精霊の森、封印6
『カナ! カナ! 大丈夫……?』
シルヴィアの声が聞こえる。
「……大丈夫じゃ……ない、かも……うっ」
言葉を紡ぐ途中、胸の奥で何かがぎり、と音を立てるような痛みが走る。
呼吸が浅くなり、身体中の関節が同時に悲鳴を上げるような軋みが、全身を駆け巡った。
ナイアリスが鋭い眼差しでこちらを見つめる。
『……急いで地上へ戻ろう』
その声には、切迫感がにじんでいた。
泉の中を戻る道のりは、往きよりもはるかに長く感じられた。
視界は揺れ、冷や汗が首筋を伝い、足を踏み出すたびに身体が重く沈む。
それでもカナは、唇をきゅっと噛みしめ、一歩ずつ進んだ。
やっとのことで地上に戻る。
『カナ……』
シルヴィアの表情は、心配を隠そうとすらしない。
「……大丈夫、シルヴィア……。
ナイアリスも……本当にありがとう。
森が元に戻って……よかった……。
また……会おうね……」
息が途切れ途切れになる。
シルヴィアとナイアリスに、深く頭を下げ、何とか感謝と別れを告げる。
そして、足元を確かめながら、レイナルトとエリアスの待つ場所へと歩き出した。
一歩ごとに視界の端が暗く揺らぐが、それでもその足は止まらなかった。
*
森の奥から、小さな人影がゆっくりと姿を現した。
レイナルトの胸がぎゅっと締めつけられる。
その歩みは確かにカナのものだが、肩は揺れ、足取りは危うい。
エリアスもまた、無意識に息を止めていた。
カナの顔がはっきりと見えた瞬間、彼の胸の中の冷たい石のような不安が、音もなく崩れ落ちる。
「カナ!」
レイナルトはためらいもなく駆け寄った。
その腕が届く寸前、カナはふらりと身体を傾けながら、胸に抱えていた杖を差し出した。
「……レイ、ナルト、様……。
靄の浄化だけ……じゃなくて。杖のおかげで……歪みの浄化も……できました……」
そしてカナはエリアスを見る。
「もう、この森は……人々は……大丈夫、です」
その声はかすかで、吐息のように消えていく。
次の瞬間、カナの身体から力が抜け、レイナルトの胸に沈み込んだ。
彼女の頭から、花冠がこぼれ落ちた。
「カナ! カナ……っ!」
必死にその名を呼び、腕の中の温もりを確かめるように抱きしめる。
その声には、安堵と恐怖と、どうしようもない焦りが入り混じっていた。
エリアスは隣で言葉を失った。
目の前の光景が信じられなかった。
カナの閉じた瞳と、レイナルトの震える背中が、胸に重く沈み込んでいく。
*
レイナルトが必死に名を呼び続けるすぐそばで、エリアスは立ち尽くし、その光景を見つめていた。
安堵の直後に押し寄せる、言いようのない不安。
その胸の奥深くに、ふいに冷たい波が押し寄せた。
『聞こえるか、水の精霊の祝福を持つ者よ』
魂の底に響くような声。
その瞬間、エリアスの全身が硬直する。
「……水の精霊……」
かすれた声が、唇から零れ落ちる。
『我は水の精霊王、ナイアリス。お前に声を届ける』
澄み切った響きの奥に、深い憂いが宿っていた。
『カナは闇の刃に胸を貫かれた。彼女の思念は、今この場には無い。
彼女が戻りたいと願わぬ限り……カナは目を覚ますことはない』
その言葉が胸に沈み込むと同時に、エリアスの息が詰まる。
氷の手で心臓を握られたかのように、全身から血の気が引いていく。
傍らで、必死に抱きしめるレイナルトの声が遠のき、世界が水底のように歪んで見えた。
「……そんな……」
エリアスは、言葉にならない声を漏らした。
喉が焼けるように熱いのに、吐く息は冷たく震えている。
(――どうか、お願いだ。教えてくれ!
どうすれば……どうすればカナは戻れる?)
祈りにも似た叫びを、魂に向けて必死に問いかける。
『……彼女の思念が迷う場所に、呼び戻す声を届けるのだ。
ただし……呼ぶだけでは足りぬ。
彼女が生きる理由を、心の底から思い出させねばならぬ』
ナイアリスの声が心に響く。
『だが、急げ。
その場所は闇の深淵。長く留まれば、二度と戻れぬ』
「……わかった。絶対に……必ず呼び戻す」
エリアスの瞳に迷いはなかった。
隣では、なおもカナの名を呼び続けるレイナルトの声が、必死なまでに響いていた。




