鎮魂
公園を出てもリクは強い歩調で足早に歩いていた。一秒でも早くあんな事を言う人から離れたかった。
「リク……、ねぇ、リクってば……」
リクに引っ張られるように歩いているサキが後ろから声を掛けてきた。
「なに!?」
「そんなに怒らないでよ。私は大丈夫だから!」
背後から逆にリクの手を引きながら、サキが宥めてきた。
「なんでサキが怒らないんだよ?
酷いことを言われたのはサキなんだよ?」
リクは足を止めると怒りが収まらなくてサキに詰め寄る。
「そりゃあ腹はたったけど……。
ん~……、なんて言えばいいのかなぁ?
代わりにリクが必要以上に怒ってくれてるから毒気を抜かれちゃった、みたいな感じかなぁ?」
乾いた笑みを浮かべて、困ったようにたどたどしく言うサキに、リクはなんだか釈然としないで眉を潜めた。
「なに? それ……」
「ん~、嬉しかったって事だよ……」
サキは満面の笑みを浮かべて見上げてくると、咲き誇る向日葵の花のように元気に言った。
この笑顔を向けられたら、それ以上なにも言えなくなるのは、昔からだ。
単純だが、それだけであの二人に対する怒りは収まっていたが許す気にはなれず、二人はどちらともなく川沿いの土手に座ると、並んで川を見つめた。
「それで、あの二人はなに?
今朝、学校に忍び込もうとしていた不審者だってのは分かるけど、なんでサキがあの二人と話してたの?」
「ああ、あれってあの二人だったんだ……。パトカーとか来て大変だったね……」
サキはきょとんとして見つめてきたが、今朝の騒動を思い出したのか楽しそうに喉を鳴らして笑った。
「うん。俺も遠目から見ただけだけど、あんな目立つ二人組は見間違えないよ……」
「うんうん。すっごく目立ってたね。
純和風の美少女と、金髪のロリっ娘。
あれは嫌でも人の目を引くわ」
サキは二人の姿を思い浮かべているのか、苦笑を浮かべた。
「それで? その目立つ二人組とサキがなんであんな場所で話してたんだよ?」
「ん~……。良く分かんない……」
少し考えた後、サキが眉を顰めたまま、腑に落ちない様子でぽつりと言った。
「分かんない?」
サキが嘘を着いていないのは分かっているが、それなら何故あんな場所で話していたのか事情が知りたかった。
「うん……。いつものコンビニに行こうと歩いてたら、急に道を塞がれて『君が倉橋咲花だね?』って声を掛けられて、私が、そうですよって答えたら、『君の中で息づいている悪魔の事で話がある』って……」
サキは風にでも掻き消されてしまいそうな消え入りそうな声で囁くと、遠くを見つめて静かに笑った。
「ダメね……。あんな事があったからかな……? 悪魔って言葉に過剰に反応しちゃう……。悪魔なんているわけないのにね……」
サキは自嘲しながらそう続けると、体育座りをしている膝に顔を埋めた。
悪魔なんて非科学的な物を信じる事はできないけれど、否定もしきれないのだ。
十年間、なんの異常もなく過ごして来たとはいえ、それだけ『悪魔の血』と言われた赤い液体を頭から被ったのは、サキの心に深く根強く傷を残しているのだ。
「行こう! サキ!!」
なにかサキを元気付けられることはないかと考え、あることを閃いて立ち上がると、サキに一声掛けて走り出した。
「行くって何処に!?」
サキも立ち上がり、制服のスカートに着いた草を払い落とすと後ろを走りながら問い掛けて来た。
「寺!!」
「お寺!? 竜聖院? なんで?」
「いいから!」
サキの言葉を一蹴すると、百段以上ある石段を一気に駆け上がり、お寺の境内に入った。
門が大きく、本殿までは石畳が敷き詰めてられて道を作っている。
子供の頃は良くサキと遊びに来ていたが、近年では全く来なくなっていた。
それでも、お寺はあの頃と変わらない姿で二人を受け入れてくれている。
「なに……? 急に……こんなとこ……ろ……連れて……来……て……」
境内の入り口で立ち止まり、膝に手を着いて乱れた息を整えながら、サキが不満そうに聞いてくる。
「ちょ……と……、待って……。思ったより……辛かった……」
ここまでは勢いで昇って来れたが、想像以上に辛く、リクは石畳の上に座り込んで息を切らしながら宙を仰ぎながら言った。
せっかくの名案も、これでは格好が付かない。
「そんで? わざわざあの階段登ってこんな所に連れてきたんだから、なんか理由があるんでしょ?」
リクより先に息を整えたサキが、冷たいスポーツドリンクの缶をリクの頬に当てながら言った。
これではますます格好が付かないが、冷たい缶ジュースの感触は心地好かった。
元気が戻ったような気がして、リクは缶ジュースを受け取ると立ち上がった。
「昔、良くここに来たよね?」
「いっ、いきなり昔話!?」
「いいから……」
サキを元気付けようと、唯一思い付いた事を茶化されそうになって、唇を尖らせて制した。
サキはリクが慰めようとしているのを悟ったのか、小さく笑みを溢すとゆっくりと境内を歩き出した。
「はいはい。
そうねぇ。ここは昔と変わらないね……」
どこか演技じみた口調で辺りを見回しながらサキは微笑んだ。
リクがどう慰めようとしているのか、楽しんでいるようだ。
「これ覚えてる?」
リクは石畳を本殿へ行く途中にある鐘へ向かって歩いて行くと、サキに訊いて返事を待たずに鐘を衝き始めた。
重くて低く、それでいて心地好い音色が、何処までも響き渡るように鳴り響いた。
「あっ……」
サキが小さく声を漏らした。
リクの本当の目的が分かったのだろう。
幼い頃、サキはこの音が好きで、嫌な事がある度にこの鐘を衝きに来ていた。
勿論、子供では鐘に届かず、いつもリクが肩車をして、よろめきながら鐘を衝いていた。
バランスが悪く満足に射てず、音も満足に出せなかったが、それでもサキは嬉しそうに鐘を衝き、嫌なことを忘れていたのだ。
リクはさっき、それを思い出してサキをここに連れて来た。
「うん。いい音……。昔はこの音を出せなかったんだよね……。
いつの間にかこんなに響かせられるようになって、リクも男の子だったんだねぇ……」
続けて何度もリクが衝く鐘の音に、サキが心地よさそうに瞳を閉じて聞き入りながら囁いた。
「嫌なことは吹き飛んだ?」
リクはそんなサキを微笑みながら見つめて、さらに五、六度、鐘を衝くと声を掛けた。
「もう終わりぃ~?」
リクはもう良いだろうと思って鐘を衝くのを止めたのだが、サキはもっと聞いていたかったらしい。
鐘の石垣に腰掛けて、不満そうに唇を尖らせながら振り返った。
「じゃ、じゃあ、もうちょっとだけ……」
「煩悩の数だけ打とう!!」
躊躇いがちに言うリクにサキが元気に催促してきた。
「百八回!?」
「ご~、ご~!!」
「勘弁してぇ……」
その後、リクは百八回には満たないが、サキの気が済むまで鐘の音を響かせたのだった。