Log.6 事件勃発
ふぁーっ、うーん、よく寝たな................。
なんだ、この大勢の人間は、ああ、和美の誕生日パーティとかやってたんだな。
『今日は楽しかったーっ』
『うん、面白かったわねぇ』
『料理も美味しかったし、藍、和美、楽しかったわ、ありがとうねぇ』
『ううん、私の方こそ、こんなに楽しい誕生日は久しぶりだったわ、来てくれて嬉しか
った、皆さんありがとう』
『楽しかったなー、風見さん、高村さん、どうもご馳走さま、美味しかったよー』
『おう、もうこんな時間か、今日は収穫がたくさんあったぜ』
『隆ぃ、その言い方は誤解されるぞーっ』
『あっ、マズイ、それは勘弁』
アハハハッ、と笑いが絶えない。
『藍、ちょっと、ちょっと、ねぇ』
和美が藍を隅に引っ張っていった。
『何なの、みんな帰ったら後片付けしなきゃいけないでしょ』
『その事だけどねぇ、さっき洋介さんとこの後で飲みに行く約束しちゃったのよ、だか
らさあ』
『何よ、それ、ずるいわよ、ちょっと酷くない』
『お願い、チャンスなのよ、この埋め合わせは絶対するから、ねっ、お願い』
出たな、和美のお願い攻撃。
『うーーん、じゃあ、会社の近くのイタリアレストランでの食事を奢ってもらおうかな、
それと、チャンスをものに出来なかった時のペナルティも必要ねぇ』
『ペナルティ、って自信ないんだけどぉ..。とにかく食事はOKよ、だからごめんね』
『まあいいでしょ、乗りかかった船だし、頑張らないと承知しないわよ』
『うん、ありがとっ、じゃねっ』
『ハイハイ、じゃ洋介さんによろしくぅ』
和美はウィンクしながら玄関に向かって行った。藍も玄関へと歩いていく。
『じゃ、お邪魔しましたぁ』
『ご馳走さまぁ』
口々に挨拶を残して、帰って行った。藍は部屋に戻ると腕まくりしながら。
『仕方無い、一人でさっさと片付けるとするかぁ』
言葉の割には元気が無い、みんなに一緒に付いて行けば良かったのに、それじゃ中々進
展は望めそうもないか。まっ、そういう所も私は気に入っているが....。そう言えば
喉が渇いてるしお腹も空いてるな。
藍を見上げたらちょっと寂しそうな顔をしている、慰めてやるか。
『ミャオ』
と擦り寄って行くと。
『ん、ミュー何?、あぁお腹空いちゃった?、今用意するから待っててね』
いや、少し違うが、そういう優しいところはもっと好きだな。
『はい、お待たせ』
やっぱり、チキンか.........。頂きます。
『よーし、まずは食べ残しの物から順に片付けようかな』
家庭ゴミ用の樹脂ケースを開いて、テーブルの上の皿に残されている、色々な食べ残し
を順に入れていく、あらかたの物を入れたところで、樹脂ケースをディスポーズ装置にセ
ットしている。家庭ゴミはこれで粉砕してから回収するようになっている。完全乾燥させ
る機能もついているので、粉砕して乾燥し回収用パックに密封するので匂いもしないし、
腐ったりすることもないようだ。
『次は食器類か、これだけ多いと食器洗浄機を使うしかないわね』
藍は普段は自分で食器類を手洗いしているから、あまり食器洗浄機を使うところを見た
ことがない。カゴに食器類を順にセットしている。
『うわーっ、多いなぁ、やっぱり2回に分けないとできないわねぇ』
ぶつぶつ言いながら、洗浄機のカバーを降ろして、スイッチを入れる。金属音ともなん
とも言えない音がして洗浄を開始する。ううっ、嫌な音だな背筋がゾゾッとする。
『相変わらず嫌な音よね、まあ綺麗になるからいいけどさ』
しばらくして洗浄完了の音が鳴る、藍は洗浄機のカバーを開けて手際よく食器棚に戻し
ていく。
『これは普段使わないやつだから、確かこの辺りにしまっておいたはず』
洗浄機から全部取り出した後で、2回目の食器をセットしていく。
『よしっ、これで食器はOKよねぇ』
ふぅーっ、食べた食べた、ごちそうさま。あとはミルクが欲しいな。
『ミャーオ』
『うん?、ああミルクね、ハイハイ、世話が焼ける人の多い事』
おいおい、一緒にしないでくれよ、それに私は猫で、人ではない。
『はい、どうぞ』
へへっ、頂きます。
『じゃあ、後はテーブルクロスを取り替えて、ケーキの箱やらお菓子の袋もゴミ箱へと』
てきぱきと片付けている間に、2回目の食器洗浄が終わったようだ。
『腕がだるくなってきたわね、それに今何時かしら』
食器棚に食器類を戻し終わって、時計を見ている。
『もう8時かぁ、なんか疲れちゃったなぁ』
ごちそうさま。じゃあいつものごとくソファーへと移動するか。あれっ、なんだこれは。
なんか見たことがあるような機械だな。ああ、これってPITじゃないか。でも藍が使っ
てるのはパールホワイトだから、この黒っぽいのは誰のだ。なんかアルファベットで書い
てある。T.H...T.H...T.H...って、今日来た連中の中にいたのは..。
そうか兵頭隆、あいつのPITなんだな。藍を呼ぼうとしたその時、室内ターミナルの呼
出音がなった。
『あれ、誰だろ今日はもう誰も来る予定は無いのに、変ね』
藍はターミナルに近寄ってスイッチを入れた、やがて相手の顔がディスプレイに表示さ
れる。
『あれっ、兵頭さんじゃない、どうしたのかしら』
藍はターミナルの会話スイッチを入れて話を始めた。
『兵頭さん、どうかされました?』
『いやぁ済みません、僕のPITをそちらに忘れたようなので取りに伺いました』
『そうですか、ちょっと探してみますね』
『お手数かけます』
藍は部屋を見渡して、私の方を見て、大きく頷いた。
『ええ、ありましたよ、下までお持ちしましょうか』
『いや、いいです、そちらに伺いますから』
『じゃあ、カード発行しますから、お越しください』
藍はカード発行の操作を行ってから、こっちへやって来た。
『ああ、この色じゃソファーにあると見つかりにくいわよね』
暫くして、室内用のターミナルの呼出音が鳴った。藍は玄関へと向かっていった。
『ハーイ、今開けます』
なんか鳴ってる、兵頭のPITが鳴っている、バイブレートモードも機能してるらしく
て、細かく振動している。いかんな、猫の本能でついついじゃれてみたくなってしまう。
とりゃっ、と、前足で押さえ込んだ。呼出音が停止した。しまった受話ボタンを押してし
まったようだ、まずいな。丁度、兵頭が部屋に入ってきた、その時、PITから声がした。
『おい、兵頭か、約束の時間をかなり過ぎてるぞ。本当にジニアスの設計書は持ってく
るんだろうな。おい、返事しろよ...。チェッ、一旦切るぜ』
兵頭の後から入ってきた、藍の表情が変わった。何かとんでもない会話を聞いたような
顔をしている。兵頭はと言えば、蒼褪めた顔色になって手が心なしか震えているようだ。
兵頭はPITを服のポケットにしまった。
『見つかって良かったですね、兵頭さん』
藍は平静を装っているが声が若干震えていることがよく判る。
『藍さん、実は...』
『兵頭さん、帰ってくださいっ』
『僕の言うことも聞いてください』
『私は何も聞いてません、だから、お願いです帰ってください』
『実はこれには理由があるのです』
『嫌です、何も聞きたくありません、お願い帰って』
兵頭は藍に近づいて行く。止むを得ないな、私も臨戦体制をとるか。兵頭の視界から外
れる場所を選んで藍に寄って行く。
『僕はずっと前から、藍さんのことが.....』
『お願い近寄らないで、でないとガードを呼びます』
『そんなに僕のこと嫌いですか』
兵頭は藍の手を掴んで引き寄せようとしているが、藍は後ずさりしながら、それを必死
で拒んでいる。
『嫌です、触らないで下さい、お願いです、こっちに来ないでっ』
兵頭が藍の肩を抱き寄せようとしている。
兵頭、やり過ぎたな。
私は椅子からテーブルへ飛び乗り、そこから爪を出したまま兵頭の頭めがけてジャンプ
して行った。兵頭の後頭部にしっかりと爪を叩きこんで、身体を捻って床に降りた。
『痛いっ、何しやがるっ』
藍はあやうく難を逃れて、兵頭とはテーブルを挟んで反対側へ移動した。
『こいつぅ、猫の分際でよくも俺に傷をつけたなっ』
なんとでも言えっ。嫌がる藍に手を出すからだ。自分で撒いた種だろっ。
『フゥーーッ』
私は低く唸りながら、兵頭の様子を観察した。あまり痛手にはなってないようだが、藍
を助けることはできたようだ。ここからが問題だな。こちらは動きは速いが、なにしろ軽
量だから致命的な一撃は当てられないからな。おっと、兵頭が手を伸ばしてきたなっ。
私は移動しながら、爪を出して手の甲を強く引っ掻いてやった。
『くぅっ、痛っ、この野郎、もう勘弁しないぞっ』
ほう、勘弁しないなら、どうするというのだ。再び、兵頭が近づいて来た。今度は拳を
握っているから、殴りに来たな。逃げられないように隅に追い詰められた、パンチが来た。
素早く避けて、ジャンプした瞬間、思い切り腹を蹴られた。こいつ何か武道をやってるよ
うだ。激痛に声が出る。
『ウギャーッ』
蹴られたのと、その勢いで壁に叩き付けられたので、身体が言う事をきかない。くそっ。
藍は大丈夫なのか。
『ざまぁ見ろ、俺に逆らうからだよっ』
『酷いっ、ミューになんてことするのよっ』
藍、どうして逃げなかったんだ。
『藍さん、この痛みの代償は高く付きますよ、何で払ってくれます』
こいつ、本性が出てきたな、藍を恫喝している。藍、早くガードを呼ぶんだっ。
ガードを呼ぶためのスイッチは室内ターミナルに付いているのだが、その前に兵頭がい
て、藍は近づくことができない。兵頭のPITがまた鳴りだしている。兵頭はPITを取
り出して、受話ボタンを押した。
『おぅ、俺だよ、ああ、悪いとんだ無駄足食っちまってさ、ちょっと時間を変えてもら
おうと思ってたところだ。うん、そうだ午前2時にいつものバーで、頼むぜ、じゃな』
兵頭はPITを再び服のポケットにしまいこんだ。
『さてと、時間はたっぷりあるからな、ゆっくりお楽しみといきますか』
『ジニアスって、開発中のうちの会社の製品じゃないっ。みんながどれだけ苦労して、
あの開発に関わって来たと思うのっ。悪い事言わないから、さっさと返してしまった方が、
あなたにとってもいいと思うけど』
どうやら、藍は相手がもう自分の同僚ではないと心に決めたようだ。だが、状況が悪い
事に変わりは無い。誰か、藍を助けてくれっ。うんっ、何か玄関で動いたような。
『だめだね、設計書は返せないね。俺がどれだけあの会社で痛い目にあったか、あんた
は知らないだろ。俺はあの会社に復讐してやるのさ、そしてその金で自分の会社を作って
自分の好きなように生きるんだよ』
『ジニアスにはうちの会社の未来が掛かってるって、葛西さんが言ってたの、あなたも
知ってるでしょ。あなた葛西さんの友達じゃないのっ』
『葛西かぁ、奴は俺と違って優秀な技術者だからな、俺の気持ちなんか判らないさっ。
それに奴は俺と違って昔から女にもてる奴でね。ごたくはいいから俺の相手をしなよっ』
兵頭はイライラしてテーブルを飛び越えようとした、その時。
『隆ぃ、それ違うぜ』
一ノ瀬、どうして此処までこれたんだ。でもこいつも兵頭とグルなのかも知れない。
藍は驚いて声も出ないようだ。
『竜也、ど、どうしてお前、こっ、此処にいるんだっ』
『お前と同じ理由なら嬉しいのか、隆』
『ぐっ、それじゃあ』
『そうだよ、葛西から、ここ一ヶ月ばかりお前の様子がおかしいって相談を受けててね、
それで、ずっと調べていたんだよ、お前の最近2週間の行動をね。そう3日前にお前が会
っていた奴も含めてさ』
『じゃあ、知ってたのか、葛西も』
『そうだよ、あいつお前が直前で考え直してくれると信じてるんだぜ』
『葛西は今どこにいるんだ』
『俺からの何も無かったって連絡をずっと待ってる筈だよ』
『ふん、そんなこと言ってももう遅いぜ。もう此処まで来ちまったからな』
『隆、やめなよ。今なら俺もあいつも、何も無かったって報告ができるんだ』
『報告っ、報告ってなんだ、もっ、もしかして』
『そう、うちの部の上層部はとっくに疑い始めてるってこと。でも、俺と葛西でなんと
かするから、もうここでやめろよっ』
『そこまで疑われているなら、好都合だ。このまま行かさせてもらうぜ。葛西やお前に
は悪いけどな』
『そうか...、葛西はがっかりするだろうが仕方が無いな』
一ノ瀬はPITを取り出してどこかに連絡をしている。
『隆、悪いが、このマンションにはもうI.P.が来てるんだよ』
『I.P.だって、いったいお前は何者なんだ』
『みんなには黙ってたけど、俺は民間のI.P.なんだよ』
やっと私にも理解できた、どうしてカード無しで一ノ瀬がここまで来れたのか。きっと
I.P.の証明書で例のガード用高速エレベータを利用して来たのだろうな、とんでもな
い奴だな、あれに乗れるとは。
『それでね、俺にもやっと判ったよ。だけどそう簡単に捕まってたまるかぁっ』
兵頭は一ノ瀬に右のハイキックを放ち、一ノ瀬がよろけたところをすり抜けて、玄関へ
飛び出していった。
『兵頭だ、逮捕しろ』
という声と共に数人の足音と争う声がした後、静かになった。多分自殺防止用のマウス
ロックをされたのだろう。
『一ノ瀬さん、報告書は後日提出願います』
玄関の方から声がして、ドアの閉められる音が響いた。
『風見さん、大丈夫でしたか、お怪我はありませんか』
一ノ瀬の優しい声に藍は我に帰ったようだ。涙をポロポロ零しながら、しきり頷いてい
たが、やがて押えきれなくなったように、大きな声をあげて泣きながら、一ノ瀬にしがみ
ついていった。
『大丈夫です、もう全部終わりましたから、安心してください』
一ノ瀬は藍の肩を優しく撫ぜながら話をしている
『隆のこと黙っていて済みませんでした、できればあいつが以前のあいつに戻ることを
期待していたのですが...。こんなことになって本当に申し訳ないです』
藍は自分がしがみついてる相手にやっと気付いたみたいに、パッと手を離して。
『兵頭さんの罪はそんなに重くなるのでしょうか』
『産業スパイと取引して会社に損害を与えようとしたこと、風見さんの部屋に不法侵入
したこと、なおかつ暴力を振るったこと、恫喝をしたことなどが裁きの対象になります』
『私の部屋に入られたのはきっと単なる偶然だと思います。ですから、そのことで兵頭
さんを罪に問わないでください、お願いです』
『はあ、でも僕が裁くわけでもないし、あとは検察の仕事ですから』
『でも.....』
『...判ってますよ、あいつは葛西や僕の友人だし、あいつが反省してるなら、少し
でも罪が軽くなるように努力してみます』
『あっ、ありがとうございますっ』
『風見さんは本当に優しい方ですね』
藍は一ノ瀬の顔をじっと見て。
『あっ、頬から血が出てます、痛くありません?、今、薬持ってきますっ』
『ああ、あいつの蹴り、かなり凄かったですからね』
『そんな、一ノ瀬さんっ、ひとごとみたいに』
藍は一ノ瀬の顔に傷薬を塗っている。
『あはっ、済みません、それと竜也でいいですよ』
『じゃ、私も、藍って呼んでください』
こらこら、いつまでも二人の世界に浸ってないで、私のことも思い出して欲しいもんだ。
『ミャオ』
『あっ、いけない、ミューっ、大丈夫?』
やっと気付いてくれたか、私も多少は働いたのだから、労わって欲しいものだ。
『ミュー、どこか痛くない?』
藍は私の身体を擦っている。脇腹あたりに藍の手が来た時にかなりの痛みが走った。
『ミャーゴゥッ』
『ここが痛いのね、どうしよう、もう動物病院もやってないし』
一ノ瀬がやって来て。
『多分、打ち身か打撲でしょうから、まず湿布などで冷やしておいて、明日にでも医者
に見せた方がよいでしょう』
『はい、わかりました、ありがとうございます』
『それでは、僕はこれで帰りますが、この事件に関しての書類を書いて頂く必要がある
と思います。ですから、また近日中に伺います』
『はい、お待ちしてます』
おいおい、普通そんな返事はしないぞ。
一ノ瀬はにっこり笑って。
『もう大丈夫だと思いますが、念のため警備員を一階に配備してありますから。安心し
て休んでください。それでは失礼します』
藍は名残おしそうな顔をしている。おい、ばれてるぞ、きっと。
『はい、じゃお休みなさい、気を付けて』
藍は玄関まで一ノ瀬を見送っていった。私はというと、脇腹と前足が痛いので、思うよ
うに動けない。
『ふうーっ、あーっ、もーっ、何がなんだか判んないわよーっ、なんか興奮して眠れそ
うにもないわ』
藍はソファに倒れこむようにしてへたりこんだ。私も同感である、何やらめまぐるしい
一日だった。やれやれ、痛っ。
*I.P.= Information Police 情報機構捜査官一般警察とは別に一般警察が追い切れない
情報関連の犯罪の取り締まりを行う。産業スパイなども管轄対象。
いわゆる公務員系と技術的なレベルを高めた民間系がある。
つづく