私からの申し出
夢の中の遠い所から誰かが呼んでいる声が聞こえる。
何度も呼ばれたので眠りの中からそっと目を開け、カーテンの隙間からの差し込む光で、一日の始まりである朝を確認する。
「お嬢様、おはようございます。やっとお目覚めですね」
「おはよう、久しぶりによく眠れたわ」
侍女はいつものように綺麗に畳みながらカーテンを開け、毎日の日課のように明るくなった部屋での主の顔色を窺う。
「今日はとても顔色がよろしいようで安心いたしました」
「朝から少し食欲があるわ、後で温かいお茶と軽食をお願いね」
「かしこまりました。お嬢様、今日は午後から王太子殿下がいらっしゃいますが着替えられますか?」
数日前に王宮に出した手紙の返事が昨晩届き、今日の午後にはお見舞いに来ると伝えられた。
「着替えないでこのまま殿下とお会いするわ」
王族に対して着替えずにしかも寝たままでお会いするのはよろしくはないのでしょうが、体力がない今は少し会うだけでも精一杯な身体なのだと落ち込んで大きなため息を吐いていた。
「突然何を言い出したのかと驚いてしまったよ。何故そのような考えに至ったのか説明してくれるかな? リリー?」
先ほどまで微笑んで暖かい空気を纏っていたレイモンド・ギリニア第二王太子殿下は、私からの申し出で今は一気に極寒の冷気を振りまいている。婚約者の初めての形相に戸惑いながらも、もう一度はっきりと伝える。
「不敬と承知の上で申し上げます。婚約者として殿下の隣に並び立てない今、この先のことを考えての事です。兄であるロイス殿下の戴冠式に向けてこれから各国からの要人への挨拶回りや夜会への参加が必要になります。今このようにベットから起き上がれない私は、殿下の婚約者として相応しくはないのです。足手纏いにはなりたくはありません。ですので殿下には私との婚約を破棄して頂き、健康で隣に並び立てる令嬢との婚約をして欲しいと願ってのことです」
「体調はゆっくり治していけばいい、治るまでは私一人でも大丈夫だ」
「いつまでかかるか解らないのです。やっと食欲が少し戻って上半身だけでも起き上がれるまでになりました。ここまで半年かかりました。このまま良くなって歩けるまでに回復したいです。でもいつ体調が悪化するのかという不安も恐怖もずっと心の中にあって怖いのです。どうか、私の気持ちを汲んで頂ければと思います」
話し終わると同時に頭を下げ、殿下に願い出ていた。
「婚約を破棄してしまってもいいの?」
「はい、殿下の幸せを遠い別邸からお祈りしています。それに……」
「ん?……」
「いえ、何でもありません」
「この件は一旦城に持ち帰り考えてから決めるよ」
「はい、解りました」
静かになった部屋でさっきまで婚約者が立っていた場所を見ながら、顔を思い浮かべていた。笑った顔をして、怒った様な顔をして、戸惑った顔をして、真面目な顔をしてと今日はたくさんの表情を見る事が出来た。これからはもういろんな顔を見ることはできないんだと思うと寂しくなってしまった。
「レイの事、好きだったなぁ……」
ぼそりと言った言葉にため息が混じり、静寂な空気の中にさらっと溶け込んだように感じて、恋い慕う気持ちさえなかったかのように消えていった。
数日後、自室の扉を勢いよく開け、息をきらしながら話す兄様から婚約が破棄された事を伝えられた。
驚きもせずに返事をした私に対して変に思ったのか事の詳細を聞いてきたので、私から殿下へ婚約破棄を願い出ましたというと兄様の方が驚き、すぐに父様と母様を呼ばれ、私の部屋の中にはいろんな声が入り混じり、久しぶりの賑やかな雰囲気になったのは言うまでもない。みんなに説明するのに時間がかかってしまいその日は疲れて早めに休んでしまった。
そのおかげでその夜は寂しく悲しい気持ちにならなくてすんだ。
考えなくてもよかった日が一日過ぎてくれた。
そうして一日一日を過ごしていけば、元婚約者の記憶は薄れ、いつの間にか思い出となっていることでしょう。
体力が戻り歩けるようになった頃、療養をかねて別邸へと向かうことになった。
家族みんなにゆっくり過ごすように念を押され、笑顔で見送ってくれて嬉しかった。
この先に運命を変えてしまうお手紙が来る事をまだ知らなかった私は、馬車に揺られながら別邸での楽しい日々を考えて心嬉しくなっていた。
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