10
さっきまで軽かった体が重く感じて目を開ける。目を開けて一番最初に見えたのは、近くに寄りすぎて見えづらくなっているリーヤ。
「……」
「ピャッ」
「私は大丈夫だよ。それよりユーリは?」
「ピャキュキュ」
「そっか。まだ目覚めてないんだね」
体を起こして、ベッドに横たわるユーリを見つめる。
意識の中へ行く前より顔色はよくなっているし、呼吸も安定している気がする。
ほっとしていると扉が静かに開いて、険しい表情の団長さんが部屋の中へと入ってきた。だがしかし私が起きていることに気づいた団長さんは、幻でも見ているかのような表情で私の頬にそっと触れた。
「無事ですか」
その声はとてもか細く震えていた。安心してもらえるよう私の頬に触れる手を取り、自分の両手で包む。
「はい。無事です。ご心配をおかけしました」
「いえ。あなたが無事で本当によかった」
「ピャ。ピュキュッ」
リーヤに言われて自分の肩に触れると、確かに何かが私にかかっている。
「ピャッ。ピュキュッ」
私がユーリの中へ入って少ししてから団長さんが部屋へ来たらしく、私とユーリの様子を見て慌てた団長さんをルナがどうにか落ち着かせてくれたらしい。そして私が風邪を引かないよう団長さんが上着をかけてくれたのだという。
頭の中でリーヤの話を整理しながら団長さんを見ると確かにいつも着ている上着がない。
「シーヴァさん。上着ありがとうございます。それからごめんなさい。かけてもらっていたことに気づいていなくて、寒くないですか?」
「私は大丈夫です。それより救世主殿は寒くないですか?」
「私はシーヴァさんのおかげで暖かかったですよ。本当にありがとうございます」
「いえ。あなたのお役に立てたのなら光栄です。救世主殿。その、ユーリのことですが……今どのような状態なのでしょうか」
「もう大丈夫ですよ。ちゃんと解毒できましたから。たぶんもうすぐ目を覚ますと思います。ただ体力をとても消費していると思うので、すぐに目を覚ますかは自信はありませんが」
「そうですか。よかった……」
ほっとしたように表情を和らげる団長さん。
その表情とよかったという言葉を聞いて、私もほっとする。
私はユーリに死んでほしくないと思っている。だけど団長さんはユーリのことを私より知っていて、いつ私の敵になるかわからないからとユーリのことを危険視し私の身を常に案じてくれていた。だからもう大丈夫だと伝えたとして、団長さんの反応はあまりよくないだろうと思っていたんだけど……今の団長さんを見て本当に安心した。
そう思いながら団長さんに上着を返していると、ユーリの動く音にベッドへと視線を移す。目を覚ましたユーリは少し掠れた声で「おはよう」と言った。
「おはよう。体の調子はどう?」
「ちょっと怠さはあるけど、平気」
そう言うとユーリは私をまっすぐ見つめたまま腕を広げた。その意味がわかった私は迷わずユーリを抱き締める。
「おかえり。ユーリ」
「ただいま。僕の女神様」
「……え?」
「……は?」
私と団長さんの声が綺麗に重なった。
え、今の僕の女神様は誰に対して言ったものだ。私に対して言ったのか。私なのか。私で合ってるのか。恐らく私だよね。
混乱する頭で抱き締めるのをやめてユーリの顔を見る。純粋且つとっても嬉しそうな笑顔で私を見ていた。
これは……間違いなく私に対してですね。でも私は女神っていう柄ではない。
そう思いながらすっとユーリから視線を逸らし、団長さんへと移す。すると団長さんは小さく頷いて微笑んだ。そしてーー。
「救世主殿が女神だというのはわかる。だがユーリ、お前が言った僕のには納得できない」
私は団長さんの言葉に目が点になる。
いや、まさか団長さんからそういう言葉が出るとは思ってなかった。予想外な発言に私はどうしたらいいんだ。てっきり団長さんも私と同じ意見だと思って言葉を用意してたのに。まさかのユーリ側か。そして今の団長さんの発言で言い合いが始まっているし。
「あのっ! 少しいいですか!」
「なあに? 僕の女神様」
「なんでしょう? 私の女神様」
ちょ……ちょっと待って。団長さんまで私のことを女神と言うか。しかも私のというところを強調していたぞ。
「私はどっちの女神様でもないですし、そもそも私が女神様になれるわけがないんですよ。だから女神様呼びはやめてください」
「あなたは女神様だよ? 僕の」
「お前のではない。私の女神様だ」
「シーヴァさん。お願いですからユーリと張り合わないでください。あなたまでそっち側に行かれてしまったら収拾がつかなくなるんですよ。だから落ち着いてこっち側に戻ってきてください」
「……申し訳ありません。大人げなかったですね」
心なしかしょんぼりしているような気がするけど、シーヴァさんはこれで大丈夫なはず。あとはユーリをどうにかすればいい。
「ユーリ。私からのお願い。私を女神様と呼ぶのはやめて」
「どうして?」
「そういう風に呼ばれるのが恥ずかしいから。だから他の呼び方にしてほしいな」
「どういう呼び方ならいいの?」
「呼び捨てがいいな。私も呼び捨てだし」
「……そういえば僕、あなたの名前知らない」
ぽつりと呟かれた言葉に首を傾げる。
言われてみれば名乗った覚えがない。私が名前を言ったのって楓さんたちとギルベルト・フライクだけかも……。つまり私は団長さんにも名前を言ってないな。いや、あれだ。私自身が名前で呼ばれないことを気にしていなかったから綺麗さっぱり忘れていた。
「ごめんね。すっかり忘れてて。私の名前は冬夜雪月。改めてよろしくね」
ユーリに言ってから振り返り団長さんにも同じように名前を伝える。すると団長さんは少し戸惑いながら「いえ。私もあなたの名前を知ったつもりになっていましたので」と言った。私はその言葉に小さく頷いてしまった。
私もユーリに言われるまで気づいていませんでした。普通に生活できていたので。
「フユヤユヅキ……うん。覚えた。だけど呼び捨てで呼ぶのはやだ。だって僕以外の人も呼べる呼び方じゃない」
「え、嫌か……それならユヅキさんとかユヅキちゃん?」
「やだ。それも僕以外の人も呼べるでしょ。僕だけの特別な呼び方がいいの」
「特別……」
そう言われても何も思い浮かばない。え、どういう呼び方が特別な感じなんだ。
「……」
ユヅキちゃまとか……いや、それは確かに特別かもしれないけど私が嫌だ。却下。他に何かないか。このままだと女神様が定着してしまう。これはもう数で勝負するしかない。
私は思いついた呼び方を勢いよく口にする。
「ユーヅ!」
「やだ」
「ユヅヅ!」
「やだよ。別の人になってる」
「ユヅちゃん!」
「やだ」
「ヅキちゃん!」
「やだ。数言っても駄目だよ。真面目に考えて。それが無理なら僕の女神様って呼ぶ」
ぐ……誰か、誰でもいい。助けて。もう出てこない。真面目に考えても出てこないんだ。それに何を言ってもユーリが納得してくれる気がしない。だって女神様以外の呼び方を拒否する勢いで断られるんだもの。私には無理だよ。誰か……。
『君の名前は?』
『どういう字で書くんだい? この世界の字とは違うと思うから教えてくれないか』
過るギルベルト・フライクの声。その声に私は閃く。
「ゆき……雪って呼んで。それなら誰も呼ばないから」
「ユキ? やだよ。名前変わってる。僕、別の人を呼ぶ気ないよ」
「いや、一応別人ではないかな。でも説明しにくいからちょっと待ってて。すぐに戻るから」
私はユーリと団長さんに部屋で待っててもらって、自室へと向かう。そして着いたら、紙とペンを持ってユーリたちのいる部屋へ戻る。
「ごめんなさい。お待たせしました」
謝ってから紙に私の名前を書く。こうやって名前を書くのも見せるのもギルベルト・フライク以来だ。
書き終わって、ユーリに見せながら名前の『雪』の文字の下に触れる。
「この字ね、ゆきって読むの。だから雪って呼んでほしい。誰も私のことをそう呼ばないから」
「ゆき……」
雪の字を見ながら、呟くように言ったユーリ。その様子から、これも駄目かなとユーリを見つめる。
「雪。雪ちゃん……」
「……」
「雪、さん……」
「……」
何度か『雪さん』と呟きユーリは頷いて、それからぱっと花が咲いたように笑った。
「雪さんにする。これが一番好きだから。あと、お願いがあるんだ」
「なに?」
「雪さんの名前が書いてあるその紙を僕にちょうだい」
「いいよ。だけどこれでいいの? もっとこう綺麗な紙とかに書くよ。この間買ってきたからあるし」
「ううん。それがいい」
「そう?」
「うん」
私が紙を渡すと、ユーリは嬉しそうな顔でじっと私の名前を見つめる。そして皺にならならないように抱き締めて「これ、僕のお守りにする」と言った。
「お守り……救世主殿! 私にも書いてください!」
「え、あ、はい……ただ今は紙がないのであとでもいいですか?」
団長さんの勢いに驚きつつ私はそう口にする。すると団長さんはとても嬉しそうに笑い「はい。書いてくださるのならいつまでも待ちます」と言われてしまい、これは急いで書いて渡そうと思った。




