貴様ッ!そのノートを捨てろ!今すぐ!
「え――」
俺は、後に言葉が続かなかった。
紗那のいきなりの宣言。この五人の中から、人生の伴侶を選ぶ。
つまり、俺の結婚相手になるということ――。
彼女の言葉通り、紗那のノートには五人分の名前が書かれている。俺は、それを食い入るように見入った。俺の結婚相手――にしようと紗那が画策している相手の名前が、ここには書かれているのだ。
「お前まさか、これを調べるために校内を物色……」
「え? いえ、何のことでしょう。私は校内を散策していただけですが」
やはりそうか。俺は確信した。こいつ、受験が終わってからずっと、「鬼門院の嫁にふさわしい相手」を探し出すべく、身辺調査をしていたのだ。
御影も、俺につられるようにそのノートを覗き込む。
「あ、御影様、ノートを見てはいけません!」
これは兄様にも本来見せてはいけない物です、と紗那はノートを手を振って御影から隠した。
「部外者の御影様がご覧になるなど、言語道断です!」
しかし御影は、紗那の不審な点に気づいていたようで――。
「貴殿! なぜ私の名前を知っている⁉」
「い、いえ、これはその……入試の説明会でお見受けしたのです! この高校を代表する、部活動で好成績を収める一人として……」
「そうか……」
御影は一瞬紗那の言葉に納得しかけて、気づく。
「人の名前というものは、一発で覚えられるものなのか?」
「え、ええ、はい、わたくし横浜の誇る剣道少女、御影千桂様をずっとお慕いしておりましたので……」
「そうだったか……そのように言われると、やはり悪い気はしないな」
御影は、頭を掻いて、そして。
「嘘を申せ! ならば二回も会っているというのに反応がないはずがない!」
「そ、そうでした‼」
御影は、完全に臨戦態勢に入った。
「この私にぬけぬけと嘘を申すとは、何か理由があるはず! もしや、そのノートに何か関係しているなッ⁉」
「えっ⁉」
俺と紗那が、それぞれ違う理由で声を上げた。
「おいちょっと待て、それどういう意味だよ⁉」
御影が候補に挙がっている――⁉
紗那の反応を見ると、どうやらそのようだ。
いや。その前に、紗那が御影に向かって「御影様」などと呼ぶ時点で、俺は気づいていなければならなかったのだ。こいつが初対面の相手にこういう呼び方をするのは、俺に関係していると分かっている人物に対してだけだ。
いっそ奇妙なまでの敬意だが、紗那はずっとそうだった。尊属を敬う。これも、封建的な鬼門院家に色濃いしきたり。紗那の場合は、もっといろいろな感情がありそうだが。
つまり、御影が俺と関係がある――今はないとしても、これから関係を持つということを、紗那は言外に俺に告げていたのだ。
「お前……っ‼ 勝手に決めやがって‼」
「兄様お許しください! だって、だって御影様がいいと思ったんだもの! わたくしは御影様こそ鬼門院家の人間にも、兄様の生涯の伴侶にもいいと思ったので、それで……!」
紗那は必死で言い訳にもなっていない言い訳をする。
そして、その言葉を聞いてそれまで氷のような視線を俺たちに浴びせていた御影の顔が、真っ赤になる。
「何ッ⁉ 私が貴様の人生の伴侶だとッ⁉ ということは……ということは⁉」
紗那に向かって、声を荒げて言う。
「貴様ッ! そのノートを捨てろ! 今すぐ!」
「はい! 捨てます!」
紗那は、あっさりノートを破る。
「こんなもの、もう破いてしまったって……もう報告も済んでますし」
「報告⁉ まさかお前、報告って……」
今度驚いたのは俺の方だ。御影は、まだ顔から湯気を立てながら「結婚……ということは、つまり……夫婦の契りを、この男と……」と漏らしている。
「お前一体、どこに報告したんだよ⁉」
「母様と、それと本家の中でも兄様に好意的な親族の方々……」
「おいおいおい……」
ノートを破ろうがたき火にして燃やそうが、もう後戻りはできないということだ。そもそもこれは、紗那だけの計画ではないのだから。
「と言うわけで、諦めてください! 兄様、御影様!」
「おいちょっと待て‼」
紗那は俺が後を追う間もなく、「さらばです!」と言ってその場を走り去ってしまった。こういう都合のいい時だけ運動能力が上がるの、何の補正なんだか――。
そして、そんな紗那に余裕で追いつけるはずの、御影はというと。
「御影……御影……?」
その場で立ち尽くしていた。
「あ……」
御影は、横目でこっちを見る。意識がこっちの世界に戻って来たようだ。
「あいつのいうことは気にしなくていいから……」
これは気休めではない。家の都合など、なんとなれば無視すればいいのだ。
俺は、使用人の息子だし。もともとは鬼門院の人間ではないのだから、いざとなったらそんなものは無視できる立場だと俺は思っている。
妙子さんと紗那は、困らせることにはなるが――。
「そ、そうか……」
明らかに、俺を変に意識した様子で御影は答える。意外だ――御影がこんな表情をするなんて。いつもの、凛々しさと威圧感に満ちた彼女とは大違いだ。
「悪いな、妹が変なこと言って」
「あ、ああ……」
御影も何と返答していいのか分からなかったようだ。普段の歯切れの良い、時代劇の侍のような口調はどこにもない。
御影は、腰をかがめて俺の足元に落ちているノートを拾った。
「あ、悪い……」
これは妹の妄想ノートみたいなもんで、と俺は言う。
「俺が持って帰って捨てとく。あいつ、何やってんだか……」
少なくとも、俺が断ったら妄想だというのもあながち間違いではなくなる。今のうちに断っておけば。
あいつには、少しお灸を据えておかなければならない。妙子さんにもこっちから厳正に突っぱねてやるつもりだ。
「じゃあ……」
御影は、俺にノートを渡す。
「私はもう帰ってよいのだな」
「ここにいてもどうしようもないだろ」
俺が言うと、御影は「そうか、それもそうだな、私としたことが……」と言って、では失礼いたす――と立ち去って行った。




