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ハルモニア  作者: 岸部碧
第四章
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接触

 僅かに太陽が傾いた空を、名も知らぬ鳥が飛んでいる。

 その様子をぼんやりと見上げながら、那由多はあっと声を漏らした。

「そうだ、アズマくん、晩御飯は何がいい?」

「んー、別に何でも。那由多の飯、美味いし」

 ちらりと様子を窺うような視線を寄越す彼女に、春はぶっきらぼうに答える。

 美味しいと言ってくれるのは素直に嬉しいが、料理を作る側としては一番困る回答だ。

 ついつい苦笑を零すと、今度は彼があっと声を漏らした。

「冷たいのがいい」

「冷たい? 冷やし中華とか?」

「そんな感じそんな感じ」

 随分とまたアバウトな注文だなあと苦笑しつつ、最近暑くなってきたからそれもいいかもしれないと思う。

 冷蔵庫の中身を思い出しながら、帰路の途中で買う物を考えていると、前方への注意が疎かになっていたのか、擦れ違った人にぶつかってしまった。

「すっ、すみません!」

 咄嗟に謝罪を述べる那由多の隣で、春は「何やってんだよ」と呆れ顔を作る。

 ぶつかってしまったのは、中学生、あるいは小学生にも見える小さな少女だった。

 肩に届かない程度のボブ、かと思えば、襟足の髪は長くふわりと揺れている。白い肌にその赤い髪がよく映え、また、じっと那由多を見つめる瞳も綺麗な紅だ。

「だ、大丈夫? 怪我、ない?」

「……」

 突っ立ったまま何も言わない少女に、那由多はいよいよ狼狽する。

 怪我をしたのだろうか、していないのだろうか。していないとしても、ものすごく痛かったのか。口もきけないほど痛いのか。あるいは、言葉を失うような何かをしでかしてしまったのだろうか。

 止め処なく溢れる疑問と焦りにあわあわするしかない那由多を見つめ、少女は薄く口を開いた。聞き取れない程の声音で、何かを呟く。

 それに気付いた那由多と春がきょとんとするが気にもとめず、まるで自身に確認でもするように、少女は同じ言葉を繰り返した。

「……人間、じゃない。違う。ヒトじゃ、ない」

「……え」

「同じ。覚えてる、その目。同じ、目」

 何かを手繰り寄せるように言葉を紡ぐ少女の瞳は、じっと那由多を見据えてそらさない。大きな瞳が仄暗く光る。

 只ならぬ雰囲気を肌で感じ、那由多は身を強張らせるしかない。

 それは春も同じで、怪訝そうに眉を寄せた彼はハッと彼女の手を引いた。

「下がれ、那由多!」

 自分の背後へと那由多をまわした春の声に、呼んだ名前に、ぴくんと少女が反応を示す。

「なゆ……た……?」

 微かな微かな声で、その名を復唱する。

 ぴんと空気が張り詰めた瞬間、紅の瞳がカッと見開いた。


「――見つけた!!」


 歓喜にも似た少女の高い声が命じたかのように、三人を取り囲むように火柱が立った。ゴウゴウとうねりを上げ、那由多達の逃げ場を奪い取る。

 迫る熱に引き攣った声で悲鳴を上げた那由多は、ぎゅっと春の服の裾を掴んだ。

 掴んだ、筈だった。

 しかし伸ばした手は空を切り、最早そこには何も無かった。春だけではなく、何も。

「……え?」

 見慣れた町並みも、色が変わり始めた空も、先程立ち上った火柱でさえ、那由多の周囲は何もかもが消え失せていた。

 在るのは、どこまで続くとも知れない深い深い闇。

「アズマ……くん……?」

 震える声を何とか絞り出して、従兄の名を呼ぶ。

 しかし、応答など無い。自分の声が僅かに反響するのみで、やはりそこには何も無い。

 ぶるりと体が震えた。

 頼れる者、大切な者がいない。世界に私はひとりぼっち。

 どんなに否定しようとしてもその事が頭から離れず、震えが止まらない。


『――こわい?』


 耳朶を撫でたソプラノ。

 弾かれたように振り返るが、那由多の目にはやはり闇しか映らない。

『誰も来ないよ。あの男は助けにこれない』

「どこ? どこから話してるの?」

『僕? 僕はここにいるよ』

 キョロキョロと周囲を見回していた那由多の前に、ふわりと、あの少女が姿を見せる。

 浮かび上がるように現れた彼女は、淡く微笑む。闇の中で、赤い髪が怪しく揺れている。

 思わず唾を飲み込んだ那由多を見て、その赤い唇を歪めた。

「僕とお話をしよう? 那由多」

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