130 爵位の行方
「あ、アルバート様、ちょっと待ってください」
「・・・ああ。済まない。少し歩くのが速かったか」
「い、いいえ」
アルバート様が歩みを緩めると同時に、後ろから招待客たちを会場へ招き入れているホランド伯爵の声が聞こえてきた。
そっと振り返ると、招待客たちが、何事もなかったかのように談笑しながら会場の中へ歩みを進めているのが見えた。
さすが貴族だと、こんな場面で感心してしまう自分がいた。
「アルバート様、何か怒っていらっしゃいますか?」
「・・・・・・ああ、いや。ホランド伯爵の君に対する態度に腹が立っただけだ」
「そんなに気にするところ、ありました?」
「君は、気にならなかったのか?」
「まあ、気にならないかと言えば、気になる点はあったかもしれませんが、そういうものです。特に気にしていません」
「そういうもの?」
「王族のアルバート様には分からないでしょうが、力のない者には、あんな風に威張ったりする人って、結構いますからね。腹は立ちますが、いちいち怒っていては身が持ちません」
「・・・・・・そうか」
きっと今まで私が受けてきた嫌な思いを想像したのだろう。
アルバート様は、ほんのわずかに唇を噛んだ。
(・・・そんなに気にしなくていいのに)
アルバート様は、私の痛みも、喜びも、すべて分かち合おうとしてくれる。
私の心情を慮ってくれるアルバート様に、胸が温かくなる。
「それに、君の希望を無視した」
「希望?」
「ああ。君は、ヘンリーたちに何もしないことが望みだっただろう?」
「それは・・・・・・」
(あれは、どう考えてもホランド伯爵が悪いわよね)
私たちは、人目のないところで穏便に話を進めようとしていたのに、招待客の前でわざわざ呼び止めたのは、ホランド伯爵自身だ。
「ホランド伯爵から仕掛けてきたことです。アルバート様は、何も悪くないです」
「しかし・・・」
「私、守りに徹するだけでは駄目だということが、今回のことでわかりました。アルバート様の判断は、正しいです」
「・・・・・・そうか」
(本当に律儀よね・・・)
私が法を遵守し、権力を使うべきではないと口にしたことを、覚えていたのだろうか。
サイラス様やヒューゴ様は法を犯していたが、ホランド伯爵は違う。
アルバート様は合法的ではなかったからといって、私の希望を損ねたと思ったのだろう。
(アルバート様は、どこまでも私の意思を尊重してくれようとするのね)
今さらながら、アルバート様と出会えた幸運を、改めてしみじみと噛み締めた。
アルバート様が私を尊重してくれるように、私も心からアルバート様を大切にしようと固く誓う。
「アルバート様、本当に気にしなくていいので。もう行きましょう」
「・・・ああ」
きっと会場内に入ったのだろう。
招待客たちの声やざわめきは、まるで遠くに消えてしまったかのように、私の耳には届かなくなっていた。
この様子なら、披露宴も無事に行われるに違いない。
ホランド伯爵への挨拶も済ませたし、あとはもう、ここを出るだけだ。
問題は、全て解決したのだ。
胸の奥がふっと軽くなり、長く閉じ込められていた息を、ようやく吐き出せた気がした。
足取り軽く角を曲がった途端、急に目の前に男性が現れ、思わず立ち止まる。
ほんの少しずれただけで、ぶつかりそうだった。
自分に非があることを理解していたのか、男性は慌てた様子で頭を下げた。
「申し訳ありません、失礼しました!」
「・・・ああ、ボビーか」
「あ、アルバート殿下、お久しぶりです。それに・・・、アンナ嬢だね」
走ってきて私にぶつかりそうになったその男性は、ヘンリー様の兄であるボビー様だった。
3年ぶりで、しかもこの詐欺のような化粧でも、ボビー様は私の顔がわかったらしい。
ボビー様は、婚約式の際、見下されかねなかった父と私を、心から気遣ってくれた方だ。
穏やかな人柄で、ホランド家の中で唯一、安心して話せる相手だった。
「お久しぶりです、ボビー様」
「ああ、久しぶりだね。もしかして、披露宴に来てくれたのかい?」
「・・・・ホランド伯爵にご挨拶に伺っただけです」
「そうだよね。父も君を招待するなんて、どうかしてるよ。止められなくて、悪かったね」
「・・・いいえ」
「いや、それ以前の問題だよね。うちの弟が君に申し訳ないことをしてしまい、本当にすまないと思っているよ」
「・・・・・・いいえ。ご縁がなかっただけです」
「謝って済むことではないだろうが、うちの弟が貴女を傷つけてしまい、本当に申し訳ない」
「いえ、もう済んだことですから。どうか頭を上げてください」
ボビー様は、自分のせいでもないのに、深く頭を下げて謝ってくれた。
何だかそれだけで、心が慰められたような気がする。
もし、ヘンリー様が婚約を破棄する時に、こんなふうに謝ってくれたら、私の気持ちも随分違ったものになっていただろう。
肩の力がふっと抜け、自然と笑顔を浮かべることができた。
私の心を感じ取ったかのように、アルバート様の雰囲気が和らぎ、ボビー様に話しかけた。
「そうそう、姉上から聞いたよ。奥方が懐妊したそうだな。おめでとう」
「もうお聞きになったのですか?実はそうなんですよ。ただ、まだ内緒にしていただけますか?本人の体調が落ち着くまでは、言わないほうがいいと思っていまして」
「ああ、わかっている。だが、姉上に知られたとなると、広まるのも時間の問題かもしれない。ホランド伯爵には、早く伝えたほうがいいのではないか?」
「・・・そうですね。妻とも相談して、この披露宴が終わったら父に報告します」
「それがいいだろうな」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
「いや、こちらこそ姉上がすまない」
「いいえ、そのようなことはございません。イザベラ様は、お優しい方ですからね。私たち夫婦のことを気にかけてくださって、ありがたいです」
ボビー様は、イザベラ様を思い出したのか、口元にふんわりとした笑みを浮かべた。
そのしみじみとした口調は、お世辞ではなく、本心から言っているように聞こえた。
「妊娠中は色々と身体の変化もあって、大変だろう。ボビーも仕事が忙しいだろうが、奥方を気遣うようにな」
「はい。ありがとうございます」
「では、悪いが、急ぐので失礼するよ」
「ええ。お引き留めしてしまい、失礼いたしました。お気をつけてお帰りください」
(随分と親しげだったけど、知り合いだったのかしら?)
ホランド伯爵の顔はうろ覚えなのに、ボビー様の顔がわかるのは、どうしたわけだろう。
階段を降りながら、アルバート様に聞いてみる。
「アルバート様は、ボビー様と親しいのですか?」
「ああ。ボビーは王立図書館の職員だから、たまに顔を合わせる。彼の知識は頼りになるしね」
ヘンリー様は、ボビー様をうだつが上がらないと評していたが、そんなことはなかったらしい。
少なくとも、アルバート様はボビー様を認めていた。
「ところで、さっきの妊娠の話は・・・」
「ああ。姉上が、昨日王立図書館に行ってボビーに聞いてきた」
「え?なんでイザベラ様が・・・」
「君のために少しでも役に立つ情報がないか、ボビーのところに探りに行ったみたいだ」
「へ?」
「姉上は、情報こそ危険を避けるための最良の手段だと、いつも言ってるからね」
(どういうこと?)
昨日、図書館に行ったのは、セイン様のためではなかったのだろうか。
イザベラ様は、そんなこと私には一言も言わなかった。
「イザベラ様は、私には何も言わなかったんですけど・・・」
「ああ。君に言うほどの情報じゃないと思ったらしい。それにほら、姉上は『いい人』と思われるのが嫌いな人だから」
(なんなの!?それは!?)
どうしてこうもイザベラ様は、面倒な人なのか。
私の周りには、面倒な人ばかり集まってきているような気がする。
「・・・・・・イザベラ様も、ボビー様と親しかったのですか?」
「いや、どうだろう。私もそこまではわからない。ただ、ボビーの奥方のナンシーとは、仲がいいのかもしれない」
「ナンシー様と?」
「ああ。学院にいた時の先輩だったらしい。ボビーの結婚式が、派手だったと言っていただろう?二人とも、ボビーの式に招待されたんだよ」
「二人とも?」
「姉上とライアンだ。あの二人、学院で同じクラスだったんだ」
「道理で!だから、ライアン様はイザベラ様にあんなに気安く話していたんですね」
「ああ。それにライアンは、幼い頃から王宮に出入りしていたからね。小さい頃は、よく一緒に遊んでいたらしい」
「そうなんですね・・・」
意外なところに思わぬ繋がりがあることに、驚いてしまう。
「ホランド伯爵は、待望のお孫さんが二人もできれば、大喜びでしょうね」
「そうだな。ただ、ヘンリーにとっては嬉しくないだろうけどね」
「どうしてですか?」
「ホランド伯爵家の家督は、これで完全にボビーのものになるからね」
「・・・・・・え?」
「このままボビーのところに子どもが生まれなければ、ホランド伯爵はヘンリーに爵位を譲ったかもしれない。もしくは、ボビーが継いだ後に、ヘンリーの子に爵位を譲る可能性が高かっただろう?」
「それは、そうですね」
「ヘンリーの子どもが生まれたら、唯一伯爵家の血を継ぐ者になるはずだった。だからヘンリーは、金くらい援助してもらえるつもりだったと思うよ」
「援助、ですか?」
「ああ。伯爵位に相応しい人物に育てるため、それなりの教育を受けさせる必要があるからね」
貴族の子女は、幼い頃から家庭教師をつけ、学院の受験に備えるのが常である。
騎士団もまた、厳格な試験が課される。
それに見合うだけの教育を受ける必要があるのだ。
「でも、ボビーのところに子どもが生まれるんだ。ホランド伯爵は、ボビーを嫡男と定めているようだし、順当に考えればボビーの子が跡を継ぐだろう。ヘンリーの子は伯爵家の跡継ぎにならないから、爵位も財産もヘンリーの手には渡らない」
(・・・そんなことまで、考えていなかったわ)
子どもが生まれることで、もらえる財産が大きく変わるとは思っていなかった。
「・・・ヘンリー様は、がっかりされるかもしれませんね」
子どもが生まれることで、もらえたかもしれないホランド家の爵位と財産。
もしかしたら、ヘンリー様はもらえるものだと期待していたかもしれない。
「・・・・・・・・・あ、あれっ?私、ルナ様のお腹にお子様がいらっしゃることを、アルバート様に言ってました?」
「いや。聞いてはいない。でも、君との婚約を破棄して、こんなにすぐ式を挙げる理由なんて、一つしかないだろう?少し考えればわかることだ」
「え・・・、アルバート様ってすごいですね」
「すごくはない。皆わかっていると思うよ。ただ、道理をわきまえて、あえて口には出さないだけだ」
「そ、そうですか・・・」
口に出さなければ分からないと思っていた私は、まだまだ子どもだったらしい。
(・・・それにしても、伯爵位の有無で随分と立場が違ってくるわよね)
生まれてくる子供は、いとこ同士となるのに片方は伯爵で、片方は平民となるのだ。
受け継がれている血は同じはずなのに、将来同じ立場として交わることはないだろう。
ホランド伯爵の孫たちは、成長した時に、どんな思いをお互いに抱くのだろうか。
「・・・・・・貴族と平民だったら、どちらの人生がいいんでしょうね」
「こればかりはわからないな。本人次第だろう。伯爵位があれば、生活は安定しているかもしれないが、その分責任も伴う。人生を自分で選べない点では、窮屈かもしれない。だが一方で、平民となった方は、その恵まれた環境を羨むかもしれない。でも、生まれは選べないからね」
「ヘンリー様としては、自分の子どもに爵位を与えたかったかもしれませんね」
「最初から、ないものだと思えばいいだけの話だろう。爵位も財産も、欲しかったらヘンリーが自分の努力で手に入れるべきさ」
「・・・ええ、そうですね」
(・・・・・・でも、努力できる環境さえもなかったらどうなの?)
親の立場が、子どもの運命を決めてしまう。
伯爵の息子として生まれ育ったヘンリー様は、法的には平民となるが、貴族の息子として恵まれた環境で育った。
ヘンリー様の子どもは、伯爵の祖父を持ちながら平民として育つ。
平民の教育環境は、決して恵まれたものではない。
自分の努力では変えられないものがあると知った時、ヘンリー様の子どもは何を思うのだろう。
「どうしたのだ?ヘンリーのことが気になるのか?」
「えっ、いいえ。もう私には関係ないことなので」
「そうか。では、兄上のところに行こうか」
「はい」
ほんの少しだけヘンリー様の悔しがる顔が浮かんだが、すぐに消え去った。
ヘンリー様に対して、同情も、いい気味だと思うほどの感情すら、湧かなかった。
ただ、子どもの行く末だけが気になった。
お読みいただき、ありがとうございます。
ブクマ、評価、誤字のご指摘をしていただき、ありがとうございました。
作中のボビーの妻のナンシーは「57 ホランド伯爵の計画」に登場しています。
つわりは、食欲が落ちる方もいれば、逆に増す方もいらっしゃいます。
どちらも本当に大変ですよね。




