空冷星型エンジンがお好き
モニターに現れた久留米さんは、僕らを見るなり目を少しだけ開いて驚いていた。イヴとの椅子の距離が異様に近い。身動きするのにも、軽く気を使う程度までに。
「もう、仲良くなったのか」
「その努力をしている最中です」
「満更に嫌でもなさそうに見えるが?」
「別に嫌ではありません」
久留米さんはニヤリと笑う。「照れるなって」と言ったイヴは悪戯をするように、体を傾けて肩を僕にぶつける。それくらいの近距離。
「メンテナンスでの改良点を教えてよ」
イヴが久留米さんに問う。僕もそれが知りたかった。説明を促された彼は書類を一枚手に取って片手には缶コーヒー。オフィスには本物の太陽光が室外から漏れていて、その黄金色の色彩は朝を鮮やかに演出していた。
「空戦係は俺一人になる。二つの試験情報を統合して管理するために、お前らをひとつの場所にまとめた。すべての事が俺のパソコンひとつで出来るようにしたわけだ」
「へぇ、便利になったね。でも私の管理者はどうなったの?」
久留米さんはイヴに聞かれると、少しだけ顔を曇らせる。不機嫌な顔だ。
「イヴは、なにも聞いてないのか」
「えぇ」
「……ちぇ。異動だよ、異動」
「もしかして昇進?」
イヴの言葉は当たっていたらしく、彼は口を開かなかった。なるほど、そういうことか。
だが空戦係の人員削減には、時代の必然を感じないでもない。今となっては空戦性能第一主義は遠い昔の話。現代の空中戦では、高所から攻撃を与えた後、急降下して距離を取る“一撃離脱”が常套な戦法となっているからだ。運動、位置エネルギーを数式に組み込み、空戦時の機動性を論理化させたことで、現在は高速を利用した戦闘方法が確立されるまでに至っている。つまり、戦闘機同士の取っ組み合いは減少傾向にある。
ドッグファイトの重要性は薄れてたわけではないが、航空機性能で最もに要求される項目が運動性能から、上昇するためのエンジン出力と下降に対する耐久力に変化してきている。
そんな中わが社は、試験の空戦係に優秀な人材が存在するのならば、引き抜いてしまっても問題ないだろうという結論にたどり着いたのだろう。その白羽の矢が立ったのが、久留米さんではなかったと言うだけの事なのだ。
「分かるだろ、アダム。そんな面倒っちい性格のイヴを作った奴だぜ?」
「面倒ですか」
「いろいろとな。感性、性格、言動、表情。すべての感情の種類でイヴの方が優っているんだ。必要ない性能でな。プログラミングの才能っていう部分では、奴の方が上だったわけ」
確かにそうかもしれない。人間性と呼ばれるような部分では、彼女に勝てないだろう。同じように久留米さんも、その同僚には勝てなかったのだろうか。イヴは誇らしげに鼻を上に向けて腕組みをしていた。なるほど。久留米さんの悔しい気持ちも、今理解できた。
だけど、僕とイヴはせめて仕事では同等の性能である事を信じたい。そう思い、テスト任務のことに話をきりかえた。
「今日の任務はなんですか?」
「これがちょっと、重要だ」
「また、なにかの不調ですか?」
「違う。簡単に説明すれば、開発エンジンの選定だな」
彼はキーボードを操作して画面の片隅に二種類の戦闘機を表示させる。二機の相違点はエンジンの冷却方式。空冷と液冷の違いは、単発戦闘機の機首の形状を決定付ける。要するに一目瞭然だということ。スリムなのが液冷で図太いのが空冷。
「我ら『甕星重工業』では、液冷Wエンジンと空冷Aエンジンを平行して開発してきた。だが『シナツ航空技研』では空冷に絞ってエンジン開発を進めている。その差が遂に現れた。うちの最新鋭のW型とA型でも、ライバル社の空冷のスペックに太刀打ちできないと言うわけだ」
「シナツ技研にエンジンの注文が流れますね」
僕の言葉に久留米さんは頷く。原動機部の社員のとって由々しき事態というわけだ。
「そうだ。んで二番煎じで時はすでに遅いかもしれんが、わが社でもエンジンの開発をどちらかに統一する事が決まった」
「じゃあじゃあ、その選択の参考にするためのテストってこと?」
「そう」
イヴも理由を飲み込めたようだ。といっても、やはりやることは変わらない。僕と彼女で、いつものように空戦をすればいいだけだ、と思っていた。しかし、久留米さんの次の言葉に、僕とイヴは衝撃を受ける。
「今回は、操縦の限定を解除する」
「え?」
「平均的な操縦技能に合わせなくてもいいって事だ。玄人級の操縦、特殊な機動も許可する。思う存分の空戦をしてくれ」
人工知能同士で本気の勝負が出来る。イヴも「ホントにいいの!?」と何度も久留米さんに聞いていた。僕も、なんだか熱っぽいものを感じていたがイヴの方が興奮しているように見える。なぜだろう。これが感性の差だと言うのだろうか。久留米さんは、二機とも別物なので実機のスキャンに時間がかかる事を告げ、モニターから姿を消した。
僕とイヴは席を立って、外にで出た。
少し大きくなった滑走路の前で、横に並ぶように立ち、テスト機がロードされるのを待っていた。
「空冷と液冷のどっちが好き?」
イヴが僕に聞いた。
隣で立つ彼女の白髪が風に揺れて、夜とは違う美しさを見せている。その辺、ネズミ色である自分との違いが羨ましくも思える。だが彼女もまた、僕をじっと見ていた。
「空冷」
「私は、液冷かな」
「どうして?」
「うーん。鼻が長いから」
「なにそれ」
「かっこいいじゃない。アダムはなんで?」
「……丸いから」
「その方が意味わかんないよ」
意味のない会話。適当に受け答えているだけなのに、彼女は笑っていた。僕もなぜか可笑しくなってきて思わず口を歪める。ただ、イヴと言葉を交わしていたいだけなのかもしれない。
路面の上にパーセンテージが浮き上がり、ロード完了と同時に二機の戦闘機が出現した。
「こんな機能も追加してみた」
耳のなかで、突然に久留米さんの声が響く。二人同時に跳ね上がって驚いた。
「音量調節してくださいよ。うるさいくらいです」
「あー……。てすてす。こんなもんか」
イヴが耳にてを当てて「いい感じー」と言って頷いた。
「どっちがどっちに乗る?」
「今、決めたところです」
「そうか。説明し忘れたが、十回は繰り返すからそのつもりで。それじゃ始めてくれ」
飛行帽を被ってゴーグルを着ける。試験機に向かって走ろうとした時だった。
「五戦差なの」
「は?」
イヴの唐突で謎の告白に僕は眉をひそめる。
「何が?」
「今までのテスト。五戦の差で私が負けてるの」
僕は、勝敗の数を指折り数えていなかった。興味がなかったと言うよりも、勝ち負けは関係ないと思っていたわけで、撃墜したから嬉しいわけでもないし、撃ち落とされたから悔しいという事もなかった。
何百回と行ってきた空戦の勝敗を、イヴがカウントしていた事にも驚いたし、それがたったの五点差であることにもまた驚いた。それに執着する理由がわからなかったが、そんな僕の気持ちを読み取ったのか、彼女に睨まれる。
「なに。勝者の余裕ってやつ?」
「そうじゃない。でもそれって、殆ど同点に近いんじゃない?」
「でも五の違いがあるの!」
「と言われても……」
「楽しんだ方がトクでしょ? このテストで逆転してやるから」
不敵に笑ったイヴはステップに乗って操縦席に滑り込んだ。それを見送ってから、こちらも機体に乗り込んで準備にとりかかる。
この機体は好きだ。
前にも搭乗したA30M艦上戦闘機。大戦時、伝説とも謳われた戦闘機のDNAを受け継ぐこの機体は、持ち前の格闘性能はそのままに安全性と耐久力を向上させた防衛海軍の主力機である。超低速から失速を引き起こすまでの操作可能領域が広いことが特徴。素人から玄人まで高い評価を与えられた乗り手を選ばない扱いやすい戦闘機だという。
そして搭載されている“A48”こそ、その並外れた出力と燃費の良さでジェットエンジン開発を遅らせている航空史に名を残す傑作空冷原動機と言えよう。フルモデルチェンジせずに前型の戦闘機から使われている旧式だが、逆に言えば熟成が進み完成されている。このエンジンの血筋を断ち切り進化の可能性を摘んでしまうのは惜しいのではないだろうか。
また、原油が不足している世界事情と艦上での整備性や被弾時の耐久性などを考慮した結果、これまで空冷型が積極的に採用されてきた。空冷エンジン特有の多大な空気抵抗を大馬力によって帳消しにできることは先の大戦での戦訓であり、今必要とされているのは空冷エンジンなのではないか。詰まるところ、試験結果に関係なく空冷エンジンが採用されるのは決まったようなもの。そのような考えが僕にはあった。
「どうせ、やることは同じさ」
自分に言い聞かせるように呟く。いつもと同じように戦って結果を出せばそれでいい。他に望まれていることなんてないのだから。――でも。
「楽しんだ方がトク、か」
そうかもしれないなと思い、にやりと笑う。相手がその気なら真剣勝負というのも面白いだろう。そうとなれば負けたくはない。勝ちに行こうと思った。小声でこっそりと久留米さんを呼んでみる。声が届くか心配だったが杞憂だった。
「どうした」
「イヴには聞こえていますか?」
「いや。俺とお前だけだ」
「では秘密の質問です。僕とイヴの空戦能力に差はありますか?」
さっきは勝負について淡白な発言をしていたためにイヴにこれを聞かれたくなかった。
「全部同等、というのがカタログデータだが」
彼はそこで言葉を区切って声静かに続けた。
「知識はお前の方が上だ」
「知識……」
「現代で発生した空戦記録をデータ化。有効な機動やらスロットル操作やらをメモリーに突っ込んである。それだけじゃない。昔のエースたちの特殊な戦法や操縦を俺なりに分析したデータも含まれている筈だ」
「……なんでそんなことしたんですか?」
「お前に、ひとつだけでもイヴより高い性能を持たせてやりたかったのさ」
「無駄な努力ですね」
「だな。だが今回は役に立つ筈だ」
久留米さんはそんなことを考えながら僕を完成させたのかと思うと、少し不思議だったが嬉しくもあった。ただのシュミュレーションソフトの一部ではなく、心を持った存在として認めてくれているようで。
最初から孤独ではなかった。自分を思ってくれる人。友達のようなライバルのような人。大好きな戦闘機に包まれて自然と笑みが溢れる。これまで僕を襲っていた孤独感は、今心の中から源泉のように湧いて来る優しくて温かいものを知るためにあったのかも知れない。
「どうした?」
「なんだか、とても幸せです」
一瞬の間をおいて、久留米さんの笑い声が聞こえる。この声量ではオフィス中に聞こえているだろう。
「まったく、お前はかわいい空戦モルモットだよ」
思わず僕も吹き出す。今になって考えるたらとても恥ずかしい事を言ってしまった気がした。気を改めた久留米さんが今度は真面目な声で言葉を続けた。
「勝って見せろ。アダム」
「わかりました」
「早く飛んでくれ。イヴがやかましい」
「はは……」
イグニッション・オン。警告灯が全部点灯してからすぐに消えて、電源ランプが緑色に光るとセルモータースイッチに手を掛けた。イヴ機のマフラーから黒煙が吐き出されると小気味よい爆音を響かせて、跳ね馬のように飛び立っていく。この立ち上がりの良さが液冷エンジンの売だ。
エンジン・スタート。むこうとは違うテンポの爆発が機体を揺らす。推進マフラーから握り拳のような煙が飛び出してプロペラが回転を始める。
マニュアル通りに計器を確認、フラップを下ろして操縦桿を前に押す。スロットルを上げて滑走路を走らせる。揚力を得た尾翼が持ち上がり、桿を手前に戻すと、やがて機体は地面を離れた。
いつかのようにイヴが正面から迫る。
空で決闘をでもするかのように対峙する。まあ、間違いないではない。
更に急接近。方向舵は取り舵、右手の桿は左横転。
次の瞬間、お互いのキャノピーとプロペラの翼端を擦るような交差。その一瞬を突ん裂く風音とエンジン音。
そして水平面での八の字運動に突入し、勝負の幕は切って落とされた。
* * *
結果、僕は追われいた。
旋回戦は長引いて高度は落ちている。これ以上低空に降りたくはない。下方向の逃げ場所を失うからだ。とは言っても上昇に転じて機速を落とすのも好ましくない。減速の瞬間、絶好の攻撃チャンスをイヴは逃さないだろう。
どうする。
頭の中で考える。メモリーの中、久留米さんが託してくれた様々な前例から解決策を探る。これが知識を持つ者の強みなのだろう。だが、それを一瞬で選びとらなければならない。ババ抜きで例えれば、カードを選んでいる暇などないと言うこと。これだと決めたら実行するだけ。
これの判断方式も、もしかしたら過去のパイロットの経験に基づいているのかも知れない。すべては久留米さんが僕の中に組み込んだものの一部であろう。
思考は一つの機動にたどり着く。
一発逆転の必殺技。それは戦法とは違う曲芸。旋回ではなく屈折。今となっては展示空戦ショーでも見ることが出来ない。しかし、あまりにも有名過ぎる特殊な操作技法。
操縦桿は下げ舵、降下して速度を得る。
続いて上げ舵で上昇。
イヴはピッタリと追尾を続けているが、発砲はしない。恐らく決定的なタイミングを待っているのだろう。賢明な判断と言える。
方向舵を面舵にいれながら斜め左に天を目指して駆け上がる。
縦旋回の頂点に達した瞬間――。
スロットル調整。
エルロン左、方向舵を取り舵一杯。
昇降舵は上げ舵。
するとキャノピーを叩く風音が消え機体が左に滑る。
イヴ機はこちらの腹下を追い越していく。
エンジンは単なる重りと化し、左後方に落下しようとする機首はぴたりとイヴを捉えていた。
虚しく回転している二重プロペラが下方を向いたときにスロットル全開。
同時にイヴの機体を照準器の中に見る。
スロットルレバーを握る左手の親指が機銃の引き金を引いたとき、これで一丁上がり、という誰かの言葉が脳裏を過った。きっと昔のパイロットのものなのだろう。
……。
「さっきの機動をトレースしてメモリーにインプットしたから、同じ手は通用しないよ」
「……」
「早く始めようよ。私、先に上がってるから」
「……」
「……久留米さん」
「イヴは恐ろしい学習能力を持ってるなあ、アダム」
「やっぱり、僕ら、イヴ達に敵わない気がします」
「奇遇だな相棒。俺も同じ考えだ」
僕は機体試験部シュミュレーションのテストパイロット。今日も仮想空間でドッグファイトを繰り広げる空戦モルモットだ。
【おわり】
完読ありがとうございました。
評価や感想、お待ちしております。