プロローグ
異世界転移チート系なろう小説を作ろうとした結果
月が綺麗だった。
それしか見るものが無かったとも言う。
右を見ても左を見ても、月明かりに照らされた枯れっ枯れの平原が地平線まで続いている。草はまばら。木はゼロ。人工の灯り、ゼロ。俺がここに座り込んでから小一時間、動くものは雲と俺の顎だけだった。
顎が動いているのはおにぎりを食っているからだ。コンビニの鮭。半額シール付き。
状況を整理しよう。
俺は家に帰る途中だった。カバンにはデッキと財布とおにぎり二個。それで歩道を歩いていて、次の一歩を踏み下ろしたらここだった。
以上。整理終わり。マジで整理する材料がこれしかない。
道に迷ったとかじゃない。俺の地元に「地平線」なんて上等なもんは無い。空気も違う。乾いてて、埃っぽくて、なんか薄い。星が多すぎて星座が探せない。
つまりあれだ。異世界ってやつだ。
……いや「つまり」で繋がる話か? これ。
まあいい。慌てても仕方ないし、疑っても景色は変わらない。現実を受け入れる速度には自信がある。社会人経験のほぼ唯一の収穫だ。理不尽な現実を「そういうもの」として飲み込んで、はい次、はい次と処理していく。あの日々に比べれば、地平線は理不尽じゃない。ただの地形だ。
問題は今後の方針だった。
おにぎりは残り一個。水は無い。人の気配も無い。夜の気温はどんどん下がってる。詰み要素を数えだすとキリが無いので、持ってる方の資産を数えることにした。
財布。この状況では紙とレシート入れ。
スマホ。圏外。ライトと時計としては優秀。
デッキ。
……デッキかぁ。
カバンから出して、月明かりにかざしてみる。スリーブ越しでもわかる、使い込んだ六十枚。構築は我ながら趣味に走った五色デッキだ。回すのが楽しいんだよな、これ。
で、まあ、あれだ。
お決まりのやつ、一応試しとく?
ほら、あるじゃないですか。異世界に来ちゃった人には特別な力が与えられてる、みたいな定番が。誰にも説明されてないけど、説明が無かったからって無いとは限らないわけで。確かめるだけならタダだし。
誰も見てないしな。
俺はデッキから《森林》を一枚抜いて、地面にペラッと置いた。
「土地セット。ターンエンド」
言った。言っちゃった。二十七歳、深夜の草原、無人、独り言でターンエンド。もし誰かに見られてたら俺は今度こそ生きていけない。
三秒待った。
何も起きなかった。
うん、知ってた。そりゃそうだ。世の中そんなに甘くない。さ、寝床どうしようかな、と顔を上げた。
地面が、鳴った。
鳴ったというか、唸った。地の底からくる低い振動で内臓が揺れて、置いた《森林》がカッと光って、光が地面に染みて走って、走った先が、盛り上がった。
「……お?」
盛り上がりは止まらなかった。土が割れて黒い塊が突き出して、それが幹だと理解した時にはもう見上げる高さになっていた。一本じゃない。十本、百本、視界の右から左まで、月を消す勢いで木がそびえ立っていく。騒音じゃない、轟音だ。大地が軋む音、幹が伸びる音、枝が空気を裂く音。風が来た。土と青葉の匂いの、生まれたての森が吐き出す風だ。
俺は尻餅をついたまま、それを見ていた。
音が、やんだ。
目の前に、森があった。
さっきまで地平線だった場所に、夜より黒い樹冠の壁が立っていた。端が見えない。奥も見えない。梢の隙間で何かが羽ばたいて、遠くで鳥だか獣だかが一声鳴いた。生態系まで込みだ。
「…………なるほどねぇ」
声が出た。思ったより冷静な声だった。
いや、驚いてはいる。めちゃくちゃ驚いてる。心臓がバクバク言ってる。でも同時に、頭の別のところが妙に納得してるのだ。
だって《森林》だぞ。
カードの《森林》は「森」だ。イラストに描かれてるのは木が数本だけど、あれは象徴であって実物大じゃない。MPを生産する設備としての森、機能を満たす規模の森が実体化するなら――そうだよな、このくらいあるよな。むしろ誠実な実装だと思う。ゲームじゃ1枚で竜の召喚を支える土地なんだから。
なるほどなるほど。規模感、完全に理解した。
理解した俺の胸の真ん中で、バシィン、と何かが弾けた。
「痛ッッッ!?」
仰け反った。物理で殴られた痛みじゃない。体の内側で鳴る、熱くて重い衝撃。同時に視界の隅に、見覚えのありすぎる赤いエフェクトが散った。ダメージを受けた時のあれだ。あの、対戦画面で見るあれ。
「え、何、なんで俺にダメージ――」
数秒後、二発目が来た。
バシィン。
「痛ッ! ……あ」
あ。
わかった。わかってしまった。
MPだ。あの森、今この瞬間もMPを生産してる。ターンなんて区切りは現実には無いから、垂れ流しで。で、俺はそれを使ってない。使われなかったMPはどうなるか? オーバーフローだ。溢れた分は持ち主に返ってくる。1点ずつ。
目が慣れてくると、仕組みも少し見えた。土地ってのは、数秒ごとに、寝て起きてを繰り返してるらしい。森全体がふっと暗く沈んで(タップだ、あれ)、また起きる。で、起きた瞬間に、1点、吐く。
つまり、あの森が水道なら、蛇口は全開で、栓は無くて、溢れた水は全部俺の顔にかかる。起きるたびに一回。永遠に。
「実装が誠実すぎるんだよッ!!」
バシィン。三発目。
立ち上がった。座ってる場合じゃない。ライフ30として、もう何点か減った。この調子だと、三分持ちそうにない――いや待て、落ち着け。減る一方なら、だ。
MPは使えば減らない。使えばいい。出せばいいんだ、何か。手が勝手にデッキを繰っていた。暗い。月明かりじゃカードの文字が読めない。スマホ、ライト、点けた。片手が塞がった。最悪か。
「ええと、ええと――お前だ!」
二コスト。詳細は見えん。イラストが獣なのは見えた。地面に叩きつける。
「召喚ッ!」
カードが光って、光が膨らんで、狼くらいある何かが草を蹴って立った。よし。よしじゃないが、よし。2MP消費。
バシィン。
「消費が追いついてないんだよなあ!!」
そこからは、正直、あんまり順序を覚えていない。
覚えているのは要点だけだ。手当たり次第に召喚しても数秒おきの生産には勝てないこと。じゃあ土地を増やしてどうする気だったのか、増やせば生産も増えるだけだと途中で気づいたこと。気づいた時にはもう《山岳》と《湿地》を置いた後だったこと。置いた《湿地》が本当は《島嶼》で、いつの間にか背後に月光を照り返す水面がどこまでも広がっていたこと。
水面を見た瞬間、頭のどこかが静かになって、答えが降りてきたこと。
――無限ループだ。
このデッキには入ってる。あれとあれとあれ。三枚のカードが揃えば、MPを永久に食い続ける機関が組める。ゲームでは「無限に手順を繰り返せます、では省略して結果だけ」で済ませるあの空回りの輪っかが、現実で回り続けてくれるなら、それは永久機関じゃなくて排水口だ。溢れる水を無限に飲む穴。それさえ組めば、俺は助かる。
一枚目はすぐ出た。置いた。起動した。
二枚目は、デッキの下から三枚目にいた。ライトで照らして、指が震えて、二回落とした。置いた。バシィン。無視した。
三枚目が、見つからなかった。
あるんだよ。入ってるんだ、絶対。今朝、家を出る前に確認した六十枚に入ってた。でも見つからない。暗くて、手が震えて、さっきから視界の端で赤いエフェクトが明滅しすぎて目が慣れない。ライフ、いくつだ? 数えてない。数える余裕が無かった。体が重い。指先が冷たい。これはあれか、夜風か? 夜風ってことにしないか?
バシィン。
膝をついた。
あー。
これ、あれだ。走馬灯来るやつだ。
……。
…………。
来ない。
いや、来たのかもしれない。歩道を歩いてたら地平線にいて、鮭おにぎりを食った。以上。三秒で終わった。俺の走馬灯、上映時間三秒。二十七年生きてきてハイライトがコンビニの半額シールって、お前、それでいいのか俺。よくないだろ。よくないから、こんなところで、死んでる場合じゃないんだよなあ。
指先に、カードが触れた。
硬い、一枚。デッキケースの内蓋に貼り付いてた一枚。これは――違う、探してたパーツじゃない。でも知ってる。お守り枠で一枚挿してた、俺の趣味の、死んでも負けないやつ。
選んでる場合か? 選んでる場合じゃない。
「もういい、お前でいい――張れェ!!」
カードが手の中で光って、その光が俺の輪郭をなぞって、
バシィン。
バシィン。
バシィン――
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その夜、ハルデンの町は一度死に、鐘の音で生き返った。
最初に気づいたのは人間ではなく羊だった。子の刻を過ぎた頃、町外れの囲いで羊が一斉に騒ぎ、次いで犬が吠え、それから地鳴りが来た。低く、長く、床板と食器を震わせる響きが東から届き、寝ていた五千人を叩き起こした。
断崖の縁に人が集まりだしたのは、それから間もなくのことである。ハルデンの住人にとって、東の断崖は夕涼みの場所だ。眼下に広がるセレク平原は、生まれてから死ぬまで変わらない灰色の空白であり、変わらないからこそ誰も真面目に見ない。
その空白の只中で、光が明滅していた。
距離は分からない。平原には距離を測るための目印が何一つ無い。ただ、緑や赤や金色の閃光が、瞬いては消え、瞬いては消え、そのたびに数拍遅れて低い音が届いた。雷ではない。雷は雲から落ちるが、その光は地面から生えていた。
守備隊の老隊長イェルクは、囲壁の上からそれを睨み、部下に馬鹿げた質問をした。
「戦か?」
「相手は誰です」
「知らん」
誰も知らなかった。平原の向こうに軍を出せる国は無い。そもそも平原の向こうに何があるのかを、この町の誰も知らない。
モレン伯の居館にも急使が走ったが、老伯は寝間着のまま窓辺に立ち、光を眺め、そして誰もが待つ指示の代わりに一言だけ発した。
「……朝を待つ」
実際のところ、それ以外に打てる手は無かった。夜の平原に人をやるのは正気ではないし、光は近づいてくる様子も無い。町は起きたまま、断崖に鈴なりになったまま、明滅を数えて夜を明かした。灯堂の老司祭は誰に頼まれるでもなく常火の前に座り、集まってきた者たちと共に灯りの祈りを唱えた。闇の中で正体の知れぬ光が瞬くとき、この町の人間が頼る言葉はそれしか無い。
光は、夜半の四半刻ほど続き――止んだ。
最後にひときわ白い光が長く灯り、溶けるように消えて、それきりだった。地鳴りも止んだ。犬が吠え止み、羊が静まり、あとには耳鳴りのような静寂だけが残った。
そして、夜が明けた。
朝日は山の反対側、平原の地平から昇る。ハルデンの朝は、逆光の平原が金色に燃えるところから始まる。その金色の中に、昨日まで無かった影が立っていた。
森だった。
誰かがそう言うまでに、長い間があった。それが森だと認めるためには、この町の人間は自分の五十年、六十年ぶんの記憶と戦わねばならなかったからだ。セレク平原に木は生えない。生えないから灰色なのだ。その灰色の真ん中に、朝日を背にして、黒々とした樹冠の壁が地平線に沿って延びていた。目測を口にする者はいなかった。目測できる者がいなかった。
森だけではなかった。森の連なりの中に、明らかに質の違う影があった。突き出した岩山のような影。白く光を返す、水面としか思えない帯。
断崖の上は、奇妙に静かだった。悲鳴も出なかった。五千人の町の半分がそこにいて、ほとんど誰も口をきかなかった。人は、理解の枠を少しはみ出したものには騒げるが、丸ごと枠の外から来たものの前では黙るしかない。
沈黙を最初に破ったのは、毛刈り市の予定を心配した羊毛組合の親方だったと、後々まで語り草になる。
「……なあ。ありゃあ、燃やせるのか?」
燃やせるわけがなかった。だがこの一言で断崖の上に息が戻り、途端に五千人ぶんの言葉が溢れ出した。灯し手の御業だ、いや山の翁の怒りだ、ベルガナの新兵器だ、いや夢だ、全員で同じ夢を見ているのだ――
市参事会が召集されたのは、その日の午前のうちである。
議事録には、辺境の合議体らしい生真面目さで、その日決まったことが箇条書きで残っている。曰く、平原方面への立ち入りを当面禁ずること。曰く、下流のクローセンおよび王都へ急使を立てること(文面を巡って紛糾した。「平原に一夜で森が生えた」と書けば、読んだ者は書き手の正気を疑う。結局「東方に前例なき大規模な異変あり、詳細調査中」という、何も伝えていないに等しい一文に落ち着いた)。曰く――これが最も揉めた――然るべき人数の調査隊を、森まで出すこと。
人選は難航した。行きたがる者が多すぎたからではない。逆でもない。両方だったからだ。命が惜しいから誰も行きたくない、しかし何が起きたか知りたくてたまらない。五千人の町の全員が、その両方を同時に抱えていた。
最終的に隊は七人になった。守備隊から隊長イェルク以下三名。平原の縁を知り尽くした羊飼いが一名、道案内として。荷駄組合から屈強なのが一名、記録係を兼ねて。さらにその荷物持ちとして、若いのが一名。
そして最後の一人は、志願だった。町で唯一、王都の学芸院の紀要を購読し続けている老人――試金学校のヴェルナー老である。老人は反対する参事会に対し、鉱石鑑定五十年の経歴と、この町で距離と高さを正しく測れるのは自分だけだという事実を突きつけ、最後にこう言って議論を終わらせた。
「あれが何かは儂にも分からん。だが、分からんものを前にした時にやるべきことなら分かる。測って、記録することだ」
・観客席・その一
で、まあ、そんなわけで。
現在、俺の眼下では記念すべき人類とのファーストコンタクトが進行中である。
台地の方から点々と七つ、豆粒みたいな人影がやってきて、森の手前二百メートルくらいのところで止まって、なんかもう、めちゃくちゃ慎重に観察してる。双眼鏡は無いのか、爺さんが変な真鍮の筒を覗いてる。あれで測量してるっぽい。偉いなあ。ちゃんとしてるなあ。
こっちはと言えば、森の縁の一番いい枝の上に腰掛けて、それを眺めている。
特等席である。何せ俺は今、半透明なので。
……そう、半透明なのだ。うっすら向こうが透けてる。足はある。腹は減らない。眠くもならない。あと、さっき試したら、カードが掴めなかった。デッキはちゃんと俺の腰にくっついて来てるくせに、一枚も引けない。プレイ不可。閲覧のみ。何だお前、ショーケースの中の高額カードかよ。自分のデッキを外から眺める日が来るとはな。
結論から言うと、あの夜、俺は死んだ。多分。
最後に貼ったお守りが仕事をして、死んだけど負けてはいない、みたいな状態で今に至る。ライフは数えるのをやめた辺りからさらにゴリゴリ減って、多分今、深めのマイナス。オーバーフローは今も五、六秒おきに律儀に着弾してるが、もう痛くない。死人に鞭って効かないんだな。一つ勉強になった。
あの夜の俺の奮闘の成果は、見ての通りだ。
視界の右手前から左奥まで、俺の《森林》産の大森林。その向こうに《山岳》。反対側に月見が捗る《島嶼》の水面。《湿地》はどこか奥の方(取り違えた《島嶼》の後で、本物も置いたらしい)。《草原》は……どこだっけ。夜中に投げたから、正直、配置の記憶が怪しい。何をどれだけ置いたのかも、実は怪しい。
中では俺がバラ撒いた連中が、思い思いに暮らしてる。パニックで出した面子だから統一感はゼロだ。さっきも狼っぽいのが水辺で魚っぽいのを獲ってた。ゲームなら盤面の駒同士、あんなことしないのにな。餌とか要るんだな、実体化すると。
あと、組みかけの例のアレが、森の奥でずっと、カタン、カタン、と動いてる。三枚目が入ってないから空吹かしだ。空吹かしのくせに音だけは一丁前で、正直ちょっと不気味。あれ、誰かが変に触らないといいけど。
……で、だ。
言いたいことがあるなら聞くよ。うん。わかってる。
やらかしたなあ、とは思ってる。
思ってるけど、あの状況でどうしろって言うんだ、とも思ってる。説明書無し、チュートリアル無し、夜間、ソロプレイ。初見で完走できたやつがいたら連れてこい。俺は今度そいつの後ろで五、六秒おきに手を叩いてやる。
まあ、済んだことだ。済んでないのは向こうの七人だけど。
お、爺さんが何か叫んで、隊が二手に分かれた。慎重に、慎重に、森の縁に近づいてくる。先頭のごつい兄さんが、槍の石突きでツンツンと、俺の森の下生えをつついた。
やめとけって。
いや、何も起きないけど。起きないんだけど、なんかこう、観てるこっちがヒヤヒヤするから。
こうして、人類と魔境の記念すべき第一次接触は、槍でつつくところから始まったのだった。
先は長そうなので、ゆっくり見物させてもらうとしよう。どうせ暇だし。
……ほんとに暇なんだよな、これから。




