第9話:動機
──7月27日:朝──
7月も終盤に入り、いよいよ夏休みらしくなって来た。
この日も文芸部の活動日で、いつものように虫を集めた僕は、テレビを見ながらトーストを食べていた。
『今日の天気です。
......今朝は県内全域で、雲の少ない青空が広がっています。
......ただ午後から雨が降るので、傘を忘れずに持ってお出かけください。
......降水確率は───』
「2時から雨......傘はいっか」
僕は皿を洗い、カバンを持つ。
授業があるわけでも無いので、カバンの中身は、夏休み最初の部活の日からほとんど変わっていない。
平日より薄いカバンを自転車の前かごへ放り込む。
一応鍵を閉め、駅へ向かった。
空には、雲ひとつなかった。
──部室:10時過ぎ──
あいも変わらず晴天で。
やかましく蝉が鳴きわめいていた。
そんな普通の雰囲気だった部室で突然。
「お前らって、なんでここの高校に決めたんだ?」
紡がこんなことを文芸部員に聞いた。
なぜ聞いたのかがまるで分からず。
僕たちはしばらく黙った後、
「「「え?」」」
と、口を揃えて言った。
説明を要約すると。
紡が今書いてるのは、中学生が主人公の学園系だそうで。
登場人物の高校受験の動機を書くのに、リアリティが欲しいらしい。
そんなとこ気にしなくていいと思うが。
で。
「周りの人の動機を丸パクリしたい、と?」
「イエス」
動機はわかった。
空原さんは、
「えー、大した理由じゃないよ〜」
と前置きして、言った。
「大学受験に良さそうだったから、だよ」
それが大した理由じゃないなら、僕の意見はどうなるんだ!?
「建前はわかった。本音は?」
「かなちゃんの受かれそうにない高校で、普通科で、かつ近い高校だったからよ」
そんなに離れたかったのか......。
でも建前でよかった。
「私は、近くて、レベルが高すぎなかったから、かな」
「身も蓋もねえな」
そんな理由だったのか。
まあ僕は.........人のことは言えないな。
「荘司は?」
「え、あー」
どう言ったもんかな。
少し悩んだ末、僕は、
「近かったからだな」
と、比較的安全な答えを出した。
「お前らつまんねーな」
紡が苦笑いしながら言う。
まあでもしょうがないだろう。
この高校の偏差値は、中の上。
私立ではなく公立で、普通科の高校。
周囲にあるのは、工業高校と大学付属の秀才高校、それから私立がいくつかと偏差値最底辺の県立高校。
ここは、一番当たり障りのない高校なのだ。
そこに通っている人に理由を聞いても、大概は深い理由なんてないだろう。
ふと。
「そろそろか?」
時計を見た紡が言った。
「いつも通りなら」
そう言った空原さんの顔が曇る。
そして数秒後。
「こんちわー!」
川百合さんが、まるで部員のように違和感なく入室してきた。
初めてここに彼女がきてからまだ1週間程度だが、随分と馴染んだもんだ。
そして彼女は、当然のように空原さんの真横を陣取った。いや、誰も座ってないから良いんだけども。
「「.........」」
空原さんと紡の間に流れる、微妙な沈黙。
それを破ったのは、久美だった。
久美が小声で、紡に聞く。
「ねえ、川百合さんには聞かないの?」
「正直答えは読めてるし」
「十中八九私を追ってきてるわ...」
「.........なんか、ごめん」
地雷だった......。
この空気を知ってか知らずか、川百合さんは、ニコニコと紡と空原さんを見ている。
当初よりは、彼女の視線が一点集中じゃなくなったと思う。
最近は視線が、紡に向いてることも多いと思うし、ましになったと言えるのだろう。
僕は沈黙から逃げるため、キーボードに手を滑らせた。
横目で見ると、紡も描き始めたようだ。
空原さんは、閉じていた文庫本を開き、読み始めた。
久美は───川百合さんと目があったらしい。
「ぁ......えっと、その」
目をそらすのも気まずかったのか、会話をしようと口を開いた。
「か、川百合さんはさ、なんでここの高校に入学した?」
動揺して、僕と紡はキーボードを打つ手を止め、空原さんは手を滑らせ、本を落とした。
なぜそこで、1度スルーした地雷を回収する!?
久美本人も、「やっちまった......」って顔をしている。
空原さんは、本を読み始めた。どうやら平静を取り戻し......てないな。本上下逆だ。
「私がここに来た理由?」
「う、うん」
「梨乃がいるからよ!」
言った。
何か建前を立てるでもなく。
本人の前で、包み隠さず。
......ここまでくるともはや清々しいな。
空原さんは、また本を落とした。
「本傷つくぞ?」
「......気をつける」
こう言うことがあると、疲れるのは当然だ。
僕は空原さんに、
「お疲れ様です」
と小声で伝える。
彼女は、
「同情はいらないから、かなちゃんをなんとかして......」
と、ジトっとした目で行って来たが、それは僕には無理だと思う。
そして、30分後。
「私、そろそろ行くねっ」
そう言って、川百合さんはカバンを手に立ち上がった。
「もうか?珍しいな」
いっつも最後までいるのに。
「今日昼前から雨でしょ?私傘忘れたから」
そう言って、手をひらひらさせた。
「じゃーね!」
「もう来なくていいわよ」
「梨乃、なんか言った〜?」
「......いや、なんでも」
空原さんが折れた。
思うに、ここで押し切れないから状況が変わらないんだと思うけど、それはさておき。
「え?雨って2時からじゃねーの?」
僕が聞くと、
「私もそう聞いたわ」
「私も」
2人から賛同があった。
紡は、暫く考えたが、
「そういや俺天気予報見忘れてた」
と言って、パソコンに向かい、マウスを持った。
「ちょっと調べるな」
そうだ、僕たちには文明の利器があるじゃないか。
任せた、と言おうとしたとき、久美が紡の肩に手をおいた。
「パソコンの活動目的以外の使用は禁止よ?」
そういやそんなルールもあったな。
「さすが部長。頭が硬い」
紡が言って、インターネットを開く。
「ちょっ......」
「まあ待とうよくーちゃん」
意外にも、これを止めたのは紡ではなく空原さんだった。
「ちょっと梨乃ちゃん......?」
空原さんは、久美を引っ張って廊下に出て行った。
「空原さんどうしたんだろ」
「さーね」
紡はさして気にしている様子もなく、某天気予報サイトにアクセスした。
──
───
──
私は、梨乃ちゃんに廊下に連れてかれた。
「どうしたのよ?」
「落ち着いて考えてみよ?」
「え?」
梨乃ちゃんは、部室内には聞こえないような小声で聞く。
「傘持って来てるの?」
「持って来てないけど」
「じゃあ聞いた方が得するでしょ?濡れないで済むかもしれないし」
こんなことを言うために、梨乃ちゃんは廊下へ出たのだろうか?
そんなことはないと思いたい。
だけど、こんなことをしてまで、果たしてロクなことを言うだろうか?
不安だ。
「実際、くーちゃんはさ」
梨乃ちゃんは、私の正面に回り込み、真面目な顔に戻った。
「麻山くんのこと、好きだよね?」
「ふぇぇッ!??」
......変な声が出た。
「な......き......い......!?」
「なんで気づいたの、いつから、って言いたいの?」
ブンブンと頷く。
梨乃ちゃんはクスリと笑った。
「むしろ気づかないと思ったの?」
「.........」
頷く。
梨乃ちゃんはため息をつき、教えてくれた。
「気づいたのは6月かな。くーちゃんは視線がいっつも、麻山くんのこと追っかけてるんだよ?」
無意識だった。
これは、頑張って隠さないと紡にもバレるかもしれない。
というかもうバレてるかもしれない。
「紡は、気づいてるの?」
「多分気づいてないよ」
「よかったー」
安堵した。
「い、言わないでよ?」
「そこまで野暮なことはしないよ」
さらに安堵した。
「......で、話戻すけど、それとネットを許可することがどうつながるのよ?」
「ああ、そうだった」
そう言って、ビシッと、私を指差した。
「相合傘、したくない?」
「.........はっ?」
「わー、顔真っ赤〜」
「う、うるさい!」
叩こうと手を振り下ろしたが、ゆらっと避けられた。
「もし雨だったら、傘貸したげる」
「え、いいの?」
「だって私、自転車だし。
どう?これでも天気予報を見ない?」
「............」
部室内に戻る。
「許可するわ」
「あざーっす!」
「え、マジで?」
荘司が、予想外なものを見た顔をしているが、そんなの気にしている場合ではない。
私たちは紡の後ろに回り、画面を覗き込む。
もうすでにサイトに入っていて、今、地域を絞り込んでいるところだった。
4人が、期待(私は、昼前から降ることに、他の3人は、きっと午後から降ることに)をかけて、天気を見る。
結果は───。
「2時からか」
紡がつぶやくと同時に、私と荘司が息をつく。
言うまでもなく、私は安堵ではなく落胆の気持ちで、だ。
でも冷静に考えたら、相合傘する勇気は私にないし、雨が降ったら困っていただろう。
そう考えると。
「よかった、午後からで」
私は、そう思えた。
──
───
──
天気騒ぎから数分後。
女子2人が、何かの用事で部屋から出た。
僕と紡は、キーボードに指を走らせていた。
今日は珍しく、順調に文章ができていた。
しばらくすると、部室内に上がっていた2つのキーボード音のうち、1つが消えた。
紡の手が止まったようだ。
何の気なしにそちらを見ると、紡と目があった。
すぐに目を離し、画面を見る。
今のところ、多分誤字はない。
「なあ、荘司」
「どうし...」
顔を上げると、紡は、少しニヤニヤしていた。
「......どうしたんだよ、気持ち悪い」
「酷くない?」
おっと、思っただけのつもりが口から出たようだ。
気をつけなくてもいいや。
「で、どうした?」
僕が聞くと、紡は「ああそうだった」と前置きし、言った。
「さっきの、建前だよな?」
「さっきのって?」
「高校決めた動機」
少なからず驚いた。
僕は確かに、建前を言った。
というのも、本音が人に言えるようなものではないからだ。
かと言って、ここで黙ったままだと、肯定の意になるだろう。
ここはひとつ、嘘をつくことにしようか。
「本音だよ」
「お前って、嘘つくの下手だよな」
「......え、そんなに?」
速攻でバレた。
「本当に本音だったらすぐ否定するだろ」
意識してなかったが、少し考えたのがよくなかったらしい。
「で、本音は?」
「言わねえよ」
今度はすぐに言えた。
なるほど、これが本音と建前の違いか、なんて思っていると、紡は、少し考え、口を開いた。
──今なら、何を言われても自然体で入れる気がする。
なんて思ってたら。
「実際、栢山さんのこと好きなんだろ?」
「なっ───!??」
それは、あまりにも唐突で、予想外だった。
「うん、ほんと分かり易いわお前」
僕はもう、黙るしかなかった。
沈黙が、続いた。
沈黙とは言っても、目はそらしてない。
だから、実際には1分もなかったかもしれないが、僕には、5分にも10分にも感じられた。
「まあ、そこまで言いたくないなら言わなくていいや」
折れたのは、紡だった。
た、助かった。
ちなみに。
僕がこの高校を選んだ理由は、とても単純だ。
久美が、ここにすると言っていたから。
たったそれだけ。
自分でもわかる。単純すぎる。
冷やかされることは間違いないだろう。
だから、できれば言いたくない。
下校中。
張り紙を見た。
先週に貼られた、花火大会のポスター。
なんとなく流し目で見てみると、日時が目に入った。
───7月27日。
「って今日じゃねーか」
「突然何よ?」
少し先を歩いていた久美が振り向く。
──もしかしなくてもこれは、誘うチャンスでは?
そうだ。そうに決まってる。
よし、今から誘うぞ。
「なんでもないよ」
「?そ。ならいっか」
あ。言えん、これ。