第一章:男の娘という存在
「俺にそんな趣味はねぇ……」
そう自分に言い聞かせ、下駄箱から取り出した上履きに履き替える。
「操殿~、元気ないですなぁ」
深く息を吐くと、隣からポンと肩を叩かれる。
モブ山モブ男、こいつの名前だ。
愛称とか虐めとかそういうものではなく、それが正式名称。
初めて聞いた時は「なんて?」と三回ぐらい聞き直した。
「ため息を吐くと運気が逃げる。モブ山家の格言ですぞ」
「そうかよ」
胸を張ってサラサラの髪をかき上げるモブ男。
生粋のオタクだが、イケメンで高身長、しかも御曹司だ。
とても気の良いやつで、高校生になってこの地に越してきた俺にも、分け隔てなく接してくれる。
「それで、どうして朝から暗いのです? 拙者、操殿が辛そうだと悲しいですぞ」
隣を歩きながら心配そうに顔を覗き込んでくる。
イケボなせいで、道行く女子たちはみんなモブ男に熱い視線を向けてくる。
いや、絶対名前間違ってるだろ。
「分かるだろ。あいつだよ、あいつ……」
頭に浮かぶのは、セミロングで毛先をワンカールにした、かわいらしい顔。
目はパッチリとしていて、小柄でやけに肌が白く、笑うと八重歯が覗く。
そう、ちょうど目の前にあるこの顔のような……
「操くん。今ぼくのこと考えてたでしょ~」
その顔はそう言って、ニッと笑って目を細める。
「うわぁあああああ!?」
今まさに思い浮かべていた人物が目の前に現れ、きゅうりを見た猫のように飛び上がった。
リボンのついた白いシャツに、チェックのスカートを履いたそいつは、一歩前に出て、顔をくっつきそうなくらい近づけてくる。
「えへへ、図星? ねぇねぇ?」
小さな唇が動き、熱い吐息が顔をくすぐる。
近すぎる距離に、一瞬だけ息が詰まった。
香水はつけていないはずなのに、甘い香りがする。
「優音、てめぇいつの間に……確かにまいたのに」
「へへ~んだ。足には自信があるんだー」
白く健康的な太腿を叩く。つい視線が落ちて、舌打ちする。
「それより~、なんで逃げちゃうのさー。一緒に登校したかったのに」
「お前がしつこく腕を絡めてくるからだろうが!!」
隣の家に住んでいるこいつは、朝になったら必ず家を訪ねてくる。
それは構わないのだが、登校の度に身体をくっつけてくるのだから、たまらない。
「もしかして照れてる~?」
焦る俺を見て、優音は口元に右手を当て、小悪魔のようにからかってきた。
「て、照れてねぇわ!!」
正直に言えばかわいい子にくっつかれてドギマギしているのだが、そんなことを悟られるわけにはいかない。
「ふ~ん。じゃあこうしても大丈夫だよねー」
こちらに近づく優音は隣に立ち、犬のように身体を擦り付けてくる。
左腕に柔らかな感触が触れる。
胸の内で強く心臓が跳ね、拒絶の言葉が引っ込む。
遅れて、身体が熱くなった。
「あほか!! やめろ!!」
「やめな~い」
小さく舌を出して、優音は手を絡ませて歩き始める。
言いたいことはあるが、ため息を吐いてそれに合わせて歩く。
近くに居る男子たちは、そんな俺を怒りのこもった視線で見つめていた。
「ウラヤマシイ、コロスコロスコロス」
呪詛のような言葉が、辺りにひしめき合っている。
「いやー、操殿と優音殿は今日も仲良しですな~」
そんな中で、モブ男だけが笑顔で隣を歩いている。
こういう時、こいつがいると助かる……。
「えへへへ~」
視線を下ろすと、目を細めて腕に頬ずりしている優音。
腕に置かれた指は細く、身体は無理に解けば壊れてしまうんじゃないかと思うくらいに華奢だ。
だけど、スカートから覗く太腿は健康的だった。
「あー、ぼくの太腿みてるー。えっち」
優音はスカートの端をつまみ、僅かにたくし上げる。
俺は素早く目を逸らすが、周りの男子は歓声をあげた。
理解できねぇ……。
確かに優音は見た目がかわいい。
性格はこんなだが、蠱惑的な存在は男子にとって歓迎すべきもの。
俺だって気になりはする。
だけど……
「あ、おはようございま~す。鈴蘭先生!!」
くっついたまま、優音が手を振る。
「おはよう。あらあら、二人は今日も仲良しね」
おっとりとした表情で話す、眼鏡をかけた女教師。
頭を下げると、白いシャツになんとか収まっている大きな胸が、ゆさり……いや、ぼよんと揺れる。
男子の目は、優音の太ももから、その豊かなおっぺーへ向けられた。
「おはようございます」
「先生、おはようでござるぞ」
そんなやつらは無視して、俺とモブ男は頭を下げる。
担任への挨拶は基本だ。
「操くんの腕、あったか~い」
「やめれ……」
そんな中でもすり寄ってくる優音の頭を小突く。
「いった~い。でも、全然力こもってないね。優しい」
にこりと微笑まれ、舌打ちをして顔を逸らす。なぜだか顔が熱い。
「あらあら~、本当に二人は愛し合っているのね~」
他の教師が見たらため息を吐かれそうな状況だが、先生はにこにこと笑っている。
「ミサオ、ユルスマジ」
俺たちがいるこの空間だけが和やかであり、その周りは殺伐としている。
どうして、こいつら恨みの念を抱いているのだろう。
だって、こいつは……
「男の子なのに、彼女さんみたい」
明るい声で言う先生に、俺はまた舌打ちをする。
その瞬間、周りにいる女子は黄色い声をあげた。
そう。どんなにかわいくても、こいつは男――
押し当てられた腕に、おっぺーの感触はまったくない。
「ねぇ操くん、ぼくみたいなかわいい男の娘にすり寄られて、興奮する?」
「するかー!!」
俺の声は、校舎中にこだまする。
「大丈夫、先生は興奮するわ。みさ×ゆとはぁはぁ……」
「先生!?」
なぜだか、恍惚の表情を浮かべながら息を荒らげる鈴蘭先生。
「ゆと×みさでもイケるから安心してね」
「何がですか!?」
今叫んだばかりだというのに、ツッコミを要求される。
なんとハードな学園生活だろう。
「先生、急がないと始業ベルが鳴りますぞ」
「あらいけない」
そんな中で、モブ男だけだが飄々《ひょうひょう》と笑っている。やっぱりこいつ主人公だろ。
「照れてる操くんもかわいい」
「言ってろ……」
笑顔で背中に抱き着く優音。
俺の学園生活は、だいたいこんな感じ。
優音の女装を許容している学校は本当に器がでかいと思うし、先生もよく面倒を見てくれる。
野郎どもには恨みの念を向けられるが、だからと言って仲が悪いわけではない。女子は普通に優しい。
だから俺にとっての障害は、水面優音。
男の娘という、本当によく分からん存在だけだ。




