神様の思し召し(9)
「更紗、やっと巡り合えたお前を離すわけにはいかない」
沈着冷静を絵に描いたような朔の表情が、ほんの僅か変化する。切羽詰まったような瞳が訴えかけていた。
やっと巡り合えた──しかしそれは、更紗自身ではない。月読命に選ばれた人間のことだ。更紗でなくても、誰でもよかった。
そんなことが頭を過り、ハッとする。
これでは、更紗自身を見てほしいと拗ねているようなものではないか。
更紗は緩く頭を振って深呼吸をし、朔にありのままの気持ちを打ち明けた。
「私は、本当に愛し合える人と結婚がしたい。朔さんに助けてもらった恩はあるけれど、気持ちもないのに結婚なんてできません」
朔の瞳が大きく見開く。拒絶される想定などしていなかったかのように。
助けたもらった恩には報いたい。だが、できることと、できないことがある。更紗には、出会ったばかりの朔と結婚するなどということは、とてもできなかった。
しばらくの間、重い沈黙が部屋全体を包む。
息を詰めたような緊張が辛い。しかも更紗は、まだ朔に抱きしめられたままだった。離れようとしても、朔の手を解くことができない。
「それでは、こうしましょう」
沈黙を破ったのは、司狼だった。
司狼は射抜くような強い視線で、更紗を真っ直ぐに見据える。何を言われるのだろうかと、更紗の鼓動が再び激しくなっていく。この場にいる全員が、司狼に注目していた。
「更紗さんは現在、アルバイトで生計を立てていらっしゃいますね」
「……はい」
「引っ越したばかりの家も、かつてお付き合いをされていた方に突き止められてしまった。その方は、あなたを騙し、裏切った方だ。そして、今もあなたを傷つけ続けている」
「……っ」
彼について、更紗は一切何も話していない。なのに、どうしてここまで詳しく事情を知っているのだろうか。
「申し訳ございません。昨夜の騒動が収まってから、悪霊に憑りつかれていた方を病院に搬送いたしました。心に悪意や疚しいことがあると、悪霊に憑りつかれやすいのです。彼は集合体に憑かれていたようなので、よほどのことかと思われました。あなたが月読命様に選ばれた方だと朔から聞きましたので、身をお護りする必要もあり、更紗さんのことは全て調べさせていただいたのです。勝手をしまして、本当に申し訳ございません。ですが、必要なことだったのです。どうかご容赦ください」
深く頭を下げる司狼を見つめ、更紗は愕然としていた。
たった一晩でそこまで調べ上げられるものなのか。
その時、再び大きな手が髪に触れる。そして、やんわりと撫でられた。見上げると、朔が静謐な湖のような瞳で更紗を見つめている。その目を見ていると、少しずつ心が凪いでいくのがわかる。
落ち着け、大丈夫。一定のリズム、穏やかな声が頭の中に響く。それは、何とも言えない不思議な感覚だった。




