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「笑った...。初めて、俺に、笑顔を...。」
「え?」
ヴェイル殿下が、目を見開いて私の顔を凝視している。その間、瞬き一つしていない。
私も不思議と、そんな彼から目を離せないでいた。
その時、ヴェイル殿下の手から、茶葉の缶が滑り落ちた。
わ、わわっ!
貴重なお茶が!
私は、ヴェイル殿下の足元にしゃがみ込んですぐに、缶を拾い上げた。
幸い、缶から茶葉は溢れていない。
「殿下、大丈夫ですか?何か...。」
様子のおかしい殿下を見上げると、私の頭上に大きな陰が覆い被さる。
その状況を理解する前に、私の体が力強い腕に引き寄せられていた。
「ああ...、俺の...。」
「で、で、殿下!?」
一体何が!?
どうして、私は今、殿下に抱き締められているの!?
私の背に回されたヴェイル殿下の腕は、身じろぎしても一向に外れない。
頸にかかる彼の熱い吐息が、私の全身に熱を灯していった。
「あ、あの、殿下?何か...。」
「.......だ。」
「殿下?」
「ヴェイルだ。ヴェイルと呼んでくれ。」
え?
ただの侍女の私が、殿下を名前で呼ぶだなんて...。
「ですが...、キャっ!」
どう断ろうかと思案していた私を、ヴェイル殿下が更に強く抱き込んだ。
私の肩には、グリグリとヴェイル殿下の額が押し付けられる。
耳がっ!
ヴェイル殿下の獣耳が、私の頬に当たって擽ったい。
本当に、もう、私の心臓が限界...。
「ヴェ、ヴェイル、さ、ま。」
「団長ーーーーーーー!」
私の小さな声を掻き消す、叫び声が、天幕の中にこだました。
そしてすぐに、ニルセン様とメルデン様が、私に張り付いていたヴェイル殿下を強引に引き離してくれた。
「団長!お気を確かに!ちょっ、魔力が溢れてます!フェロモンも抑えてください!」
「バレリー様、すみません。大丈夫でしたか?団長はどうやら、異能の力を使い過ぎたようです。落ち着くまで、外に連れ出しますので!」
ニルセン様とメルデン様に両脇から押さえられている状態でも尚、ヴェイル殿下の目は、ずっと私を捉えている。
その目は、とても鋭くて怖かった。
まるで自分が、獲物にでもなったかのようで。
「そ、そうでしたか。では、私が出ますので、殿下をこちらで休ませてあげて下さい。すぐに軍医を呼んで来ますね!」
私は静止の声も聞かずに、外へ飛び出した。
ヴェイル殿下の温もりも魔力も私には毒だ。
甘い甘い優しすぎる毒。
勘違いしてはいけない。
欲しがってはいけない。
あれは、決して、手を伸ばしてはいけないものなのだから。
大丈夫。
私は、もう期待したりしない。
「...早く軍医を呼んでこなくちゃ。」
森の中に吹き抜ける風が、私の体に溜まった熱を徐々に冷ましていった。




