ティオの眠り
カナは、ふと気づいた。
――ティオの姿が見えない。
村に着いた時から、ずっと胸を騒がせていた何かが、ようやく輪郭を持ったように思えた。
彼女は辺りを見回し、マリナに声をかけた。
「マリナさん、ティオは……?」
マリナははっとしてカナを見つめ、それから唇を震わせた。
「……ティオは、ずっと……眠ったままなの……」
ぽろり、と涙がひとしずく、マリナの頬を伝った。
「最初に眠ってしまったのが、ティオだったの。
あの日から、ずっと目を覚まさないのよ……どんなに名前を呼んでも……!」
マリナは声を震わせながら、懸命に涙を拭った。
カナの胸が、ぎゅっと締めつけられる。
こみ上げる不安と焦りが、じりじりと内側を焼いていく。
ティオは、村長夫妻の孫だった。
いつもカナの後をついて回り、毎朝「おはよう!」と呼びに来てくれる、
無邪気で、元気で、優しい心を持った子。
風の精霊の話をした時の、あのキラキラした目が焼き付いている。
「……エダンさん、マリナさん……。
ティオに、会うことはできますか……?」
マリナははっと息を呑む。
目を潤ませたまま、こくんと頷き、ゆっくりと立ち上がった。
扉が開かれると、そこには静かな眠りにつく少年――ティオがいた。
外の光をやわらかく受け止めるようなベッドに、ティオが安らかな表情で横たわっている。
まるで眠る人形のように美しく、けれどどこか現実感を欠いていた。
「ティオ……」
そっとベッドのそばに近づいたカナは、目を閉じた彼の顔を見つめる。
まつげの影、かすかな呼吸、微かに動く胸元。
けれど――
(……違う)
うまく言葉にはできなかった。けれど、確かに感じた。
彼の魂に、何か“異質なもの”が混ざっている──そんな印象があった。
(……変だ。ティオなのに、ティオじゃない気がする……)
どこか遠くて冷たい、黒い影のようなものが、ティオの内側に絡まっているような──そんな不気味な感覚だった。
(……これ……何?)
カナは思わず眉をひそめ、胸の奥がざわつくのを感じた。
魂がかすかに軋むような、拒絶と不安の混じった感覚。
「……何か感じたのか?」
傍らのエリアスが、低く問いかける。
その声に、カナは小さく頷いた。
「わからない……でも……ティオの中に、何か――違うものがいるみたい」
カナは拳を握りしめ、エダンとマリナに振り返る。
「……わたし、行きます。精霊の森へ」
その言葉に、マリナの顔が強張る。
「ダメよ! 危ないわ!
森に入ったら、あなたまで眠ってしまうかもしれないのよ!」
「……それでも行く。
……精霊たちの声を聞かなきゃいけない。
ティオを、村の皆をこのままにはできない」
カナは穏やかな声で告げたが、その瞳は真っ直ぐに前を見据えていた。
「お願い……カナまで……そんな……!」
マリナは震える唇を噛みしめ、涙をこぼしながらも首を振った。
けれどカナの決意は揺るがなかった。
そのとき、背後から静かな声が響く。
「わかった。俺も行こう」
カナが驚いて振り向くと、エリアスは静かに頷いた。
「ひとりでは危険すぎる。
精霊の森が何かに侵されているのなら、必ず君を守る。それが俺の役目だ」
そこには、真っ直ぐにカナを見つめる、エリアスの姿があった。
その瞳に、揺るぎない意思が宿っていた。




