傾げた。


 自分の話をされているはずなのに、どこか他人事のように聞こえた。


「オレ様たちは、あの場にいながら、“いないことに”された。あの瞬間、世界から切り離されてたんだ」


 言って、フォルツは改めてマルクを見つめた。


 底知れない恐怖が心を満たす。


 一歩間違えば、二度と帰ってくることはできなかっただろう。


 自分という輪郭さえ失ったまま、永遠へと沈み続けることになったはずだ。


 それに、あんな力をマルクだって無事で使えるはずがない。


 こうして何事もなく座っていること自体、本来なら奇跡に近かった。


 フォルツは目の前の少年を、改めて得体の知れないものを見るような目で見つめた。

 

 マルクは思う。


 フォルツは自分を恐れている。


 あの能力(ちから)はもう使うべきではないかもしれない。


 この依頼からも、手を引くべきかも知れない。


 だが。


 それでも。


 マルクは自分を知りたかった。


 そのためには——絶対にあの報酬が必要だ。


「アテン、頼みがあります」


「嫌だネ」


 アテンは窓の外を見ながら、面倒そうに言った。


「まだ何も言ってません!」


 マルクが机に両手をつき、声を荒げた。


「依頼に協力しろっていうんだロ?前に言ったロ、吾輩は君の保護者でも友達でもなイ。君の遊びに付き合ってる暇はないんだヨ」


「こ、これは遊びじゃ——」


「“アレ”に近付くべきじゃなイ」


 アテンは一瞬だけ、何かを思い出すように目を細めた。


「それに」


 アテンはそこでようやく、マルクの目を見つめた。


「キミは今のままでいイ」


「……っ」


 それは慰めの言葉ではない。


 マルクには、前へ進むなと言われたように聞こえた。


 アテンは立ち上がり、部屋から出ていった。

 

 マルクは俯いたまま、奥歯を強く噛み締めた。


 部屋に沈黙が落ちる。


 ふと、マルクが顔を上げた。


「…………フォルツさん」


「オレ様もパスだな」


 フォルツの言葉に、マルクの顔に絶望が浮かんだ。


「アテンと一緒だ。キミを手伝う義理がない」


 フォルツは肩を竦める。


「それにあの化け物は危険すぎる。一言で言うなら“異質”だ」


「異質……?」


「ああ。都市の霧の正体、それは、その土地に残る情報、記憶、古代文明の傷跡、様々なものを質量として現世に呼び起こす装置だ」


 まあ諸説あるが、とフォルツは続ける。


「死んだ人間の怨念や執念が現界する、まあ、それは珍しくもない。ただ、あれは違う」


「違う、というのは?」


「あれは元々質量をもった存在が、霧の力で変質したものだ。無理やり質量を持たされたハリボテとは違う」


「どういうことでしょうか……?」


 マルクの頭はパンク寸前だ。


 フォルツは机を指先で軽く叩き、告げる。




「あれは生きた人間——そう言っているんだ」




「……………………え?」


 マルクが唖然としたように動きを止めた。


「だから厄介なんだ」


 フォルツは顔をしかめた。


「あれには魂がある。しかも霧に侵され、醜く、極限まで膨れ上がった魂だ。人間が太刀打ちできる相手じゃない」


 フォルツは低く呟いた。


「——だからオレ様もパス。割に合わない」


 その言葉に、マルクは唇を噛んだ。


 サンダーを圧倒し、尚も余裕を見せていたフォルツに、こうも言わせる怪物だ。


 自分ひとりでは、太刀打ちできるはずもない。


「じゃあ、オレ様はこれで失礼する」


 マルクの顔を一瞥し、フォルツは立ち上がった。


 靴音が遠ざかる。


「フォルツさん!!」


 まずい。


 このまま行かせたら終わりだ。


 きっと、もうチャンスは訪れない。


 自分は一生、自分に辿り着けないのではないか。


 そんな恐れがマルクを支配する。


 考えろ。


 考えろ。


 考えろ。


 一言。


 一言でいい。


 一歩。また一歩。


 靴音が出口へと向かっていく。


 必要なのは。


 フォルツを引き止める一言。


 フォルツが望む一言。


 ——フォルツが望まない一言。


 瞬間。


 ひとつの映像が、マルクの頭の中を流れた。


 【(ふち)】の発動により、自分(マルク)の中へとゆっくりと沈んでいくフォルツの姿。


 その時の、フォルツの考え、想い(かんじょう)


 マルクは自然と口を開いていた。



「フォルツ、お前、自分が嫌いなんじゃないか?」



「………………は?」

 

 フォルツの足が止まった。


「今、なんて言った?」


 振り向き、表情のない顔でマルクを見た。


 マルクは立ち上がった。


「違う?」


「…………」


 フォルツは答えない。


 ただ、マルクを見ていた。


 怒っているわけではない。


 だが、その沈黙は怒声よりも重かった。


「気に入らないな」


 ぽつり、フォルツが呟いた。


 コツ。


 フォルツが一歩、前へ出た。


 コツ。


 さらに一歩。


 ゆっくりと、マルクとの距離を詰めていく。


「見透かしたような、嫌な目だ」


 足が止まる。


 互いの表情がはっきり見える距離だった。

 

「…………」


 フォルツの目が、値踏みするように細められる。


 そんなフォルツを、マルクも真っ直ぐな瞳で見つめ返した。


 数秒。


 いや、それよりも長かったかもしれない。


 フォルツは小さく息を吐いた。


「……なるほどな」


「?」


「いや」


「………………いいだろう」


 沈黙を破るようにフォルツは呟いた。





「協力してやろう」


「っ!!じゃあ——」

 

「その代わり」


 フォルツがマルクの襟を掴み、額を突き合わせる。



「二度とオレ様を“覗く”な」


 その瞳には、何も映っていなかった。


 瞬間、マルクが全身の力が抜けたように、地面へとへたり込む。


「よかった〜!」


 フォルツがぽかんと口を開けた。


「協力してくれなかったら、どうしようかと思いました」

 

 ありがとう、フォルツさん。


 そう言ってマルクが笑った。


 ついさっきまでの緊張感など、微塵も感じられない。


 本当に、よく分からない奴だ。


 やがて、フォルツははぁと深いため息を吐いた。


「もうフォルツでいい」


 フォルツは頭の後ろを掻きながら、吐き捨てるように言った。


 マルクが顔を綻ばせる。


「え!じゃあ“お前”もいい?フォルツ!」


「“お前は”なしだぁ!!」


 フォルツの叫び声が部屋に反響した。




——フォルツは考える。


 自分は、この少年から大きなものを得るだろう。

 

 直感だった。


 “それ”が何かは分からない。


 確証もない。


 だが、それはきっと、鮮烈なものだ。

 

 この“大嫌い”な自分を殺してくれるほどの


 破壊的なものだ。

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