↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/56

三番目の姫

面白いと思っていただいたら評価とブクマお願いいたします!

日々更新予定です。(修正の可能性もあり)

わたし、クラリス・シェルナは、大国へ嫁ぐことになった。


 表向きは、友好の証。その実、優秀すぎる兄を警戒した大国が、我が小国に差し出させた人質である。しかも嫁ぎ先の宮廷では、もう噂になっているらしい。「またシェルナの姫か」と。百五十年前、同じ国から嫁いだ姫が、輿入れの途中で忽然と消えたのだ。だから縁起が悪い、と。


 人質で、不吉で、歓迎されない花嫁。普通なら、泣いて暮らすところだろう。


 けれど、わたしには、そんなことより気になることがあった。


 ——嫁ぎ先の城には、八百年ぶんの書庫があるという。誰にも読めない、古い魔法式の眠る書庫が。




 馬車が石を踏むたび、膝の上の紙面がわずかに揺れた。クラリスは羽根ペンを浮かせたまま、揺れが収まるのを待つ。シェルナ王国を発って十日、この待ち方にもすっかり慣れてしまった。


 書きかけの魔法式は、灯の式だった。十四のときから使っている、夜に本を読むためのもの。マナの消費を半分に抑え、光の広がる角度をとことん絞ってある。狭くするほど、同じマナで遠くまで届く。けれど第三節の結び目が、どうしても余った。ここをひとつ減らせれば消費がもう二割は落ちるはずなのに、外した途端に第五節が崩れる。半年、そこで止まっている。壁の一点を照らせるようになって何になる、と老師には笑われたが、もとより趣味のようなものだった。


 インクを足そうとして、瓶の底が見えていることに気づいた。十日でこれだけ使ったのか。


「クラリス様。そろそろお召し替えを」


 向かいに座ったリタが、遠慮がちに声をかけてくる。膝の上には、朝からずっと畳んだままの婚礼用の外套が乗っていた。クラリスは顔にかかった長い栗色の髪を払い、窓の外へ目をやる。灰色の稜線が、朝より近い。アルダーンの山だ。胃のあたりが、すっと冷えた。


「あと半刻ちょうだい」


「半刻ですか」


「じゃあ四半刻」


「……クラリス様」


「わかった、着替える。第三節を片づけたら」


 リタが諦めた顔をしたので、クラリスは笑って紙面に目を戻した。落ち着かないときに式を書くのは、幼いころからの癖だ。手を動かしていれば、たいていのことは考えずに済む。


 シェルナの第三王女。上に兄が二人、姉が二人。国の役に立つ話は上の四人で片がついてしまうから、三番目の姫にはあまり用がなかった。魔法量も並で、顔は栗色の髪に翠の瞳が姉に似ているというだけ。父は彼女を社交へ無理に引っ張り出すこともなく、誕生日には必ず魔法式の本をくれた。夜会でひとことも喋らず物思いに耽っていても、母はただ笑うだけ。好きなようにさせてもらった、と思う。十八になるまで、ずっと。そのまま行き遅れたところで、たぶん誰も困らなかった。


 去年の冬に、アルダーン王国から使者が来るまでは。


 両親の慌てようといったら、ひどいものだった。姉二人はすでに嫁いでいる。兄で王太子のヴィルスは頭を抱え、今からでも病気ということにできないか、あれは無理だと本気で騒いだ。その反応を見て、クラリスは初めて、自分がどれだけ甘やかされ、国の金で呑気に過ごしてきたかを思い知った。怒る気にもならなかった。ただ、遅まきながら、自分というものを客観的に眺めはじめた——そんな心地だった。


「姫様!」


 窓の外から声が飛んできた。顔を出すと、栗毛の馬を寄せたユアンが、鞍の上から身を乗り出している。外套の襟に霜が白く残っていた。


「まだ書いてるんですか。十日間ずっとですよ」


「第三節が余るの」


「知らないよ」


 ふいに口調を崩して、ユアンが笑った。笑うと猫のように、頬へ斜めの皺ができる。子爵家の次男で、幼馴染で、会う人間をかたっぱしから味方にしてしまう男だった。宮廷では人たらしと呼ばれ、兄ヴィルスからの信頼も厚い。それから彼は少しだけ声を落とし、必要以上に顔を寄せてきた。


「あと二刻で国境を抜けます。……向こうに入ったら、その紙は仕舞っておいたほうがいいですよ。向こうは記法が違います。読めないものを持ち歩く人間は、それだけで疑われますから」


「読めないだけで?」


「読めないから、です。アルダーンの式は、隣のリアンツァ王国の人間には読めない。逆もそう。八百年、そうやってきました。読めるようにしようとした者たちがどうなったか、ご存じでしょう」


 八十年前の話だ。両国の魔法師が共同で古い式を研究しようとして、両方の国で処刑された。罪状は機密漏洩。名前も残っていない、と老師が言っていた。


「……シェルナの式なら、どちらでもないでしょう」


「どちらでもないものが、一番わからないんです」


 クラリスは紙の端を指でなぞった。ここに書いてあるのは、本を読むためのただの明かりだ。危険なところなど何ひとつない。けれど読めない人間には、明かりも呪いも同じ模様に見える。


「それと、姫様」ユアンが馬の首を撫でた。「百五十年前の話、ご存じですよね」


 知っていた。シェルナの子どもなら誰でも知っている。シェルナの姫が、アルダーンとリアンツァの王太子から同時に求婚され、リアンツァを選び、輿入れの途上で消えた。リアンツァはアルダーンが殺したと言い、アルダーンはリアンツァが仕組んだと言う。真相を知る者はいない。


「向こうの宮廷で、もう噂になっているようです。またシェルナの姫か、って」


 クラリスは窓枠に指をかけ、その言葉を二度なぞった。風が冷たい。シェルナの風とは匂いが違って、乾いて、石の粉のような匂いがする。


「……縁起が悪い、ってことね」思わずため息が出た。「せめて昔のお姫様みたいに、わたしのために争わないでって言わせてもらってからにしてほしいわ」


 ユアンが噴き出した。


「争われるくらいの美しさは、じゅうぶんおありですけどね」


「……そういうことを言ってるんじゃないの」


「わかってますよ。でも本当のことです」


 しれっと言うので、クラリスは窓枠を指で叩いた。頬が少し熱いのは、たぶん風のせいではない。悔しいことに、この男はこういう台詞を、世辞にも下心にも聞こえないように言う。どうやら兄で王太子のヴィルス兄様に学んだようだ。それで宮廷じゅうの女官を味方につけてきたのだ。社交に不慣れなクラリスは、冗談とわかっていても反応してしまう。それが、また悔しい。


「まあ、心配ではあります」ユアンは笑いを引っ込めた。「魔法式ばかりで、それも趣味止まり。社交も外交も歴史も明るくない。そんな姫様が、ヴァルガリア帝国に次ぐ大国で、やっていけるのかどうか」


 言い返す材料がひとつもないのが腹立たしかった。小国の姫が歓迎されないことくらい、わかっている。ヴァルガリア帝国という巨きな影があって、アルダーンとリアンツァがその下で睨み合い、シェルナのような国はそのあいだで転がっているだけ。この婚姻も、転がり方のひとつにすぎない。


「姫様。もし本当に嫌になったら、仰ってください」


「言ったら、どうなるの」


 言いたい放題の男を、クラリスは窓から睨みつけた。


「どうにかします」


 無茶な話だった。爵位も領地も持たない次男坊が、二国のあいだで決まった婚姻をどうにかできるはずがない。それでもクラリスは笑った。


「じゃあ、覚えておく」


「御意」


 ユアンが馬を離し、蹄の音が列の前へ遠ざかっていく。クラリスは窓を閉め、膝の上の紙を見下ろした。第三節が余る。半年考えても、いまだにわからない。


 紙を丁寧に折りたたみ、外套の内側に仕舞う。


「リタ、着替える」


 リタが弾かれたように立ち上がった。ずっとそのつもりで待っていたのだろう。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。