EP 10
フェイクニュースと極度の緊張
地球・モスクワ。クレムリンの地下深く。
ガオガオンの雷で失った右腕の激痛に耐えながら、ヴィクトル・オルロフ大使は血走った目でモニターを睨みつけていた。
「ええい、アメリカめ! また30億ドル追加しおったぞ! 我が国の外貨準備高では、これ以上『ピース・ボンド』の買いあいに付き合いきれん!」
ポポロ村の「月光薬の優先権」を巡るオークションは、完全に狂乱の極みに達していた。
買わなければ、他国に医療と防衛の覇権を握られる。その恐怖が、各国の理性を吹き飛ばし、政宗の用意した架空の債権の価格(価値)を天文学的な数字へと押し上げていた。
「大使……このままでは、我が国の経済が先に破綻します」
側近が震える声で報告する。
「分かっておる! ……力武政宗め。我々から武力を奪い、算盤で絞め殺す気か。だが、ロシアを甘く見るなよ」
オルロフの目に、陰湿な光が宿った。
彼のバイブルの一つは『マスキロフカ(軍事的欺瞞)マニュアル』。正面から勝てないなら、盤面の前提そのものを、嘘と情報操作で破壊する。
「情報局を動かせ。……『ポポロ村はすでにルナミス帝国と裏で完全な軍事同盟を結んでおり、集めた資金は全てルナミスの軍備増強に回されている』という情報を、証拠の偽造映像付きで全世界のネットワークにばら撒け!」
「なっ……! しかし、すぐに嘘だとバレます!」
「数時間保てばいい! 疑心暗鬼に陥ったアメリカや中国は、出し抜かれることを恐れて必ず『実力行使』の準備を始める。盤面が混乱すれば、あの男の算盤も必ず狂う!」
数十分後。
オルロフの放った極悪なフェイクニュースは、瞬く間に世界を駆け巡った。
『ポポロ村、ルナミスに身売りか!?』『ピース・ボンドは資金洗浄の罠!』という見出しが、地球のネットと各国の諜報機関をパニックに陥れる。
だが、この情報の拡散を、さらに裏で「扇動」している男がいた。
「……先生。ロシアが粗末な偽情報を流しています。各国のAIなら数時間で看破するでしょう。即座に火消しを……」
日本の内調・狗飼が報告するが、若林幹事長は『ピース』の煙をくゆらせ、楽しげに首を横に振った。
「火消し? 馬鹿を言え。こんな面白い薪(燃料)が投下されたんじゃ。我が国がもっと風を送って、大火事にしてやろうじゃねえか」
若林は、ニヤニヤと笑いながら狗飼に命じた。
「日本の情報網を使って、このフェイクニュースを『事実かもしれない』と匂わせろ。……米中露の疑心暗鬼を、極限まで煽ってやるんじゃ」
「し、しかし! そんなことをすれば、現地で睨み合っている各国の軍隊が暴発しかねません!」
「暴発スレスレの極限状態……そこで力武政宗がどう立ち回るか、見てみたいじゃろう? 勝つことそのものが、最高の快感なんじゃよ」
若林の目は、完全に「他人の命をチップにして遊ぶギャンブラー」のそれだった。
ポポロ村、執務室。
「……おいおいおい、どうなってやがる」
政宗は、魔導端末の画面を見て、かつてなく険しい顔をしていた。
フェイクニュースの拡散により、政宗の『ピース・ボンド』は暴落するどころか、逆に**異常な高騰**を引き起こしていたのだ。
「ルナミス帝国に独占される前に、強引にでも51%の権利を買い占めろ!」という恐怖(FOMO)が、アメリカや中国をさらに狂わせた結果だった。
メーターは振り切れ、ポポロ村のファンドには天文学的な資金が集中している。
「力武様。儲かっているなら、良いのでは?」
リバロンが紅茶を差し出しながら尋ねるが、政宗は首を横に振った。
「馬鹿言え。こいつは『膨らみすぎた風船』だ。……実体のない恐怖で極限まで膨れ上がったバブルは、針が一本刺さっただけで大爆発(暴落)を起こす」
政宗の視線は、金融のチャートから、ポポロ村の境界線を映す監視カメラの映像へと移った。
「問題は、パソコンの中の数字じゃねえ。現場だ」
ポポロ村の境界線の外側。
そこには、日本の出雲艦隊の陸戦隊、アメリカの偽装PMC、中国の特殊工作員、そしてルナミス帝国の騎士団たちが、互いに銃口と剣を向け合い、一触即発の状態で密集していた。
『あいつら、ルナミスとグルらしいぞ!』
『裏切られた! 俺たちを出し抜く気か!』
フェイクニュースと極度の緊張。数日間に及ぶ野営による疲労。
現場の兵士たちのストレスは、すでに臨界点を突破していた。
誰もが血走った目で周囲を警戒し、ガオガオンの雷を恐れながらも、「やられる前にやらなければ」という強迫観念に囚われている。
「……誰か一人がくしゃみをして、引き金を引いただけで、全員が殺し合いを始めるぞ」
信長が、防壁の上で冷や汗を流しながら呟いた。
暴力と暴力が、恐怖という接着剤で無理やり固められただけの、極めて危険な火薬庫。
政宗は、舌打ちをしてキーボードを叩き続ける。
このままでは、暴発した軍隊同士の殺し合いが始まり、それが「ポポロ村の責任」にされてファンドも信用も全て崩壊する。
(俺がコントロールできるギリギリのラインだ。……絶対に、余計な刺激を与えるなよ!)
だが。
冷徹な商社マンの完璧な計算式は、いつだって「最も純粋なバグ」によって破壊される運命にあった。
「……みんな、苦しそう」
執務室の窓際。
戦場の張り詰めた空気を肌で感じ取ったキャルルが、悲しげにウサギ耳を垂らしていた。
彼女の目には、大国のエゴや経済の算盤など見えていない。
ただ、境界線で銃を構え、恐怖と疲労でボロボロになっている『人間たち』の、心の悲鳴だけが聞こえていた。
「だめだよ……あんなに怯えきってたら、心が壊れちゃう」
キャルルは、政宗が止める間もなく、窓枠に足をかけ。
一切の躊躇なく、一触即発の火薬庫(戦場)のど真ん中へと、その小さな体を飛び出させた。




