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ハルモニア  作者: 岸部碧
第四章
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手紙

「――十五年前の七月十日。ハルは死に、主様もすぐ後に死んだ」

 俯いた少女の喉から、細々と掠れた声が絞り出される。

 那由多は呆然と彼女を見つめていた。

「七月十日……私が産まれた、三日後……」

「……お前、本当に何も聞かされてないんだな」

 静かに隣に落ちた声に、那由多はきゅっと膝の上で拳を握った。

 確かにそうだ。十五年間、清子は両親について殆ど教えてはくれなかった。最早死因しか知らなかったと言っても過言ではないのだが、それですら嘘だった。

 しかし、一体どうして清子を責められるだろう。優しい祖母さえいてくれればいいと、知ろうとすらしなかったのは自分だった。

 情けなさと両親への罪悪感に唇を噛み締めると、春が小さく舌打ちした。

「七月十日。水無月の奴も水無月に仕える奴も、あの家にいる奴ならみんな知ってる。……毎年、親父が墓参りに行くからな。忘れたくても忘れられねえ」

「……お母さんの、お墓?」

「骨も名前もない墓だよ。伯母さんが死んだ四国の山奥に、他の一族に知られないように作ったんだ」

 ひっそりと佇む石の前に十五年間通い続けている叔父を思うと、つきんと胸が痛んだ。

 苦しさから顔を歪める那由多の隣で、春は苛立たしげに少女を睨み付ける。

「……けど、命日を知る事なんて簡単だ。お前が本当に水無月遥達と親しかったって証拠にはならない」

「アズマくん……」

「お前は、那由多を見守るように言われたって言ったな。でも信用ならない奴をこいつに近付ける訳にはいかない」

 鋭く光る紫の瞳。しかし那由多には何も言えない。

 そうやって守られている自分が、何も言える筈がなかった。

 ゆっくりと顔を上げた少女は、睨み返すでもなくただ静かな瞳で春を見据えた。

「……ハル。ハルから、預かった物がある。那由多を見つけて、疑われた時、那由多の傍にいる男に渡せって」

「……何?」

 ぐっと、春が眉根を寄せる。

 少女は気にする様子もなく、テーブルの上に古ぼけた封筒を置いた。色褪せたそれは損傷が酷く、丁寧に扱わなければすぐにでも破けてしまうだろう。

 春はゆっくりとそれを受け取り、慎重に封を切って中に入っていた便箋を取り出す。たった一枚の紙切れには、褪せる事のない黒い墨が綺麗な文字を綴っていた。


  *


 初めまして、私の可愛い甥っ子。

 貴方がこの手紙を読む頃、貴方は逞しく成長している事でしょう。

 ごめんなさいね。我儘だとは思うけど、どうか私達の子を守ってちょうだい。

 そしてできれば、私達のもう一人の娘の面倒を見てやってちょうだい。少し人間不信な所があるけど、素直でいい子なのよ。なんなら久遠に押し付けてもいいわ。

 これ以上貴方達に迷惑をかけたくないけれど、それ以上に私は幸せになりたい。

 あのデカブツを愛せるのは私だけよ。私はあいつを愛して、愛されたいの。この世で愛せないのなら、あの世で静かに愛し合うわ。

 それが、私達が二人で決めた私達の一番の幸せよ。

 貴方達が生きる時代で、私達は疎まれ、裏切り者と蔑まれている事でしょう。

 だから私は水無月の名を捨てた。きっともうすぐ全てを世界に知られて、私は一族に捨てられる。だけど、先に捨てたのは私の方よ。

 ざまあみなさい、クソジジイ。そう伝えてちょうだい。

 私はこれ以降、水無月を名乗る事はない。遥という名ですら口にしないわ。

 私が水無月遥を名乗るのは、これで最期。

 ごめんなさい。そして、ありがとう。

 貴方達の幸せを願っています。


 平成九年一月二十三日 水無月遥


  *


「アズマくん?」

 手紙を見つめる春を、那由多が心配そうに呼んだ。

 春は眉間に皺を寄せ険しい面持ちをしたまま、その手紙を見つめる。

 捏造したにしては古すぎる紙。日付と水無月遥という名。そして、名前の下に押された未だ色褪せる事のない朱。それは紛れもなく、水無月家の家紋が入った、当主だけが使う事を許される印鑑だった。

 認めざるを得ない。これは間違いなく、水無月遥が水無月春へ宛てた手紙だ。

 春は手紙を置き、クシャリと前髪をかき上げた。

「……わかったよ。お前の話を信じる」

 諦めが滲んだその声に、那由多がぱあっと表情を輝かせる。

 それを咎めるのも最早億劫で、春は深く溜息を吐いた。

「ただ、お前をどうするかは俺が決めていい話じゃない。まず親父に話さねえと」

「わかった」

 こくり、と少女が頷く。

「それじゃあ、僕、行くね」

「い、行くって、どこに?」

 立ち上がった少女に、那由多が戸惑ったように尋ねた。

 五年間、少女は那由多を探し続けていた。その為に来たこの日本に、行く宛などあるのだろうか。

 少女は真っ赤な瞳で那由多を見つめ、僅かに肩を竦める。

「あんまり寝てないから、もう寝る。ここは……人間が作った場所は、居心地が悪い」

 まるで謝るように眉を下げて微笑み、少女はお茶を飲み干した。

「裏の森にいる。明日、また来るけど、何かあったら呼んで」

「う、うん。えっと……ホムラちゃんって、呼んでいいかな?」

 母が与えた名を呼べば、彼女は嬉しそうに表情を綻ばせた。

12月29日 誤字訂正

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