EP 11
北極星の暴走(崩壊する算盤)
一触即発。
ポポロ村の境界線は、文字通り『死の沈黙』に包まれていた。
日本の出雲艦隊陸戦隊、アメリカの偽装PMC、中国の特殊工作員、そしてルナミス帝国の騎士たち。
数日間に及ぶ野営、フェイクニュースによる疑心暗鬼、そして「相手が先に撃ってくるかもしれない」という極限の恐怖。
彼らの目は血走り、引き金に添えられた指は痙攣するほど力み返っていた。誰かが石を蹴る音ひとつで、全軍が殺し合いを始めるだろう。
その、死の空気のど真ん中に。
「みんな、ストーップ!!」
ピョコン、と。
ウサギ耳を揺らしながら、一人の少女が空から降ってきた。
「「「……!?」」」
何百という銃口と剣先が、一斉にキャルルに向けられる。
常人なら恐怖で気絶するほどの圧倒的な殺意の集中。だが、キャルルは向けられた武器など全く見ていなかった。
彼女が見ていたのは、武器を握る兵士たちの『震える手』と、疲労と恐怖で泣きそうに歪んだ『顔』だった。
「……もう、痛いのも、怖いのも、おしまいっ!」
キャルルは、両手を広げた。
満月ではない。だが、彼女の底なしの優しさが、ポポロ村の『聖なる泉』の魔力を限界まで引き出した。
フワァァァァァ……ッ。
彼女の体から、温かく、そして眩いほどの『青白い光』が、波紋のように戦場全体へと広がっていった。
「な、なんだこの光は……!?」
「防毒マスクを——えっ?」
光を浴びた兵士たちは、次々と呆然とした声を上げた。
数日間の野営でバキバキに凝り固まっていた筋肉の疲労が、嘘のように消え去る。ストレスで荒れていた胃痛が治まり、擦り傷や打撲痕が一瞬にして塞がっていく。
何より——彼らの心を黒く塗り潰していた『恐怖』と『敵対心』が、春の雪解けのように、すーっと溶けて消えてしまったのだ。
「大丈夫だよ。誰も、あなたたちを撃たないよ。……だから、もう怖い顔、しないで?」
キャルルは、目の前でアサルトライフルを構えたまま固まっていたアメリカのPMCに歩み寄り、彼の手からそっと銃を下ろさせた。
そして、ポケットから『手作りの人参柄のハンカチ』を取り出し、彼の泥と汗にまみれた顔を優しく拭ってあげたのだ。
「あ……ぁ……」
屈強な傭兵の目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「俺……ずっと、怖かった……。いつ撃たれるか分からなくて……故郷の娘に、会いたくて……っ」
「うんうん、頑張ったね。もう大丈夫だよ」
キャルルは背伸びをして、泣き崩れる傭兵の頭を撫でた。
その光景が、戦場の『狂気』を完全に終わらせた。
「……馬鹿らしい。俺たちは、何を怯えていたんだ」
ルナミス帝国の騎士が剣を鞘に収め、その場にどさりと座り込む。
「腹、減ったな。……おい、そこの日本の兵隊。レーション(携帯食料)余ってないか? 俺の干し肉と交換しよう」
「あ、ああ……お湯なら沸かせるぞ。コーヒーでも飲むか」
奇跡のような光景だった。
ほんの数分前まで殺し合おうとしていた他国同士の兵士たちが、武器を放り出し、共に座り込んでタバコを分け合い、配給食を交換して笑い合っている。
『愛で人は救えない』という魔王ラスティアの呪いを、『星の王子さま』の無償の愛が、物理的に、そして根底から覆した瞬間だった。
防壁の上で見ていた信長は、呆気に取られてライフルを取り落とした。
「……すげえ。あいつ、たった一人で『戦争』を止めやがった……」
だが。
戦場が感動の涙に包まれていたその頃。
ポポロ村の執務室では、**全く別の意味での『悲鳴』**が響き渡っていた。
「おい嘘だろ……待てキャルル、それをやったら市場が……ッ!!」
魔導端末の前に座る政宗の顔から、一瞬にして血の気が引いていた。
彼の全身から、滝のような冷や汗が噴き出している。冷徹な商社マンの顔など見る影もない、完全なパニック状態だ。
「り、力武様!? いかがなされましたか!」
いつもは冷静なリバロンでさえ、政宗の異常な狼狽ぶりにティーカップを落としそうになる。
「数字が……数字が死んでいく……ッ!!」
政宗の指が、キーボードの上で狂ったようにタップダンスを踊るが、もう手遅れだった。
政宗が世界に売り捌いた『ポポロ・ピース・ボンド』。
その価値の根源は「他国が攻めてくるかもしれない」という【恐怖】だった。
しかし今、キャルルが現場の兵士たちを無差別に全回復させ、和解させてしまった。
現場から敵対心が消え去り、「あ、こいつら俺たちを撃つ気ないじゃん」という事実が各国に伝わってしまったのだ。
恐怖が消滅すれば、防衛のための債権など「ただの紙切れ」である。
『アメリカ合衆国政府、ピース・ボンドの購入予約を全額キャンセル!』
『中国、資金の引き揚げを開始!』
『市場心理が急速に改善! ボンドの価格、暴落!』
「あああああ!! 俺の……俺の完璧な算盤がァァァ!!」
魔導端末のモニターで、天文学的な数字を叩き出していたデジタルカウンターが、ピタッと止まり。
次の瞬間、滝壺に落ちるかのように、真っ逆さまに暴落を始めたのだ。
「ストップ! 売り注文ストップだ馬鹿野郎!! 恐怖しろ! もっとお互いを疑えよお前ら!! なんで仲良くコーヒーなんか飲んでんだよォォッ!!」
政宗は、画面にすがりつきながら絶叫した。
大国を脅迫し、完璧にコントロールしていたはずの『盤面』が、自分が命懸けで守ろうとした一人の少女の「純粋すぎるバグ(善意)」によって、物理的に破壊されてしまった。
世界を牛耳る悪辣なファンドマネージャーが、ただの一人の『計算違いに焦る人間』に引きずり下ろされた瞬間だった。
「力武様、落ち着いてください! 資金が底を突きます!」
「わかってる! だがどうしようもねえ! これが……これが資本主義のバブル崩壊……ッ!」
政宗が頭を抱え、完璧な敗北を悟った、その絶体絶命の瞬間だった。
『——あはっ。解けないパズル、最高じゃん』
突然。
暴落して真っ赤に染まっていた政宗のモニターが、一瞬だけ『ノイズ』に覆われ、全く見知らぬ黒いウインドウが強制的に立ち上がった。
そこに表示されたのは、イチゴミルク味のキャンディを転がす、ラフなパーカー姿の少女のアイコン。
「なっ……日本の電脳アリス(早乙女蘭)!?」
『王様のパズル、ウサギさんに壊されちゃってボロボロだね。……でも、私が直してあげる。ううん、私ならもっと「面白く」再構築できる』
通信の向こう側で、早乙女蘭が狂気的な笑い声を上げた。
『今から、日本政府の権限を裏切って、こっちのメインサーバーを全部落とす(ショートさせる)! その隙に、王様は資金の迂回ルートを作って!』
「てめえ……! なぜ敵である俺を助ける!」
『助けるんじゃないよ。……この狂った盤面を、最前列で見たいだけ!』
政宗の算盤が崩壊し、全てが終わるかと思われた最悪のタイミング。
世界で最も危険なハッカーが、己の知的好奇心だけを理由に、ポポロ村のシステムへと強引に『ダイブ(寝返り)』してきたのだった。




