最後の教室
朝が来た。
窓の外は晴れていた。 天気予報では雨だったが、嘘のように青空が広がっていた。
遥はカーテンを開けながら、笑った。
遥「いい日になりそう」
優太は静かに制服に袖を通す。 その背中に、何の迷いもなかった。
朝食はない。言葉もない。
それでも、ふたりは家を出るとき、いつもより丁寧に靴紐を結んだ。
通学路。 蝉の声が、やけに騒がしい。 町の誰もが、何も知らない顔で玄関を出て、駅へ向かい、信号を待ち、同じ毎日を繰り返している。
だけど、ふたりは違う。
今日が“最後の登校日”だった。
校舎に入ると、数人の生徒がざわついていた。
「あいつ……今日も来てるよ」
「え、ウソでしょ……マジかよ……」
昨日の、海斗の“突然の不登校”は、まだ大きな波にはなっていない。 誰もが見ないふりをしていた。
クラスの空気は、いつも通りだった。
だが――教室のドアが開いた瞬間、時間が止まった。
優太と遥が並んで入ってくる。 その目に宿るものを、誰も直視できなかった。
そのまま、ふたりは廊下を抜けて、職員室へ向かう。
担任の机の上には、プリントが広がっていた。 男は振り返ると、苦笑した。
担任「お、お前ら……何かやったのか?」
遥は微笑み、何も言わず扉を閉めた。
次の瞬間、声が消えた。
音がひとつ。 そして、静けさが広がった。
教室に戻ると、誰もが目を逸らした。
だが優太は、机の間を歩く。
最初に目に入ったのは、凛音と特に親しかった男子生徒だった。
机を叩いて立ち上がった彼は、なにかを叫ぼうとした。
そのとき、優太の手が動いた。
悲鳴。椅子の転倒音。逃げ惑う足音。
教室が、崩れた。
続けて、遥が後ろの女子の腕を掴む。 彼女は泣きながら、「やってない、私は何もしてない」と叫ぶ。
遥は静かに首を傾げる。
「でも、見てたよね?」
次の瞬間、その女子は黒板の下に倒れこんだ。
止めに入った教員もいた。
体育教師。力は強いが、鈍かった。
駆けつけたときにはすでに、複数の生徒が教室の外で倒れていた。
教室の中では、優太が無言で動き続けていた。
遥の声だけが、彼に届いていた。
遥「もう少し。あと少しで、全部終わるよ」
だが――
その瞬間だった。
遥の手が、ふと優太の腕を掴んだ。
遥「……もういいよ」
その声は、まるで目覚ましのようだった。
優太の動きが、止まる。
ふたりは向き直り、廊下へ出る。
校内は混乱していた。誰かが叫び、誰かが逃げ、誰かがただ立ち尽くしていた。
その中で、ふたりは歩く。
静かに。整然と。
出口に向かってではなく、“終わり”に向かって。
校門の外に出たとき、雲が陽を遮った。
風が吹く。
遥がふと、手を伸ばす。 優太の指を握る。
遥「ようやく…終わったね、ありがとう……」
その言葉に、優太は目を閉じた。
誰にも見えないところで、涙がこぼれた。
――そして、世界はひとつ、変わった。
その日、学校という舞台は崩れ、ふたりはすべてを“清掃”した。
誰もが見ないふりをしてきた日々に、終止符が打たれた。
だがそれは、誰かの正義ではない。 ふたりだけの、歪な正しさだった。