第十五話「血濡れの血末」
灯りの少ないその部屋からは、この屋敷の主の怒号が響いていた。
「おのれ!何故高貴な生まれのわたしが、こんな目に遭わなければならん!!」
クラウス・フォン・リッテンハイムにとってリッテンハイム男爵の跡を継いで以降、こんなに不快な夜は無かった。
「落ち着いてください男爵閣下。 今、治癒術師を呼びますので」
「さっさとせんか!この愚図どもが!!」
「ははっ!」
男爵その人の怒鳴り声にたたき出されるように、彼の従卒が飛び出していく。
ヒールをかけて止血がしてあるとはいえ、あの銀髪の少女に切り落とされた右手が疼いて感情を抑える事がまるで出来ない男爵のその形相は、憤怒を越えて悪鬼を思わせるほどに醜くゆがんでいた。
「体を直したら、わたしをこんな目に遭わせた奴らに相応の報いをくれてやる!」
そう叫ぶ男爵の言葉を聞いたファブルスは、
「お待ちください、男爵閣下!そもそも、今回の件は男爵閣下の日頃の行いに端を発したものです。首謀者を捕らえて処罰するのは致し方無いとしても、他の人間にまで類が及ぶような真似はおやめください!」と主に諫言したのだが、自らの部下を一瞥した男爵は
「貴様!わたしに意見するか!増長しおって!」
とだけ返して、ファブルスに背を向けた。
「閣下!」
ファブルスはその後に言葉を続けようとしたが、その言葉が男爵の耳に届く事は無かった。
男爵は苛立ちからか感情のままに、
「そもそも、貴族であるわたしとあの連中では生まれついての価値が違うのだ!この体も、奴らのものとは違うもので出来ている!わたしがあ奴らに何をしようが、全て許されるに決まっておるわ!」
と吐き捨てたが、背後から聞こえた聞き覚えの無い声でその言葉を切り捨てられた。
「それはダメなんじゃないかしら?」
その声に反射的に振り向いた男爵の目に飛び込んできたのは、先程まで自分に意見していたファブリスの首から上の無い体がゆっくりとこちらに倒れてくるところだった。
「ひっ!?」
思わず後ずさった男爵は、足元に転がるファブリスの頭部を踏みつけ、そのまま後ろへ倒れこんで尻もちをついた。
「なっ!?なっ!?……」
ファブリスの首からはどくどくと血が溢れ部屋を血で満たしていく中、一体何が起きたのか分からず、男爵の思考は一瞬飛んでしまったが、次の瞬間には目の前に暗がりの中に誰かがいるのに気づいた。
「……き、貴様は、だ、誰だ!?」
「さあ?誰だと思う?」
動揺しながら問う男爵の声に答えながら暗がりから灯りで見える位置に姿を現したのは、真っ赤な口紅を塗った長い黒髪の異様な人物だった。
その姿を見た男爵は、思わず、
「ば、バケモノ!」
と叫んだが、その言葉を聞いた件の人物……シャルロッテは、
「あぁ~!?バケモノって誰に言ってんだ!ゴルァ!」
と言いながら、未だ床に倒れこんでいた男爵の顔の中央にきれいなローキックを叩きこんだ。
グシャ……バーン
男爵はそのまま壁まで吹き飛び、前のめりに床に崩れ落ちた。体中のあちこちで強烈な痛みを感じ、うまく呼吸が出来なかった。また、自分の鼻の軟骨が折れる音を初めて男爵は自分の耳で聞いた。鼻からは止めどなく血が滴り落ち、目からも口からも何かが漏れていた。
ヨロヨロと体を起こそうとする男爵のその姿を見ながら、シャルロッテは悪びれもせず言い募る。
「あら!ごめんなさ~い。ついつい汚い言葉に過剰に反応しちゃった。それにしても、先程は自分はそこらの平民とは違うとか言ってたけど、そのいろんな穴から出てる汁の類いは全部、平民の皆さんと同じものだと思うけどね」
そう言うシャルロッテに、男爵は憎しみのこもった視線を投げつけたが、その視線をまっすぐに受けながら、シャルロッテは「まぁ、それはさて置き……」と、言葉を続けた。
「先ほどのあなたの発言は、我がセントーリ教の教えに反します。我々が広めるセントーリ教の教理は【秩序】。そして、その礎には公明正大さと寛容も含まれるわ。領民を慈しみ領国の秩序を維持する事は領主の務めですが、あなたはそのすべてを蔑ろにした。従って、セントーリ教の名のもとに、クルセイダーズが一人、シャルロッテがあなたを排除します」
その言葉を全て聞いた男爵は、顔が青ざめて全身総毛立つ感覚に襲われた。
「教会騎士団のシャルロッテ?……まさか、血濡れのシャルロッテか!!?」
その行く先々では血が流れない事は無いと言われ、その為に「血濡れ」という二つ名を冠する事になった教会騎士団の一人は、かつては自分と同じ聖王国の貴族であった事から、興味を持って色々な話を聞いていたが、まさか自分がその討伐対象になる日が来るとは思っていなかった男爵は、これまでに自分が聞いたシャルロッテに関する逸話を思い出し、脂汗が滲んでくるのを抑えられなかった。
「そう呼ぶ人もいるわね。まぁ、もう、あなたには関係ない事だけどね」
一方のシャルロッテは、そんな男爵には特に興味も無さそうに呟くと、腰に佩いた剣に手を伸ばした。
その様子を見ていた男爵は、自分の思い通りにならない現実に苛立ちを隠そうともせず、
「聖王国の貴族たるわたしを殺すというのか!貴様もかつては聖王国の貴族の一員であったろうが!この教国の犬め!」と吠えた。
その言葉を聞いたシャルロッテは、わずかばかりの苦笑をうかべて、
「聖王国もセントーリ教を国教に指定しているし、そもそもあなたが知らないだけで、こんな事、過去に何度もあった事なのよ」
と、まるで幼子に教え諭すように男爵に言ったが、当の男爵はシャルロッテの言葉が聞こえていないのか「…っく!貴様といい、あの銀髪の小娘といい、よくも私の邪魔を!!」と自分の不幸を嘆く言葉を吐き出し続けた。
しかし、シャルロッテはその男爵の言葉の中に聞き捨てならないフレーズを聞き取った。
「銀髪の小娘?……その話、少し詳しくしゃべってもらおうかしら?」
先程までとは打って変わった獰猛な笑みを浮かべて男爵を見やると、男爵に詰め寄った。
「な、何を・・・うぎゃー!!」
シャルロッテは腰の剣を素早く引き抜くと、男爵の右足の甲にズブリと突き立て、
「取り合えずこっちの質問におとなしく答えろや!!」
と男爵に拷問を加えて銀髪の少女に関する情報を男爵から絞り出していくのであった。
数刻後、体中のあちこちに空いた穴から噴き出した自らの血だまりの中で、男爵は既に躯と化していた。
その表情は苦悶にゆがみ、手足の指でまともに残っているのは二本だけだった。その残った指も、爪を剥がれた無残なものだったが。
その男爵の躯の傍では、男爵の返り血を浴びて不気味な姿をさらすシャルロッテが窓の外を眺めていた。天空には月が地表を明るく照らしていた。
月の光を浴びたシャルロッテは、血に濡れた自分の姿を見回して恍惚の表情を浮かべた。
そして、先程男爵から聞き出したアリスという少女の力に考えを巡らせた。
「なるほどね。ソフィアがご執心って、外見だけかと思ってたけどどうやら裏がありそうね。あのクソ女に吠えづらかかせる良いエサが見つかったって事かしら。ねぇ、アリスちゃん?」
シャルロッテは、その場にいない銀髪の少女に問いかけるようにつぶやくと、悪魔のような笑みを満面にたたえた。
「やべぇやべぇ、あの娘、意外とやるわ。」
先程のタロ達といた場所から空間転移でだいぶ離れた場所に姿を現したベリトは、先程のアリスとの仕合を思い返し苦笑する。もっと楽に相手が出来ると踏んでいた銀髪の少女は、しばらく会わない間にその剣の実力をだいぶつけている事をうかがわせた。
「このユニフォーム、結構気に入ってたのになぁ?まぁ、暫くは薬師ニコラは休業だな」
転移の直前に手元に魔法で取り寄せたお気に入りのユニフォームを眺めながらそう独り言ちると、そのユニフォームは無限収納に放り込み、ベリトはおもむろに懐から手のひら大の平たい魔石を取り出し、魔力を込め始めた。すぐに暗紫色に光始めた魔石に向かってベリトは話し始めた。
「……あぁ、俺だ……誰だじゃねーよ!ベリトだよ!……ったく、相変わらずすっとぼけてやがるな」
ベリトが石に向かって悪態をつくと、相手はそれを軽くいなし今日の成果を尋ねた。
「……あぁ、奴と会ったよ。狙い通り現れた。お前の言う通り、ちょっと厄介な事にはなってるが、あれなら問題あるまいよ…まぁ、適当にお茶を濁しといたよ。自分が誘き出されてるとは気づかないだろうからな」
実際はいろいろマズイことを言った気もするが、それを教えてやる必要もないだろうとベリトはシカトを決め込むことにした。
「だいたい、初めからあいつも引き込んどけば、面倒が無くて良かったんじゃねーのかよ?……まぁ、確かに、あの単細胞正義漢をあの段階で引き込むのは難しかったかもしれんがな。」
今日のやり取りを思い返し、今後自分に降りかかるであろう面倒ごとを思ってベリトは若干憂鬱になるのであった。
「そう言えば……」
そんな憂さを少しでも晴らそうと、さも今思い出したかのようにベリトは相手にこう告げた。
「あいつらお前の事を探してるようだぞ、ベールゼブブ?…」