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夢図書館  作者: パン田
10/19

3月8日(土)

翌日、俺がベッドで天井を眺めていると、病室のドアがノックもなく勢いよく開いた。白い天井に映る蛍光灯の光が、まるで規則正しい点滅のように感じられる午後のことだった。窓の外では春の日差しが暖かく差し込み、桜の花びらがひらひらと舞っているのが見える。入院生活も数日が経ち、この単調な日々に少しずつ慣れてきていた。

「よお、悠馬。体調どうだ?」

陽平はどこかばつの悪そうな顔を浮かべながら入ってきた。いつもの快活な表情とは少し違って、何かを言いかねているような複雑な感情が顔に浮かんでいる。ノックはしてほしいな、と思いつつも、俺は頼んでいた件が気になっていた。陽平の手には、重そうなバッグが握られている。

「ん、まあボチボチってとこかな。リハビリも始まったし、医者からは順調だって言われてる」

俺の返事に、陽平は一瞬躊躇するような素振りを見せた後、ベッドの脇の椅子に腰を下ろした。その表情から、ただ事ではない雰囲気が伝わってくる。普段なら冗談交じりに話す陽平が、これほど真剣な顔をするのは珍しい。

「そうか、順調そうで何より。それで……お前から頼まれていた件なんだが……」

陽平は間を開ける。

「俺もびっくりしたんだけどよ。あの時、月原が探してたのは本だったらしい」

「本?」

俺は聞き返した。まさか、あの時の「探し物」が本だとは思わなかった。

「そうだ。月原が本をなくしたって泣いていたから、悠馬が探し始めて、近くにいたクラスメイトたちが一緒に探してくれたんだってよ」

陽平は、当時の状況を詳しく教えてくれた。月原さくらが泣いていたという事実に、俺の胸がざわつく。夢図書館で会う月原さんからは全く想像がつかない光景だった。

「詳しく聞かせてくれ。どんな状況だったんだ?」

「ああ。放課後のことだったらしい。月原が通学路の途中で泣いてたんだ。そばにはお前がいて、事情を聞いたら、大切な本をなくしたって話だった。お前がすぐに『みんなで探そう』って言い出して、近くにいた健太や夏美、彩香なんかも加わって、結構な人数で探し回ったんだとよ」

陽平の話を聞きながら、俺は必死に記憶を探った。しかし、全く覚えていない。

「どういう本だったかって聞いたか?」

「ああ、ハードカバーの分厚い本らしいって話だ。月原にとってはすごく大切な本だったみたいで、お前も必死になって探してたらしい。で、どこでなくしたかも聞いたんだが……」

陽平はそう言って、バッグから一冊の古びた本を取り出し、俺のベッドに置いた。その瞬間、俺の心臓が跳ね上がった。

表紙は色褪せ、角は擦り切れていて、明らかに長い年月を経た風合いがある。そして何より、見覚えがあった。というよりも、それは夢図書館で借りる本と驚くほどそっくりだった。同じような古い装丁、同じような重厚感。まるで夢図書館から持ち出されたかのような佇まい。

そして、そのタイトルに俺は息を呑んだ。表紙の中央に、はっきりと「水瀬悠馬」と書いてある。

「これ……どうしたんだ!?」

俺は驚愕し、陽平の顔を強く見つめた。手が震えて、声も上ずってしまう。延滞している「俺自身の本」が、こんな形で現れるとは。頭の中で、司書の言葉が蘇る。『君の本は延滞している』。

「ああ。その時に、探していた場所の建物の隙間に挟まってたんだ。気になって拾ってみると、お前の名前が書いてあるじゃないか。最初はすぐにお前に返そうと思ったんだが、なんかこの本、気味が悪くてさ……」

陽平は困惑したように頭を掻いた。その表情には、恐れにも似た感情が浮かんでいる。

「気味が悪いって、どういうことだ?」

俺の質問に、陽平は深いため息をついた。そして、まるで重い秘密を打ち明けるかのように、ゆっくりと口を開いた。

「お前の過去と未来が書いてあるんだ。それと違うことをすると内容が変わる。正直、この本に書かれていることで、お前の周囲の誰かが危ない目に遭いそうな時は、何回か助けたことがあるんだ。この前の美咲ちゃんの時も、あそこに俺がいたのは偶然じゃなかった。こんなこと言っても信じてもらえないとは思うが……」

陽平は自嘲気味に笑いながら話した。その表情には嘘偽りはないと直感した。美咲の事故の時、確かに陽平がいたのは不自然だった。彼がいなければ、美咲は本当に危険な目に遭っていたかもしれない。

「具体的に、どんなことが書いてあるんだ?」

「お前の日常生活から、友達との会話、テストの点数、家族との出来事まで、本当に細かく書いてある。でも一番怖いのは、未来のことまで書いてあることだ。『明日、悠馬は階段で転ぶ』とか、『来週、美咲が事故に遭いそうになる』とか。最初は半信半疑だったけど、実際にその通りになることが何度もあって……」

陽平の説明に、俺は背筋が寒くなった。陽平は俺のすべてを知っているということか。もしかして、時々会うのは俺が危険な時だったのかもしれない。

「陽平。その話、信じるよ。今まで助けてくれていたんだな。ありがとう」

俺は素直に感謝の言葉を口にした。陽平は目を見開いて、安堵したように息を吐く。

「本当に信じてくれるのか?正直、頭がおかしくなったと思われるんじゃないかって心配だった」

「俺も話したいことがあるんだが、どう話したらいいかわからないので、少し時間をくれないか」

俺の失われた記憶の重要なピースが、こんな形で陽平の手元から出てくるとは。そして、陽平がこの本を読み、俺を助けていたという事実に、俺は衝撃を受けた。陽平に夢図書館の話をしたい。しかし、何がペナルティーとなるかがわからない。一度、夢図書館の司書に話を聞いてみるのが良さそうだ。

「この本、俺が預かっても良いか?」

「もちろん。だが、気をつけろよ。未来をめちゃくちゃに変えようとするんじゃないぞ。めちゃくちゃに変えると、代償がくるんだ。美咲ちゃんが事故するはずだったのに、お前が事故に遭うみたいなことになる。とりあえず、読むだけにしておけ」

陽平は真剣な表情で忠告した。美咲の件は、まさにその「代償」の結果なのかもしれない。運命を変えようとすれば、その反動がどこかに現れる。それが自然の摂理なのかもしれない。

「ああ、わかった。また連絡する」

俺は震える手で本を手に取った。ずっしりとした重みが、過去と現在を繋いでいる。これが、司書が言っていた「延滞している俺自身の本」なのか。表紙を撫でると、古い革の質感が指先に伝わってくる。

恐る恐る中身を見てみると、小学五年生の時期にあたるページが、水に濡れたように滲んでいて、文字がほとんど読めなくなっていた。ちょうど、俺の記憶が曖昧になっている時期だ。まるで、記憶の欠落と本の損傷が完全にリンクしているかのように。

「そこは、俺が汚したんじゃないぞ。もともと拾った時から汚れていたんだ。不思議なことに、その部分だけが濡れたように滲んでて、他のページは綺麗なままなんだ」

陽平は俺の視線に気づいたのか、そう付け加えた。まるで、俺の記憶の欠落を具現化したかのように、本の一部が損なわれている。

俺の記憶がないのは、そのページが破損しているからなのか……。俺は、その可能性にゾッとした。もしかすると、この本と俺の記憶は完全に連動しているのかもしれない。本が損傷すれば記憶も失われ、本が修復されれば記憶も戻るのか。

「陽平、一つ聞きたいんだが、この本を読んでいる間、何か変わったことはなかったか?」

「そうだな……特にないかな。いや、一度だけ変な図書館に行った気もするが、気味が悪くてすぐに目が覚めたよ」

陽平の証言に、俺はさらに確信を深めた。この本は夢図書館のものだ。

陽平は立ち上がり、病室のドアへと向かった。夕日が窓から差し込み、彼の背中を赤く染めている。

「じゃあな、悠馬。早く元気になれよ。それと、その本のことで何かあったら、すぐに連絡してくれ。俺も気になってるからな」

そう言って、彼はひらひらと手を振り、病室を出て行った。

一人になった病室で、俺は再び本を手に取った。表紙に刻まれた自分の名前を見つめながら、これから起こるであろう出来事に思いを馳せる。夢図書館の司書に会って、この本について詳しく聞かなければならない。そして、失われた記憶の謎を解き明かすために。

夕陽が病室を優しく照らす中、俺は自分の運命が記された本を胸に抱いた。この本が、すべての謎を解く鍵になるかもしれない。

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