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ハルモニア  作者: 岸部碧
第四章
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砂漠の幻影 参

 遥は時間を見つけては砂漠を訪れ、イフリートもただじっと彼女を待った。

 離れている間連絡を取り合う事もなく、会う事が叶ったほんの一時を二人はとても大事にした。そして二人は、当然のように少女の事も大切にしてくれた。

 遥が砂漠に来る頻度は二月に一度あればいい方で、その時間も一時間や二時間といった短い物だった。

 それでも二人は決して少女を蔑ろにはしなかった。二人だけの時間を大切にしたいだろうに、そうしてちゃんと大切にしてくれる二人が好きだった。

 ――そうして遂に、遥は子を授かる。

 子供ができたのだとイフリートから聞かされた少女は、純粋に嬉しかった。

 素直にお祝いの言葉を述べる少女に、しかし彼は険しい面持ちで言う。

「ハルは子供を産みたいと言っている。勿論、俺もそれを望んでいる」

「うん?」

「――ハルが無事に子を産んだら、俺達は死のうと思う」

 静かな声だった。夜の砂漠に染み渡った彼の声が、耳の奥で反響している。

 今、彼は何と言った。聞き返したいような、けれど聞き返してはいけないような、よくわからない感情の渦に呑まれ、少女は呆然とイフリートを見つめるしかなかった。

「今は大丈夫でも、いずれ俺達の関係は知られてしまうだろう。今まで知られなかったのが奇跡だ。そうなれば、俺達は命を狙われる事になるに違いない」

「だ、だからって、死ななくてもっ……前みたいに、追い返せばいい! 主様もハルも強いんだから、死ぬ必要なんてないよ!」

「不可能だ。たった二人で世界中の異能者と魔族を相手取るなんて、無謀すぎる。例え暫く生き延びたとして、俺達の子はどうなる? 何もできない赤ん坊は生き残れるのか?」

 わかってくれ、紅の瞳を苦しそうに歪めて、彼は少女の頭を撫でる。少女は唇を噛んだ。

 彼の想いはよくわかった。しかし、わかりたくない。主様とハルがいなくなれば、またひとりぼっちだ。

 じわじわと目頭が熱くなるのを感じて眉間に力を込めると、大きな手のひらがあやすようにまた頭を撫でた。

「今すぐ死ぬ訳じゃない。まだ一年程時間はある。ハルもまた、会いに来てくれる」

「……だったら、僕も死ぬ!」

「……駄目だ。お願いだから、やめてくれ」

「どうして? 主様とハルが死ぬなら、僕だって……!」

「――ホムラ、頼みがあるんだ」

 宥めるような声音が、また真剣味を帯びる。

 おずおずと顔をあげた少女を抱え上げ、イフリートは彼女の顔を覗きこんだ。

「日本にいるハルの弟が、手助けしてくれるらしい。生まれた子は信頼できる人に預け、育ててもらうそうだ。子を預けたら、ハルはここへ来る」

「……一緒に、死ぬの」

「ああ。子を見る事は叶わないが、せめてハルと共に失せたい。だが、もしかするとそれすらも叶わないかもしれない。その時は、お前が俺を殺してくれ」

 とても優しい声だというのに、少女の胸を深く深く抉った。

 じくじくと痛む胸に再び泣きそうになる少女に、彼は困ったように目を細める。

「ハルに渡された人形がある。ハルの命が消えるのと同時に、水となってしまうらしい。それが水になったら、すぐに俺を殺してくれ」

「や、やだ、嫌だよ。どうして、どうして僕が、主様を」

「大切なんだ、お前が。俺にとって、実の子のように大切なんだ。他人の手にかかるより、己で命を絶つより――お前に絶たせてほしいと、そう思ったんだ」

 月光に照らされて、彼の色素の薄い髪が輝く。

 なんて残酷な事を言うのだろう。赤い瞳に映る決意を知りながら、少女はそう罵ってしまいたい衝動に駆られた。

 しかしそれができなかったのは、イフリートがとても幸せそうな表情をしているからだった。

 愛した女との子を授かった喜びと、その子の未来を想う幸福感。それだけを浮かべる彼は、今までに見たことが無いほど優しい表情をしていた。

「ホムラ、辛い想いをさせて悪いと思っている。だけど、頼める奴はお前以外にいない。俺が死んだら、できればでいい、俺達の子を見守ってやってくれないか」

「……」

「俺達が死んで十年経てば、ほとぼりも大分冷めているだろう。その時どこにいるかはわからないが、どうにか探し出して、見守ってやってほしい」

 きゅっと唇を噛んで押し黙った少女の髪を撫でながら、イフリートは夜空を見上げる。

「名はもう決まっているんだ。お前と同じように、ハルが考えた。俺にもわかるくらい、いい名だ。きっと俺達の能力を、どちらかでも受け継いでくれるだろう。手がかりはそれだけしかないが、お前ならできると信じている」

 寡黙で口数の少ない彼が愛おしそうに未来を語る様子を、少女はただひたすらに耐えて聞いた。

 珍しく砂嵐もなく穏やかな夜だったが、星は滲んでよく見えなかった。


 それから暫くして、遥は久方ぶりに砂漠を訪れた。

 長期出張という名目で少し前から家を空けていると言った彼女は、もう少ししたら異能者が少ない国に身を潜めるらしかった。

 魔族に妊娠している事がバレてもどうにかなるが、恋人すらいない筈の遥が身篭っていると異能者に知られれば、出産する前に殺されてしまうかもしれない。そう二人で考えての事だった。

「ホムラ、大好きよ。この子をよろしくね」

 僅かに腹を膨らませた彼女と彼は、ただ幸せそうに笑う。

 少女にはその腹の大きさが大切な二人の命を奪っていくように思えたが、それでもやはり、二人を見ていれば何も言えなかった。

 憎しみはあった。ただそれは、腹の中の子へではなく、世界に対する物だった。

 二人には子と生きる幸せが残されている筈なのに、それを奪う異能者も魔族も憎くて仕方がなかった。


 遥はそのまま三日間砂漠に滞在し、身を隠す為に去っていった。必ず戻ってくると笑う彼女に、イフリートと少女も笑って背中を見送った。

 しかし、遥は二度と砂漠に姿を見せなかった。


 最後に彼女を見た日から、およそ半年が経とうとする頃。

 ジリジリと照りつける太陽の下で、彼女が残した人形は水となって消えた。

12月29日 誤字訂正

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