追跡の1週間
(朝の金山。白波凛のマンション)
朝の金山、白波凛のマンション。インターホンが鳴った。
シャワーを終えたばかりの凛が、濡れた髪を軽く拭きながら玄関へ向かっていた。
白いバスタオル一枚のままドアを開けようとするから、私は慌てて声をかけた。
「バスタオルだけで外に出るの、やめなよ」
そう言いかけた瞬間、廊下に聞き慣れた声が響いた。
「おはよう」
玲奈だった。
凛に招かれて入ってきたのは玲奈だった。
目の下にはうっすらと隈が見える。徹夜明けなのがバレバレだけど、それでも彼女の瞳はキラリと鋭くて、私をまっすぐに見つめて離さない。
私は黙ってキッチンへ向かい、マグカップを三つ並べた。
丁寧に湯を注ぐ。コーヒーの豆を挽く音が、静かな部屋に響いた。
香ばしい匂いがふわりと広がって、朝の空気をやさしく満たしていく。
モニターををちらりと見ると、画面の中で千景がすでにスタンバイしていた。
本当に動きが速いな。そう心の中で感心して、小さく手を振る。
画面の向こうで、千景が短く、でも確かな頷きを返した。
「情報を共有したいから、まずは復習をしよう」
コーヒーを配いながら私はそう伝えた。
熱いカップを握る手が、少しだけ震えている。その震えを隠すみたいに、私はそのまま席に着いた。
これまでの経緯を、淡々と、でも一つずつ確かめるみたいに話し始めた。
「安田さんの娘さん……雑賀舞さんの行方不明を探してほしいっていう依頼が入ったの。
オアシス21、ミライタワー、池田公園で証言を集めたよ。貼りを覗いていたっていう証言がいくつか聞いたかな。
最初は私も、ただの家出人探しだと思ってたんだけど、深し来なQRコードや笹原さんも認知してなかった池田公園にたむろってる少年達から場所代とか言ってタカリをするチンピラって感じだったかな」
言葉を切って、重たく首を横に振る。
自分の声が、少し乾いて、かすれている。自分でも分かる。
「私が動いた次の日に安田さんが殺されたというニュースを見た」
あれは絶対に私の反応を楽しんでると今ならわかる。
でもなぜだろう?
「潜入をしてわかっらのは、十年前のあの深淵が再び動き出した。簡単だけど私からはそんな感じ」
「了解したわ。私の方は昨晩の動きを洗ってみたけど、詳しい情報はみんなが知っていること以外、警察側には全く下りてきてなかった」
玲奈が警察手帳を握りしめたまま、苦渋の表情で言った。
指先が白くなるほど強く握られた手帳が、悔しさをそのまま形にしているみたいだった。
「こっちは、それらの情報をもとに指示を出すよ。あとは、このじゃじゃ馬娘の足ぐらいかな」
凛がノートPCの画面を睨みながら、私を見て茶化すように笑った。
「まったく、誰がじゃじゃ馬よ」
「じゃじゃ馬が嫌なら、おてんば娘か?」
おちゃらけた言葉なのに、声の端々がやさしく滲んでいて、胸が熱くなる。
みんなの前でそこに触れるのが気恥ずかしくて、私はお礼の言葉を喉の奥にそっと飲み込んだ。
『私は引き続き、新栄のクラブ〈シャドウ〉を調べてみるよ。
ただ、今のところ判明しているのは、驚くほど健全でクリーンなクラブでしかないってこと』
千景の声がスピーカーから響いてきた。
『かなり強固なプロテクトがかかっていて、裏のデータまで潜り込めない感じだね』
「なら、私は足で拾うよ。それを凜に渡す。データーから読み込んで考えるのは凜や千景の方が得意だしね」
私は、深く息を整えてみんなを見まわした。
「みんな、よろしくね。あと昨日は……本当に、ありがとう。助かった」
私は心からの笑顔を浮かべて、仲間たちに向かって深く頭を下げた。
コーヒーの温もりが、手のひらから胸の奥へ、静かに染み込んでいくような気がした。
それからの一週間は、文字通り「足」で稼ぐ毎日だった。
本当に靴のゴムがすり減るほど、新栄の路地を何度も、何度も往復した。
おかげでお気に入りの靴が一足ゴミ箱に言ったぐらいだった。
情報屋から漏れる微かな噂を追いかけて、拾っては空振りし、それでもまた探索をした。
組織は想像以上に表には出てきてなかった。
必死に掴んだ手がかりは、決まって空っぽの廃ビルや、金山の寒々しい雑居ビルといった「偽アジト」ばかり。
何度、何もない空間を睨みつけただろう。
ボロボロなのは私だけじゃない。
千景のドローンがハッキングの餌食になって墜落した日もあった。
ガチで千景レベルの人が組織側にもいるんだろう。
凛の情報網が巧妙な偽リストに振り回された日もあった。
玲奈が持ってきた警察のデータは「癒着」という分厚い壁に跳ね返され、笹原さんのツテで拾った裏話さえ、組織が仕掛けた囮に過ぎなかった。
全員が、精神的にも肉体的にも限界ギリギリだった気がする。
それでも、私たちの泥臭い執念だけは折れなかった。
少しずつ、本当に少しずつ、バラバラだった線が繋がって浮かび上がってきた。
千景と凜ががやっと新栄のクラブ〈シャドウ〉の地下にぁぅされた場所を見つけてくれた。
図面にはない不自然な空間と、そこだけを避けるように通された精密な配線。
VIPリストの偽名の中に隠された、組織のボスの影。そして、少女たちを港へ運ぶトラックの隠されたルートを確定してくれた。
私は苛立ちを飲み込みながら、毎日毎日、メモを積み重ねていく。
まだ動くたびに肩の傷が疼くけれど、事件に没頭している間だけは、不思議とその痛みを忘れられた。
(七日後の朝 紫微探偵事務所)
私の事務所に怜奈と凜が来てくれて、ノートPCの画面からは千景が写っていた。
私は一週間分の汗と泥、それに執念が染み付いたメモを、机に叩きつけるように置いた。
「みんなのお陰で、新栄のクラブ〈シャドウ〉の『地下』に、人を集める部屋がある線が濃くなったよ。舞ちゃんかどうかはまだ分からないけど、行方不明の少年少女たちは間違いなくそこにいる」
「今ハッキングして見つけた地図を出してるんだけど、画面上の赤点がその地下室だよ」
「このビルの公式に出されてる図面と千景が見つけてきた図面を比較したらわかるよ」
凜がプリントアウトした地図を出してくれたので、私は千景が出してくれた地図を見比べてみると岩化案を感じた。
「これおかしくない?」
「あぁ公式と実際の配線が違うんだ。『倉庫2』って書かれてる部屋の真下ここだね。実際の配線はこの倉庫を避けるようにして下に落ちてるんだよ。きっとカモフラージュの入り口が、店の裏口とは別にどこかにあるはずだよ」
凛がモニターの図面を指さし、論理的に裏付けを重ねていく。
淡々と説明を続ける凛。けれど、その声は隠しきれない熱を帯びていた。
私は怜奈の方をちらっと見ると、少し苦虫を噛んだような顔をしていた。
そりゃそうだろうな。これどう見てもまっとうな調べ方じゃないし、本来なら現職の刑事だったら捕まえないといけないはずだ。
「綾、どうしたの?」
「なんか苦虫を噛んだような顔をしてるからさぁ」
「私は、綾の様子を見に来ただけよ。上からも余計な行動してないか見て来いって言われてるしね」
「ハイハイ」
相変わらず私には過保護だよな。それは感謝しないといけないことだよね。
「今回はきっちりリベンジさせてもらうよ。やられっぱなしじゃ、寝覚めが悪いしね」
リモート画面の向こうで、珍しく千景が静かな怒りの声を出してる気がした。
「私は警察を動かせるか、もう一度上官と掛け合ってみるわ」
玲奈の声にも、迷いのない決意がこもっている。
「決行は今夜ね。その前に、先週の件で笹原さんにお礼だけ言ってきたいの。、向こうも忙しくてなかなか会えなかったから、行ってくるね」
私の言葉に、玲奈が車のキーを指で回した。
「車、乗っていく?」
「ならお願い」
そろそろ玲奈が警察署に戻らないといけない時間だった。
私は彼女の車の助手席に滑り込み、街へと繰り出した。
(昼前 栄3丁目 錦のスナック)
笹原さんがオーナーを務めるスナックは、開店前で静まり返っていた。
扉を開けると、カランと鈴の音が控えめに鳴る。
店内の空気はひんやりとしていて、すごく雰囲気がいいお店だった。
カウンターの内側に立つ笹原さんと多分このお店のママさんが話をしていた。
私は一歩手前で足を止めると、まっすぐに腰を折って頭を下げた。
「この前は助けてくれて、ありがとうございました。……本当にやばかったので、助かりました」
「わざわざ直接礼に来たのか? 意外と律儀なもんだな」
笹原さんは優しそうな声でそう言ってくれた。
「一応、古武道を学んでますから。そういう礼儀には師匠たちがうるさいんですよ。だから自然とそれが癖になっちゃいました」
「……そうか。例の奴らのこと、どこまで分かってる。こちらも探ってはいるんだが、なかなか尻尾を出さなくてな」
「私が、ケリをつけてもいいですよね」
私の問いかけに、笹原さんがじっとこちらを値踏みするかのように見ていた。
「ヘマしたって、今度は助けないぞ。……それでもいいなら、勝手にしろ」
「りょーかい。お話中お邪魔してすみません」
私はママさんにもお礼をした。大事な話中だったら悪いしね。
「別に構わないわ。綾ちゃんだったかしら、いつでも遊びに来なさい」
「私の事をご存じなんですか?」
「この人がたまに話題に出すからね」
私は笹原さんを意外な目で見てしまった。
「別に深い意味はない。昨今見ないおてんば娘だから心配しただけだ」
「ふ~ん」
私はそう返事をしてママさんの方にまた視線を戻した。
「笹原さんとはそういう関係じゃないですから」
なんで私が男女の関係でごまかすようなセリフを言ってるんだ。
「そんな心配はしてないわよ。以外と初心なのかしら」
「もう行きますね。それでは今度はお客としてきます」
私はそれだけ言い残して、店を出た。
ずっと胸の奥に引っかかっていたものが、少しだけ軽くなった気がする。
絶体絶命で助けられてメールだけで感謝っていうのが嫌だったから。
私は、そこから歩いて戻ることに決めた。
朝の空気はほんのりと湿り気を帯びていて、濡れた路面が街の光を反射してキラキラと輝いていた。
朝の湿った空気が頬を撫でて、濡れた路面が薄く光を返している。
角を二つ曲がって、いつもの交差点が見えてきた。
信号が青に変わったので、私は何気なく、一歩、横断歩道に足を踏み出した。
その瞬間だった。
右の視界の端で、空気が裂けるみたいな甲高いエンジン音が弾けた。
銀色の塊が、斜めに視界へ突っ込んでくる。
考える暇なんてなかった。
瞬間的に理解できたのは、車がこちらに突っ込んできた。
ヤバイ・これ回避不可だと思った。
腰の横に、硬くて重い衝撃が叩き込まれた。
巨大な鉄の拳で横殴りにされたみたいな、鈍く湿った痛みがきた。
肺の空気が一瞬で根こそぎ押し出される。
「ぐっ……!」
声にならない息が喉から漏れて、視界がぐるりと回った。
体が宙に浮く。ほんの一瞬、何も掴めない無重力。
次の瞬間、背中からアスファルトに叩きつけられた。
冷たさと硬さが全身に走って、衝撃が骨の奥まで響く。
遅れて、肋骨の内側を無数の針で刺されるみたいな激痛が這い上がってきた。
手のひらが路面に擦れて、皮膚が裂けるように熱い。
砂利が肉に食い込んで、血の温かさがじわりと広がった。
呼吸が上手くできなかった。
喉がヒューヒューと虚しく鳴るだけで、酸素が一滴も入ってこない感じがする。
胸が焼けるみたいに苦しくて、視界の端が赤く滲む。吐き気が喉元までせり上がった。
遠ざかっていく、荒々しいエンジン音。周囲の悲鳴が鳴り響いていた。
滲む視界の先で、赤いテールランプが急速に小さくなっていく。ナンバーなんてもう読めない。
組織の警告か。
それとも、ただの偶然の当て逃げか?。
頭の隅でそんな考えがよぎったけど、すぐ痛みの波に飲み込まれた。
起き上がろうとして、必死に力を込める。
その途端、腰から下で光が弾けるみたいな鋭い痛みが爆発して、体がびくりと痙攣した。
下半身が、自分のものじゃないみたいに重い。
眩暈が頭を揺さぶって、吐き気が波のように押し寄せる。
世界が傾いて、朝の空が歪んで見えた。
「大丈夫ですか!?」
誰かが駆け寄ってくる足音。
肩に手が触れた瞬間、体が反射的にビクッと跳ねて拒んだ。
触らないでほしい。
私は首を、ミリ単位で縦に小さく振った。
それが精一杯の合図だった。
言葉は出ない。
短く切れた息が漏れるだけ。
「救急車、呼びました! 動かないで!」
別の声が重なる。慌てた通行人の気配。
街のどこかで、サイレンがかすかに混じり始めた。遠くから、救いが近づいてくる音が聴こえてくる。
誰かが上着をかけてくれた。
布の重みと温もりが、震える体を少しだけ包む。
耳鳴りがどんどん強くなる。
周りの声が水の底へ沈むみたいに遠のいて、視界が暗く、狭くなっていく。
もう一度だけ息を吸おうとした。
胸の内側が、悲鳴みたいな音を立てて軋む。肺が拒んでいた。
そこで、意識がぷつりと切れた。
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