第42話 闇夜に蠢く獣たち
偽ハウンド事件から丸一日。
深夜の北街を一人歩く影がある。
不用心だ。闇夜が深くなるほど危険度を増す北街では、本来あり得ないことだ。
ここに住む住人は、例え奈落の杜に所属する人間であっても、この時間帯を一人で、しかもスラム街でもっとも危険とされる、最奥の区画に来る者はいないだろう。
ここは、北街の外周、城壁に近いスラムだ。
四十年前の戦争では、激しい戦火に晒された場所であり、その傷跡は今も色濃く残っている。
火矢により焼け焦げた民家、馬に蹄により踏み砕かれた石畳。時折、壁などに見慣れる黒ずんだシミは、人の血液だと噂されている。
戦争以来、全く手つかずの場所だけあって、少し探れば、戦争の名残である鏃の破片や、錆びた刀剣、そして放置されたまま白骨化した遺体が、当時のままの状況で転がっているだろう。
何処にでも根を下ろす、タフな北街の住人も、ここに住む者は皆無だ。
治安や気味の悪さだけで無く、この場所には捨て駒にされ、今も尚見捨てられ続ける北街の現状を表していて、誰もが直視したくない歴史の現実を、まざまざと見せつけられているからだ。
この地獄の成れの果てを歩く影は、黒衣に仮面をつけた人物。
ハウンドだ。
静寂だけが支配する廃墟を進み、ハウンドは石造りの建物に囲まれた路地に入る。
高さのある建物だけに、月明かりも遮り酷く暗い。
その奥に、ハウンドを待ち構えていた人物がいた。
ハウンドは足を止めると、迎え入れるように両手を広げ、その人物が歩み寄ってくる。
「よぉ、相棒。流石じゃないか、時間通りだ」
「……お前、自ら来たのかハイド」
待っていたのは、中折れ帽にファー付きのコート、サングラスをかけた青年。
奈落の杜の首領、ハイドだ。
ハウンドの指摘に、ハイドは朗らかに笑う。
「いやいや。俺が自らお願いした案件だからな。最後までケアするのは当然さ」
「それで護衛も着けずに来るのは、不用心にもほどがあるぞ」
「熱い男の友情と、言って欲しいね」
茶化す言葉に、仮面の下でため息が漏れる。
ハウンドのハイドに対する口調は、随分と砕けている。
その姿は主従関係というより、長年連れ添った友人同士のように見えた。
特にハウンドに関しては、伝説の暗殺者とは思えないほど、気安い雰囲気を出している。
「それで、例の物は?」
ハウンドは黒衣のポケットから赤い輝きを放つ結晶、炎神の焔を取り出すと、ハイドに向けて投げて寄越す。
「おっと」
受け取ったハイドは、片目を瞑り、僅かに差し込む月明かりにそれを透かした。
「ふむ。確かに、噂の炎神の焔、だな」
「見ただけでわかるのか?」
「んにゃ、わからん」
軽い口調で言って、ハイドは手の中で炎神の焔を弄ぶ。
また、仮面の下で息を漏らす声が聞こえた。
「けれど、マイベストフレンドのお前さんが持ってきたんだ。間違い無いだろうさ」
「……信頼されること自体は、悪い気はしないがな」
「そゆこと」
屈託なく笑うハイドに、やれやれと肩を竦める。
と、次の瞬間、ハウンドはナイフを逆手に抜くと、振り返りハイドを守るように前へと立つ。
異変を察知して、ハイドも周囲を警戒する。
「誰だッ」
低い声で、路地の向こうに感じる気配に、言葉と殺気をぶつけた。
足音と共に、暗闇の中に人影が浮かび上がる。
柔和な笑顔を浮かべる、金髪の優男。
「……ボルド。貴様か」
「貴様とはご挨拶だねぇ、ハウンド君。僕の手駒を、次々と殺してくれた分際で」
「別に。俺は俺の名を語るゴミ共を、始末しただけのことだ。人の名を語り利用した男に、咎められる理由は無い」
キッパリと言い切ると、ボルドは楽しげに含み笑いを漏らす。
カチャッとナイフを鳴らすハウンドの肩に手を置き、真剣な表情のハイドが前に出る。
「クロフォード家のお坊ちゃんが、こんなスラムに何の用だい? ってか、アンタ、死んだんじゃなかったのか?」
昨夜の事件は、公にはされていない。故に、ボルド・クロフォードの自殺も、現在ではまた伏せられている。
しかし、そこは奈落の社の頭領。その程度の情報は、すぐに耳に入る。
「ボルド・クロフォードは死んだよ。確かにね。偽ハウンド事件の責任を全部引き受けて、そのまま闇に葬られた。二人目の犯罪者を出した、クロフォード家共々ね」
通り魔事件に続いて、今回の一件。如何にクロフォード家が実力者でも、今度こそ厳しい処分は免れないだろう。最悪、お取り潰しもあり得る。
だが、そんなことは、北街の人間には関係の無いことだ。
問題は、彼が何故、この場にいるのか。
「……ボルド。貴様が例え何者であっても、俺には関係無い。ハイドに、奈落の社に仇をなすつもりなら……」
逆手に持ったナイフの先端を、ボルドに向ける。
「この場で殺す」
突き刺すような殺気。
素人なら腰を抜かしてしまうほどの威圧感を浴びても、ボルドは平然と薄笑みを浮かべている。
だが、ハウンドを制したのは、ハイドだった。
「待てって。こいつには、少しばかり聞きたいことがある」
「……しかし」
「頼むよ、相棒」
サングラスをずらし、ウインクするハイド。
僅かに逡巡して舌打ちを鳴らすと、ハイドは発していた殺気を緩めた。
「ボルド君。こっちだって最初から、アンタがクロフォード家の人間だなんて、思っちゃいないさ。狙いは、こいつだろ?」
そう言って、ハイドは手の中の炎神の焔の、上に何度か投げる。
「偽ハウンドって連中を、大々的に使ってた理由も予想がつくさ。ボルド君、連中を餌に俺らを釣ろうとしたな?」
「ご名答。流石は切れ者と噂の頭領だね」
「はい、ありがとさん。ま、わかってて乗った俺も俺なんだけど……後ろにいるのが、ねぇ、あの人じゃ、俺らも放って置くわけにもいかないからさ。まんまと手の平で踊らされて、俺の相棒を表舞台に引き摺り出されるのは、ちょっち面白くないんだよね」
口元には笑みが張り付いているが、口調はドンドン厳しさを増していく。
「北街流のケジメの付け方、アンタなら理解出来ているだろ?」
ドスの利いた声で、睨み付ける。
流石は奈落の杜のボス。薄笑みを浮かべ、余裕の態度を崩さなかったボルドも、ほんの僅かだが、気圧された様子を見せた。
だが、それでもボルドは完全には怯まない。
「僕は平和的な解決を望んでいる。交渉しようでは無いか。炎神の焔、良い値で譲ってくれないかな?」
「おい兄ちゃん。自分が交渉出来る立場にいると、思ってんのかい?」
「伝説の暗殺者ハウンドと、奈落の杜の首領に繋がりがある。って言うのは、少しばかり不味いんじゃない? ハウンドのもたらした功績は、何も王都に有利なモノばかりじゃない。現在までの罪状、幾つあるか教えてあげようか?」
痛いところを突かれ、ハイドがグッと言葉を飲む。
ハウンドの生死が不明だったのは、今まで奈落の杜が存在を隠蔽していたから。
戦場の暗部で戦ってきたハウンドは、その闇の深さ故に、色々と要らぬ恨みを買ってしまっている。 故に戦争が終わって六年も立つ今になっても、執拗に彼を狙う者が、後を絶たないからだ。
それに、ハウンドが暗殺して来たのは、エンフィール王国と敵対する人間ばかりでは無い。
もしも、ハウンドと奈落の杜の繋がりが知れれば、その日の内に騎士団が北街に雪崩れ込んでくる可能性も否定出来ない。
ハウンドの存在は、奈落の社でも知る者はいない。
ハイドにとってハウンドは盟友。古参の幹部すら知らない、絶対的な信頼を置く懐刀なのだ。
彼がその若さで絶対的なボスとして君臨出来るのは、ハウンドの功績も大きい。
恐らくボルドは、その繋がりを調べる為に、偽ハウンドなどを使ったのだろう。
そのことを突かれ、サングラス越しの瞳に怒りが宿る。
「……それこそ交渉の余地は無いな。ボルド君、アンタ、ここで殺すぜ?」
「殺されるのは困るなぁ……だから」
パチンと、ボルドが指を鳴らすと、一斉に現れた気配が二人を取り囲む。
素早くハウンドは、ハイドを守るように後ろに下がらせる。
前方や背後は勿論、建物の上にまで武器を手に持った人間の姿があった。
「……こいつは、壮観だねぇ」
帽子を押さえ、ハイドは冷や汗混じりに呟く。
周囲を取り囲む連中には、見覚えがあった。
中でも、ボルド側に立つ二人の女性は、名前も知っている。
硬い表情をしているフェイと、つまらなそうに欠伸をしているラヴィアンローズだ。
彼女達の姿を見て、ハイドの予想は確信に変わる。
「やっぱり、アンタ、天楼の人間だったか」
「応よ。儂の自慢の息子よ」
ボルドの背後から低い声が響き、悠然とした足取りで現れる、一人の大男。
道を空ける天楼の面々、そしてフェイは、彼に向かい一礼する。
「……まさか、アンタ自らご出陣かい。シド」
「そりゃオメェ、奈落の社の頭領と面突き合わせるってんだから、儂がいなきゃしょうがあんめぇよ」
ジョリジョリと髭を弄り、天楼の主シドは二人の前に立つ。
姿を現しただけで、場の空気がガラリと変わる。流石の存在感だ。
「それにしても息子とは驚いたね。俺も知らなかったぜ? 水臭いじゃねぇか、オヤッさん」
「いやよ。息子っても、昔、火遊びした時の隠し子でよ。暫くは真っ当な暮らしをさせてたんだが、どうも儂の血が濃いみたいで、気付いたらこのありさまよ」
「そりゃ、オヤッさんの血は濃厚そうだからな。しょうがないんじゃないか?」
「はっ、違ぇねぇ」
そう言って、二人は笑い合う。
敵同士の筈なのに、この和やかな会話内容に、周囲を取り囲む人間達も困惑を浮かべる。
「……父さん」
「おっと、いけねぇ。つい、和んじまった」
息子に咎められ、バツが悪そうに頭を掻くと、シドは二人を見据える。
「ま、事情は息子から聞いてんだろ。坊主、大人しくそいつを渡せ。でなけりゃ、ちょいと痛い目にあって貰うぜ?」
掘りの深い顔で、睨み付けてくる。
四方を取り囲まれた上に、手練れのフェイやラヴィアンローズまでいる。
おまけに年老いたとはいえ、シドも昔は武闘派で慣らした口。その実力は、フェイ達を凌ぐだろう。
状況だけ見れば、絶体絶命だ。
しかし、ハウンドは落ち着いた様子で周囲を見回す。
「おいおい。俺の相棒が、この程度の人数で止められると思ってんのか?」
余裕そうなハイドの発言に、天楼のメンバーが殺気立つ。
口々にハイドを罵ろうとするが、仮面越しに発せられたハウンドの殺気に当てられ、口を噤んでしまう。
ハウンドの殺気は、フェイですら冷や汗を流すほど。
それでも天楼の面々は、己を奮い立たせながらハウンドを睨み返すが、その事実をいち早く認めたのは、誰でも無いシド本人だった。
「ま、生半可な戦力じゃ、そいつは止められないわな」
「――シド様!?」
思わず、フェイが抗議の声を上げる。
シドはそれを手で制し、視線をハイド達に向けながら、ニヤリと嫌な笑顔を浮かべる。
「だからよ……こっちも、切り札を用意させて貰ったぜ」
「……なんだと?」
ハイドが疑問を口にしようとした瞬間、地響きと共に、真横の壁が粉々に砕かれた。
驚く二人の視線が、砕かれ舞い散る小石を蹴散らすように現れた、一人の少女の姿に集まった。
その姿を見て、ハイドの表情が青ざめる。
「――なッ!? そいつはッ!?」
雪よりも白い純白の長い髪は、普通に立っていても地面に届きそうなほど。肌も白く、痩せ気味で、とても石壁を砕けるような人間には思えない。むしろ、病院のベッドの上の方が似合う、病的な身体つきだろう。
だが、二人に向ける眼光は違う。
剥き出しの殺気を隠そうともしない、獣じみた瞳。いや、獣だって理性の光はある。
少女の瞳には、理性というモノが感じられなかった。
あるのは、見ただけで震えが来るような狂気のみ。
気怠そうな動きで身体の関節をバキバキと鳴らし、視線で二人、特にハウンドを見ると、嬉しそうに唇をニンマリと釣り上げた。
動作の一つ一つが、言いようの無い恐ろしさを周囲に与えている。
その癖、顔は疑いようの無いほどの美少女で、服装はフード付きのシャツとミニスカートと、普通の恰好をしている。
病的なまでに美しく、狂気に満ちた少女の姿に、ハイドだけでは無く天楼の面々も、怯えるような表情を見せる。
「お、おいおい。とんでもない、化物を引っ張りだしてきやがったなぁオイ」
化物呼ばわりに、少女の視線がギロッとハイドに向く。
そして、不気味にクスクスと笑いだした。
「化物、だぁ……この私に向かって、面白いこと抜かすじゃなぁい」
笑いながら、手に持った石壁の破片を握り潰す。
静寂に満ちていた筈の廃墟が、彼女の登場により、一瞬にして水の底のような息苦しさに満ちた。
「ミュウ……天楼の狂犬か。随分と形振り構わなくなってきたモノだな」
ハウンドの言葉に、ギラギラとした輝きを放つ、ミュウの目が向く。
ニンマリと笑い、ミュウはたった一足で、ハウンドの懐まで跳躍した。
「――速いッ!?」
だが、反応出来ない速度では無いと、ハウンドはカウンター気味に、ミュウの顔面目掛けナイフで斬りつける。
銀色の光が一閃する。
が、刃はミュウの顔に触れることは無かった。
周囲の人間には、視界の悪さもあり、ハウンドが何をしたかも見えなかっただろう。
その一撃を、ミュウは歯で噛み締め、受け止めた。
「――ッ!?」
常識外れの行動に、ハウンドも驚きが隠せない。
ミュウは獣のような呻り声を漏らすと、噛み付いた鋼の刃を噛み砕いた。
まるでビスケットように、音を立てて砕けるナイフ。
この距離は不味いと、慌てて離れようと身を引いたところ、伸びてきた手の平によって、喉を鷲掴みにされた。
強烈な喉への圧迫感。
次の瞬間、ハウンドの上下が逆転する。
ミュウは喉を掴みながら背を向けると、人形を振り回すように、掴んだハウンドの身体を軽々と持ち上げた。
「ヒャハハハハハハ! アンタの身体、豚の死骸よりも軽いわぁ!」
愉快そうに大笑いすると、ハウンドを背中から、石畳の残っている地面に思い切り叩き付けた。
石畳が割れ、砂埃が舞い上がる。
砂埃に視界が塞がれ、狂気染みたミュウの笑い声の中、何かが風を切る音が聞こえた。
地面に叩きつけられたハウンドは、受け身を取らず、取り出した数本のナイフを、ミュウに向かって投擲したのだ。
視界を砂埃に遮られた所為で、飛んでくるナイフに気づけなかったミュウの身体、右側の腕、肩、胸部、腹部に一本ずつナイフが突き刺さる。
「んん~ん?」
違和感を覚え、ハウンドの首を捕まえている右腕を見ると、手首がパックリと半分ほど切断されていて、噴き出す血が地面にいるハウンドを赤く染めていた。
僅かな間に、ミュウは常人なら死んでもおかしく無い手傷を負っていた。
だが、痛がるどころか、更に愉快さを増して笑う。
「ハハッ! いい、いいじゃんアンタぁ!」
手首を裂かれ、ほぼ力の入らない右手を引き抜くと、倒れたままのハウンドに向かって、振り上げた足を落とす。
「――ふん!」
腕で地面を弾き、跳躍しながらそれを回避。
目標を見失い振り落された足は、周囲を地響きで揺らし、地面に大穴を空けた。
しかし、ハウンドは手を止めない。
「――シッ」
飛び退きながら、更に数本のナイフを投擲する。
ナイフは吸い込まれるように、ミュウの身体に直撃。
今度は両太もも、左足の脛、左肩にナイフが突き刺さっている。
計八本のナイフが今、ミュウの身体を刺し貫いていた。
けれどミュウは平然とした表情で、刺さったナイフを、無造作に抜き捨てる。
次々とナイフを抜き、捨てて行く度に、傷口から血が溢れ、全部抜く頃には着ている服が血で真っ赤に染まっていた。
手首も千切れかけ、とてもまともに戦える姿には見えない。
「タフだな。パワーも桁外れだ。だが、その出血量と傷では、もう戦えまい」
「はぁ? なに馬鹿なこと言っちゃってんの?」
思い切り顔を顰め、馬鹿にするように、自分のこめかみを指で叩く。
そして、邪悪な笑顔でハウンドを睨み付ける。
「これからが本番じゃん。折角、私も気持ちよくなり始めたところなんだからさぁ!」
「……所詮は狂犬か」
話の通じないミュウに嘆息して、ハウンドは新しいナイフを構える。
確かにミュウの化物染みた腕力は驚異だが、猪突猛進を絵に書いたような戦い方。ハウンドたる自分が、負ける要素など皆無だ。
そこで、ハイドからの声が飛ぶ。
「――ハウンド! 油断するな! そいつは、本物の化物だぞ!」
言われるまでも無く、ハウンドは油断などするつもりは無い。
例え相手が赤ん坊でも、全力で、確実に仕留める。
しかし数秒後、ハウンドは真の意味で、理解することになる。
ハイドが、ミュウを『本物の化物』と称した意味を。
「キヒッ……クフッ、ハハッ」
凍えるような殺気を浴び、恍惚の表情で、ミュウは笑う。
「ヒッ、ヒャハ、アハハハハハハハハハハハハッッッッッッ!」
狂ったように、身を反らして笑い上げる。
狂気の混じる、いや、狂気しかない笑い声に、仲間である天楼の面々の視線に、恐怖が宿る。
直視してられないとフェイは目を逸らし、ラヴィアンローズは何を考えているのか、ずっと目を閉じたまま状況を見ようともしていない。
楽しげに眺めているのは、シドとボルドの二人だけだ。
逸らした身体を前のめりに戻すと、睨み付ける眼光が青く発光する。
瞬間、穴だらけになっていた身体の傷が、見る間に塞がっていき、半分ほど切断されていた傷も、急速に再生していく。
「――なにッ!?」
あり得ない出来事に、ハウンドとハイドは驚愕する。
「さぁこっからが本番だよッ! 確りと私をイカせてみなッ!」
咆哮して、ハウンドに向かい突進する。
先ほどより倍速の動きに、ハウンドすら反応しきれない。
無造作に突き出した蹴り。それを腹部に受けたハウンドの身体が、宙に舞う。
背後にいた天楼のメンバーを巻き込み、ハウンドの身体が、地面にぶつかって数回バウンドした。
途中で地面を手で弾き、何とか態勢を立て直す。
ゾクッと背中に悪寒を感じ、見上げると、ミュウがこちらに向かい跳躍してきた。
「ヒャハハハハハハ!」
笑いながら襲撃してくるミュウを、投げナイフで迎撃しようとするが、今度は全て手で叩き落とされてしまう。
「……チッ」
昨夜、アルトと戦った時に斬られた腕が痛み、それが投擲の正確さと威力を殺いでいた。
まともに戦っても、ミュウの突破力は止められそうに無い。
せめて、ハイドを逃がす隙を作ろうと、ハウンドは腰を落としミュウを迎え撃つ。
「……んん?」
覚悟を決めたハウンドを見て、ミュウは狂気に満ちていた笑みを消す。
そして、攻撃態勢を解き、ハウンドの正面に降り立つ。
僅かな静寂が訪れ、至近距離で睨み合う二人。
そして、ミュウは嘆息すると、つまらなそうな表情で纏った殺気を消した。
「飽きた。面白そうかと思ったけど、やっぱアンタじゃ濡れないわ」
ペッと唾を吐き捨て、ミュウはまだ警戒しているハウンドに背を向けた。
周囲がざわつき、シドは苦笑を漏らしていた。
これを好機と見て、仕留めるかとハウンドは視線で問うが、深追いをして危険を犯したくないハイドは、首を左右に振る。
もう興味が無いと、立ち去ろうとするミュウを、表情に苛立ちを浮かべたボルドが呼び止めた。
「何を勝手な真似を……ここはハウンドとハイドを潰す好機。僕がわざわざ父さんに頼み込んで、君を地下から解放させたんだ。仕事はキッチリとこなして貰わないと困る」
「……あん?」
ギロッと睨まれ、流石のボルドにも緊張感が走る。が、懸命に睨み返した。
「小賢しいばかりの頭でっかちが、少し見ない間に、随分と偉そうになったモンじゃん。オイ、誰に口をきいているのか、わかってるのかしら?」
「……僕の命令に従え、ミュウ」
「ウザッ」
視線を細め、ボルドの首を鷲掴みにする。
「――グッ!?」
苦しそうに顔を歪めて腕を振り払おうとするが、尋常じゃ無い腕力に掴まれた手を、外すことが出来ない。
周囲の部下達もざわめき、止めに入ろうとするが、ミュウの鋭い眼光に睨まれ動けないでいた。
フェイはチラリとシドを見ると、真剣な表情で顎を摩り、状況を眺めているだけ。
興味なさげに、マニキュアの色を気にしているラヴィアンローズは、そもそも止めに入る気も無さそうだ。
指先が肉に食い込む感触が心地よく、ミュウは笑みを浮かべた。
「多少は感謝して、偉そうな態度も許容してあげたけど、やっぱムカつくはお前。もう死ねよ」
「うぐっ……ま、待て。今、僕を殺せば、天楼は、目的を果たせ、無くなるぞ」
「知らな~い。私は、私をイカせられる奴にしか、興味無いし」
ゆっくりといたぶるように、指先に力を込めて行く。
後少しで、爪が肉を押し貫くだろう。
「だ、だったら、都合の良い奴がいる!」
「……言ってごらんなさいよ。ま、興味なかったらすぐに殺すけど」
多少は興味を惹かれたのか、握る手を僅かに緩めた。
「俺の部下、蛇を殺し、そこのハウンドに、手傷を負わせた男がいる……そいつは、北方戦線の、生き残りだ」
「――ッ!?」
「……ふん」
思い当る人物に、フェイとラヴィアンローズはそれぞれ反応を示した。
「……ふぅ~ん」
僅かに逡巡して、ミュウは鷲掴みにした喉を、離した。
地面に座り込んで激しく咳き込むボルドを無視して、ミュウは視線をハウンドに向ける。
「ねぇ、そいつ、強いの?」
「……ああ」
どう答えるべきか迷ったが、ハウンドは素直に頷いた。
すると、ミュウは腕を組んで、何かを考え始めた。
「ミ、ミュウ……」
ようやく咳が治まったボルドは、目を瞑り考え込むミュウに語りかける。
「僕の頼みを聞いてくれれば、彼との戦いをお膳立てしよう。相手はあの、竜姫とも関わり合いにがある人物だ。相手にとって、不足は無いだろう」
ボルドの言葉を聞いて、ミュウは首を傾けながら顔を向けて、閉じていた両目を開く。
そして、鼻から大きく息を抜いた。
「やっぱ、アンタ駄目だわ。何にもわかっちゃいない」
「……何だと?」
睨み付けるが、ミュウは無視して顔をハイドの方に向ける。
「ま、いいわ。半分だけ、アンタの口車に乗ってあげる……ねぇ」
「……はいはい。何かな?」
声を掛けられて、ハイドは飄々とした態度で返事をする。
奈落の社のボス相手に、ミュウは両腕を組んだまま、偉そうな態度で言い放った。
「そのナントカの焔ってヤツ、私に寄越しなさいよ」
「冗談。ガキが小遣いねだってんじゃないんだ。ほいほい渡せるかよ」
「アンタの意見なんか聞いてないのよ」
脅しつけるような口調で言うと、真横の石壁を殴りつける。
轟音を響かせ、石壁はいとも簡単に砕け散り、周囲から畏怖の声が漏れた。
「もしかして、私に逆らえるとでも思ってんの?」
「おいおい。俺は奈落の社のボスだぜ? つまらん暴力外交に屈するほど、臆病者じゃないさ。これでも逃げ足には自信があるんだ。相棒もいるし、アンタらから逃げ出すくらいわけないさ」
圧倒的な殺気を受け流すように、ハイドはおどけて肩を竦める。
実際、天楼に囲まれてはいるが、脅威なのはミュウ、シド、フェイ、ラヴィアンローズの四人だ。しかし、フェイはシドの命令が無ければ動かないし、ラヴィアンローズはそもそも、この件に関しては非協力的な様子だ。
シド自身の思惑はわからないが、ミュウさえ凌げれば、この場は何とか逃げ出せると、ハイドは算段している。
それを察知して、ミュウは更なる暴力外交に打って出る。
「逃げたきゃ逃げればいいじゃない。その代わり、奈落の社の縄張りに住む連中を皆殺しにしてやるわ」
「……そいつは、笑えない冗談だな」
飄々とした態度が消え、ハイドの視線が鋭くなる。
ニヤニヤと笑うミュウの態度に舌打ちし、視線をシドの方に向ける。
「オヤッさん。これは、俺達に戦争を仕掛けるつもりだって、解釈してもいいのかい?」
「……まぁ、そうなっちまうわな」
二人の言葉に、慌てたのはボルドだ。
「ま、待て! そんなことになったら計画が……」
「その代り!」
ボルドの言葉を遮るように、ミュウは大声を張り上げた。
「そいつを渡してくれるんなら、この場は見逃してやるし、飼い犬のことも騎士連中には内緒にしておいてあげるわよ? ついでに、天楼の連中にも暫くの間、アンタらに手出しさせないわ」
「おい、勝手に話を進めるなッ!」
「黙れよボルド」
ギロリと殺気を込めて睨む。
「これも気に入らないんなら、別に私は奈落の杜も天楼も、両方潰したって構わないんだよ?」
ミュウが言うなら、本気でやりかねないと、状況を見守っている者達は皆、戦々恐々としていた。
ハイドは黙り込み、思案する。
本音を言えば、炎神の焔を渡したくは無い。
シドの目的を知る者として、これを渡せば最終的にどういう結末を辿るのか、予想はついている。
だが同時に、北街の暗部を総べる者として、シドの考えも、わからなくは無かった。
悩むハイドの姿を見て、ハウンドがナイフを取り出し構える。
「ハイド。奴の妄言に耳を貸す必要は無い。この場で決着をつければ済むことだ」
ナイフを向けられ、ミュウはつまらなそうに髪を掻き上げる。
「アンタじゃイケないってわかったから、相手したくないんだけどさぁ……どうしても死にたいって言うなら、ぶち殺してあげるわよッ」
バキバキと威嚇するように、指の関節を鳴らす。
再び、二人の間に緊張感が走る。
そんな中、ハイドは手に持った炎神の焔を、ミュウに投げて寄越した。
「――ハイド!?」
「背に腹は代えられん。俺にはこの国の未来より、相棒や奈落の杜の連中の方が重いようだ」
「……そうか」
頭領であるハイドにそう言われると、もうハウンドには言葉が無く、黙ってナイフを納めた。
「交渉成立ね。んじゃ、私は帰るわ……ああ、一応は約束だから、警告しておく」
ギロリと、シドとボルドを含めた、この場にいる全員に殺気を撒き散らした。
「私がした約束、勝手に破ったら皆殺しにしてやるわよ?」
ゾッとする一言に、腰を抜かす者まで現れた。
交渉が成立すると、取り囲んだ天楼の面々は次々と姿を消す。
言われた通り、二人に手をだすマネはしなかった。
結局、ミュウ一人に掻き回された状況が面白く無く、ボルドがギリッと、悔しそうに奥歯を噛み締める。
それを見て、シドは苦笑を漏らした。
「……頭の良いお前さんでも、狂犬の扱いは荷が重いかぁ?」
「ふん。ミュウが思い通りに動かないことなんて、織り込み済みですよ。ただ、想像していたより、ずっと馬鹿だった話だけです」
何故か上機嫌なミュウは、手に持った炎神の焔をシドに投げつけながら問いかけた。
「ねぇ、シド。アンタも、そのナントカって奴のこと知ってるの?」
「あん? ああ、アルトのことだろ。野良犬騎士アルト。貧乏臭い男だが、中々、面白い奴だぞ」
「ふぅ~ん」
それだけ聞いて、ミュウは夜空を見上げる。
予想通りの名に、フェイの表情に影が差した。そして、終始不機嫌だったラヴィアンローズが、今日一番の不機嫌顔を晒す。
怪しく光る月を見て、血に濡れたミュウは不気味に微笑む。
「野良犬騎士、アルト、か……ククッ。どんな良い声で鳴くのか、今から楽しみじゃない」
シド達も立ち去ろうと、身を翻る。
くやしげな視線でボルドは、ハイド達を睨み付けるが、何も言わずにその後に続いた。
去りゆくシドの背中に、ハイドは声をかける。
「オヤッさん……アンタ、本当にやるのかい?」
「ああ、勿論だ。その為に、儂はこの数十年を無様に生きてきたんだからな」
振り向かず、シドは答える。
「ちゃんと口にしたことは無かったが、炎神の焔を渡して貰ったことに免じて、坊主達に約束しよう」
強い口調に、ハイドやハウンドだけでなく、フェイやボルド達も真剣に耳を傾ける。
何の反応を示さなかったのは、ミュウとラヴィアンローズの二人だけだ。
「儂はこの国を崩す。そして、儂の手で、この国によって奪われた、在りし日の北街をと戻して見せる……楽しみに待っていろよ」
最後に振り向き、ニヤリといつも通りの笑顔を浮かべ、シド達は去って行った。
再び、二人きりになり、ハイドは大きな息を吐きながら、壁に背を預けた。
「……俺だって、そんな北街があるんなら、見てぇよ」
ハイドはポツリと呟く。
生涯、唯一の親友たる男の言葉を、ハウンドは無言のまま、胸に刻み付けていた。
北街の闇は深い。
その闇が溢れ出し、王都を覆う日は、そう遠くないことなのかもしれない。




