未完の設計図と青き痣 ㈡
青き龍の少年と赤き龍の巫女。贖罪を越え、二人は都市の呪縛を書き換える!
キィィン……ゴォォン……ギギギッ……。
翌朝、昭和小学校の校舎に鳴り響いた始業のチャイムは、耳をつんざくようなひどい不協和音を奏でていた。
スピーカーの故障か、あるいは放送室の機材トラブルか。生徒たちがざわめく中、六年生の教室の引き戸を細く開けて、良亮が足を踏み入れた。
その瞬間、教室内の空気が一変した。
まるで真冬の冷凍庫の扉を開け放ったかのような、刺すような冷気と、肌を粟立たせる微弱な静電気が空間を満たしたのだ。クラスメイトたちは何事かと首を傾げたが、その原因がうつむき加減で自分の席へと歩いていく良亮にあることには気づいていない。
良亮は、季節外れの長袖のシャツを着て、右手首のボタンを一番下まできつく留めていた。昨夜、父の残した図面に触れた瞬間から右腕に浮かび上がった「青い幾何学模様の痣」を隠すためだ。
(……くそっ、なんだって言うんだよ、これ)
良亮が自分の席に腰を下ろした、その時だった。
プスッ。
隣の席に座っていた女子生徒の机の上から、かすかな破裂音がした。見ると、彼女が使っていた真新しい電子辞書の液晶画面が真っ黒に焼き焦げ、キーボードの隙間から細い煙を噴き上げて完全に停止していた。
「えっ!? きゃあっ、何これ!」
「おい、どうしたんだよ」
女子生徒が悲鳴を上げ、周囲の席の生徒たちが立ち上がる。
それと連動するように、今度は教室の天井に設置されている何本もの蛍光灯が、チカチカと不気味な点滅を始めた。ジーッという低い電流のノイズが教室中に響き渡る。
「……越智くん、何か焦げ臭い匂いしない?」
教壇で出席簿を開こうとしていた担任の教師が、訝しげな表情で顔を上げ、良亮の方を見た。
良亮の心臓がドクンと跳ねた。
次の瞬間、教師の顔が青白い光に照らされた。教壇の上に置かれていた学校支給のノートパソコンの画面が、突如として真っ青な色――いわゆるブルー・スクリーンに染まったのだ。
だが、それは単なるシステムエラーの画面ではなかった。
画面上を、無数の複雑な数式と、幾何学的な図形が異常なスピードで延々とスクロールし始めたのである。それはまさに、昨夜良亮が父の「未完の設計図」で見た回路図そのものであり、今、良亮の右腕に刻まれている痣の模様と完全に一致していた。
(僕の右腕が……学校の電気系統に干渉してる……!?)
良亮は恐怖に目を見開き、震え出しそうになる右腕を、机の下で必死に左手で押さえ込んだ。
しかし、右腕に宿った「青い龍」の力――都市の回路に接続し、物理法則を再計算しようとする強大なエネルギーは、十一歳の少年の意志力で制御できる限界をはるかに超えていた。
「うっ……くっ……!」
良亮の指の間から、パチパチと青白い静電気が激しく放電され始めた。
その余波を受けて、机の上に置かれていた良亮の教科書やノートのページが、風もないのにバサバサと不自然にめくれ上がり、宙に浮き上がりそうになる。
このままでは、右腕の痣の存在がクラス中にバレてしまう。それだけでなく、教室中の電子機器が爆発するかもしれない。良亮が絶望的なパニックに陥りかけた、その時。
「おーほっほっほっ。朝から随分と賑やかですこと」
静かな、しかし凛とした声が響いた。
良亮の斜め前の席に座っていた少女――門前竜子が、優雅な所作で立ち上がり、良亮の席へと歩み寄ってきた。
ウェーブのかかった黒髪に、どこか時代錯誤な昭和のお嬢様を思わせる言葉遣い。河崎神社の神職に育てられ、常に真っ赤なランドセルを背負っている奇妙なクラスメイト。
竜子は、周囲の騒ぎなど意に介さない様子で良亮の横に立つと、持っていた「真っ赤な扇子」を、良亮の机の下、暴走する右腕のすぐそばでスッと広げた。
「良亮さん、無理をしてはいけませんわ」
竜子が扇子を軽くひと仰ぎする。
途端に、扇子から目には見えない微かな「熱量」が放たれた。それは単なる物理的な熱ではなく、竜子自身が放つ霊的な気の波動――乱れた波長を整えるための「調律」の力であった。
赤い扇子の熱量が、良亮の右腕から放たれる青い冷気と静電気をふわりと包み込み、一時的に中和していく。
嘘のように、右腕の痣の明滅が収まった。
それと同時に、天井の蛍光灯の点滅が止まり、教壇のノートパソコンの画面もフッと真っ暗になって沈黙した。
「……あ……」
「深呼吸なさいませ。あなたのその力は、抑え込もうとすればするほど反発いたしますわ」
竜子は扇子をパチンと閉じ、誰にも見えないように良亮にウインクをすると、何食わぬ顔で自分の席へと戻っていった。
良亮は机に突っ伏し、肩で大きく息をしながら全身の冷や汗を拭った。精神的な疲弊が極限に達しており、まるでフルマラソンを走り終えた後のように体が重かった。
なんとか一時間目の授業をやり過ごしたものの、良亮の心の中には得体の知れない恐怖が渦巻いていた。
休み時間になるや否や、良亮は教室を飛び出し、誰もいない特別教室棟の図工室へと逃げ込んだ。
静まり返った図工室の丸椅子に座り、持ってきたスケッチブックを机の上に広げる。
父の遺志を継ぐため、独学で設計の勉強を始めた彼にとって、図面を描くことは心を落ち着かせるための何よりの儀式だった。
しかし、今日ばかりは違った。
ペンを握った右手が、良亮の意志とは無関係に、まるで別の生き物のように勝手に動き始めたのだ。
「あっ……待てよ、何を描いてるんだ……!」
左手で止めようとするが、右腕の青い痣が微かに光を放ち、圧倒的な力でペンを走らせていく。
カリカリカリカリッ!
異常なスピードでスケッチブックの真っ白な紙に線が引かれていく。
黄金比、白銀比、そして非ユークリッド幾何学に基づく、人間業とは思えないほど正確で複雑な線。それは、単なる建物の図面ではなかった。複数の次元が交差するような、見る者の三半規管を狂わせる「都市の消失点」が、紙の中央に向かって不気味な螺旋を描いて形成されていく。
良亮は、自分の右手が描き出しているその図面の「意味」を、設計士としての直感で瞬時に理解してしまった。
「……これは、パパが目指した家じゃない」
良亮の声が、図工室の静寂の中で震えた。
父・伸司が夢見ていたのは、人が笑顔で集い、温かい光に包まれるような家や街だった。
しかし、今、良亮の右手が勝手に描き出しているものは全くの正反対だ。
「……これは、人を閉じ込めるための、完璧な檻だ」
ガリッ!!
ペンの先端が勢い余ってスケッチブックの紙を突き破り、図工室の机に深い傷を刻んだ。そこでようやく、右手の暴走がピタリと止まった。
良亮は荒い呼吸を繰り返しながら、完成してしまったその「図面」を恐怖の目で見下ろした。
描かれていたのは、河崎の工業港をエネルギーの起点とし、街全体に蜘蛛の糸のように張り巡らされた搾取のネットワーク。街に住むすべての生命の活力を、中央の巨大な空洞――河崎の地下深くへと吸い上げるための「新世界の図面」であった。
良亮の類まれなる設計士としての才能と、右腕に宿った都市を書き換える青い龍の力。
それが今、父を殺した「工藤一族」の引いた闇のレールの上で、最悪の方向へと加速させられようとしていたのである。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




