【第1話:海からの恵みと、手のひら返しの爺さま】
新連載スタートです!
どこかうら寂しくも若者の熱気あふれる外房の漁村を舞台に、とんでもない「海の恵み」が漂着することから物語が始まります。
ぜひお楽しみください!
ひゅう、と寂びついた潮風が、隙間だらけの板壁を鳴らす。
外房の夜明けは遅い。昨晩までの激しい時化が嘘のように、いまはただ、灰色の重い海が不気味にうねっているだけだった。
「おい、次郎。本当に生きてんのか、これ……」
「知るかよ、太助兄ちゃん。触ってみろよ、冷てえぞ」
漁村の悪童兄弟――兄の太助と弟の次郎は、薄暗い隠居小屋の土間に、どさりと「それ」を転がした。
大きなむしろに包まれているのは、今朝がた浜に打ち上げられていた、塩まみれの大きな塊だ。
全身に黒い泥と海藻がべっとりとこびりつき、まるで打ち上げられたトドの死骸のようだった。
辛うじて頭らしき場所から覗いているのは、塩で固まった真っ白な髪の毛。
「お前たち、朝っぱらから人の安眠を妨げて何ごとじゃ!」
小屋の奥から、不機嫌そうに煙管を咥えた隠居爺さまが這い出てきた。
若者たちの不甲斐なさを日頃から嘆いている、村の偏屈な最長老だ。
「爺さま、大変なんだよ! 浜に変な老婆が落ちてたんだ!」
「死んでるか生きてるかも分かんねえ。とにかく、時化の後にこれがさ」
太助と次郎の言葉を聞いた瞬間、爺さまの白眉がぴくりと跳ね上がった。
爺さまは煙管を灰吹きに叩きつけ、ガタッと身を乗り出す。
その目が、長年このうら寂しい海で生きてきた者特有の、鋭い輝きを帯びた。
「……阿呆め! 浜に打ち上げられたものは、すべて海からのありがたい恵みじゃ! 我が村の宝じゃぞ!」
「えっ、宝? この泥まみれの婆さんが?」
「決まっておろうが! 漁師が海の施しを疑ってどうする! すぐに家に運べ! 水を沸かせ、泥を落として介抱するんじゃ!」
爺さまの凄まじい剣幕に、兄弟は気圧された。
「分かった、分かったよ! ほら次郎、担ぐぞ!」
「うわ、重てえ……。爺さま、俺たちの家へ運ぶからな!」
二人は老婆(仮)を再びむしろに包み、這う這うの体で自分たちのあばら家へと担ぎ込んだ。
*
「よし、水が沸いたぞ。おい次郎、手ぬぐい持ってこい」
「兄ちゃん、これ本当に泥を落とすのかよ。なんか、着物もボロボロで変な形してるぜ?」
兄弟の狭い居間に横たえられた老婆(仮)は、見たこともない奇妙な仕立ての、濡れた服を着ていた。
泥が乾いて土壁のように固まりかけている。
「身元を確かめねえと、どこの村の人間かも分からねえだろ。ほら、とにかく泥を拭うぞ。……ん? 待てよ、着物を脱がせねえとちゃんと拭けねえな」
「えっ……お, お俺が脱がせるのか? 婆さんとはいえ、女だぞ?」
「バカ言え、お前が足を持て。俺が上を脱がせる」
ごくり、と二人の喉が鳴った。いくらうら寂しい漁村の悪童とはいえ、年頃の男兄弟である。
太助が恐る恐る、泥で固まった異国の衣服の紐を解き、肌から剥がすようにして脱がせていく。
次郎が濡れた手ぬぐいで、その下に隠された皮膚の泥を、そっと拭った。
「……おい」
「……ああ」
手ぬぐいが泥を拭い去るたびに、二人の呼吸が止まった。
現れたのは、しわがれた老婆の肌などでは、断じてなかった。
月光をそのまま硬めて滑らかに磨き上げたような、眩いばかりの白肌。
漁村の健康的な小麦色の娘たちとは一線を画す、豊満な胸元と、きゅっと引き締まった細い腰つき。
成熟した大人の色気と、少女のような瑞々しさが奇跡的なバランスで同居する、見たこともない肉体だった。
「なあ、兄ちゃん……これ、婆さんじゃねえよな?」
「当たり前だろ……。おい、見てみろ、この髪」
太助が、塩で真っ白に固まっていた髪を、温かい湯で丁寧に洗い流していく。
すると、固まりが解けるようにして、さらさらと溢れ出してきたのは――。
「……き、金?」
「黄金の髪だ……」
居間の薄暗い灯りの中で、その髪はまるで生き物のように妖しく、眩い光を放った。
二人はあまりの衝撃に魂を抜かれたように身動きもできず、その場にへたり込んだ。
胸の動悸が止まらぬほどの、言葉を失う美しさ。お江戸の絵草紙の美女すら足元に及ばない、異国の超絶美女が、自分たちの薄汚れた畳の上に横たわっているのだ。
「う、ううん……」
不意に、少女の長い睫毛が震えた。
ゆっくりと、その瞼が持ち上がる。
現れたのは、外房の突き抜けるような秋の空よりも、さらに深く、澄み渡った――青い瞳だった。
「……ここは、どこ……?」
彼女の唇から漏れたのは、聞いたこともない、弦楽器のように美しい響きの異国の言葉(ゲルマン語)だった。
少女は上体を起こし、自分が知らない東洋のあばら家にいることに気づくと、豊かな胸元をきゅっと抱きしめ、警戒するように青い目を泳がせた。
「あ、あの……娘御? 気がついたか?」
「言葉、通じねえみたいだぞ、次郎」
太助と次郎がすっかり骨抜きにされ、冷や汗を流しながら見つめ合っていると、ドタドタと激しい足音が響いた。
「おい! 介抱は進んどるか! 海の宝の様子は――」
様子を見に、隠居爺さまが勢いよく障子を開けて踏み込んできた。
大砲のような勢いで入ってきた爺さまの動きが、ぴたりと止まった。
部屋の真ん中で、黄金の髪をなびかせ、青い目でこちらをじっと見つめている、半裸の肉感的な異国の美女。
爺さまの煙管が、手からポロリと畳へ落ちた。さっきまで「宝じゃ、宝じゃ」と大喜びしていた爺さまの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
「……爺さま?」
太助が声をかけた瞬間、爺さまの顔は真っ青を通り越して土気色になり、狂ったように自分の白髪を掻きむしりながら、畳をドンドンと激しく叩いて絶叫した。
「ひゃ、ひゃあぁぁぁーーーーーーっ!! 異人じゃ! こりゃホンモノの異人じゃねえか!!」
「うわっ、爺さま、声がデカいよ!」
「うるさいわい! お前たち、お上の厳しき掟を忘れたか! 国を閉ざした今の世で、異国の者を匿うなど――そんなことが庄屋さまや奉行所にバレてみろ!」
爺さまはガタガタと全身を震わせ、今度は太助の胸ぐらをつかんで前後に激しく揺さぶった。
「俺たちだけじゃねえ! 村ごと! 村ごと全員磔獄門じゃーー!! 浜のものは宝じゃが、異人は磔じゃ! いますぐ海へ突き返せ!!」
「ウンメーリヒ(あり得ない)!?」
爺さまの凄まじい手のひら返しと大騒ぎに、少女――お咲は、どこか呆れ果てたような顔を浮かべ、思わず異国の言葉で突っ込みを入れた。
言葉の意味は分からずとも、その「何言ってるの、このお爺さん」と言いたげな、小悪魔的で魅力的なしぐさに、太助と次郎の心臓は再び大きく跳ね上がる。
「爺さま、そんなこと言ったって、こんな綺麗な姉ちゃんを、また荒海に放り込めるわけねえだろ!」
「そうだ! 死んじまうよ!」
/「死なねば俺たちが死ぬんじゃ! 磔獄門の恐ろしさが分からんのか!」
冷や汗をダラダラと流しながら怒鳴り散らす爺さまと、お咲の圧倒的な美しさに完全に魅了され、命懸けで庇おうとする悪童兄弟。
うら寂しい漁村の片隅で、明日をも知れぬ、ハラハラだらけの隠蔽生活の幕が、いま強烈に切って落とされた。
お読みいただき感謝です!
白髪の老婆かと思いきや、まさかの超絶ブロンド美女の登場でした。
しかし、匿えば即アウトの磔獄門! 次回、そんな大混乱の家に村の最高権力者が突撃してきます。
お楽しみに!




