終戦2
クラリスは、慌てて手を下ろした。
ジルヴェスターのじとっとした瞳を見ながら、心から、そんなことはないと否定したい気持ちになる。クラリスにとって、魔法式を考えることとジルヴェスターを考えることは、同じくらい頭をいっぱいにするのだ。
ジルヴェスターは、そんな考えを読んだかのように、小さくため息をつく。そして寝台の縁に腰を下ろすと、椀をクラリスに渡すのではなく、自分の膝の上に置いた。それから木の匙で掬って、湯気を軽く吹いて、クラリスの口元へ持ってきた。
「ジルも、疲れているでしょう? 自分で、食べられますから」
そう言うと、ジルヴェスターは匙を椀に戻し、代わりに右手を伸ばして、クラリスの頬と耳に触れる。
「クラリス。きみは、何も分かっていないようだな。僕がどれだけ苦しんだか。……ここにきみがいることを、確かめたいんだ。すべて、僕にやらせてくれ」
ジルヴェスターの瞳は優しさで溢れていたものの、その奥には、苦悩を映していた。
そう言って、彼はまた匙を取る。
クラリスは観念して、口を開けた。温かいシチューが、舌の上で溶ける。塩と、豆と、干し肉の味。一日ぶりの食事だった。クラリスは食べはじめると、自分がいかに空腹だったかに気づき、二口目、三口目と進める。ジルヴェスターは、匙を運ぶたびに、クラリスの口元を、じっと見ていた。
クラリスがすっかりきれいに食べ終えると、ジルヴェスターは、少し満足したかのように微笑んだ。その微笑みはいつもと変わらないものの、完璧で、間近で見るとやはり心臓に悪いと、クラリスは目を逸らす。
ジルヴェスターは優しくクラリスの髪を撫でていたが、ふと、手を止めた。
「クラリス。……キスをしてもいいか」
クラリスは、驚いてジルヴェスターを見上げた。いままで、そんな了解を取られたことなど、一度もない。わざわざ訊かれることで、もう心臓は口から飛び出しそうで、体じゅうが痺れるようだ。
「は、はい……」
クラリスが小さく答えると、ジルヴェスターはふっと微笑む。
だが、そのキスは最初から激しく、ジルヴェスターはクラリスの背中を強く抱きしめながら、舌をクラリスの口の中に入り込ませる。クラリスは驚いて少し押し返そうとしたが、ジルヴェスターの大きな体は、まったく動かない。次第に、酒を飲んだかのように頭がぼうっとしてくるのを感じて、体の隅々までが満たされていくような気持ちになっていた。貪るようなキスはしばらく続いて、クラリスが寝台に倒されると、ようやく離れた。
そして、ジルヴェスターの手が、クラリスの服の中に入ってくる。
そのとき、垂れ布が跳ね上がった。
「陛下、お呼びですか——」
ルークだった。彼は入ってきた姿勢のまま、寝台に横になる二人を見て、一拍、止まった。それから、切れ長の目を細めて、心底うんざりした顔をした。
「……戦場で、やめてくださいよ」
ジルヴェスターは、ルークを一瞥して、それからため息をついた。邪魔をされたことへの、隠しもしない苛立ちだった。
「……本当に、タイミングが悪いな。きみは」
クラリスは、大急ぎで体を起こし、寝台に座り直した。
ルークは、わざとらしく頭を抱えている。
「……被害者は僕ですよ! 一晩じゅう戦って、それから一日じゅう奥様の骨を繋いで、やっと呼ばれたと思ったら、こんな場面を見せられて——」
「見なければいいだろう」
「僕は呼ばれて来ただけですよ!」
クラリスは、全身が熱くて、寝台の毛布を頭から被りたかった。
「……ルーク。あの、銀の輪のことなんですが」
熱をごまかすように、早口で言った。二人の視線が、こちらを向く。
「あれは、魔道具だったんです。光魔法を当てると、輪の内側に刻まれた式が、天井に浮かび上がって……封じる式と、そのあとに、もう一つ。全部、写しました。……それを、あとで一緒に、見てほしくて」
ルークは頭を掻きむしり、ああもう、と座り込んだ。
だが、もう一度立ち上がったときには、うんざりした表情ではなく、あの、魔法の話をするときだけの目になっていた。
「陛下からも、少し伺いました。……写した式を、見せてもらえますか」
ルークは、じっと、クラリスの帳面を見る。
「……ただ、もう一度、銀の輪そのものを借りるのは、クロア卿が戻ってからにしましょう」
ルークが、頁をめくりながら言った。
「あんな気味の悪い魔道具を、勝手に触るのは、憚られるので」
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