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『おねえちゃんは、かわらないでね』
--過るひなたちゃんの言葉。
「……」
この世界に喚ばれてから、いろいろなことがあって。一番感じたのは、恐怖や怒りとか嫌悪で。何というか、心が死んでいくような。負の感情に飲まれそうになっていた気がする。でもまだ私は綺麗なものを綺麗だと思い、心躍り感動できることに安心した。
私はまだ、私だ。
まだ私は、変わっていない。
「本当に、綺麗……」
「ウォン!」
「ん、ふふ。うん。とても好き」
「ワンッ!」
ぶんぶんと嬉しそうに尻尾を振るルナの頭を撫でていると、エドさんが私の手を放し名前を呼んだ。
『ユヅキさん』
「はい」
エドさんを見ると、エドさんの手の上には綺麗な深い青色の髪留めがあった。
『君にこれを贈らせてください。必ず君を守ってくれます』
「え……?」
『これには私の魔力と三番目の救世主の力を込めた守り刺繍を入れてあります。君をあらゆる打撃や魔法攻撃から守ってくれます』
ちょっと待ってほしい……今、エドさんは三番目の救世主と言った。最初のときに美人メイドのアメリアさんが、この世界に救世主が一人いるときは別の救世主が来ることはないと言っていた。だからこの世界に救世主は同時に存在できないはずだ。でもエドさんは確かに三番目の救世主と言った。私が何番目かはわからないけれど、三番目の救世主の人がいるってことは……今この世界に二人救世主がいることにならないか。なるよね。
「……」
でもそう考えると、三番目の救世主の人の年齢はどのくらいなんだろう。私より上だよね。なんと言っても三番目だし。恐らく楓さんたちの前にも救世主がいたと仮定すると、とても長生きじゃないだろうか。いやかなり短い間隔で救世主がこの世界に呼ばれていたとしたら、ただの長生きなんだなだと納得できる。だけど恐らくそんなに短い間隔で喚ばれているとは思えない。ということは三番目の救世主の人は、救世主としての力で死なない体になっている可能性がある。そしてその答えをエドさんなら知ってる。
「……」
下に向けていた視線を上へ戻し、エドさんの目があるだろうところを見る。するとエドさんは私の考えがわかったのか、少し険しい声色で言った。
『三番目の救世主と言ったけれど、もう彼女は人ならざる者へと変わっている』
「それって……」
私の区切れてしまった言葉にエドさんは頷いた。
『君の考えで合っているよ。彼女は不浄にされた。だが私と同じように自我を保っている』
「っ……それじゃあ三番目の救世主の人ともエドさんと同じようにお話ってできますか」
『ええ』
「……会わせていただけますか?」
『もちろんです。それに彼女も君に会いたがっています。渡したいものがあるからと』
「渡したいものですか?」
『ええ。この世界と救世主に関することが書かれたノートです』
エドさんの言葉を聞いて、ぶわっと毛が逆立つ。そして体が震え始める。
『彼女はそれを長きに渡り守り続け、知るに相応しい者を待ち続けていたのです』
「ウォン!」
『君にとってこの世界に喚ばれたことは、言い様のないほど不幸なことでしょう。ですが彼女や私たちにとっては、とても幸運なことです』
「……」
『勝手なことを言っているのはわかっていますが、私たちはあなたが必ずそれを役立ててくれると信じています』
「……」
小さく息を吐き出し、なんとも言えないこの気持ちを落ち着かせる。
「……自分で言うのもなんですが、私は一度大切だと思ったら嫌われても守ります」
『……』
「でも私がそうしたい人たちは元の世界にいてここにはいません。だからこの世界で私が大切にしていて守りたいのは私の心。私は、私の心を守るために動きます。なので私は三番目の救世主の人が守ってきた情報を役立てることができないかもしれません。そしてエドさんたちの思い描く未来にすることもできないかもしれません」
『ユヅキさん……』
「それでも私はこの景色を美しいと思うし、この世界にいて好きだと思えるものやことがあります」
「ワン……」
ルナが小さく鳴く。その顔は寂しさを滲ませていた。
私はルナの顔を優しく撫でる。
「ルナ。私はルナが大好き。あなたがいてくれて本当によかったと思ってる。それからルナの大切な人であるエドさんのことは優しい人だと思います」
『……』
「ウォン」
ルナの顔をもう一度撫でて、エドさんをまっすぐ見つめる。
優しい人だと思う。それに間違いはないし、嘘でもない。だけどそれだけ。
私は死にたくないから頑張る。
私は後悔したくないから頑張る。
私は帰りたいから頑張る。
私は私を嫌いになりたくないから頑張る。
いろいろな感情が混ざってぐちゃぐちゃで。
いつだってあーだこーだ考えて。
それでもいつだって答えは決まっている。
だから--。
「エドさん。ごめんなさい。私は私の心を守れる道を選びます」
『はい』
エドさんは頷き、私に頭を下げた。
「え……あ、あの! 頭を上げてください!」
『……君が来てくれて本当によかった』
少し震えた声でエドさんがそう言ったのが聞こえる。
「どうして、私を信じてくれるんですか……?」
私の口から漏れた言葉にエドさんが頭を上げて、きょとんとした雰囲気で私を見る。そして私がここへ来てから何度も聞いた言葉が返ってきた。
『君のそばがとても温かいからです』
「……」
『とても心地がいい。それに気づくのは恐らく私たちだけ』
エドさんの私たちだけと言ったその言葉の裏に何かを感じたけれど、上手く言葉にできない。だけどそれをエドさんに正直に伝えるつもりもない。だって私の直感が今知るべきではないと言うから。それに私のことだ。知るべきだと思ったら瞬間的に声になって出てる。
「ふ、ふふ……」
「ウォン」
『ユヅキさん?』
「ごめんなさい。なんだか冬のお布団やあったかお風呂みたいだなと思ったら、つい笑いが込み上げてしまって」
「ワンッ!」
「ふふ、あははははっ! ルナが冬のお布団なの? 居心地が良すぎて離れられなくなっちゃうよ」
「ワンッ! ウォン! ワンッ!」
「ありがとう。嬉しいなあ」
「ワンッ」
「うん。ありがとう。本当に……」
ぼろっと大粒の涙が自分の目から零れたのに気づく。
『っ……!』
「ごめんなさい。自分で言うのもなんですが、実は私かなりの泣き虫なんですよ。妹と弟の前で泣くのは恥ずかしいし、何より心配させたくないから泣かないようにしてましたけど」
言いながら、指で涙を拭う。
あ、タオルを持ってくるの忘れた。今から水を飲みに行くのに何をしてるんだ。ワンピースで拭くわけにはいかないぞ。どうする。いや、どうするってどうしようもないから自然乾燥しかない。
頭の片隅でそう思いながらも止まらない涙を指や手で拭き続ける。
「ワン」
「ごめんね。大丈夫。気持ちがちょっと溢れただけだから」
「ワンッ」
「え? わっ! ルナ!?」
「ワンッ。ウォン」
「毛が濡れちゃうよ! いやもう濡れちゃってるけど! ありがとう。もう大丈夫」
「ワフッ」
ルナが確認するように私の顔を覗き込んだ。




