140 オリバーの謝罪
(大丈夫かしら・・・?)
微笑みを浮かべながら去って行ったダニエル様だったが、その背中には、言葉にできないほどの切なさが漂っていた。
仲の良い兄妹なのだ。
ルーシー様がサイレニアに行くのが、よほど寂しいのだろう。
私だって、オリバーが留学すると思うと寂しくて仕方がない。
頻繁に会っていたわけではないけれど、すぐ会える距離にいるのと、遠く離れてしまうのでは、まったく違う。
そんな姉の寂しさを理解していないのか、オリバーは飄々としている。
会えばつい嬉しくて、いつも私のほうからあれこれ話しかけていたのに、今はどうにも口が動かない。
すっかり逞しくなったオリバーの、肩のあたりにばかり視線が向いてしまう。
ルーシー様は私たちの邪魔をしないようにか、窓辺に行って、外の景色を眺めはじめた。
絶妙に空気を読めるのは、アスター家の血なのだろうか。
そんなルーシー様の様子を目を留めたオリバーは、ゆっくりと、そして慎重に私の花嫁姿に視線を移した。
「・・・・・・姉さん、いいドレスだね」
「そうでしょう?ルーシー様が、デザインをしてくれたのよ」
「うん。僕にはよくわからないけど、いいデザインなんだろうね」
「よくわからないって・・・」
「正直、違いがわからないんだよね。服は、寒さが防げればいいと思ってるから」
(・・・ちょっと!それを言ったらおしまいでしょう!?)
私の裾をミリ単位で補正してくれたルーシー様には、とても聞かせられない。
だが、それこそがオリバーらしさなのだろう。
「・・・まあ、オリバーはそうよね」
「でも、その生地は気になるよ。普通のシルクとは違うような気がする。ドレス自体が内側から滲むように光って見えるね。それ、光の加減じゃなくて、シルク自体が光ってるんだよね?」
「え?あ、ああ、そうなのかしら?ダニエル様が手配してくれたから、よくわからないんだけど。この生地に興味があるの?」
オリバーが服に興味を持つなんて、初めてのことではないだろうか。
お洒落に興味のないオリバーが気にするなんて、余程このドレスが素晴らしいのだろう。
ダニエル様が生地探しに奔走しただけあって、光を紡いでいるような美しいシルクだった。
「いや。その生地の元になったカイコに興味がある」
「ああ、そっちなのね。どこから仕入れたかを聞いておくわね」
「いや、僕が直接聞くからいいよ。それにしても、技術の進歩はすごいね」
最近は服装が洗練されてきたと思ったが、やはりオリバーはオリバーのままだった。
きっと、素材やドレスの構造しか気にしていないのだろう。
それにしても、私の花嫁姿の感想は、それだけなのだろうか。
たった一人の身内である姉が嫁にいくというのに、ほかにかける言葉があってもいいだろう。
あまりにもあっさりしたオリバーの態度に、少し寂しくなる。
オリバーは私のドレスをじっと見つめ、やがてぽつりと呟いた。
「カイコってさ、家畜化してるから環境の影響が少ないんだ。だから、研究しやすいんだよね」
「え?」
「世代交代も早いし、年に何回でも繁殖させることができるんだ」
「あ、ああ、そうなのね」
「小さいから場所も取らないし、大量に飼育できるから便利なんだよ」
「ま、まあ、そうよね」
「何より、噛んだり刺したりしないからいいよね。僕、痛いのは嫌いなんだ」
「いや、痛いのは誰でも嫌だと思うんだけど」
「僕、神経が過敏なんだ」
「あ、そう」
「だから、サイレニアでは、カイコを使って研究するつもりなんだ」
「・・・・・・そう」
(・・・相変わらずオリバーの頭の中は、研究のことしかないわね)
オリバーに好意を寄せているルーシー様が気の毒になってくる。
お洒落なルーシー様は、美しいドレスを前に、カイコについて語るような弟でいいのだろうか。
そっと横目で見ると、ルーシー様は、オリバーがカイコについて思いを巡らせる姿に見惚れていた。
(・・・・・・『蓼食う虫も好き好き』って諺があったわよね)
人の好みは千差万別だ。
本人がよければ、それでいいのだろう。
私としては、ルーシー様が義妹になってくれたら、これ以上嬉しいことはない。
オリバーが名残惜しげにドレスから目を離し、私の顔に視線を向けた。
「姉さん、結婚おめでとう」
「ありがとう。私が王家に嫁ぐことになったから、オリバーにも迷惑をかけたわね。ごめんね」
私の言葉を聞いた瞬間、オリバーは目を伏せ、唇を噛みしめた。
それから、しばらく沈黙が続いた。
「・・・・・・オリバーったら、どうしたの?」
「なんで謝るのさ。姉さんは、何一つ悪くないじゃないか」
「え?だって、私の妃教育があったせいで、うちの引き継ぎはバタバタだったし」
「姉さんとニコラス様が大変だっただけで、僕は何もしてないよ」
「そんなことないわよ。オリバーだって、うちの仕事の引継ぎがあったじゃない。それに留学の準備もあったし、本当に大変だったじゃない」
「でも、姉さんほどじゃないよ」
「私がするのは、当たり前だからね」
(どうしたのかしら?)
オリバーは眉を寄せ、痛みに耐えるかのようにわずかに顔を歪めた。
その表情は、ほんの一瞬で消えた。
「・・・・・・姉さんは、一人で頑張りすぎるんだよ」
「そんなことないわよ」
「そんなことあるよ。姉さんは、子どものときからそうだよね」
「そうかしら?自分ではよくわからないわ」
「スタンリー先生を助けたときだって、わざと野犬に石を投げつけて、自分に注意を向けさせたよね」
「そんな昔のこと、覚えてないわよ」
オリバーたちにはわからないように画策したつもりだったのに、この賢い弟はお見通しだったのだろうか。
当時一番足が速かったのは、年長者である私だ。
私が野犬を引きつけ、その間にオリバーたちが先生を落とし穴から引き上げる。
現実的に考えて、それが一番いい方法だと思ったからそうしたまでだ。
「頼むから、もう一人で背負いこもうとしないでね」
「大丈夫よ。人に頼ることを覚えたわよ」
「またそんなこと言って。姉さんは、都合が悪くなると、すぐに誤魔化すよね」
「違うわよ。アルバート様に言われて心を入れ替えたの」
「アルバート殿下に・・・?」
「ええ。『周りを信じて、もっと頼れ』ってね。本当にその通りだったわ。今は無理せず、みんなの力を借りてやってるの」
「・・・・・・そう」
(・・・クララの心配性が移ったのかしら?)
クララは心配性で細かいところまで先回りして注意してくる。
ありがたい気持ちはあるのだが、度を越してくどくど言われると、鬱陶しさを感じてしまう。
その点、オリバーは基本的に人に興味がないので、私にうるさく注意してくることはなかった。
「オリバーったら、今日はいつもと違う気がするんだけど、どうしたの?」
「いや、別にどうもしないよ」
「そう?ならいいんだけど」
オリバーも、留学前でさすがに緊張しているのだろうか。
セオドアと並んで鉄の心臓を持つと思っていた弟も、やはり人の子だったのかもしれない。
「・・・・・・・・・姉さん、今まで苦労してきたから幸せになってね」
「ありがとう。でも、苦労なんてしてないわよ」
「・・・でも、ほら、うちは借金あったし」
「ああ。それは天災のせいだし、仕方がないわよ。それに、今では経営も安定してるから問題ないわ」
「・・・・・・お金がないせいで、姉さんは学院に行けなかったじゃないか」
「別にいいのよ。気にしてないわ」
「だけど、僕だけ学院に行かせてもらった。姉さんには、本当に悪かったと思っているよ。ずっと謝りたかったんだ。本当にごめん」
申し訳なさそうに頭を下げるオリバーに、心臓が跳ねるほどびっくりする。
「もしかしてオリバーったら、今までずっと、そんなこと気にしていたの!?」
「だって、姉さんだって行きたかっただろ?」
「私はオリバーみたいに、やりたいことがあったわけじゃないからいいのよ」
「でも、姉さんだって頭が良かったし・・・」
「目的もなしに、行っても無駄よ」
「だけど、学院に行ってたくさん友人を作れたかもしれないじゃないか」
「そんなことないわよ。学院に行かなくても、友人ならちゃんといるしね」
「でも・・・」
「これ以上は言いっこなしよ。オリバーが私に済まないと思うんだったら、その分、たくさん学べばいいのよ」
(・・・オリバーなりに、私のことを気にかけていたのね)
自分だけが我慢しているのだと思ったこともあった。
でも、オリバーだって負い目を抱えていたのだろう。
姉弟は完全に平等にはなれない。
それでも、優遇された立場の方も、心を痛めていたのだ。
そのことを知ると、不思議と胸の黒いモヤが少しずつ晴れていく。
私たちは、お互いを思いやり、ずっと支え合ってきたのだと実感した。
「人生すべてが思い通りになるなんてこと、ないでしょう?」
「・・・・・・・・・そうだね」
よほど自分だけが学院に行けたことを気に病んでいるのだろうか。
明るく諭したが、オリバーの顔は暗いままだった。
「ねぇ、オリバー。私たち、結構きつい人生を送ってきたわよね。お父様もお母様も、もうこの世にはいないし、領地は借金だらけで、辛いことも多かったわよね」
「・・・・・・・・・・・・うん」
「毎日を生きていくだけで精一杯で、この先どうなるかと不安を抱えていたじゃない?でも、今は違うわよね。私は好きな人と結婚できるし、オリバーは自分のやりたい研究に打ち込める。これって、すごくない?」
「・・・・・・・・・そうだね」
「きっと、日々頑張ってきたからだと思うのよね。大変だったこともあったけれど、すべてがあって今の幸せがあるのよ」
「・・・・・・うん」
「これから先、何があるかはわからないわ。でもね、私たちはこれまでずっと、前に進む力を積み重ねてきたでしょう?きっと何があっても、ちゃんといい方向に進めるわ」
「・・・そうだね」
「私たちは、一人じゃないでしょう?」
「そうだね。僕たちは、一人じゃないんだよね」
自分の心に整理がついたのだろうか。
ようやく、オリバーの口元に微笑みが浮かんだ。
(・・・・・・ありがとう、オリバー)
オリバーなりに私を心配し、そして自分だけ好きな道に進んだことに、罪悪感を抱いていたに違いない。
大袈裟なお祝いの言葉なんて、なくていい。
その気持ちを知れただけで、もう十分だった。
普段は見せない表情を見られたのが照れたのだろう。
オリバーは、茶化すように顔をくしゃっとさせて笑ってみせた。
「確かにいい方向に舵をきったよ。姉さんの相手は、王弟のアルバート殿下だしね」
「あら!アルバート様が王族だから、結婚を決めたわけじゃないわよ」
「そんなこと知ってるよ。アルバート殿下は、信頼できるいい人だよ」
「ええ、そうね」
よくわからないが、オリバーとアルバート様は通じ合う部分があるらしく、仲がいい。
この間は、二人で王宮の部屋の隅で床に座り込んでいるからどうしたのかと思えば、二人揃ってハエトリグモを真剣に見ていた。
「オリバーはアルバート様と気が合うわよね。やっぱり生き物が好きだからかしら?」
「まあ、そうかもね。でも僕、虫や鳥は好きだけど、大型の動物はちょっと苦手なんだよね」
「大型の動物?」
「イノシシとか。観察していると、自分の身に危険が及びそうで嫌なんだよね」
「まあ、そうかもね」
確かに大型動物を観察しているオリバーは見たことがなかった。
そもそも遭遇する機会がなかっただけかもしれないが、身の危険を感じてまで観察したくないだろう。
「だから姉さん、悪いけど後はよろしくね」
「え?」
「姉さんは手懐けてるみたいだけど、僕は予測がつかない生き物は苦手なんだ」
「オリバーったら、なに言ってるの?」
「『君子危うきに近寄らず』って言うしね。危険を感じたら、まず距離を取ることが大事だよね」
「ええ、スタンリー先生からそう教わったわよね」
「ああ!そういえば、スタンリー先生を捜してるって聞いたけど、見つかったの?」
「いいえ。それが見つからないのよね」
イザベラ様が探しているだろうと思って、情報を集めようと試みたが、行方はようとしてわからない。
ただ、イザベラ様自身も捜してはいるのだろうが、そんなに熱心に捜している様子はない。
結局、先生の情報があったら教えてほしい、という程度の緩い捜索だ。
「そう。一応僕も気をつけておくね。先生を見つけたら、また連絡するね」
「ありがとう。よろしくね」
「あっ、もう僕たち行かないと。ルーシー嬢もここにいないほうがいいと思うし、一緒に出て行くよ」
オリバーは、部屋の隅にいたルーシー様の手を、躊躇いもなくさっと取った。
ルーシー様は、戸惑って身を引いたものの、頬はふんわりと赤く染まっていた。
「えっ?オリバーったら、どうしたのよ?」
「オリバー様ったら、急にどうしたのですか?」
「いいから、僕を信じて。一緒に外へ出よう」
「え、ええ」
耳元に口を寄せ、オリバーが囁くように呼びかけた。
だが、その声はよく通り、私のところまで丸聞こえだった。
まるで愛を囁いたかのようなオリバーの言葉に、ルーシー様の頬はリンゴのように真っ赤になった。
オリバーは無自覚なのだろうが、罪作りなことをするものだ。
「姉さん、またね」
「アンナ様、失礼します」
「ええ、またね」
挨拶もそこそこに、追いかけっこでも始めるかのように、慌ただしく出て行った。
私が握りしめていた手は、今やルーシー様と繋ぐためのものになった。
寂しい気持ちはあるが、それが大人になるということだ。
互いにそれぞれの道を歩むことになるけれど、互いに支え合った日は忘れないだろう。
(・・・・・・今日会えて、本当によかったわ)
そっと滲んできた涙を拭っていると、勢いよく扉が開かれ、空気が一変した。
お読みいただき、ありがとうございます。
ブクマ、評価をしていただきありがとうございました。
カイコはシルク生産だけでなく、遺伝学やバイオテクノロジーのモデルの生物として重要視されています。
医学や工学への応用もあるそうです。




