第五話 老鍛冶師の情報
食事を終えた二人はきっちりと自分の分だけ(エレノアが断固として割り勘を認めなかった)支払い、店を出た。
エレノアとしてはそのまま店に戻って作業を再開させてもよかったのだが、せっかく一ヶ月ぶりに街に戻ったのにとローレンがごねたため、結局買い物に付き合うことになった。
「それで、何が欲しいの?」
「第一に食料品だな。長く空けるってんでほとんど残してねぇから」
食材品を扱う店が並ぶ通りはここから近い。
ならばとエレノアがそちらに歩を進めようとすると、ローレンがそれを引き止めた。
「待った、それは最後。その前にコイツ刃こぼれしてるから先に鍛冶屋に付き合ってくれ」
「えー、ローレンってたしかリンツさんとこ行ってたよね。遠いじゃん……」
「重い荷物持って歩き回りたいってんなら別にそれでもいいけどな」
ぽんと右腰に下げた剣を叩いたローレンが、そう言って食材店の方とは反対側へと歩き出した。
よくよく見ると、さっき店内で見せてもらった魔力を失った魔法石が装着されていたのは、こちらの剣のようだ。嵌め込まれた魔法石を吹き飛ばすほどの衝撃を受け止めた剣が、無事な訳はなかった。
ローレンが贔屓にしている老鍛冶師を思い浮かべ、エレノアはげんなりと肩を落とした。なにせ、その店はイェルガルツの端、ここからはかなり遠い。
(食材買ってから一人で行けばいいのに)
もしくは、その反対でもいい。正直面倒だった。
だが、ローレンはそのどちらにもエレノアを付き合わせる気が満々のようだ。
ローレンの言うようにほとんどの食材を買い足さなければならないだろうから、多少の荷物持ちはしてやろうかとエレノアは思っていたが、なんだか一気にやる気をなくしてしまった。
渋々ローレンについて彼の常連の鍛冶屋、リンツの元へと向かう。
「ようじーさん、やってるか」
細い路地をいくつか抜け、人通りの少ない街の端にその店はあった。
ローレンが気安くドアをくぐると、奥から小柄な老人が一人出迎えた。彼が、鍛冶師リンツだ。
立地のせいもありあまり有名ではないが、知る人ぞ知る隠れた名工、などと称される人だ。
「なんだ、ロニー坊か。もしやお前もう壊したのか?」
「じーさん、坊はやめてって。俺もう二十二なんだけど」
「はっ、まだまだ」
リンツとは昔からの付き合いだ。それこそ二人が教会通いをしていた頃から知っているリンツからしてみれば、成人を迎えたとしてもローレンが幼く見えるのは仕方がない。
昔の愛称で呼ばれてたじたじなローレンの様子にエレノアが笑っていると、彼女もリンツに見つかってしまった。
「おや、エリー嬢じゃないか。坊がでかくて見えんかったわ」
「久しぶり、リンツさん」
エレノアがローレンの影から顔を出して挨拶をすると、リンツはしわしわの相好を崩して笑う。離れた区画に店を開くエレノアがリンツのもとを訪れるのは珍しく、顔を見るのは随分と久しぶりだった。
お互い軽く挨拶をした後、ローレンがさっそく刃こぼれをおこしてしまった剣をリンツに差し出す。
リンツはそれを受け取り、ため息を吐く。
「これまた派手にやらかしおって……。ふた月はかかるぞ」
「あれ、珍しい。一ヶ月もかからないかと思ったけど」
コンコンと木槌で刃を叩いて様子を見ているリンツに、ローレンが疑問の声を上げた。以前、もっと酷い状態になってしまった時も、そんなにかからなかった。
今回は折れたわけでもなく刃こぼれしただけなのに、とローレンは呟く。
「つきっきりで仕上げれば早いが、今回は他の注文が多くてな」
「他の注文?」
ほれ、とリンツが指をさす先には、受注中の伝票が吊るされている。確かに、多い。
こう言ってはなんだが、この店がこれほど忙しいのは珍しい。鍛冶屋通りに面した立地のいい店ならともかく、ここは人通りも少ない場所だ。鍛冶屋を探していて偶然目に付く、ということはほとんどないと言ってもいい。
知らなければ来れない、そんな店なのだ。
「近々大規模な魔物の討伐作戦が始まるらしい。その準備のために他所では補えない分、ギルドから仕事が回ってきおっての」
どうやら、鍛冶師ギルドからの紹介らしい。それならば、立地は関係がない。
「大規模な、作戦……」
「あぁ、そっか。それで」
その情報はエレノアには初耳だったが、ローレンは知っていたらしい。街に戻ったのは昨日だと言っていたが、既に傭兵ギルドから連絡が回っているのだろうか。
エレノアがローレンに詳細を促すと、彼は軽く頭を掻き、教えてくれた。
「俺が参加してた調査、っつうか偵察で、北西の山を三つほど越えた先に、かなりの数の魔物が集まってるのが見つかったんだ」
「え!?」
「そのまま討伐するのは無理な数だった。一旦引き上げて、体勢を立て直すことになったんだけど……」
そこまで言って、ローレンはちらりと愛剣を見た。
「撤退の途中で他の魔物に襲われた。後方にばかり気をやっていたから、別方向からくる奴に気づくのが遅れたんだよ」
どうにかそいつらは倒せたが、代償としてローレンは片方の剣を壊し、他の者には怪我人も出たらしい。
悔しそうに眉を寄せるローレンを見て、エレノアは今更、肝が冷えた。報告を聞いた時はあっさりと流してしまっていたが、どうやら本当に大変な状況だったようだ。あまりにもローレンがいつも通りだったから心配は薄かったが、もしかするとそのまま、なんてこともあったのかもしれない。
そうして顔を青ざめさせたエレノアに気がついているのか否や、リンツはしみじみとローレンを労う。
「そうか、よく無事だったな」
「まぁな。で、その作戦にもちろん俺も参加するから、それまでに第一優先で頼む」
「他の依頼も軍からのモンだからおざなりにはできん。……が、できる限り善処はしよう」
リンツの約束を得て、ローレンは満足そうだ。発見をした当事者だからこそ、乗り遅れたくはないのだろう。
よろこぶローレンを横目に、リンツの台詞に引っ掛かりを覚えてエレノアは首を傾げた。
「軍の依頼なの?」
イェルガルツは国の前線よりも更に西にある、傭兵と冒険者に守られた街だ。それ故、あまり軍とは馴染みがない。
「なんでも、今回は軍との合同作戦になるらしい」
「そんなに大変な状況なの?」
「いや、確かに街に来られたらヤバイ数ではあるけど、しっかり準備さえすれば俺たちだけで倒せないほどでもない」
「だが、傭兵ばかりが活躍してちゃあいざ有事の際に兵が使い物にならないといけないからのう。訓練も兼ねているんだろう」
イェルガルツより東にある、グランヴェルの前線にあたる要塞都市からいくつかの隊が派遣されるそうだ。
軍にも武器などの備品があるだろうが、イェルガルツの武器や魔法石の技術は世界トップクラス。国内の市場に流通していないわけではないが、輸送費がかかる分やはり実際に赴いた方が安く済む。ついでにこちらでそれらの調達も行おうという魂胆らしい。
「そうなんだ、応援を呼ぶんじゃ大事にはならなそうだね」
「どうかな。やつら山には慣れてないだろうから」
平地にも魔物は出る。だが、それと同じ感覚で対峙して、簡単に倒せるほど山の地形は優しくはない。
ふん、と鼻で笑うローレンは、あまり軍が好きではないらしい。
「魔刻士の方にも依頼が回っておるときいたが、嬢は聞いとらんのか?」
「あー……あんまり武器は作らないから」
もちろん魔刻士にもギルドは存在する。が、日用品専門を公言しているエレノアのところには未だそういった情報は入ってきてはいなかった。もし他でさばけなくなれば、こちらにも依頼が回ってくるかもしれないが。
「この機会に武器も作ればいい。一儲けできるぞ」
年に似合わないニヒルな笑みを浮かべたリンツに、エレノアは曖昧に苦笑した。
お金になるとはいえ、武器作りにはあまり気が乗らないのだ。使って便利な日用品と違って、武器作りには責任が伴うような気がして。
(それに、今はクレイさんの依頼に集中したいしね)
どうしても手が足りなくなれば手伝うが、しばらく武器作りはローレン専属ってことにしよう、とエレノアは心に決めた。
「それじゃあ、俺たちまだ行くところあるからそろそろ行くわ」
しばらく世間話をして、ちょうど話題が切れたところでローレンがそう切り出した。
すっかり居座ってしまったが、久しぶりの大量発注にリンツも忙しいはずだ。少々の名残惜しさを感じつつも、挨拶をして二人は鍛冶屋を後にした。
「よし、あとは食料品な」
「戻るのめんどいなぁ……」
愛剣を頼りになる熟練の鍛冶師に託し上機嫌のローレンの先導で、二人は食事をした辺りまで戻る。
日々鍛えてる傭兵とは違い、日によっては作業場に篭もりっきりの日もあるエレノアは、広い街をあちこち歩き周り既に疲れきっていた。
しかもリンツの店でゆっくりしすぎたせいで、時刻は昼から夕方に差し掛かり、ちょうど夕飯の材料を買い求める客達が、食材を扱う出店が立ち並ぶ通りに溢れていた。
がやがやと活気がある様子は、常ならば楽しくも思うのに、今日はその人ごみが憎たらしくてしょうがない。
「はぐれんなよ」
そう言いつつローレンは一人ぐんぐんと人ごみを縫って先に進んでしまう。一瞬このまま放置してやろうかとエレノアに魔が差したが、彼は危険な任務からどうにか無事に帰ってきたのだということに免じて、仕方がなくその後を追った。
だが、ただでさえ歩幅の広いローレンに追いつくのは一苦労だ。
あっという間に、見失ってしまった。
「うそー……。もう、付き合えとか言ったくせに先に行くとか信じらんない」
文句を言う間にもエレノアはどんどんと人ごみに押され、あれよあれよと言う間に通りの端に追いやられてしまった。
壁際に避難して人の群れを眺めても、見慣れたくすんだ金色は目に入らない。
「困ったなぁ……」
こんなことになるなら、先に何を買うか聞いておくべきだった。そうしたら、店で落ち合うこともできただろうに。
エレノアが途方に暮れてぼやいていると、それを目ざとく発見した人物が一人、人ごみから抜け出て彼女の前に立った。
「どうも」
胸に手を当ててエレノアに会釈をしたのは、馴染みの青年商人だった。
探していた金色ではなく、濃灰色の髪がさらりと上品に揺れる。
「あ、クレイさん!こんにちは」
彼を認識して、エレノアは慌てて挨拶を返した。
こんなところでクレイに会うのは珍しい。というか、初めてだ。
いつもはエレノアの店でしか合わないからか、こうして人ごみを背景に彼と会うのに、酷く違和感を感じる。貴族然とした雰囲気にこの雑踏はふさわしくないような気がして。
(しばらく滞在するって言ってたし、ここでばったり会っても何もおかしいことはないんだけど)
だが、エレノアにはどうもクレイが食材を自ら買い込んで料理をするといった想像がつかないのだった。どちらかといえば、綺麗な部屋で給仕を侍らせる方が彼には似合っている。
「奇遇だな。……、買い物か?」
「?ええ、ちょっと友人と来ていたんですけどはぐれてしまって」
何かをためらうように間を空けたクレイに、少し疑問に思いながらもエレノアは答える。それに一瞬、クレイは軽く目を細めた。
そうしてまたしばしの間を置いて、口を開く。
「……ならば、私がご一緒しよう」
「え?あ、いや、今日はその友達の用事だったんです。私は何も買うものはないので、大丈夫ですよ」
今日の主役はあくまでもローレンだ。エレノアの家の貯蔵庫には十分なストックがあるし、わざわざ付き合ってもらってまで買わなければいけないものもない。
そうエレノアが断ると、心なしかクレイが肩を落としたような気がする。
せっかくの申し出を断って悪いことをしたかな、とエレノアが反省していると、またも人ごみから離れて彼らの元にやってくる者がいた。
「エレノア!ったく、離れてんじゃねーよ!」
「あ、ローレン」
ローレンの少々息を切らせた様子を見るに、一応はぐれたことに気がついてからエレノアを探していてくれたらしい。が、原因はローレンの方だ。
慌てて近寄ってきたローレンに文句を言おうにも、一応常連客の目の前で声を荒げるわけにもいかない。エレノアがぐっと言葉を飲み込んでいると、ローレンもエレノアの前に立つ人物に気がついたらしい。
「あ、えっと……エレノアの店の客の、クレイさんだっけ」
すらりと背の高い青年はどこか独特の雰囲気を持っていて、一度話せば記憶に残る。
エレノアの店を訪ねた時に丁度居合わせて挨拶をした程度だが、ローレンもしっかりとクレイを覚えていた。答え合わせをするように凝視するローレンに、エレノアは慌てて注意する。
「ちょっとローレン、失礼よ!この人はウチの常連さんなんだからね」
「いてててて、悪かったって!!」
エレノアはローレンの耳を引っ張り頭を下げさせ、小声で叱りつける。その声が、クレイにも聞こえてしまっていたようだ。
「……別に、構わない」
表情も変えずに一応そう言ってはくれたが、明らかに先ほどよりも声が低いし、心なしか不機嫌な様子だ。
面倒なことになったかも、とエレノアは頬を引きつらせた。