箒の魔女迎撃戦⑥ -vs壌土の魔女-
「……これだけやってナイフ一本とは。まったく反則級だな、魔女の魔法は」
「……よ、余裕ぶった物言いですね、たかがこんなかすり傷一つで、わたしに勝ったつもりですか?」
「まぁな」
魔女の左腕から、突き刺さるナイフが力任せに引き抜かれると、傷痕から血がこぼれ、魔女の顔はいびつに歪んだ。
――途端、魔女は抑え切れない声を漏らす。
こらえてひどく歪んだ顔はすぐに“紅潮”し、啜りきれない唾液が伝う、小さく体を震わせながら、ジムノペディはぶらぶらと振り子のようにぶらつく腕を抑えた。
「……な、なんだコレ……わたしに、何を」
「どうだ? 痛みは無いが、俺のナイフは“気持ちいい”だろ?」
ジムノペディはぐちゃぐちゃになりそうな思考に抗いながら、必死で今を把握しようとする。
今この時、自分がなにをされたのか。なのに自分は、何を感じているのか。
痛みはない。怒りも湧かない。荒く切れる息は、むしろ“興奮”からきている。
すべてがあべこべだ。
痛みは悦びに、怒気は愉悦に差し替えられて――気持ちいい。
左腕の傷痕に軽く触れるだけで、頭にはパチパチと甘い電流がハジけ、意識は白く、飛んでしまいそうになるから、魔女ジムノペディは怒りを忘れないために声を荒げた。
「……だから! わたしに何をしたのかって聞いてるんですよ!」
「“異能”だよ。俺の異能は、“痛みを快楽に変える”。だからお前の、悲鳴を上げて泣き叫ぶ痛みは、嗚咽混じりに悶える快楽に変わったんだ」
「そ、そんな馬鹿なことが……」
「あるんだよ。……だから俺はただ、お前にナイフを突き刺しただけだ。こんな風にな」
言葉と同時に投擲されるナイフ。
――真正面からの、何の工夫も無い攻撃だ。
それまで通りであれば、隆起する土の盾に弾かれるはずだったそのナイフは、そのままトンと、呆気なく魔女の右腕に突き刺さった。
――衝撃に数瞬、
ひきつる声に、魔女の体を突き抜けたのは痛みではなく、声も抑えきれぬような悦び。
たった一本の、刀身の半分ほどが突き刺さったナイフによって、彼女の頭はショートしかけた。
「っこっ!! ……こんな、どうして? 土の盾が、わたしの魔法が発動しないなんて」
「“発動しない”んじゃない、そもそもお前が“発動させなかった”んだ。……一度俺の異能を味わえば、心のどこかで俺からの痛みを、その気持ちよさを望んじまうから、こうもあっさり攻撃が通る」
――続けざま、右脚へと投擲されたナイフが魔女の太ももへと突き立つと。喉がしびれる程の快感に、魔女は身を震わせ、崩れるようにその場に倒れた。
――両腕片足、傷痕から流れる血は、確実に死へと近づいているというのに。
この痛みが、この快感が引くまでは、体のドコにも力を込められそうになく、トびそうになる意識を押さえ込むだけで、真っ白に波打つ甘い電流をこらえるだけで、ジムノペディは口を閉じることも、痙攣する体を抑えることも出来なかった。
「……な、なんなんですかぁ、これは」
情けなくて、きもちよくて、頭が真っ白で、意識も漏れ出てしまいそうなこの状況を、ジムノペディはただ否定し続けるしかなかった。
「……強大な魔法をもっていようが、使わないなら意味は無いってことだ。……悪いが、まだ本命が残ってるんでな。小さな魔女、お前はこれで終わりにさせてもらう」
――突っ伏すジムノペディの頭頂目掛けて、投擲されるナイフ。
すでに視線を向ける余裕もない魔女に、そのナイフが到達する寸前――突然の暴突風がそのナイフを横殴りに吹き飛ばした。
――ナイフだけではない、あまりに強烈な突風は、流砂に埋まった近江の体すら、落ち葉のように吹き飛ばした。
落下の衝撃を二転三転ころがって、どうにか受け身を取った近江が見たもの。
それは中空に描かれた魔法陣とその隣、大樹の杖に腰掛け宙に浮く、“大人びた魔女”の姿。
「……こんな事態になるのなら、最初からこのわたしが出ればよかったのかしら」
囁くような中空の魔女の言葉に、倒れ伏していた少女の魔女、ジムノペディも視線を上げる。
「……と、トロイメライ様?」
「ジムノペディ……惚けた顔をしていないで、わたしがあの男を殺す間に、情けないその姿を改めなさい」
そう言って羽織っていたガウンをジムノペディに覆い被せると、魔女トロイメライは凍えるような冷たい瞳を、近江へと向けた。
……マズイ。
近江のこめかみに冷汗がつたう。
まさかこのタイミングで、本命の“箒星の魔女”が出てくるとは思ってもみなかったのだ。
まるで実力の計り知れない、この大魔法使いの相手をする気はさらさらなく、今すぐにでもこの場を離脱したいのだが……
「……見習いとは言え、魔女の尊厳を踏みにじった、その覚悟は出来ていて?」
明らかな敵意を向ける“箒星の魔女”トロイメライは、はいそうですかと逃がしてくれそうもない。
――一転窮地に陥ったこの状況で、天高くかざされる大樹の杖、中空には幾つもの魔法陣と“氷の槍”が姿を現し、その矛先が近江へと飛来するかに思われたその瞬間――
――突然の銃声が、次々と氷の槍を撃ち貫く。
撃ち下ろされる銃弾はビルの上から、機銃を持ったその人影は、ビルの壁面を駆け下りながら撃ち続け、近江の元へと駆け抜ける“学生服の少女”。
「近江!!」
「ナ、ナナトか!?」
「ナナトか、じゃあないんだよバカ! あっぶないんだよ、また一人で先走ってえぇぇぇ!」
勢い余って体ごとぶつかり、むくり起き上がって近江の襟首を掴み上げたナナトを、トロイメライが睥睨する。
「……新手? それもたった一人、そんなおもちゃが、わたしに通じるとでも思っていて?」
「えっらそうに! そんなもん、やってみなけりゃ分からないだろうが!」
「ちょ、ちょっと待てナナト……」
――近江の制止を振り切って、ぶっ放された機銃。
その銃弾は、空気の幕をたち割るような衝撃音を弾けさせると、無数の銃弾すべてが、トロイメライの手前数mで静止した。
「なんだ? ……壁? 近江! 見えないシールドでも張ってるのかアイツは!」
「……だから待てって言っただろうが! 無暗やたらにぶっ放すな。それより装備は、機銃以外になにがある」
「ちょ、ちょっと! どこ触ってるんだよ!!」
ナナトが体に巻き付けたチェストリグを漁り、見つけ出したのは3本のECMスモーク。
手当たり次第にピンを抜くと、周囲にばら撒かれた金属片混じりの白煙が魔力に干渉し、周囲一帯の視界を遮る。
「ば、バカ近江、まきすぎだ! これじゃあアタシたちだって何も見えやしない! どうするんだよ!」
「……どうするって決まってるだろ、逃げるんだよ! あいつの相手は、不変都市に入ってからだ!」
大声でそう叫んだ近江はナナトの腕を引っ掴むと、その場を駆け出し、白煙の中を逃げ出した。




