箒の魔女迎撃戦⑤ -vs壌土の魔女-
「な、なんだ!? 貴様、どこから……!」
――驚く魔術師の言葉尻を聞くよりも早く、その喉元にナイフを突き刺し、すぐ横にいた魔術師の首筋を払うと、噴き上げた血が、瞬く間に数的不利を埋める。
首を掻き切れば、詠唱文による呪文の起動は不可能になり、闇夜からの奇襲、突然の血飛沫が生む恐怖が、その畏れが近江を不敵に、一回りも二回りも強く見せるのだ。
――そんな光景に呑まれた一人を捨て置き、すでに詠唱を始めていたもう一方の魔術師が唱え終わるよりも早く、長柄のナイフで、そのローブの右肩を切り裂く。
――魔術師たちがどこに魔法陣を仕込んでいるのか。
捕虜から得たその情報はここに至るまで、倒れていた魔術師たちの屍を改めることで、確信へと変わっていた。敵のローブ、その右肩に描かれた複雑な円形魔法陣こそが、奴らの"炎幕"の魔法陣なのだと。
――魔法陣の端を断ち切ると、精緻な情報の集まりである魔法陣に歪みが生じ、輝き出していた紋様は光を失い"不発"に終わる。
そして魔法さえ無ければ、魔術師などは小鹿よりも脆い。
手立てを失い、背中を見せた魔術師に掴みかかってそのまま組み敷き、首筋目掛けて振り下ろしたナイフ。――その一撃が、凸状に隆起した土くれにはじき飛ばされた。
――まるで魔術師を守るかのように隆起した大地、ひび割れた地面からは“淡い緑光”が漏れ出し、暗闇から現れた“その魔法の主”は他の魔術師たちとは明らかに違う。
斜めにずれた三角帽と、引きずるほどのフレアスカートを穿いた、肩で息する一人の少女だった。
「な、なにごとですか? 何者ですか!」
――そんな少女への返答代わりに放ったナイフは、再び彼女を守るように、隆起した土くれに防がれ、はじき返される。
「……なるほど、お前が想定外の魔女か」
「て、敵ですか……? ということはあなたが皆さんを、仲間を殺した敵……!」
「……まぁ、そこらの魔術師は俺が殺ったけどな。他は殺しちゃいない、“殺させた”んだ。この市街地で死んだ魔術師どもは、すべて俺の命令だよ」
――わざと挑発するような近江の言葉に、魔女ジムノペディは言葉にならないほどの怒りを滾らせ、杖を地面に突き立てる――と、地盤が揺らぎ、近江の足元はアリ地獄のように崩れ出した。
不意の流砂に片足を取られ、引きずりこまれる体。魔女が再び杖をつくと――続けざま押し寄せた高波のような土流に、近江は間一髪で足を引き抜き、そのまま暗闇の中へ、逃げるように距離をとった。
「……逃げた? これだけ仲間を殺しておいて、逃がすはずがないでしょう!」
猛る魔女の声を耳に入れながら、近江は冷静に、魔女を絡めとる策を考えていた。
――まだ幼いとは言え、やはり魔女は別格だ。
用意した魔法陣を"使う"だけの魔術師とは異なり、魔女はその場その場で魔法を生み出し、あまねく種類の魔法陣を“創り出す”。
――そして厄介なのは、魔法の“種類”だけではないのだ。
落星の魔女は、空に魔法陣を描いたという。
それはすなわち、トロイメライの魔法陣は“手出しできない場所”にあるということ。
同様に目の前の小さな魔女は、ゴウレムを呼び出した時も今も、その杖を地面に突き刺し、分厚いアスファルトの下に、“大地に”魔法陣を描き出していた。
――つまり、先の魔術師のローブを引き裂いたように、簡単に魔法陣を壊すことは出来ない。
とは言え、あの魔法をどうにかしなければ、こちらの攻撃は隆起する土の盾に防がれてしまうのだから、真正面から挑んだところで勝ち目は無い。
――ならばこのまま市街地へと誘いこみ、闇に紛れて不意を突ければ……と、近江がそう考えた矢先、大地がうごめき、次第に大きくなる振動がすぐにその場に立っていられないほどの“地震”となって街を揺るがす。
――二足歩行もできないほどの激しい横揺れ。
四つん這いに両手を付かされ、ビルのガラスが割れ、街路樹が倒れ、元から半壊していた街全体を崩しつくすような大地震は、これも“魔法”だというならあまりに滅茶苦茶だ。
『逃がしませんよ敵の長。あなたはここで、みなさんの力で討ち果たすのですから』
――骨の髄に響くような魔女の言葉は“声”ではなく、おそらくこの“振動”に乗せて言葉を伝達しているのだろう。
――だからその言葉は、周囲一帯すべての人間に届いていたのだ。
――突如、明るく照らされる周囲。
灯った“炎”は街の各所でかろうじて生きていた魔術師たちによるもので、五体不満足な彼らの炎は弱弱しく、されど近江の姿を照らし出すには十分だった。
――再び近江の足元が流砂となって崩れ出し、今度は抜け出すよりも早く、その両足が砂に呑み込まれる。
身をよじるほど深みにはまり、脱け出せない近江の前に現れたのは、肩で息するジムノペディの姿。
「……見つけましたよ敵の長。追いかけっこはもうお終い、あなたの命も、ここでお終いです!」
――詠唱とともに魔女が突き立てた大杖、浮かび上がった巨大な魔法陣――次の瞬間、その魔法陣は、魔女の足元で炸裂した、巨大な爆発の中にのみこまれた。
――爆発の正体は起爆式の“地雷”。
それは近江が街中に仕込んだ罠の一つであり、人間はおろか戦車すらバラバラに引き千切る威力をもった、魔女に対抗しうる切り札の一つ。
近江はこの一撃のために危険を冒して魔女を誘い込み、魔女が勝利を確信し、油断したその瞬間を突いたはずだったのだが――爆煙の向こう、煙の奥に見えてきたのは、五体健在でその場にたたずむ魔女の姿だった。
足下直下で地雷の直撃を受けたはずなのに、その衝撃は下半身を“殻”のように覆った土の盾によって無効化され、ほとんどダメージがない。
――もはや化け物じみているとしか言いようがないが、唯一、魔女の左腕には、流石の土盾も地雷から身を守るので精一杯だったのか、起爆と同時に投擲した一本の“ナイフ”が突き刺さっていた。