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【完】紫微綾の事件簿(百合×探偵×バイオレンス)  作者:
3章 深淵からの脱出

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救出 後編

 周囲で仲間たちが激しい乱戦を繰り広げる中、私だけは依然として死の淵でボスと対峙していた。

ボスの太い指が、冷たい引き金に触れる。

その瞬間、思考より先に体が弾けた。櫻華流動視 (どうし)を使用した。  

わずかな銃口の振れと指の動きから、不可視の弾道を読み切り、最小限の動きで軌道を外した。


 ッ、カァン!!

耳元を凶悪な衝撃波が裂き、放たれた弾丸は真後ろの壁に食らいついた。

暗い倉庫内に激しい火花が散り、コンクリートを穿つ乾いた金属音が鼓膜を震わせる。


 激しい回避の代償として視界が大きく揺れ、限界に近い膝がガクガクと笑い始めた。

汗が額を伝って目元を濡らし、コートの内側では、さっきの傷から温かい血がじわりと広がっていくのが分かった。体温を奪われ、意識が遠のきそうになる。  

それでも私は、揺らぐ視界の先にいる男を、射貫くような眼差しで真っ直ぐに見据えた。


 やはり気合で立ってはいても万全の体調じゃないから少しふらつくなぁ!。

ガチで師匠に伝えたら鍛錬が弱いって言われそう。

それでも隙が無いように私は体を立て直した。


「いくら拳銃を(かわ)せると言っても、その体力じゃ何発躱せる?」


 ボスの嘲笑が鼓膜を打つ。

彼が手にしている拳銃は、ベレッタM9、その装弾数は確か15+1。

最大で16発の死神が、あの銃口に潜んでいる。  


 確かに、今のこの引き裂かれた怪我と底を突きかけた体力では、全弾を躱しきるなど不可能に近い。

その残酷な事実が、一瞬だけ脳裏をよぎり、死の恐怖が背筋を撫でた。


 ボスが歪んだ笑みを浮かべ、拳銃を振り回して再び私を射程に捉える。  

だが、怯んだらそこで終わりだ。  

私は櫻華流の動視 (どうし)で狂った銃口の軌道を読み、瞬身 (しゅんしん)のステップで足音を殺して低く潜り込んだ。


 ——シュッ!!


 空気が切れる音がし、ボスの豪腕が耳元をかすめる。

その一瞬の交差にすべての勝機を賭け、私は隠し持っていたワイヤーを弾くように繰り出した。

振り上げた細い(はがね)の糸が、獲物を狙う蛇のようにボスの右腕に巻き付く。  

鋭い金属の感触が、確実にボスの銃を、その殺意をつかんだ。


「何……っ!?」


 ボスが驚愕に目を見開き、必死に腕を振り回して暴れる。

私は奥歯が砕けるほど噛みしめ、全身の重みを乗せてワイヤーをぐいと引き絞った。

無理やりねじられたボスの右腕が悲鳴を上げ、耐えきれずに指が離れる。


ガランッ!!  


 重厚なベレッタが床に落ち、硬いコンクリートに叩きつけられた金属音が鋭く跳ね返った。

本来なら、櫻華流の技術として腕をボンレスハムのようにズタズタに絡め取るべきなのだけど、あいにく私は無手術以外、武器の扱いは意外と苦手だった。  

けれど、今はこれで十分。


「……銃がなきゃ、あんたもただの人間だろ」


 剥き出しの殺意を瞳に宿し、私は次の衝撃に備えて身を構えた。

銃を落とした直後、ボスの鋭い肘がカウンターで飛んできた。  


 私は反撃が来るとは思わなかったので動きが一瞬遅れてしまった。

回避は間に合わず、肩口を抉るような衝撃が走り、鋭い痛みが脳を焼く。


「……っ!」


 肺から漏れ出す息を強引に押し留め、私は止まらずに体を独楽のように回転させた。

桜吹雪(さくらふぶき)の構えをして、一気にボスの懐に行き攻撃に移行した。


 ボスの追撃を円の動きで払いながら、その勢いをすべて乗せて掌底を胸板のど真ん中に叩き込む。

ドォン!!  確かな手応え。ボスが後ろへ吹き飛ぶのと重なるように、私はさらに踏み込んで上段への回し蹴りを放った。  


 やったか?鈍く、重い衝撃音が倉庫に響き渡り、ボスの呼吸が激しく乱れる。


「やるな……!」


 ボスは口元に血を滲ませながら、不敵に笑って言った。

武器がなくても、この男は異常なまでに強い。私は内心で驚愕していた。


 櫻華流桜嵐(おうらん)

今の掌底と蹴りの連撃は、櫻華流の個人技の中でもかなりの破壊力を誇るものだ。

並の人間なら立ち上がることさえできないはずなのに。  

私が気付かなかった?

もしかしてわざと後方に飛んで、威力を殺したのか!?


 ボスの身のこなしを瞬時に理解し、背中に冷たいものが走る。  

周囲ではまだ仲間たちが兵隊たちと戦っており、援護は期待できない。

私が攻め込んではいるが、一度でも銃を拾われれば形勢は一気に逆転する。

銃はボスの足元に近い。

さらに、ボスの胸元の膨らみが見えている。

間違いなく、護身用にもう一丁隠し持っている。


 ボスが懐からナイフを抜き放ち、一直線に斬りかかってきた。

非常灯の薄い光を反射して、刃先が不吉に光る。


 私はあえて全身の力を抜き、極限の脱力状態からボスの懐へ潜り込んだ。  

カウンターの要領で放つ、必殺の手刀。瞬脱 (しゅんだつ)をした。

目にも止まらぬ速さの攻撃だったはずなのだが、ボスは超人的な反射神経で、その一撃さえも紙一重でかわしてみせた。


 嘘でしょ……この身体とはいえ、瞬脱まで回避されるなんて……!

空を切った私の手首に、ボスのナイフの冷気が迫る。

それを回避してまたお互い対峙した。

汗と血で濡れた顔のまま、ボスが私を射貫くように睨み上げた。  

周囲を確かめれば仲間たちはすでに戦闘を終え、こちらへ向かってきている。数的優位はこちらにある。


 私は床に落ちていたワイヤーを瞬時に拾い上げ、仕留めに入ろうと一歩踏み出した。  

その瞬間、ボスは私を見てにやりと、不気味に笑った。  

胸元の膨らみ。予備の銃で撃たれることを覚悟し、私は反射的に身を構えた。


「次はお前が死ぬ!」


 だが、放たれたのは弾丸ではなく、呪いのような宣告だった。  

ボスは獲物を諦め、脱兎のごとく裏口へ身を翻した。


「ま……待てっ!」


 私ははっとなり、一瞬遅れて追撃のワイヤーを投げた。

[櫻華流:桜縛 (おうばく)]。  

放たれた鋼の糸は、虚空を裂いて闇へと伸びる。

けれど、あと数センチ。あとわずか数センチが届かなかった。

指先の感覚が、ボスの背中を捉えることなく空を掴む。  

ボスはそのまま、出口の闇の奥へと消えていった。


 倉庫に、重い静けさが落ちた。


 壊れた窓から吹き込む雨の匂いが、油と鉄、そして生々しい血の匂いに混じる。  

床一面に散ったガラス片が、非常灯の薄い明かりを細かく弾き返し、暗がりのあちこちで星のように瞬いていた。  奥では天井の古い換気扇が虚しく唸るだけで、人の声は消えている。

さっきまでの怒号と激突音が、耳の奥でだけまだ続いている気がした。


 鼓動が耳の内側でどくどく鳴り、張り詰めていた膝がわずかに揺れる。  

私は深く息を吸い、ワイヤーを握る手の震えを強引に押し込めた。

コートの内側では汗と血が混じり、肩の傷が心臓の鼓動に合わせて熱い脈を打った。


 私は自由になった。終わりじゃない。

助けるチャンスは、まだある。


 足元では、転がった拳銃と引き千切られたロープが、戦いの激しさを無言で物語っていた。

奥のシャッターの隙間からは冷たい雨音が細く流れ込み、天井から落ちる雨だれの乾いた響きが、むなしく奏でていた。


「遅くなった。まさか罠だと思わなかった。ごめん」


 背後から駆け寄ってきた凛が、倒れそうになる私の肩を力強く支えた。  

彼女の革ジャンの袖ににじむ返り血が、白い吐息の中でひどく濃く、残酷に見えた。


「血で汚れるよ」


「構わないよ。少しこうしてな」


「うん」


玲奈は逆手に持っていた短剣を鞘へ滑り込ませ、こちらに来てくれた。

額に浮かんだ汗を乱暴に拭い、プロの刑事の眼差しで惨状と化した周囲を見渡す。


「ボスは逃げたわ。でも、アジトに繋がる痕跡は十分にのこっている。

あとは警察(こちら)が引き受けるわ。証拠も、すべてね」


 玲奈の声は事務的だったが、私に向ける視線には消しきれない心配の色が混じっていた。

そこへ、返り血を浴びた笹原さんが悠然と歩み寄ってくる。


「……まさか俺まで駆り出される羽目になるとはな」


「借りができちゃったね。……ありがとう、笹原さん」


 私が素直に感謝を口にすると、笹原さんは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「なに、奴らは俺たちのシマを荒らしたんだ。そのついでに、お前がいただけだ。気にする必要はねえよ」


 突き放すような物言い。けれど、この人はいつだって肝心なところで手を貸してくれる。

初めて会った事件もそうだった。

なんだかんだ言って根は優しい人なのだ。

なぜこんな人が極道の世界に身を置いているのか、時々本当に不思議になる。


「俺はそろそろ行く。……俺と刑事が一緒にいるところを見られたら、お互い面倒だからな。いいか、何かわかったら俺の方にも連絡を入れろ。落とし前はつけさせてもらう」


 笹原さんはそう言い残し、背中を向けて雨の降る外へと消えていった。


 私は、胸の奥で煮えるような悔しさを感じていた。  

もう少し、あと少しだけ警戒していれば。自分の技を過信せず動いていれば。

ここまで無様な姿を晒し、みんなに負担をかけることもなかったはずだ。


 遠くで、サイレンの音が小さく鳴り始めた。

その音は少しずつ、けれど確実にこちらへ近づいてくる。


 絶え間ない雨音、鼻を突く鉄の匂い、そして床で鈍く光るガラスの破片。  

暗い倉庫の床に、私たちの足跡だけが新たな情報を教えてくれていた。

きっと今も上空に飛んでいる千景のドローンがすべてを握っているのだろう。


 悔しさを力に変え、希望と決意を胸に。

私は次の戦いへ向けて、準備の一歩を動いた。

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