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「救世主殿、大丈夫ですか?」


「は、はい! だいじょ、うぶです……!」


 団長さんの言葉にどうにか返事をする。そして今私を乗せてくれているこの子には悪いけど、目の前にある長い藍色の毛を必死に掴む。


 少し遠くの市場に行くために近道だという森を駆けているのだが、走る勢いがありすぎて落ちそう。


 なんで後ろにいる団長さんは私を支えてくれているという状態なのに大丈夫なんだ。団長さん、一人じゃないんだよ。今にも落ちそうになってる私がいるんだよ。それなのに普通に乗っているあなたの体幹はどうなっているんだ、と聞きたくなる。いや、聞かないけどさ。


「申し訳ありません。いつもはこんな感じではないのですが、ルナはあなたのことが好きなようで今とてもはしゃいでいるのです」


「そうなんでうわっ!」


「救世主殿!」


 返事をした私がさっきよりもバランスを崩して完全に落ちそうになったところを危機一髪で団長さんが助けてくれる。


 一瞬だけど地面スレスレに顔面があったのは気のせいだと思いたい。


「ありがとうございます……」


 ドッドッドッ、と心臓が激しく動いているのを感じながら団長さんにお礼を伝える。


 すると安心したように「いえ。ご無事で何よりです」と返ってきた。そして私をさっきよりも近くで支えてくれる。


 今だけはこの近すぎる距離にすっごく安心する。ほんっとうに安心する。


 だってさっきのは危なかった。落ちてたら死んでいたかもしれないくらい危なかった。


 無意識に自分の死を想像して体が恐怖で少し震えてしまう。


「ウォン!」


「救世主殿、ルナが申し訳ないと言っています」


「え、あ、大丈夫だよ。団長さんが助けてくれたから。私もごめんね。さっきあなたの毛を抜いてしまって。痛かったよね……」


 言いながら藍色の毛を撫でる。するとまたルナは一鳴きして、走る速度をゆっくりなものへと変えていく。それに首を傾げながら辺りを見回す私。


 まだ見渡す限り木が生い茂っているけど、ここからは歩きでってことかな。


 ルナが私たちを落とさないようにゆっくりと座る。そして先に団長さんが降りて私に手を差し出してくれた。


「救世主様。どうぞ」


「え、あ……ありがとうございます」


 団長さんが差し出してくれた手を握るかどうか一瞬悩んでしまったが、一人で降りるのは無茶だよなあと思って手を借りることにした。そして降りて足が地面につくと、安心から息を吐き出す。


「ウォン、ワン」


「わっ……!」


「ウォン! ワン! ウォン!」


「え、ふふっ、あはははははっ……!」


 ルナが私のお腹に大きな鼻をくっつけてすり寄ってくる。それがなんだか擽ったくて笑ってしまう。


 ルナの姿は大きな犬で鳴きかたも犬だけど、なぜか猫のように喉を鳴らす。


 私はその姿とのギャップにときめきながら、手を伸ばしてルナの顔をわしゃわしゃと撫でる。


 ルナは気持ち良さそうに目を細めて、甘えるように撫でている手にすり寄ってきた。それが堪らなく可愛い。


「ん、ふふ……」


 引き寄せられるように私は自分の顔をルナの顔にくっつける。するとふわふわのルナの毛が私の顔にあたる。


「ふ……」


 ふふ、気持ちがいい。それにお日様のいい香りがする。


 さっきよりも近くにいるからか、ゴロゴロと聞こえてくる音が大きい。だけどそれが心地よくて。


 体の力がふっと抜けるのを感じる。


「……」


 そのせいでどうやら涙腺まで緩んでしまったようだ。私の意思を無視して、じわじわと涙の膜が目を覆う。


 泣くな。

 泣くな。

 泣くな。


「っ……」


 涙が、頬を伝う。


 ……ああ、最悪だ。今この子から離れたら、泣いているのが団長さんに伝わってしまう。


 それは嫌だ。誰にも見られたくない。


 この世界の、誰にも見られたくない……。


 それなのに一度溢れてしまった涙は止まってくれなくて。


 ルナのふわふわの毛を濡らしてしまってるし。早く泣き止まなきゃ。


 ぐっと奥歯を噛み締めて体に力を入れる。


 早く、早く、早く……。


「っ……!」


 ふわり、と背中にあたる大きな何か。


 その大きな何かは……ルナの尻尾で。


「クゥ……」


 小さく一鳴きしたルナに驚いて少し離れると、ルナの大きな金色の瞳が心配そうに私を見ていた。その瞳を見て気づく。ルナは泣いている私の姿を団長さんから隠してくれたのだと。


「……ありがとう。あなたは優しいね」


 泣き笑いのようになっていたと思う。でもルナはそんな私を見て目を細めた。そして先程と同じように小さく一鳴きして私にすり寄ってきてくれる。


「ん、ふふ……本当に、ありがとう」


 私はルナの優しさに甘えて落ち着くまで毛をもふもふさせてもらった。


           ****


「ルナ。救世主殿からそろそろ離れてくれないか。救世主殿が買い物をする時間がなくなってしまうからな」


 そう言う団長さんの声がルナの尻尾越しに聞こえてくる。


 ……そうだった。私、買い物がしたかったんだった。


「クゥ?」


「もう大丈夫だよ。ありがとう」


 小さな声で問いかけられるように一鳴きしたルナに私も小さな声でお礼を告げると、安心したように「ウォン!」と一鳴きして尻尾が離れていった。


 私が乱してしまった毛を整えてから団長さんを見る。


「ごめんなさい。お待たせしまって」


「いえ。救世主殿が謝るようなことではありませんので。こちらこそルナが申し訳ありませんでした」


「い、いえ! ルナは優しいですよ! 私がくっついても怒らないでされるがままになってくれましたし!」


 ぶんぶんと両手を左右に振り、団長さんの言葉を否定する。


「そうですか?」


「はい!」


「それならばいいのですが。嫌なことがあればすぐに仰ってくださいね。排除いたしますので」


「……」


 そう言いながら団長さんが下手くそに笑ってるその姿を見ると、自分もそういう風に見えているんじゃないかと思って震えてしまう。


 いや……私自身が素直な気持ちで笑っていないから団長さんの下手くそな笑顔に気づいたと思いたい。


「救世主殿。私はあなたの気分を害すようなことを申し上げてしまいましたか?」


「い、いえ……」


 ゆるゆると首を横に振って団長さんの言葉を否定する。


 ああ、もう……。さっきから否定ばかりしてるなあ。それに考えすぎて返事をするのを忘れていたし。自分の馬鹿。


「そうですか」


「はい。でも、その……」


「なんでしょうか」


「……無理に、笑わないでください」


「っ……!」


 言わなくてもいいことを言った自覚はある。だけど無理に笑う必要なんてないと思うし。何より私はただの女子高生だ。だから……。


「私を怖がる必要なんてないんですよ」


「……」


「大丈夫ですよ。大丈夫……」


「お前だって前の救世主と同じだろ……」


「え?」


 団長さんが俯いたせいで表情が読み取れないし、小さな声で何か言っていたみたいだけど聞こえなくて聞き返してしまう。


「申し訳ありません。私は昔から笑顔が苦手でして。あなたを怖がるなんて、そんなことあるはずがありませんよ」


「……」


「あなたはこの世界を救って下さる救世主様なのですから」


「……」


 小さく息を吐いて笑う。そして。


「ごめんなさい。私、知らなくて。あなたに酷いことを言ってしまって」


「いえ。大丈夫ですのでお気になさらず」


「ウォン!」


「そうだね。行こうか」


 ルナが尻尾で背中を優しく押してくれたので明るく返事をする。


 ……たぶん誤魔化された。だけどそれでよかった。そう。それでよかったのだ。


 だから気にする必要はない。いや、自分の失言に関しては気にすべきなんだけど。とりあえず、市場まで行ってさっさと団長さんと別れよう。うん。

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