将棋
里香知と父親は、将棋盤に駒を並べる。
里香知は、例えば「角行」と「飛車」がどっちだったか、などと迷いながら将棋を並べていく。
一方で、父親は慣れた手つきで、将棋盤の駒を並べる。
一通り、駒を並べ終わると、父親はハンデということで「角行」と「飛車」を落とし、里香知が先手となった。
「ねえ、父さん」
「ん、なんだ」
里香知は、暫く恥ずかしそうにもじもじしたのちに、思い切って聞いてみた。
「あのさ、何でお父さんは将棋が好きなの?」
リビングでは、パチン……パチン……と静かに音が鳴る。
父親は将棋盤を凝視し、静かに腕を組みながら考える。
それは、将棋の局面が難しいと感じているかもしれないし、あるいは質問自体が難しいと感じているのかもしれない。
「んー……正直に言うと、好きだったら続いていただろうけど、長くは続かなかったんだよな。とすると、まあ……それほど好きじゃなかったんだろうな」
父親は、駒をゆっくりと動かし、そして里香知はそれをじっと見る。
「まあ、でも……なんだろう、魅力はあったんだよ。将棋にはね」
パチン!と駒を置く音がリビングに響きわたる。
「将棋の魅力?」
「将棋はさ、自由なんだよ」
里香知には、将棋が自由であることはわからなかった。
それぞれの駒には動かし方がある。
それに一回に一度だけしか駒を動かせない。
歩を同じ行に二枚置いてはいけないし、歩を打って王を詰ませてはいけない。
ルールがたくさんあって自由とは程遠いような気がする。
「私には自由には見えないけど」
「んー、例えば……振り飛車って知ってるか?」
里香知の手も止まる。
急に質問を聞かれたからというのもあるし、目の前で「飛車」と「銀」の両取りが掛かってしまったというのもある。
「あー……振り飛車っていうくらいだから、飛車を最初に移動させるの?」
「そう。振り飛車というのはね、飛車を振るという行動をするから、人工知能の解析には非常に評判が悪いんだ。飛車を振るだけで、ソフトの手への評価というのはちょっと下がるんだよ。だから振り飛車は不利飛車だって揶揄されることがある」
父親は里香知が飛車を逃げたのを確認すると、冷静に銀を取る。
「じゃあ、振り飛車なんて誰もやらなくなるんじゃないの?」
「ところがだ、ここが将棋の面白いところだ」
父親は里香知に王手をかける。
里香知は、王手をじっと見て、色々と考える。
すぐに詰みそうじゃないけれど、ただ何処に逃げるかが分かりかねている様子だ。
「ソフトで不利だと言われている振り飛車を使いこなす達人の龍島七段が、こないだ将棋のタイトル戦である王将戦で勝ち上がってきたんだ。
相手は将棋の天才と呼ばれている現タイトル保持者の、柳川王将。
当然、龍島七段は振り飛車を使って、柳川王将と対局。
その結果は……」
「柳川さんの勝ち?」
そう言いながら、里香知は自信なさそうに、王を逃がす。
しかし、父親は頭金を打つ。
「まあ、柳川王将はメディアを賑わす大天才だからね。
もう当然勝ったんだ。だが、内容が面白い。龍島七段は、三勝四敗で、あと一歩のところまで柳川王将を追い詰めたんだ」
里香知はもう王には逃げ場所がないことがわかった。
「参りました。やっぱりお父さんは将棋勉強しているだけ強いね。飛車と角行なしでもこんだけ追い詰めるんだから」
「単純にソフトの最善の不利・有利だけでは解らないところが面白いところだ。もしかしたら、将棋の神様がいたとすると、振り飛車は『ありえない戦略』と退けるかもしれないんだ。でも、人間の勝負っていうのは」
父親は丁寧に将棋の駒を片付けていく。
「不利だと言われていても、敢えてその戦略を選び、勝つことが出来る。そこに自由がある」
そう言うと、父親は将棋の駒をしまい終わり、蓋を閉める。
「ありがとな、里香知。付き合ってくれて」
「うん、私も勉強になった。ありがとう」
◇◆◇
部屋に戻りながら、里香知は段々ともやもやしていたことが明確になってきた気がしてきた。
確かに「ハエノオウ」は、確かにゲーム操作や技術的な部分に関しては間違いなく、学び、参考にしたいところだった。
そこは里香知が「ハエノオウ」への魅力を感じた部分だった。
そして、「ハエノオウ」の勝ち方は合理的ではあった。
そのためか、里香知は「ハエノオウ」の「勝ち方」はあまり好きではなかった。
(「不利だと言われていても、敢えてその戦略を選び、勝つことが出来る」)
普段は気乗りしない父親との将棋に応じたのは、自分のもやもやを払拭するためのヒントが欲しかったというのがある。
(別に、私は「ハエノオウ」じゃないんだし、私は私のやり方を模索する必要があるのかも)