第41話 終身雇用は計画的に
アルバ商会の為に用意された、私室の前に数人の男女が集う。
ラサラ、シーさん、シエロ、カトレア、ロザリン、ライナの六人だ。
「――ロザリン、無事だったのね!?」
真っ先にロザリンの存在に気がついたカトレアが、両手を広げて小さな身体を抱き締める。
「わぷっ」
感極まっている為か、ロザリンの顔をキツク胸に押し付けた。
さほど豊かでは無い上に、汗や血などが服に染み込んでいる為、抱き締められるロザリンの表情は少し嫌そうだ。
「ライナ。君が連れてきてくれたんだね」
「ああ。アレハンドロ団長に絡まれていたからな……それにしても」
事前に事情を知っていたらしく、シエロは驚いた様子は無い。
対してライナの視線は、派手な服装をしているシーさんに向けられる。
「特務のシエロ団長はともかく、君は何をしているんだい? シリウス団長」
「なんのことかしら」
シーさんはクイッと誤魔化すように、眼鏡を押し上げようとするが、斬り裂かれ壊れてしまっていたので、スカッと空振りする。
「私はえっと何だったかしら。しがない絵描きへの実らない想いに身を焦がす、老舗商家の一人娘よ」
「あれ、そんな設定だったっけ?」
以前より複雑になった設定に、シエロは首を傾げた。
ラサラの家でこっそり読んだ、少女向けの小説の内容を、そのまま口にする。
持ち主であるラサラと、同じくこっそり読んでいたカトレアは、ツッコムのも恥ずかしく、素知らぬ顔をしてこっそり視線を外していた。
抱き締められる腕から、ロザリンが抜け出し、一同を見回す。
一番会いたい人の姿が無く、ロザリンは眉を顰めた。
「アル、は?」
その名に、視線が最後まで行動を共にしていた筈の、ラサラに集まった。
「アルトさんはまだ、屋上で戦っています。本物のハウンドと」
ラサラの言葉に、シーさんとシエロは顔を見合わせて息を飲む。
同じくライナも驚いている様子だが、本物という部分に疑問を抱かなかったことから、彼も蛇達が偽物だということは、気付いていたようだ、
カトレアだけが、状況を理解出来ていない様子で、頭にハテナを浮かべていた。
そんな中、一人ロザリンが不安そうな表情をしているのを見て、ラサラは優しく微笑を浮かべる。
「大丈夫ですよ。アルトさんが、負ける筈が無いじゃないですか」
「……ラサラ」
意外な言葉にポカンとすると、小首を傾げる。
「何か、あった?」
「別に……何もありませんよ」
一瞬だけ、酷く悲しげな表情をしたかと思うと、すぐに元の表情に戻る。
そして何時も通りの、生意気そうな顔で両手に腰をやると、
「このボクが雇ってあげているんですから、お仕事は完璧にこなせて当然です。今頃、炎神の焔を奪還し、ついでにハウンドの首を上げている頃でしょう。別に褒めませんよ。飼い犬として、当たり前のことですから」
何故か自信満々に胸を張り、饒舌に口を滑らせた。
このテンションに、慣れていないライナだけが、困惑した表情でシーさん達を見る。
「あの、これって……」
「別に普通のことよ」
「普通だねぇ」
「……顔に涙の痕を残して、偉そうなんだから」
カトレアだけが気づいていても、誰もツッコまなかったことを指摘した。
慌ててラサラは目元をゴシゴシと、ポケットから取り出したハンカチで拭い、咳払いをして何事も無かったように、真剣な表情で一同を見回す。
「おふざけはここまでです。皆さん、踏み込みますよ?」
ラサラの言葉に、皆が頷く。
ドアに手をかけるのは、この中で一番傷が無く体力が有り余っているライナだ。
皆に視線を送り、タイミングを計って、一気に扉を開き中へと飛び込んだ。
「ボルド・クロフォード! 大人しく……ッ!?」
なだれ込んだ一同が、困惑の表情を浮かべた。
室内に、人の姿は無い。
VIPルームらしく、豪華な調度品に囲まれた部屋には、人のいた痕跡は皆無。まるで綺麗に大掃除した後のように、部屋はさっぱりと片付いている。
真正面にはソファーとテーブルがあった。
ソファーの上には、大きな熊のぬいぐるみが、文字の書かれた看板を持って座っていた。
『コングラチュレーション』
ただ一文、ここを訪れた者を、讃える言葉だけが記されていた。
ゲームは終わった。そんな遊び気分が透けて見えるような文章に、唖然としてしまい、暫く言葉が出てこなかった。
誰かが大きく、奥歯を噛み締めた音が響く。
「…………」
無言でラサラはソファーの側に近寄ると、足を大きく後ろに振り上げ、行き場の無い怒りをぶつけるように、ぬいぐるみが持っている看板だけを蹴飛ばした。
その後、ライナ達第一騎士団が懸命に捜査網を引く中、ボルド・クロフォードが首を吊った形で死亡しているのが見つかったのは、その数時間後だった。
一連の事件は、唐突で強引な形で幕引きされた。
達成感も終わった実感も全く無い。
あるのは、誰かの嘲るような高笑い。そんな胸糞の悪い、幻聴だけだった。
★☆★☆★☆
ようやく屋敷に戻った頃には、外は白々と明け始めていた。
結論から言えば、ボルド・クロフォードは死んだ。
だが、その事実を信じる者は、アルト達の中には誰も存在しなかった。
遺体を最初に見つけたのは、第一騎士団の団員だったが、彼はボルドの顔を知らず、足元に置いてあった遺書に記された、サインでボルドだと判断した。
その直後、再びアレハンドロ達第六騎士団の連中が現れ、早々にボルドの遺体を回収していってしまった。
当然、ライナは抗議するが、アレハンドロは「ボルドの自殺は、ハウンドとは無関係」と主張し、頑として遺体の検分を拒否する。
更にはクロフォード家や、他家の貴族連中からの口添えもあり、この件に関してはアレハンドロに一任されることとなった。
特務であるシエロはおろか、騎士団も総団長でも、この決定は覆せないだろう。
この手際の良さは、事前に仕組んであったとしか、考えられない。
正式な調査はこれからだが、高確率で、今回の事件は全て死んだボルド・クロフォードが仕組んだ事件として、処理されるだろう。
処理される。つまり、これで終わりという意味だ。
かくして、この一件の真実は、寸でのところで闇の中へと葬りさられた。
悔しさから口を閉ざし、重い雰囲気に項垂れる皆へ、後から合流したアルトは、軽い口調でこう言った。
「ま、別にいいんじゃね? これ以上の面倒はごめんだ」
と、言い放ち、ラサラに尻を蹴られていた。
冗談めかしていたが、何となく予感がした。
あの男ボルドが本当に生きているのなら、近い内にまた戦うことになると。
オークションは終わった。払った犠牲は大きかったし、一件落着とはならなかった。けれど、ラサラに関して言えば、明日からはもう襲撃者に怯える心配は無いということだ。
馬車の中で、疲れ切って眠りこけるロザリンとカトレアが、左右からアルトにもたれ掛っていた。
シエロ、ライナ、そしてシーさんの三人は、アレハンドロに全ての手がかりを消されてしまわぬよう、会場に残り秘密裏に探りをいれている。
事件に関わった以上、アルト達も最後まで見届けたかったのだが、アルトとカトレアは戦闘のダメージが、ロザリンはそれを治療する為に、魔力を消費している。
それでなくとも、今日は一日中バタバタしていたので、皆疲労困憊の面々に、シエロ達は気を使って先に帰してくれたのだろう。
必要があれば後日、事情聴取が行われるそうだ。
馬車の中で、起きているのはアルトと、正面に座っているラサラの二人。
アルトも到着まで寝たかったのだが、不機嫌そうな顔で目の前に座るラサラが、頻りに足を爪先で蹴ってくるので、眠たくても眠れなかった。
「あのさぁ、俺、眠くて死にそうなんだけど」
耐えかねたアルトが、疲れた口調で抗議をすると、ラサラはジロッと三角にした目を向けてきた。
「役立たずの駄犬には睡眠なんて贅沢です」
「……おいおい」
随分とご立腹の様子に、アルトは面倒臭そうに頭を掻いた。
「そんな能天気な心構えでいるから、言われたことも果たせないんですよ駄犬」
どうやら、アルトがハウンドを取り逃がした上、炎神の焔を奪われてしまったことに、そうとう怒っているらしい。
「その癖、自分の剣だけはちゃっかり取り戻しているのだから、盗人猛々しいとはまさにこのことですね」
チラリと横目を向けた先には、白い布で包まれた竜翔白姫が立てかけてあった。
競り落とした人物には悪いが、これが無いのが発覚すると、命に危険が及ぶので回収させて貰った。
オークションは最後で有耶無耶になり、支払は行われていないので、問題は無いだろう。
悪しざまに罵られるのは癪だが、反論する体力も残っていないので、話半分に聞き流す。
一頻り罵詈雑言を吐き出すと満足したのか、不意に、沈黙が訪れる。
二人の寝息だけが聞こえる中で、ラサラは神妙な顔立ちをして、遠慮がちに口を開く。
「あの……ミューレリアは、どうなりました?」
「悪ぃ。急いでたモンだから、そのままにして来ちまった。シエロとシーさんに頼んでおたし、あの二人なら悪いようにはしないさ」
「……そう、ですか」
僅かに、安堵するよう息を吐く。
再び、沈黙が訪れる。
無表情でラサラは、流れる外の景色を眺めていた。
遠くの方が白く染まり始めた夜空は、後数時間もすれば、太陽が顔を覗かせるだろう。
憂いを帯びる横顔からは、感情を読み取ることは、出来なかった。
暫くそうしていると、ラサラはポツリと呟いた。
「……付きましたね」
窓の外に視線を向けると、見慣れた屋敷の外観が覗けた。
馬車はゆっくりと停車する。
眠りこける二人の肩を揺らして起こして、寝ぼけ眼を擦る二人を引っ張り、馬車の外へと降りた。
外の新鮮な空気を浴びて、ロザリンとカトレアは揃って、大きな欠伸をした。
ラサラも馬車から降りると、待ち構えていた以外な人物に、驚いて目を見開いた。
その人物は、ラサラ達に向かい、深々と一礼する。
「皆様方。おかえりなさいませ」
「……レオン、ハルト?」
「はい。レオンハルトでございます、お嬢様」
少し痩せた印象のあるレオンハルトは、驚くラサラに笑顔を向け、櫛でピンと立つ髭を整えた。
一瞬、ラサラの崩れ涙目になるが、すぐに不機嫌な表情に戻る。
「人前でお嬢様は止めてと、言っているでしょう」
「これは、申し訳ありませぬ、社長」
言葉とは裏腹に鼻を啜る姿を見て、苦笑しながらも、レオンハルトは謝罪した。
「アンタ、もう動いて平気なのかよ?」
「これはアルト様。ええ、勿論でございます。寝すぎまして、腰が少々痛いくらいですよ」
「年寄りなのに、タフねぇ」
呆れるようなカトレアの声に、ロザリンはクスッと笑う。
「でも、良かった」
「……皆様方」
レオンハルトはウルッと瞳を潤ませると、また深々と頭を下げた。
「お嬢さ、いえ当家主人をお守り頂き、誠に感謝いたします。このレオンハルト、アルト様と始めとした皆様方に出会えたこと、誇りに思いますぞ」
「んな、大袈裟な……俺たちゃ疲れてんだよ。暑苦しい展開は後回しにして、休ませてくれや」
感動的な場面に入りかけたところを、バッサリと中断させ、アルトは欠伸をしながらレオンハルトの横を通り過ぎる。
同時に、レオンハルトの肩に手を置いて、小さな声で語りかける。
「……ラサラのこと、頼まぁ」
「はて? お嬢様のことをよろしくお願いしますと、吾輩は申した筈ですが?」
「サボんな。辛い時に、一番頼りたいと思ってた奴がいなくなったんだ。その代りは、どう考えてもアンタしかいねぇだろ」
「…………」
それだけである程度の事情を察したのか、レオンハルトは無言で、アルトに頭を下げる。
「んじゃ、俺達は休ませて貰うぜ」
手を振り、眠気でフラフラしている二人を引き連れ、屋敷の中に入って行く。
入口の前に、レオンハルトとラサラだけが残った。
レオンハルトは、ラサラに優しい口調で語りかける。
「……何か、辛いことがあったのですね?」
その一言に、ラサラはビクッと肩を震わせる。
俯き、震える唇で、言葉を吐きだす。
「ミューレリアが、死にました」
「……そうですか」
そっと、レオンハルトはラサラの頭を撫でる。
仕事が上手くいかない時、癇癪を起した時など、宥める為に何時もそうしていたように。
「ボ、ボクは、あの娘にっ、ぐすっ、何もして、やれなかっ……!」
「いいんです。言葉にしなくてもいいんです。ただお泣きなさい。悲しい時は、泣くことが正しい行為なんです……誰にも見られぬよう、吾輩が見張っておりますから」
「うっ……ぐすっ、えぐっ……あああっ」
両手で顔を覆うと、涙腺が決壊したように、涙がとめどなく溢れた。
「ああ、うわああああああああぁぁぁッッッ! ミューレリアッ、ミューレリアぁぁぁ!」
主の泣き顔を見ないよう、遠く白む空を眺めながら、レオンハルトは願う。
どうか上る太陽が、この心優しき少女の雨を、晴らしてくれるようにと。
★☆★☆★☆
「本当に、もう行かれるのですか?」
日が昇り切り、また傾き始めた午後。
一眠りして体力を取り戻したアルト達は、屋敷の入り口に馬車を待たせて立っていた。
三人共、恰好は白いコートやメイド服では無く、普段通りの私服だ。
寂しげな眼差しに苦笑いをし、アルトは言う。
「んなこと言ったって、契約はオークションが終わるまでだろ? それに、早く帰らないと勤労恋愛少年が張り切り過ぎて、過労死しちまうからな」
「うん。あと、ちみっ娘恋愛少女が、匂いフェチを、こじらせないように」
「……なにそれ? まぁ、あたしの方も、そろそろ店が再開するみたいだし、ここいらが潮時でしょ」
三人の言葉に、レオンハルトは残念そうに「……そうですか」と呟く。
その横で腕組みをしているラサラは、普段通り変わらない様子だ。
「そうですか。ボクはこれから仕事があるので、お見送りはここまでですが、お世話になったくらいは、礼を述べておきましょう」
相変わらず、尊大な態度に三人は苦笑する。
「それにしてもこれから仕事? 今日くらい、休んだっていいんじゃないの」
「今回の一件で、商業ギルドは痛い目を見ている筈ですから、ギルドを抜けた身としては、この隙に独自で足場を固めねばなりません。ので、これから暫くは、今まで以上に忙しくなる予定です」
「ふぅ~ん。お前も頑張るねぇ」
興味なさげに、アルトは耳を小指で穿る。
呑気な元護衛の態度に、ジト目を送った。
「アルトさんのような駄犬と違って、ボクのような優秀な人間が働かないのは、とても罪なことですから」
「さよか」
「そう。まず手始めに、アルバ商会を手に入れます」
楽しげな口調に、事情を知っている皆は、何とも言えない表情をする。
「……それは、ミューレリアの為か?」
「いいえ、違います」
問いかけに、間髪入れずに否定する。
「全盛期より落ちたとはいえ、アルバ商会は老舗で、独自のコネクションがあります。そのコネとボクの商才があれば、商業ギルドなんかに頼らなくても、十分にやっていけると計算しました。これはセンチメンタルな感情では無く、完全なビジネスです」
よどみなく、ラサラは言い切る。
彼女がそう言うのなら、そうのだろう。アルトが口を挟む隙など、最初から無かった。
「と、言うわけですので、働かないなら忙しのでちゃっちゃと帰って下さい……ああ、そう。レオンハルト、例の物を」
「かしこまりました」
そう言うと、レオンハルトが金貨の入った袋を幾つか取り出し、アルト達に差し出す。
「こちらが、お約束の報酬になります」
ロザリン、カトレアと、手渡しで袋を貰う。
両手に乗せられた袋は、ずっしりと重く、思わず頬が緩んでしまった。
「こここ、これって結構な額なんじゃない!?」
「はい。当初の予定より、かなり多めの色がついております」
カトレアが驚くのは無理も無い。この重みは、金貨が十枚以上はあるだろう。
同じくらいの報酬を、ロザリンも貰ったらしく、頻りにチャリチャリと音を鳴らしている。
「おおっ。新しい、研究の、機材が買える」
「あたしも。久しぶりに弟達に、美味いお肉を食べさせてあげられるわ」
意気揚々と、二人はハイタッチする。
「そしてこれが、アルト様です」
「おっ、悪ぃね……って、デカッ!? そして重ッ!?」
渡された袋には金貨がパンパンに入っていて、ずっしりとリアルに重い。
この重さは、確実に金貨百枚以上はある。
「おいおい。こりゃちょっと、サービスしすぎなんじゃねぇのか?」
「いいえ、契約書の記述通りの増減です。感謝するなら、意外に強かった偽ハウンドに感謝してください」
「そりゃ、いまいち感謝し辛いな」
頭を掻き、まぁいいかと袋を懐に、入れられないので手に持つ。
「んじゃ、長いようで短かったが、色々と世話になったな」
「全くです。駄犬の躾は、手がかかって仕方がありませんでしたね……けど」
照れ臭そうに、ラサラは視線を逸らす。
「まぁ、楽しくなかったわけではありませんので、その辺りは感謝を述べても、いいでしょう」
素直じゃない態度に、ラサラ以外の全員が苦笑する。
笑われたことに不満顔をしつつ、何かを思い出したように、アルトに向かって問いかけた。
「時にアルトさん。ボクのことばかり気にしますが、貴方はこれからどうするんですか? 無職なんでしょう?」
「無職って、俺には一応、用心棒って職業があるっつーの」
「……ほぼ何もしてないけどね」
小声でツッコムカトレアを睨むと、彼女は素知らぬ顔で口笛を吹く。
「もし、職の困っているのなら、ボクが正式に雇ってあげてもいいんですよ?」
無い胸を偉そうに逸らし、ラサラは小悪魔っぽい笑みを浮かべる。
その瞬間、ピクッと反応したロザリンとカトレアの目が、三角になった。
「ま、金払いのいい仕事ってのは、悪くはねぇな。だが、自慢じゃねぇが、俺は高いぜ? ラサラカンパニー様は、いかほどで俺の力をお買い求めかな?」
「賃金は完全実力主義の青天井。雇用形態は……」
不意に胸倉を掴まれ、引き寄せられる。
突然のことにアルトも対処が出来ず、引っ張られるまま上半身が前に倒された。
熱い吐息と共に、頬にちゅっと、柔らかく湿った感触が触れる。
「「あああぁぁぁぁぁぁッ!?」」
ロザリンとカトレアの声が重なった。
驚き、慌てて顔を離すアルトに、ラサラは悪戯っぽい不敵な笑顔で、自分の唇を人差し指で拭った。
「勿論、終身雇用ですよ?」
「……お前なぁ」
「「――お断りしますッ!」」
呆れ返ったアルトが何かを言う前に、ロザリンとカトレアがガシッと身体を掴み、そう叫ぶと逃げるようにして、強引にアルトを馬車の中に引きずり込んで行った。
ドアが閉まり、動き始める馬車の中では、二人に詰め寄られるアルトが、面倒臭そうな表情をして、恨みがましい視線をラサラに向けていた。
その顔目掛けて投げキッスをすると、アルトは更に顔を顰めた。
失礼な男ですね。そう思いながらも、頬が緩むのが止められない。
真っ赤に染まった顔で、馬車を見送るラサラに、遠慮がちに咳払いをながらレオンハルトが声をかける。
「……よろしいのですかな?」
「いいんですよ、今は。だって、ボクにはやることがありますから」
空を見上げると、太陽の眩さに手を翳した。
熱くて眩しくて、忌々し太陽の姿に、自分とは真逆の存在だった友人、いや、親友の姿が重なった。
失ったモノは大きかった、けれど、手に入れたモノだって、大きい筈だ。
ラサラは生涯、彼らと出会った数日間を忘れることは無いだろう。
泣いて、笑って、恋をした。
今のラサラを見たら、彼女は何と言葉をかけてくれるだろうか?
裏切り者と罵られるのか、良かったねと微笑みかけてくれるのか、その答えをくれる人はもう存在しない。だから、都合の良い解釈だけをしよう。彼女はきっと、今の自分を祝福してくれる筈と。
後悔と悲しみの涙は流し尽くした、後はひたすら、前だけを向いて進もう。
とりあえず、今すべきことは一つ。
馬車が見えなくなったのを確認すると、ラサラは身を翻して一言。
「ではまず、お茶の時間にしましょうか」