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あなたへ近づく

「診たところ異常はないから安心していい。ただ何か異変を感じたらすぐに教えてくれ」


「ありがとう。フォールマ」


「どういたしまして」


 あのあとすぐに意識を取り戻した私は、体の状態を診てもらうためフォールマと二人になった。みんなはフォールマに言われて別室で待っていてくれている。あとでみんなには心配をかけてしまったことを謝って、体が大丈夫だったことを伝えねば。


「ユヅキさん」


「なに?」


「どうして急に意識を失ったのか原因はわかっているか」


「っ……うん」


「そうか。それならいい」


 フォールマはそれだけ言って原因については聞いてこなかった。それはありがたい。だけど聞かないことへの不思議さもある。


 そう思っていると、まるで私の心を読んだかのようなことをフォールマが言った。


「聞かれても困ってしまうだろ。いいんだ。あなたがちゃんとわかっているなら」


「……」


「それにあなたはちゃんと帰ってきてくれたしな」


「……それは、優しい人たちが私を守ってくれているから。だから帰ってこられたの」


 私がそう言うとフォールマは少しの間のあと「そうか」と言って小さく笑った。


「うん。ありがとう」


「どういたしまして?」


 問いかけるように言われて、私は笑顔で頷く。


 今回は相手が菫だったから戻ってこられた。でももし菫のような人ではなかったら、私はどうなっていただろう……。


「……」


 戻ってこられたかもしれないし、戻ってこられなかったかもしれない。どちらになるかはそのときの運に近い。でもそれじゃあ駄目。今の私の願いは運任せで叶うものじゃない。


「ユヅキさん。何か手伝えることがあるなら遠慮なく俺たちに言ってくれ」


「え……あの、さっきも思ったんだけどフォールマって心が読めたりする?」


「読めないな。ただ前にも言っただろ。見逃して後悔したくないって。俺はあなたを見ているから表情や雰囲気で判断して言っているだけだよ」


「……それはそれで恥ずかしくなってきた」


 私がそう言うとフォールマはふはっと笑って、楽しそうに話を続けた。


「俺はあなたをまるごと全部信じて、あなたを覚えている。あなたは見られる覚悟もなくそう言ったのか?」


「覚悟というか、そこまで見てもらえると思ってなかった」


あなた(・・・)を忘れないためだからな。もしあなたが何か(・・)になったとしても、俺があなたを見つける。そして必ずあなたを戻してみせる」


 長い前髪の隙間から見えた琥珀色の瞳はまっすぐ私を捉えていて、その瞳の中にある強い意志が私を安心させてくれる。


 フォールマは、気づいている。私がどうして()を覚えていてほしいと言ったのか。そして私が何になりそうなのか。


「ありがとう。すごく嬉しい」


「ユヅキさん。俺はあなたを覚えているために見る。だから見られる覚悟をしておいてくれ」


 私が元気よく頷くとフォールマは声を出して笑った。そして思い出したかのように「シヴィたちも今回のことについて聞かないと思うから、悩む必要はない。ただまいまとだけ言っておけばいい」と言った。


 このあとフォールマと一緒にみんなのところへ行って、開口一番「ただいま」と伝えるとみんな安心したように「おかえりなさい」と言ってくれた。そしてフォールマが言っていたように今回のことについては誰も聞かずにいてくれて、ただただ無事を喜んでくれた。それがありがたいのと同時になんだか申し訳ない気持ちになりながら私はみんなと話をした。



    ***



 あの日から幾日か過ぎ、未だアネモネさんの記憶を視ることができずにいる。理由はあのあとすぐ狸国王から浄化作業をしに行けと命令されたから。そのため現在私は深い森の中を目的地目指して歩いているところだ。


「ふー……」


「雪月。少し休もう」


「……ごめん。ありがとう」


「君が謝ることじゃない。徒歩でしか行けない場所で悪いな。雪月にばかり負担をかけてる」


「私ばかりじゃないよ。私についてきてくれてるギルベルト・フライクも大変でしょ」


「いや、俺は男だし体力的なところでも違うだろ」


「違わない違わない。男も女も関係なく大変なときは大変なんだから、私にばかり負担がとか考えないで大丈夫。それと話は変わるんだけど、どうして今回私と二人っきりで浄化作業に行くって陛下に言ったの? よくよく考えたらギルベルト・フライクは私の護衛とかじゃないのに」


「……」


 合っていたはずの視線が気まずそうに逸らされる。その逸らし方になんとなく話しづらいことがあるのだろうと思った。私としては軽い疑問だったので、ギルベルト・フライクの様子に少し慌てて口を開く。


「言いにくいことなら言わなくていいからね。別に無理に聞きたいわけじゃないから」


「……雪月と二人になりたかった」


「え?」


「雪月と二人っきりになりたかったんだ」


 そう言ったギルベルト・フライクの瞳はさっきとは違い私をまっすぐ捉えている。そんなギルベルト・フライクに瞬きの回数が増えてしまう。


「私と二人っきり……何かあったの?」


「あった。だから雪月と二人っきりになりたかった。だけどこれは俺の勝手な感情で、雪月からすると迷惑なものなんだ」


「そうなの? それじゃあ私と同じだね。私もギルベルト・フライクからすると迷惑な感情を抱いてるから」


「は?」


「だから私もギルベルト・フライクからすると迷惑な感情を抱いてる」


「そ、れは聞こえてたけど……」


「そ? ならよかった。私はどんな感情を抱いていてもいいと思うんだよね。物理的にとか相手を傷つけなきゃ。ギルベルト・フライクのその感情で私は傷ついていないし、嫌な思いもしていない。それにギルベルト・フライクがそう思っていても、私本人からしたら迷惑じゃないかもしれない」


「……」


「もっと言えばギルベルト・フライクがどんな感情で私と二人っきりになりたかったのかはわからないけど、それでいいの。だってギルベルト・フライクは私の味方でいてくれるでしょ」


「それはもちろん」


 ギルベルト・フライクの肯定の言葉に私は笑顔で頷く。


「その事実だけがあれば私は大丈夫」


「……強く、なったな」


「え?」


「ああ、いや違うな。君は元々そういう子だった」


「何を言っているの? 元々って、どういう意味……?」


 私の問いかけにギルベルト・フライクは申し訳なさそうな、けれどどこか安心したような表情で「俺は雪月がこの世界に喚ばれる前から、雪月(・・)を知っている」と静かな口調で言った。その言葉に私は息を飲む。そして頭を過る、始まりの救世主。


「ギルベルト・フライク……あなた、もしかして始まりの救世主を知っているの」


「……知ってる」


「っ……!」


「俺は、始まりの救世主(かのじょ)をこの世界へ喚んだ男の弟だ」


 さっきからずっと頭は混乱しているし、喉はカラカラになっていく。聞きたいことがたくさんあるのに、言葉がぐちゃぐちゃでまとまらない。そのせいでただギルベルト・フライクを見つめるだけになってしまう。そんな私を見ながらギルベルト・フライクは言葉を続ける。


「俺は神の子。神を受け入れられる器だ」


「神、(うつわ)……」


「アネモネから聞いただろ。始まりの救世主(かのじょ)がこの世界を創る前の世界で最も偉大な力であった()のことを。その力を受け入れられる器が神の子」


 自分の喉が上下に動いたのがわかる。そして鼓動はいつもよりずっと速く動き、そのせいで呼吸がしづらいことに気づく。それを落ち着かせるように胸元に手をあてゆっくり大きく呼吸する。


「ギルベルト・フライク」


「なんだ?」


「神の器であるあなたは長寿なの? それとも不老不死?」


「神の器は不老長寿。他の存在よりは頑丈だが、限界があるから死ぬ。それと見た目に関してだが、その個体が最高な状態のときに時が止まる。だから姿年齢はばらばらだ。俺くらいの姿をした者もいれば、幼子の姿をした者やもっと年老いた姿の者もいる」


「そう……」


「すまない。いきなりのことで混乱してるよな」


「してるね。でも、今の話で自分の中で引っ掛かっていたものが何かわかったから聞けてよかった。話してくれてありがとう」


 前にギルベルト・フライクが言っていた『君は変わらないで』という言葉。それは始まりの救世主のことがあっての言葉だろう。もしそうならギルベルト・フライクは私と始まりの救世主を重ねているのかもしれない。そして私にやっていることが始まりの救世主への贖罪のようなものだとしたら……。


「ギルベルト・フライク。生きてね」


「っ……突然どうしたんだ? もちろん何事もなければ生きるさ」


「ごめん。言い方を変える」


 ーー瞬間、空気が緊張する。それに気づかないふりをして伝えたいことを言葉にするため口を開く。


「たとえ私がどうなっても、絶対に生きて。私を助けるために死なないで」


「そ、れは……」


 ギルベルト・フライクは言い淀んで、苦しそうに目を伏せた。それはつまり私にとって最悪な選択をギルベルト・フライクがしようとしていたということを表している。


「私はあなたを信じる。私のこの願いを聞き届けてくれると」


「君はっ……酷い人だな」


「あなたからしたら酷いことを言っているかもしれない。だけど私はあなたに生きていてほしい。この世界で初めて私の名前を聞いて呼んでくれた。そして見返りを求めずにずっと私の味方でいてくれた優しい人。私にとってあなたは特別な存在なんだよ」


「っ……!」


「今の話を聞いた私だから言える。あなたは私が知る誰よりも私を知っている。まあ、始まりの救世主とアネモネさんも私のことを知ってるけど。それでも生きてそばにいてくれる人で私のことを一番知っているのはギルベルト・フライクだと思う。だから生きて。生きて冬夜雪月(わたし)のことを憶えていて」


「……」


「そして救世主(わたし)の最期を見届けて。救世主(わたしたち)の物語の終わりを、どうか憶えていてほしい」


「それは、難しいな……」


 苦しそうで泣き出してしまいそうな、けれどどこか笑っているような複雑な表情でギルベルト・フライクはそう言った。


 今ギルベルト・フライクにそんな顔をさせてしまっているのは間違いなく私だ。それについては申し訳なく思ってる。だからーー。


「私も約束する。絶対に冬夜雪月(わたし)はギルベルト・フライクを置いて逝かない。必ずあなたのところへ帰ると」


「……」


 ギルベルト・フライクは視線を伏せ小さく息を吐き出すと、まだ不安そうではあったけれど笑った。


「信じるからな。冬夜雪月(きみ)の言葉を」


「うん。信じて。私はあなたを裏切らない」


 私がそう言い切るとギルベルト・フライクは肩から力を抜いて「本当に頼むぞ」と呟いた。私はそれに笑顔で頷く。


「俺も約束する。雪月のことを忘れない。そして救世主の最期を見届けると」


「ありがとう。あ、さっきも言ったけどギルベルト・フライクも生きてね。そうでないと私は帰る場所を失ってしまうから」


「っ、わかってるよ。ちゃんと、わかってる」


「それならいいの。ありがとう。私の願いを聞いてくれて」


「お礼を言うのは俺のほうだよ。ありがとう」


 私はギルベルト・フライクの言葉に笑顔で返す。


 約束をした。だから私がどんな選択をしても、私が冬夜雪月(わたし)でなくなったとしても……私はギルベルト・フライクの元へ必ず帰る。そしてそのときはきっと救世主の物語(すべて)が終わっているときだ。

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