54.伸びた者
闇に包まれていた世界が薄っすらと明るくなり始める暁の時間。
魔族の都を西から見れば背後を守るように峻険な山脈が壁となっており、その山脈の頂上から朝陽が西側へと降り注いでいく。
夜が払われ、朝を迎える。
都の西にある草原では夜行性の魔獣が地中や大森林へと身を隠し、目覚めの早い昼行性魔獣が朝露に濡れた草を蹴って駆けまわり始める。
都でも日の出とともに住人たちが動き始め、騒がしさを増していく。
そんな都の西端には門があり、都に出入りする者たちを検め通行税を取る職務に就いている兵たちがいる。夜番の者たちと交代する兵が門を開き、都の目覚めとばかりに開門の音を響かせた。
「あー、くっそ眠い」
「早番だってのに酒場行くからだろうが」
開かれた門から出てくる表皮が鱗で覆われた兵の一人が大きな欠伸を漏らした。その隣の兵も同様の肌をしており、先を考えない同僚を窘めた。
「金が入ったら酒飲みたくなるのは自然なことだよ、自然」
「お前この前そんなこと言って隊長にどやされただろうが。反省しろよ」
「ふぁぁぁ。それ無理。俺は酒に取り憑かれてんの。もう逃げられねーんだなこれが」
「あー、このバカこんなこと言ってますけど、どうします隊長?」
「うげぇ!」
欠伸を漏らしていた兵が驚きつつ恐怖に染まった顔で振り返る。鍛え上げられた巨体の上司は厳格であり、サボりどころか居眠りすら許さない厳しさを持っているのだ。兜の上からでも響く拳骨が降り注ぐかと恐怖したが、振り返った先には心底恐れている隊長どころか誰もいない。
そんな兵士の隣では同僚がおちょくるような声を上げる。
「おっと、見間違えだったか?」
「てめぇ、見間違いどころか誰もいないじゃねぇか!」
「おやおや、俺にはいるように見えたんだがなー。失敬失敬」
「ブチ殺す」
明らかに煽りに来ている同僚への怒りで眠気が消し飛んだ兵士は拳を構える。いい眠気覚ましだと拳に力を入れたところで、煽りに来ていた同僚の様子が変化した。具体的には都から西野空を見上げてぽかんとしている。
「おい、どうした? 酔ってんのか?」
自分のことを棚に上げて同僚にそんな言葉を向けるが、返事は視線の先を指差すことだった。
「ああ?」
何かいるのかとその指の先を追ってみれば、朝日に照らされた西の空に赤い物体が浮かんでいるように見える。いや違う。浮かんでいるのではなく、降りてきているのだ。
「何だ……あれ?」
二人して呆然と空を見えげる。その背後から低い声が発せられた。
「おいお前ら、何を呆けている」
「あぁ? あれだよあーーうげ!」
「ん? げ、隊長!」
二人の背後にいたのは直属の上司であった。
「……朝っぱらから気合を入れて欲しいとは、なかなかに勤勉だなお前ら」
隊長は二人に見えるように拳を上げ、音が鳴るほど力を入れていく。その様子に慌てた二人は兜を貫通する衝撃を打ち込まれないために、西の空を指差す。
「隊長隊長! ちょちょーっと待ってくださいよ!」
「そうですよ隊長、あれ見て下さいあれ!」
「あぁ?」
隊長はやけに慌てた部下の指差す方向へ視線を向け、目を見開く。
「あれは……」
「隊長、ありゃ何なんスかね?」
「新手の魔獣ですか?」
隊長は部下の疑問には答えずに数秒ほど観察し、硬い声で命令を口にした。
「お前ら、城へ伝達に行け。ここは俺がやっておく」
「はぁ、伝達ですか」
「てことは隊長、あれがなにか知ってるんですか?」
「あの方は近衛兵団長殿だ」
「は?」
「え、近衛……兵団長、殿?」
「いいから行け!」
隊長の鋭い一喝に部下二人は慌てて駆けていく。その姿を見送った隊長は視線を西の空へ戻し、小さく呟いた。
「英雄の帰還、か」
*****
近衛兵団長ハジャールに抱えられながらの飛行は終わりが近づき、下に見える都へと徐々に高度を落としていく。体内で内臓が持ち上がる未体験の感覚にニトローナは額に汗を浮かべた。
「あまり、いい気分ではないな」
「慣れたらなかなか楽しいものだぞ、カハハハ!」
「空を飛ぶなど慣れてたまるか。私は地に足がついている方が性に合っている」
近づく地面と、ぼやけた遠景から徐々に鮮明になる都の風景は曙光に輝いていた。これが地面の上での景色なら楽しめたのだろうが、あいにくと足元と呼べる場所には何もない。
地に生える草の輪郭すら判別できるほど高度は下がり続け、ハジャールの翼が空気を掴むことによる前方にかかる加重の後、下から響く一瞬の衝撃が着地したことを知らせてきた。
「いよっし、着いたぞ」
「やれやれ、同じ姿勢は腰に来るのぉ」
ハジャールの両腕から降ろされたイシュランディルとニトローナは固まった体を解すように節々を動かしていく。役目を終えた緑蜂鳥と赤蜥蜴はいつの間にか姿を消していた。
「戻ってきた、か」
都の西門から僅かに北へずれた場所でニトローナは都の城壁を見上げる。役目を終えて帰郷したはずが、再びここに来てしまった。
これからやるべきことは決めてあり、目指すべき目標は定まっている。だがやはり、現状はあまりにも悪い。旅に出る前にあったものがほとんど失われてしまった。
現在が夢であって欲しいという情けない願いが身の内に湧くが、自分で傷つけた頭頂部の耳と右手、そして最も大切な者に刻まれた右肩の切り傷が、夢ではないと痛みをもって証明している。
残っているのは衰え傷ついたこの身一つという現実。
そして不透明な未来。
これから先の行いは正当性も確証もない。ただ自分が目指す未来の為に行動するしかない。
「やるしかないな」
あの平穏を取り戻さなければならない。
その為に必要な一歩は既に決まっていた。
「覚悟は決まったようだの」
背後から聞こえた虹賢者の声にニトローナは頷く。
「まずは体を鍛え直す。そしてその後はーーイシュランディル、私を鍛えてくれないか?」
「……よかろう。だが儂ではお主の特殊過ぎる魔術技能を鍛えることはできん。先人から知恵を借りるとしよう」
「先人? 私以外にも同じような魔術を使う者がいたのか?」
「一応な。それは追々話すとしよう」
イシュランディルの視線は都の門からこちらへと近づいてくる一人の兵士に向けられていた。その兵士はハジャールの前で敬礼するとニトローナとイシュランディルへと向き直る。
「ご帰還をお待ちしておりました」
「うむ。城への連絡は行っておるのか?」
「はっ、既に向かわせておりますので時期にーーいえ、どうやら来たようです」
兵士が門へと視線を向ければ、装飾が施された馬車が道を外れて向かってくる様子が見て取れた。整備されていない草地を走る馬車は不規則にガタガタと揺れている。
「無茶をするのぉ」
この場にいる者達の言葉を代弁したイシュランディルは呆れている。
ニトローナは揺れる馬車を見てつい最近見た覚えがあると、記憶を辿った。その記憶は三年の眠りから目覚める前、この都に初めて訪れたときのものだ。
旅の一行が都に訪れた際、城からの迎えとしてきた馬車がたしかあのように装飾されていたはずだと、ニトローナは過去を思い浮かべた。
ならばあの馬車も城から遣わされたものなのだろう。だと言うのに随分と無茶なことをしている。御者の青ざめた顔を見ると自身の判断ではなく、恐らくは馬車に乗っている者の指示で草地を走らされているのだろう。
揺れる馬車はニトローナ達の前で側面を見せて止まる。御者は酷く疲れたため息を吐き、馬はどこか不機嫌そうに地面を蹴っていた。
ニトローナとイシュランディル、ハジャールと兵士の視線を集めた馬車の扉が開かれる。扉を開けたのは手と顔の一部を鱗に覆われた侍女だった。
初めて都に着いた際の迎えとして遣わされており、そして三年の眠りから目覚めたニトローナの世話をしていたのが彼女だ。
この侍女が御者に無理をさせたのだろうかと考えていると、侍女は馬車の扉の横で立ち止まり続いて出てくる者へと頭を下げた。
馬車から姿を表したのはクセのある茶髪を揺らし、優しげな金色の瞳を持つ青年だった。ニトローナと同程度の身長からして歳は十五から十七くらいだろうか。白地に金や赤で装飾された服装は平民には手が出せない代物であり、青年の身分が特別であると示している。魔族にしては変異が見えず、どうやら服の下に変異があるようだ。
しかしニトローナには魔族の都でそのような知り合いはいない。ならばイシュランディルの関係者なのだろうと眺めていると、何故か青年はニトローナへ向けて踏み出してくる。表情には緊張と高揚が入り混じりっていた。
記憶にない青年に向けられる視線をどこか不気味に感じたニトローナは誰何の声を向ける。
「誰だお前?」
その言葉に対する青年の変化はまさに垂直落下だ。高揚していた表情は急激に不安に染まり、緊張と相まって酷く混乱しているようでもあった。
「……え、あ…………その」
口を小さく開閉しながら視線を彷徨わせる青年。その様子に隣の虹賢者が吹き出す。咳払いで誤魔化しているようだが明らかに笑っている。さらにその横では巨体のハジャールが顔を背けて痙攣していた。どうやら爺二人して笑っているようだ。
「何だイシュランディル、こいつを知っているのか?」
その言葉にハジャールは限界を超えたのか「ゴッファ!」と吹き出して転げ回った。不自然過ぎる咳払いを繰り返していたイシュランディルは、若干苦しげな様子で青年と視線を向ける。
「あー、この青年は、偉大なる今代魔王、プルトン陛下である」
どこかふざけたような口調でそう告げられ、ニトローナは改めて青年を観察してみる。
……確かにプルトンの茶髪と金色の瞳は同じだ。だが三年前のプルトンの身長は低く、ニトローナの胸程度までしか無かった。それが今はニトローナと同程度まである。
いささか成長し過ぎではないかと、やや不審そうな視線を送ると青年はがっくりと項垂れた。
「本当にプルトン、なのか?」
「……はい、そうです。プルトンです」
もはや先程までの高揚など微塵も残らないほど落胆した青年ーープルトンは肯定の言葉でニトローナに応えた。
こうして、恐らくは感動的な再会を望んでいたのであろうプルトンは、自身が成長期であるという現実の無情さに酷く落ち込む結果となる。
それから数分後、そういえばプルトンの声をまともに聞くのは初めてだと気づいたニトローナだったが、後の祭りであった。
大変遅くなってすいません。
深夜の飲食でのバイトで連日体が痛いです。
とりあえず続きは書いていくので気長にお待ちいただければ幸いです。




