21話 ただいまと言える場所
天界を追放された天魔少年と、森の奥で暮らす元女神様の、温かく甘甘なお話です。
一か月半ぶりの投稿です汗
仕事やプライベートが立て込んでいてあまり創作活動が出来なかったのですが、またこれから投稿していけたらと思います!気長によろしくお願いします!
宴が深まるにつれて、空の色はすっかり藍に溶けていた。
広場のあちこちで焚かれた篝火が赤く揺れ、猪鍋の湯気が夜風にほどけていく。村人たちが笑い合う声と、杯の触れ合う乾いた音が、ゆるやかに重なり合いながら、ルズの村の夜を満たしていた。
ネアは、空になった木の椀を膝の上に乗せたまま、ぼんやりと炎を見つめていた。
(……レフィーナ様)
胸の奥に、じんわりとした焦りが灯る。
(今頃、何をなさっているだろうか)
あの方は、表向きこそおおらかに見えるが――自分のこととなれば、驚くほど細やかに気を配る人だ。
帰りが遅れていることを、気にしていないはずがない。
「ネア? どうした、ぼーっとして」
隣に腰を下ろしていたユウが、少し身を乗り出して覗き込んでくる。
「そろそろ、お暇しようかと思って。……待っていてくれる方がいるので」
その言葉に、ユウの表情が一瞬だけ揺れた。だがすぐに、何でもないように小さく頷く。
ネアはやわらかく微笑み返し、立ち上がると、そのままカリーナのもとへ歩み寄った。
「カリーナさん。差し出がましいのですが、一つ、よろしいでしょうか?」
きょとんとした顔をする彼女の視線を受けながら、ネアはふと、村の外縁へと目を向ける。
先ほど、剛針の突進猪によって破られた結界。
応急の修復は施されているが――夜の闇に目を凝らせば、まだ薄くなっている箇所が、かすかに揺らいで見えた。
もし再び何かが襲ってくれば、同じことが起こるだろう。
「帰る前に、結界を補強させていただけませんか?」
「……結界を、ネアが?」
驚きと戸惑いが入り混じった声。
「皆さんがこの村を守ろうとしているのを見ていたら……僕も、その中にいたいと思ったんです」
静かだが、迷いのない言葉だった。
カリーナは一拍、言葉を飲み込み――やがて、ゆっくりと微笑む。
「……ありがとう。お願いします、ネア」
その了承を受け、ネアは村の中心へと進み出た。
ざわめきが、自然と静まっていく。
誰かが声を潜め、誰かが動きを止める。何かが起こると、村人たちは本能的に察していた。
ネアは、静かに目を閉じた。
身体の奥で巡る、三つの力に意識を沈める。
父から受け継いだ魔の闇。母から受け継いだ天の光。そして、レフィーナから分け与えられた女神の神気。
それぞれが異なる性質を持ちながら、拒絶することなく溶け合い、やがて一つの流れへと収束していく。
ゆっくりと、息を吸い込む。
「――守界重奏」
その声は、祈りにも似て、夜気に静かに溶けた。
次の瞬間――空気が、わずかに震える。
光が降りてきた。
最初は、蛍のように淡い粒だった。
それが、どこからともなく生まれ、ゆるやかに落ちてくる。
やがて粒は線へと変わり、線は重なり合い、やがて一枚の膜となる。
金と白の光が織り重なり、薄絹のようにしなやかに、しかし確かな強度をもって、村全体を包み込んでいく。
それはただの防御ではなかった。
まるで、誰かがこの場所を「大切にしたい」と願った、その想いそのものが形になったかのような――そんな結界だった。
「……なんだ、これは」
緑が、低く呟く。
彼の視界には、より明確に“構造”が映っていた。
ネアの結界は、カリーナの術式を壊していない。むしろそれを基盤として、丁寧に、寸分の隙もなく、その上から新たな層を編み重ねている。
糸を重ねるように。
音もなく、しかし確実に。
「……こんな芸当、できるのか」
その声から、いつもの軽さは消えていた。
黄は、ただ空を見上げていた。
降り注ぐ光の中で、目を丸くしたまま、ぽつりと呟く。
「きれい……」
それは、誰に向けたわけでもない、小さな独白だった。
カリーナは、両手で口元を覆ったまま動けなかった。
彼女にはすべて見えていたのだ。
自分の術式が土台として残され、その上にネアの結界が重ねられていること。しかしながら、その権限が一切奪われていないことが。
「……権限をこちらに残したまま、重ねている……? そんな技法……」
信じられないものを見るような声だった。
「内側はそのままなので、普段の出入りや管理は今まで通りで大丈夫です」
ネアは、いつも通りの穏やかな調子で言う。
「悪意ある者の侵入は、しっかり防いでくれるはずです。それにあの猪の突進くらいなら問題ないと思いますが……もし足りなければ、また補強しますね」
その言葉の軽さと、やっていることの規格外さの落差に、誰もすぐには言葉を返せなかった。
やがて――
バルトが、ゆっくりと立ち上がる。
真剣な顔で、深く頭を下げた。
「……礼を言う」
その一言に、場の空気が静かに変わる。
カリーナが顔を上げ、ネアに微笑んだ。
「……ありがとう。大切に、守ります」
その言葉をきっかけに、張り詰めていた空気がほどけた。
ポリーが手を振り、バルトが豪快に笑い、村人たちの声が一斉に弾ける。
再び、宴の熱が戻ってきた。
***
「ユウ、さっきからずっとそわそわしてるわよ?」
「し、してないよ!」
「してるわよ。ほら、もう行っちゃうなーって顔」
「だから違うって……!」
即座に否定するが、その視線は一瞬だけネアの方へ流れて、すぐに逸らされた。
エリはそれを見逃さなかった。
「あらあら。寂しいの?」
「なっ……!? そ、そんなわけないだろ!」
「ふふ、素直じゃないなぁ」
くすくすと笑いながら、エリは肩をすくめる。
けれど、その声音はからかい半分――もう半分は、やさしく背中を押すような響きだった。
「大丈夫よ」
「……何がだよ」
「また会えるわ」
エリはまっすぐにネアを見て、にこりと笑った。
「だって、私たち――友達でしょ?」
その一言で、ただの“出会い”が、確かな“繋がり”に変わった気がした。
「……っ」
ユウが、今度は逸らさずにネアを見る。
照れくさそうに、それでもどこか晴れた顔で、小さく笑った。
「そういうことだ。また来いよ」
ネアは一瞬だけ目を見開いた。
胸の奥に、あたたかいものがすっと落ちてくる。
「……はい。また来ます」
自然に、言葉がこぼれた。
それは約束のようで、でももっと当たり前のことのようでもあった。
エリが満足そうに頷き、くすっと笑う。
「ほらね。ちゃんと言えたじゃない」
「うるさいな……」
ユウがそっぽを向くが、その耳はほんの少しだけ赤かった。
ネアはそのやり取りを見て、ふっと目を細める。
(ああ……)
胸の中に残った温もりが、静かに広がっていく。
(次に来るときも、きっと――)
同じように笑い合える気がした。
そのときだった。
緑が軽く指を鳴らす。空気が震え、淡い風が渦を巻き、足元に柔らかな雲が編み上がっていく。
「お、もう行くのか!」
バルトが声を上げると、それを合図にしたかのように、村人たちが口々に声をかけてきた。
「また来なよー!」
「今度はゆっくりしていきなさいね!」
「パン、焼いて待ってるからね!」
次々と投げかけられる言葉に、ネアは一瞬だけ目を見開き――すぐに、ふっと頬を緩めた。
「……はい! またお邪魔しますね!」
それは約束というより、自然に零れた言葉だった。
――次の瞬間。
「行くぞ。しっかり捕まれ」
「え、帰りはもう少しゆっくりお願いします……!」
「無理だ。あのお方がお待ちだろうからな」
緑が即答した瞬間――風が爆ぜた。
視界が一瞬で引き延ばされ、村の景色が光の帯のように流れていく。
「ちょっ――速――っ!!」
抗議の声は、夜風にあっさりと攫われた。
夜風が吹き抜ける空の上。ルズの村の明かりが遠ざかり、暗い森の中に溶けていく。
ネアは振り返って、その小さな光のかたまりをいつまでも目で追いかけた。あそこには人がいる。笑ったり泣いたりしながら、限られた命を懸命に輝かせている人たちが。
そのとき、視線を感じた。
隣に座る黄が、村の明かりが消えた方角を、じっと見つめていた。雲の縁に膝を揃えて座り、小さな手を膝の上でぎゅっと重ねている。宴の笑い声が届かなくなった途端に、いつもの屈託ない笑顔が、すっぽりと抜け落ちていた。
行きの空の上でも、同じ顔をしていた。ネアは思い出す。
「……黄さん」
「……あ、えへへ! なにー?」
声をかけた瞬間、黄はパッと振り返り、いつものふわふわした笑みを作った。あまりにも素早い、慣れた切り替えだった。
「……なんでもないです。そろそろ着きますね」
ネアはそっと目を逸らした。
聞いても、今は話してくれないだろうと、なんとなくわかった。
黄が伏せた目の奥にあるものは、一言や二言で語れるような軽さじゃない。それはきっと、長い時間をかけて積み重なってきたものだから。
ただ、いつか。
(いつか、聞かせてもらえる日が来たら……ちゃんと聞きたいな)
ネアは静かにそう思いながら、前を向いた。
***
聖域の結界をくぐった瞬間、空気が変わった。
終焉の森の瘴気が消え、花の香りを含んだ柔らかな風が身体を包む。銀の湖面が夜空を映し、静かに揺れていた。
屋敷の窓から、橙色の光が零れている。
それを見た瞬間、ネアの鼓動がわずかに速まった。
(……帰ってきた)
着地と同時に、扉が開く。
「ネア!」
レフィーナが駆け寄ってくる。迷いなく、まっすぐに。
その後ろから、赤と青も静かに続く。赤は柔和な笑みを浮かべたまま、ただその歩幅だけが普段より少し大きかった。青は涼しい顔のまま、けれどその視線はネアの全身を素早く確認していた。
「お帰りなさいませ、ネア殿」
「……無事で何よりです」
二人の言葉は短かったが、それだけですべて伝わってきた。
しかしネアがそちらに頷き返す間もなく、レフィーナの腕がネアをすっぽりと包み込んだ。
「……っ」
柔らかかった。
翡翠色の髪がネアの頬をくすぐり、薄い神衣越しに伝わる温もりが、外気で冷えた身体にじんわりと染み渡っていく。フローラルの甘い香りが全身を満たして、まるで世界ごと包まれてしまったような感覚になった。
抱きしめる力は、決して強くはなかった。けれど、この腕の中にいれば何も怖くないと思わせてしまうような、絶対的な温もりだった。
「……ネア。おかえりなさい」
耳元に届いた声は、普段の鈴を転がすような滑らかさとは違い、少しだけかすれていた。
「……ただいま、戻りました」
顔を上げようとしたネアを、レフィーナがそっと引き寄せる。
「少しだけ、このままでいさせて」
拒む理由はなかった。
鼓動が、重なる。
村の温もりとは違う。
もっと深くて、確かなもの。
胸の奥に残っていた空白が、静かに満たされていく。
(……ああ)
理解する。
(ここだ)
――ここが、僕の居場所だ。
「……ただいま帰りました、レフィーナ様」
その言葉に、腕の力がわずかに強まった。
「……どこも怪我していないわね。青から猪の魔物のことを聞いていたから、心配していたの」
「はい、少し騒ぎになりましたが……ちゃんと、帰ってきました」
「そう。……よかったわ」
彼女は小さく息を吐いた。ずっと止めていた呼吸を、ようやく解放したような音だった。
「赤と青に、少し落ち着くよう言われてしまったけれど」
レフィーナは二人を横目で見て、ふふっと苦笑する。
「……ねえ、ネア。村でのお話、全部聞かせてちょうだい」
「はい! 話したいことが山ほどあります。帰り道ずっと、レフィーナ様に話したくて仕方がなかったです」
「……まぁ」
レフィーナの瞳が、ふっと和らいだ。呆れているような、それでいてとろけるように嬉しそうな、不思議な顔をして、彼女はネアの銀の髪をそっと撫でた。
「今夜は長くなりそうね。さ、入りましょう」
その言葉を受けて、ネアは静かに歩き出す。
橙色の光へ向かって。
並んで。
同じ歩幅で。
夜の聖域に、静かな風が吹く。
湖面に映る星が揺れ、その中で――翡翠の髪と銀の髪が、ひとつになるかのように寄り添っていた。
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