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 黒く重厚な鉄の扉の前に私とルナは立つ。そして鉄の扉に触れると、凍えてしまいそうなくらい冷たく……どこか悲しい。


「クウ」


「うん。会いに行こう」


 そう言った私の声は、緊張で硬い。


 幼いユーリと別れたあと、私はルナと一緒にユーリの記憶の中を歩いた。そして私はユーリの過去を知る。


 少しずつ成長していくユーリ。それと同じく少しずつ落とされていく魔法石の欠片。


 それが悲しそうな音をたてて……落ちていく。


 辛かったね、とか。

 苦しかったね、とか。

 悲しかったね、とか。


「……」


 ユーリの歩んできたその道やユーリの心を、何か言葉にして表すのは違う気がした。だから私は、ただただユーリの歩んできた道を歩き魔法石の欠片を拾い集めていく。


 幼いユーリとの約束。もし、ユーリが大丈夫なら抱き締める。


 だから……思いっきり抱き締めよう。


 あの日、お母さんが私にしてくれたように。私がお母さんにしたように。


 ただ、抱き締めようーー。


「っ……」


 開けようと押した鉄の扉は重く、ギイっと古い音がしながらゆっくりと開いていく。そして中に誰か立っているのが見えた。


「ユーリ……」


「どうして、来たの?」


「私がユーリに会いたかったから。ユーリに毒で苦しんでほしくなかったからだよ」


「……置いていくくせに」


「え?」


「あなたは別の世界から喚ばれてこの世界にいる。だからあなたはいつか帰ってしまう。それで僕たちのことを忘れて生きていくのに、なんで優しくするの。その優しさが僕を殺したり、苦しめるって考えなかった?」


「それは……」


「一緒にいてくれないのに優しくしないでよ。助けにも来てほしくなかった。僕の過去や僕の本当の姿なんか見てほしくなかったよ」


 泣いている……そう瞬間的に思った。


 だけどユーリの瞳から涙は零れていない。ただ苦しそうで、悲しそうな顔をしているだけ。


 それでも、私はユーリが泣いていると思った。


「ユーリ。勝手にユーリの過去や姿を見てごめんね」


「……」


「それから、一緒にいられないことについては何も言えない。でも私はユーリにこれ以上苦しい思いをしてほしくないの」


 私の言葉を最後まで聞いたユーリは、私をまっすぐ見つめて苦しそうに笑った。


「僕には利用価値があるもんね。まだあなたは力を使いこなせていないし。僕が必要なんでしょ? だから助けに来た。苦しんでほしくないとか、馬鹿みたい。吐き気がするよ」


 私はその言葉に頷く。そしてユーリをまっすぐ見つめたまま、口を開く。


「確かに私は力を使いこなせていないから、ユーリがいてくれたら心強いよ。でもユーリが嫌なら私のことは放っておいていいの。ユーリの気持ちを大切にしてほしい」


「……」


「だから、どうしてもこのまま逝きたいって言うなら……」


 喉や胃の辺りに重くのし掛かる何かのせいで、言葉が詰まってしまう。それはいろんな感情が混ざって固まった、私の心だ。


 心も、言葉も難しい。


 きっとユーリが私に言った言葉は全て本心。そしてその本心を出すことによって隠した気持ちもあると思う。それが何かわかるような気がする。だけど……。


 私の望むことは、ユーリが望むものではない。

 ユーリが望むものは、私が無理だと拒否するもの。


 それでも、私はユーリに生きていてほしいと思う。幸せになってほしいと思う。


「なんて、勝手なことだろう……」


 私から出た小さな音は、私の耳にだけ届き溶けてなくなる。


 でもそれが私の気持ち全てなんだ。


 私はユーリがいなくても生きていける。だけどそれは寂しさとか悲しさとかと折り合いをつけながらで。


「……」


 私は、自分勝手な人間だ。

 私は、綺麗な人間ではない。


 だからーー。


「ごめん。私はユーリのことを絶対に諦めきれない」


「僕のことを置いていくのに? 僕を一人にして、僕はあなたを忘れられずに生きていかなきゃいけないのに……それでもあなたは僕に生きろと言うの?」


「うん。言うよ。私はあなたに死んでほしくないから」


「そんなの、勝手すぎる……」


「ごめんね。ユーリの言う通り、私は勝手な人間なんだ」


「っ……あなたに出会わなきゃよかった! そうしたら……そうしたら、こんなにも苦しい思いをしなくてすんだのに」


 ユーリは胸のあたりにある服をぎゅうっと力強く握って、目線がゆっくりと下がっていく。


「……ミリア姉さんは僕の存在意義だけど、別に好きではなかったんだなって思った。だってミリア姉さんにいらないって言われても痛くなかったから。でもあなたがいなくなるって考えたら、すごく痛くて苦しい」


「……」


「ミリア姉さんに毒を飲むように言われたとき、いつもの僕なら上手に回避してたんだよ。でも、あなたに出会ってお母さんたちのことを思い出したんだ」


「……うん」


「そうしたら苦しくなった。でもあなたがそばにいてくれるときは、大丈夫なんだ。とっても安心する。だけど夜になって離れると駄目。常にあなたのそばにいたくて、離れたくない。常に視界にあなたを入れて、あなたが僕のそばにいてくれることをわかっていないと不安と恐怖が襲ってくる」


「ユーリ……」


「あなたが思っているよりずっと僕は面倒な生き物なんだよ。だから僕のため、あなたのために僕はここで死んだほうがいい」


 その言葉に、なんとも言えない感情が溢れ出てくる。


 夜にユーリが私のところへ来ていたのは、不安と恐怖からで。私はそれが怖くて無視をした。


「ユーリ。おいで」


 考えなしの馬鹿な私は、ユーリに向かって腕を広げる。


「何してるの……そんな優しさいらない! 同情なんかで優しくして丸め込もうなんてしないでよ! あなたは知り合いの誰かが死ぬところを見たくないだけでしょ!」


 ユーリの体から、どろどろとした限りなく黒に近い紫色の液体が出てきて床に落ちる。それは毒々しく床を染め上げ、画用紙に水を垂らしたように広がっていく。


「うん。見たくない。知り合いが死んでいくところを……見たいはずがないじゃない。私は、私が痛いのも苦しいのも嫌なの。だからユーリに死んでほしくない」


「っ……」


「それに、幼いユーリと約束したの。あなたが大丈夫だったら抱き締めるって」


「だから、なに……」


「でもあなたがここで死ぬことを望むなら、私は今しかあなたを抱き締められない。だから幼いユーリとの約束を破ってしまうけど、あなたを忘れないように今抱き締めさせてほしいの」


「ばか、じゃないの。そんなの……」


 ユーリがぐっと言葉に詰まらせたのがわかった。私はただユーリに向かって腕を広げ続ける。


「あなただって見たでしょ。僕が人間を魅了してたの。その人間がどうなったのかだって……」


「うん」


 魅了効果を無効化する防具やアイテムをしていなかった人たちは、みんな魔獣の姿のときのユーリに魅了された。そしてユーリがいなくなると、みんな無気力になり虚ろな瞳で宙を見つめていたのを知っている。それがユーリを捕まえた人間たちがユーリを使って実験した結果だ。そのあとあの人たちがどうなったのかはわからない。だけど魅了される前のようには暮らしていけないだろうことだけはわかる。


「だったら……! あなただって怖いでしょ……僕のこと」


「その力が怖くないって言ったら嘘になる。だけど全部が怖いわけじゃないよ。だって魔獣の姿で魅了したときは、あなたを捕まえた人間たちに操られていたじゃない。あなたの意思関係なく無理矢理引き出されて、勝手に使われただけ」


「そんなの言い訳にもならないよ。自分がどういう存在か知ってたんだ。だから無理矢理引き出されても抵抗するべきだったんだ。でも僕はそれができなかった」


 怖くて、と震えた小さな声は私の耳にちゃんと届いた。そしてそれと同じく、どろどろとした液体が私の足を飲み込んだ。


 痛みはない。ただ徐々に体が沈んでいく。たぶん、このままだと私は飲み込まれて……死に至るだろう。だけど不思議と死への恐怖がない。ルナが隣で寄り添ってくれているから。


「ウォン!」


「ありがとう。ルナ、大丈夫だよ」


「クウ」


 私はルナを撫でて、大きく息を吸う。


「ユーリ! 私ね、あなたに言いたいことたくさんある! ありすぎてまとまらないくらい! だからもう考えて話すのやめる! 今の感情だけで言っていくから!」


 言い切って、にっと笑う。するとユーリはきょとんとしていた。


「気づいてる? 今あなたが魔獣の姿になって私を魅了したら、意識が戻った私はあなただけを愛し離れないこと!」


「……」


「気づいてるのにやらないってことは、それで引き留めても意味がないってことを理解しているからでしょう? だから私はあなたの全てを怖いとは思えないの!」


「でも僕は……ミリア姉さんのお願いで人を殺したことがある」


「うん。知ってる。でもそれについて私から何かを言うことはないよ。私はあなたの過去を歩いたけど、私が出会う前のあなたのことは知らない。私が知ってるのは今のあなた。だから今のあなたがそういうことをしようとするなら全力でとめる。それだけ」


「もう、やらないよ……二度とあんなことやらない」


 私は頷いて、液体に飲み込まれた足をどうにか抜き出す。そしてユーリに向かって歩いていく。その後ろをルナが着いてきてくれているのがわかる。


 ユーリの前まで来たらしゃがんで手を開く。


「はい。これ」


「あ、それ……」


「幼いユーリに、これを集めてあなたに渡してほしいってお願いされたの」


「っ……ありがとう。全部集めてくれて」


 嬉しそうに私の手からとったユーリに、私の頬が緩む。


 その嬉しそうな表情は、ユーリがご両親や仲間に見せていた笑顔で。ユーリが捨ててきたものの一つ。だから、その表情が見られてよかった。


「どういたしまして」


「あのね、これつけてくれる……? もう捨てたくないし、なくしたくないから」


「もちろん。それじゃあ後ろに回るね」


 私が集めたお花の魔法石は、全部集めきったときにペンダントへと姿が変わった。それをユーリの首にそっとあてて、少し長めの位置でつける。


 つけたあとユーリはお花の魔法石を持って嬉しそうに笑って「ありがとう」と穏やかな声で言った。それに笑顔で頷く。


「ねえ、ユーリ。私と一緒に帰ろう。そして元の世界に帰る私じゃなくて、あなたとこの世界で寄り添って生きてくれる人と出会えるように頑張って生きよう」


「努力はするけど……僕はあなたがいい。あなたじゃなきゃ嫌だ。だから僕があなたの世界と行き来できるようにする。それは駄目?」


 行き来か。たぶんユーリの魔力とか知識的にできな、いことは……。


「行き来っ!? え? ユーリは行き来できるようにすることができるの?」


「え? あ、ううん。まだできないよ。でもあなたがこの世界に来たってことは、向こうの世界と繋いで行き来も可能じゃないかなって思って。あなたが許してくれるなら、ここから帰って方法を探したり試したりしようと思ってる」


 行き来ができるとして、本当は行き来できるようにしたくはない。だって元の世界への影響とか考えると怖いし。だけどこの世界を元の姿に戻すことができて、不浄にされてしまった救世主全員を救いきれるかもわからない。それならユーリにそこを伝えて影響が出ないように繋げられないかお願いしてみよう。それからこの世界を元の姿に戻す前に繋げられてしまうと意味がないのでそこもお願いする。


「……二つお願いがあるの」


「なに?」


「一つ目は、向こうの世界にこの世界の影響が出ないようにしてほしいの。向こうの世界には魔法や魔族はいないから」


「うん。わかった。ただ最初からそうするつもりだったから安心してね。大丈夫。そこはどうにかするよ」


「ありがとう。それから二つ目は、この世界を元の姿に戻してから繋いでほしいの」


「元の姿?」


「そう。詳しくは話せないし、今はまだ誰にも言わないでほしい。だけどそれが終わるまでは繋がないでほしいの」


「それは……僕とあなただけの、秘密?」


「うん。私とユーリだけの秘密」


 そう返事をすると、ユーリはぱあああと花が咲いたように笑って頷いた。


「わかった。僕は誰にも言わないし、詳しく聞かない。だけど行き来に関して何か進展したら、必ずあなたに伝える。それなら、いい?」


「うん。大丈夫。ありがとう。それからお願いします」


「お礼を言うのは僕だよ。僕のわがままを聞いてくれてありがとう。それから……さっきはごめんなさい。たくさん酷いことを言った」


「いいよ。大丈夫だからね。だってユーリが一緒に帰ってくれるから」


「うん……」


 少し照れたように下を向くユーリ。私はその行動を見ながら思う。


 戻ったらユーリともっと話そう。私はただユーリの過去を歩いただけの、人間だ。わからないことがたくさんある。


「ウォン!」


 ルナに声をかけられて、私ははっとする。


 どろどろとした液体は少なくなったとはいえ、まだユーリから溢れ出ている。そして広がる液体。


「毒が、消えてない……」


「ウォン」


「ユーリ! 体調は大丈夫? 苦しいところとか痛いところはない?」


「大丈夫だよ」


 言葉通りユーリは大丈夫そうだけど、この状況は大丈夫じゃないよね。このままだとユーリが飲み込まれてしまう。そして私たちも。最悪ルナに頼ってしまうことになるかもしれない。


「ごめんね。僕が生きるつもりなくてたくさん毒に記憶(ごはん)をあげちゃったから」


「ううん……大丈夫だよ。どうにかしてみせるから」


 とは言ったものの、これといった案はない。やっぱりルナに頼るしか……。


「ウォン! ワンッ! ウォン!」


「え? リーヤを……あ、ああ! うん。わかった。ありがとう、ルナ」


「ウォン!」


 ルナをわしゃわしゃと撫で、リーヤを思い浮かべる。そしてリーヤの名を呼ぶ。


「ピャッ」


「リーヤ。来てもらって早々ごめんね。炎で全部燃やしつくしてほしいの」


「ピャッ。ピュキュキュ」


「うん。お願い」


「ピャッ」


 腕に乗っているリーヤは右手を上げて、ぴょんと降りた。そしてどろどろとした液体の上を走り出す。


 ここは意識の中……想像は何よりも強い武器になる。


「ユーリ。大丈夫だからね」


「うん。ありがとう」


 走るリーヤを見ながら、炎のイメージをはっきりとさせて強くしていく。それはしっかりリーヤに伝わっていて、その通りに走り炎を灯していってくれる。


「綺麗だな……まるで、神様みたいだ」


「え? ごめんね。今リーヤに集中してて聞き取れなかった」


「集中してたのにごめんね。ただ、綺麗だなって言っただけだよ」


「そう?」


「うん」


 視線をユーリからリーヤに戻し、毒を炎で包み花を咲かせるようなイメージで消していく。


 しばらくするとどろどろとした液体は姿を消し炎も消える。最後にふわっと舞い上がった炎は、まるで花弁が舞うような儚さと美しさがあった。


「ピャッ」


「リーヤ、ありがとう! お疲れさま」


「ピャキュキュ。ピャッ」


 リーヤの頭を撫でて、自分の額をリーヤの頭にそっと乗せる。


「本当に、ありがとう。私じゃどうしようもなかった」


「ピャッ。ピュッ」


 くりくりの瞳が私を見つめ、小さな手が私の額に触れる。


「ピャキュキュ」


「うん、ありがとう。よし! ユーリ、帰ろう」


「うん」


「またあとで会おうね」


「うん。あのさ、戻ったら抱き締めてね。ちゃんと」


 私がその言葉に大きく頷くと、ユーリはにっと元気よく笑って目を閉じた。そしてすうっと消えるユーリの姿。


「ルナ。リーヤ。ありがとう。またあとで」


「ウォン」


「ピャッ」


 私も目を閉じて、意識を外へと向ける。すると体が浮く感じがして、それに身を任せた。

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