141 イザベラ様の励まし
「イザベラ様!?」
「ああ、お邪魔するわね」
(ねぇ、ノックの意味は・・・?)
相変わらず、ノックと同時に扉を開けて入ってくるのだから、らしいといえばらしい。
イザベラ様の突然の来訪に驚き、滲んでいた涙はすっと引っ込んだ。
涙で化粧が崩れることを思えば、むしろ来てくれてよかったのかもしれない。
「あら、今ここに、ルーシー様がいなかったかしら?」
「えっ?あ、ああ、先ほどまで一緒だったんですけど、用事ができたみたいで」
「あら、そうなの」
(さすがイザベラ様よね)
部屋に僅かに残るルーシー様の甘い香りでわかったのだろうか。
小さく鼻を鳴らし、くんくんと部屋の香りを確かめるように嗅いでいる。
「まあ、いいわ。それより、結婚おめでとう」
「ありがとうございます」
「結婚式まで長いかと思ったけど、あっという間だったわね」
「ええ。イザベラ様には、本当にお世話になりました。ありがとうございます」
王族の結婚式ともなると準備や関係者の調整があるので、結婚式の日取りは一年後とすぐに決まった。
結婚式のために、すぐに妃教育に取り組まなければならなかったが、家のこともあり、すぐにはできなかった。
アルバート様が領主代行としてニコラス様を派遣してくれることになったが、それでも引継ぎをしなければならない。
書類をまとめ、ニコラス様に引き継ぎしつつ、関係各所に挨拶を済ませる必要があった。
それに、オリバーはサイレニアへ留学するとはいえ、事実上の当主はオリバーになる。
卒業後のオリバーに領主の仕事を教えつつ養蜂場にも目を配り、結局、二足の草鞋を履いたままここまで来てしまった。
だからといって、妃としての教育を疎かにすることなど、決してできない。
だが、王族が子どもの頃から学び続けてきたことを一朝一夕で身につけられるわけがない。
家のことに妃教育。
大したことないふりをしていたが、実のところ、心も体も限界だった。
挫けそうになる私を、叱咤激励し、支えてくれたのは他でもない、イザベラ様だった。
「まあ、結婚しても貴女の妃教育が終わるわけじゃないからね。まだまだ続くわよ」
「ええ、よろしくお願いします」
「・・・・・・後悔はしていないかしら?」
「学び続けることは大変ですが、後悔はしていないです」
「そう。よかったわ」
「・・・でも、本音を言うと、やっぱり、これからどうなるのか、自分にできるのかと不安になるときもあります。正直、この結婚式もきちんとできるか不安です」
想像していた以上に、王族の妃として学ぶことは大変だった。
アルバート様もずっと支えてくれているが、それでも、わからない世界に飛び込むことには不安がある。
それにこの結婚式には、国内外問わず多くの賓客を招いているのだ。
緊張しないと言えば噓になるだろう。
「あら、そんなこと言っても、今さら逃げられないわよ。これから結婚式だからね」
「え、ええ、そうですよね」
「大丈夫よ。諦めが肝心。なるようになるわよ。子どもを産むときと一緒よ」
「え?」
「不安でも、怖くても、嫌になっても、逃げられないんだから、頑張るしかないでしょう?」
「そ、そうですね。あの、でも、子どもを産むのとは、ちょっと違うと思うのですが」
「あら、辛くても逃げられないんだから同じよ」
「『辛くても』って・・・」
結婚は、辛いのだろうか。
そして、子どもを産むのも辛いのだろうか。
結婚式を前に嫌な話をするのはやめてほしいのだが、イザベラ様の目元だけが楽しげに細まった。
どこか企みを含んだその笑顔に、嫌な予感が走った。
「うふふ。いい機会だから、教えてあげましょうか?」
「い、いえ、結構です」
「まあ、そう言わずに聞きなさいよ。年長者の話は聞くものよ」
「間に合っています」
「貴女も経験するんだから、何事も聞いて損ということはないのよ」
「本当に結構です!」
(私、断ってるわよね!?)
そろそろ人の意見に耳を貸すべきだと思うのだが、相変わらずこの方は自分勝手に話し始める。
私の断りなど聞く気もなく、イザベラ様は滔滔と語り出した。
誰か、この暴走を止める方法を本気で教えてほしい。
「子どもって、簡単に生まれてくると思うでしょう?でもね、妊娠した瞬間から、母親の戦いは始まるのよ」
「え・・・・・・」
「セインがお腹にいたときは、つわりが酷くてね。世の中のすべての匂いが気持ち悪くて、満足に食事もとれなかったわ」
相槌を打てと言わんばかりに、イザベラ様が目で圧をかけてくる。
こうなってはもう、付き合うしかないのだろう。
「そ、それは大変でしたね」
「でしょう?酷いときには、水さえ受け付けなくてね。吐くものなんて何もないのに、それでも吐いてしまうの」
「吐く・・・」
「ええ、そうなのよ。どうしようもなくて、桶を抱えたまま横になるしかなかったわ。何もできない自分が情けなくて、ただひたすらベッドの上で涙する毎日よ」
「・・・・・・それは、大変でしたね」
身体の辛さで涙が出るのは理解できる。
だが、いつもエネルギッシュで、自分を正義と信じ疑わないこの方が、自分を情けなく思い、涙するということがあるのだろうか。
申し訳ないが、想像がつかない。
「でも、だからと言って『妊娠、止めます』なんて言えないでしょう?お腹を割いて、子どもを取り出すわけにもいかないしね」
「そ、そうですね」
「つわりが終わったと思ったら、今度は身体に鉛でもくくりつけられたように重くなるし、あちこちが痛いしで、もう大変で。ようやく陣痛が来たと思えば、緊張しすぎたのか、過呼吸になったしね。ホント散々だったわよ」
(・・・・・・どうしよう、子どもを産むのが怖くなってきたわ)
自分でも、顔から血の気が引いて行くのがわかる。
オリバーほどではないが、私だって痛いのは苦手だ。
幸いなことに、アルバート様とはまだ手を繋いだだけだ。
このまま白い結婚でもいいような気がしてきた。
よほどひどい顔をしていたのか、私の顔を見てイザベラ様はぷっと吹き出した。
「ああ、そんなに心配しなくても大丈夫よ。ダイアナのときは、全然そんなことなかったわよ。つわりもなかったし、安産ですぐ生まれたし」
「そ、そうですか」
「不思議よね。同じ親の血を引いて生まれてくるのに、どうしてこうも違うのかしら」
「そ、そうですよね」
「あら、アンナ様ったら、そんなに怯えた顔をしないで。貴女にそんな顔をさせたって知られたら、アルバートに怒られちゃうわ」
(じゃあ、言わないでください!)
文句を言いたいが、言って聞くような方ではない。
この方の口は、いっそ縫い留めてしまった方が、皆のためではないだろうか。
「別に怖がらせるつもりで言ったんじゃないのよ。でもね。逃げられないと思ったら、覚悟が決まるでしょう?どんなに怖くても、命が生まれてくる流れは止められないしね」
「・・・・・・そうですね」
「それに、生まれてきた子どもの顔を見たら、辛かったことなんてすべて忘れるから」
「・・・そうなんですね」
「嘘だと思ったでしょう?でも、本当なのよ。子どもが生まれた瞬間、今までの大変さなんて、すべて吹き飛んでしまうわ」
(本当にそうなのかしら・・・?)
こればかりは、まだ経験していない私には、何とも言えない。
イザベラ様はにっこりと微笑み、私を包み込むように、両肩に手を置いた。
「だから大丈夫。『案ずるより産むが易し』よ!」
「はい・・・」
(・・・・・・もう少し、違う励まし方はなかったのかしら?)
悪気はないのだろうが、いたずらに不安を煽るだけで、全然励ましになっていない。
第一、『案ずるより産むが易し』とは、あれこれ心配するより、実際にやってみれば意外とうまくいくものだ、という諺だ。
今この方は、単に物理的な身体のきつさを語っただけではないだろうか。
私の様子を確かめるように視線を向けたイザベラ様は、もう一度、口元に微笑みを浮かべた。
「そうそう、女性は生まれながらに母性があるなんて言葉、信じちゃだめよ。そんなもの、嘘だから」
「嘘なんですか?」
「そうよ。そんなの、幻想に決まってるじゃない。生まれつき備わっていたら、誰も苦労しないわよ。子どもを宿している間に、母になる覚悟が決まるのよ」
「そういうものですか?」
「少なくとも、私はそう思ってるわ。だって、十月十日もお腹に入れているんだもの。辛くても、どんなことがあっても、必死で子どもを守ろうとするうちに、母性は育っていくのよ。子どもを守れるのは、自分しかいないからね。だから、否応なしに覚悟ができて、強くなるの」
「・・・そうですよね」
「確実に、時間は進んで行くのよ。この一年間、貴女がどれだけ努力を重ねてきたかを私は知ってるわ。貴女だって、自信がないだけで、とっくに王族になる覚悟はできているのでしょう?」
「・・・・・・・・・」
「貴女に必要なのは、自信よ。自信を持ちなさい。自分を信じることができなければ、何も始まらないわよ」
「・・・はい」
「努力は裏切らないとは言わないけれど、貴女は確実に進歩しているわよ」
「・・・・・・ありがとうございます」
イザベラ様の言葉が、少しずつ胸に染みわたってくる。
そう、私は精一杯努力してきた。
アルバート様の隣に立つため、そして自分の誇りにかけて、やれるだけのことはやってきたのだ。
「大丈夫よ。貴女は一人じゃないからね。隣にアルバートもいるんだから、しっかりしなさい」
「ええ、そうですね。・・・・・・それに、イザベラ様もいますしね」
「・・・・・・貴女って、ホント人を誑し込むのが上手よね」
まさかそんな言葉を向けられるとは思っていなかったのか、イザベラ様は顎を引き、眉を顰めた。
イザベラ様の瞳には少しの困惑が見えたが、私の言葉は間違いなく本心からのものだった。
「本心から言っているんですよ?」
「・・・・・・・・・貴女に裏がないことくらい、知ってるわよ」
イザベラ様は下を向き、隠すように小さなため息をついた。
「いい人」と思われるのが嫌いなイザベラ様には、言わない方がよかったのだろうか。
(親しみを見せすぎたかしら?)
自分勝手に振る舞ってみせるくせに、誰よりも情に厚いことは、この一年で身をもって知った。
でも、人の気持ちを信じられないイザベラ様にとっては、距離の近さそのものが、負担になってしまうのかもしれない。
「あの、イザベラ様・・・・・・」
「ああ、別に気にしなくていいわよ。ほんの少し感傷に浸っただけだから」
顔を上げたイザベラ様は、いつもの余裕の笑みを浮かべていた。
その瞳には励ましと温かさが滲んでいて、この方の本質を垣間見せていた。
「そんなことより、今日の結婚式よ。貴女にできることを精一杯やればいいからね」
「・・・はい」
「みんなが応援しているんだから、頑張りなさいよ」
その言葉に、ほんの少し胸がひっかかるような気がした。
(・・・・・・・・・聞いてもいいかしら?)
いつも疑問だった。
頑張れと励まされたのに失敗してしまったときは、どう受け止めればいいのだろう、と。
年長としてのわずかなプライドが邪魔をして、年下のオリバーたちには聞けない。
けれど、なぜかイザベラ様なら、私の迷いを理解して答えを教えてくれる気がした。
「・・・あの、でも、精一杯やって、失敗したらどうすればいいのでしょう?」
イザベラ様は目を細め、私を探るように見つめてきた。
こんな情けない質問を、やはりするべきではなかっただろうか。
「・・・・・・貴女、肝が太いくせに、たまに弱気になるのはなんなの?」
「え?太いですか?」
「太すぎるくらい、太いけどね」
「・・・そうですか?」
(私の肝、太いかしら?)
度胸があるように見えるのかもしれないが、実際は小心者である。
どうも自分が思う人物像と、イザベラ様の言う私は乖離しているような気がする。
イザベラ様は、私の顔を見ながら、やれやれと仕方なさそうにため息をついた。
「まあ、その方が人間味があっていいわね。『完璧ないい子ちゃん』なんて、つまらないものね」
「え?」
「はなむけに、私の座右の銘を贈ってあげるわ。『人間、何がいいかは、死ぬときでないとわからない』っていうの。どう?そう聞くと、なんだか頑張れる気がするでしょう?」
「・・・・・・聞いたことがないのですが、どなたの言葉ですか?」
「聞いたことがないのも当然よ。私の母の言葉だもの。歴史に名を残すような王妃じゃないけどね。でも、ドルネイルで命のやり取りをして生き残った人の言葉だと思うと、重みがあるでしょう?」
「・・・ええ、そうですね」
「何がよかったかなんて、死ぬときじゃないとわからないのよ。上手くいっていると思っても、後からひっくり返されることもあるし、失敗したと思っても、次に活かせたらそれは成功なの。何が良かったのかなんて、誰にもわからないし、結果が出るのには長い時間がかかるのよ。でも、だからこそ、今を一生懸命に頑張るしかないでしょう?」
「・・・はい。イザベラ様のお言葉、しっかりと受け取りました。ありがとうございます」
ふふんと得意げに笑うイザベラ様の背後にある、確かな強さの源を垣間見た気がした。
その笑みに込められた覚悟や努力の痕跡を思うと、胸の奥が奮い立つ。
きっとイザベラ様はこの言葉を糧に、自分を鼓舞してきたのだろう。
私に同じ強さが備わるかはわからない。
しかし、この逞しさだけは、ぜひ見習わなければならない。
決意を胸にした瞬間、扉の向こうから柔らかな風が舞い込み、部屋全体を包み込んだ。
「イザベラおば様は、ここにいらっしゃる?」
扉から顔を出したのは、柔らかいピンク色のドレスに身を包んだベスだった。
護衛のためだろうか。
ベスの後ろには、騎士姿のセオドアが控えている。
背筋をぴんと伸ばして立つその姿は、すでに一人前の騎士そのものだった。
「あら、ベスったらどうしたの?」
「ダイアナが癇癪を起こして泣いちゃって。お父様が、どうすることもできなくて悲鳴を上げてるの」
「まあまあ、仕方がないわね。お兄様ったら、私がアンナ様と話す少しの時間くらい、子守りができないものかしらね」
(・・・陛下にダイアナ様を預けてきたの?)
うちの国の最高権力者を子守りに使うのは、イザベラ様くらいだろう。
「侍女たちも、ダイアナにはお手上げみたい。泣きわめきながら地団駄を踏んでるわ。セインがダイアナを宥めてるけど、全然言うことを聞かないのよ」
「いやいや期だからね。まあ、仕方がないわね。ごめんなさい、アンナ様。これで失礼するわ」
「いいえ。わざわざ来ていただき、ありがとうございます」
「いいのよ。私が話をしたかっただけだからね。ベスも、私と一緒に戻る?」
「ううん。私はアンナとお話をしたいから、ここに残るわ」
「そう、わかったわ。じゃあ、アンナ様、またね」
「はい。ありがとうございました」
セオドアを一瞥したイザベラ様は、揺るぎない足取りで去っていった。
王族としての威厳、そして一人の女性としての凛とした美しさに、思わず息を呑み、ただただ見惚れた。
お読みいただき、ありがとうございます。
ブクマ、評価、誤字のご指摘をしていただき、ありがとうございました。
作中「人間、何がいいかは死ぬときでないとわからない」は、出典元は不明ですが、私の祖母の言葉として印象に残っていたため、使用しました。




